第95話 開幕・初戦

 桜高校のメンバーは埼玉県大会決勝戦とほぼ変わっていない。


 変わっていないというよりは、本来のベストメンバーである。


 爪の怪我も治り、完全に復活した山田が最初から投げられるとの事で、最初はベストメンバーで臨むと吉田吉影は決めていた。


1番二塁 白銀(4) 

2番左翼 朱堂(7) 

3番捕手 八百(2)  

4番遊撃 壇之浦(6) 

5番三塁 柊真白(5) 

6番一塁 小倉(3) 

7番中堅 小峰(8) 

8番右翼 卯月(9) 

9番投手 山田(1)


 これで善戦、または負けるようであれば、まだまだ足りていない。


 吉田はそう考えていたし、部員達もそう思っていた。


 初出場であり、実績もなければあまりデータのない桜高校。


 かつては激戦区と呼ばれた埼玉県であるが、近年県としての勝ち星は少ない。


 昨年準優勝のやはり初出場の山神学園は久々の複数勝利である。


 近年では1回戦か2回戦を勝つのが精一杯で、ベスト8以上は久々であった。


 その山神学園を破っての出場である桜高校であるのだが、それでもやはり事前評価は高くない。


 昨年優勝だけでなく、ここ30年以上に渡って話題を持ち続け、プロ野球選手を多く輩出している大阪陰陽高校。


 今年の番付でもAランクで優勝候補の筆頭である。


 Aランク評価を受けた学校は他に4校存在する。


 桜高校は最低のDランク評価であった。


 かつて昭和時代の少年誌の野球漫画の広島大会で、横綱対小結と言った監督が存在した。


 横綱と自分達の学校を言い切ったその監督のいる学校は、小結と言い放った主人公のいる学校に敗れた。


 決して勝負は侮ってはいけないのである。


 AランクとDランクだからといって、実際に試合をするのは選手達高校生。


 何が起こるかわからないのが、一発勝負の大会なのである。


 漫画であるし、主人公達は主人公補正もあるのだから、展開としてはある意味なるべくして成った結果ではあるが。




「そういや、全出場校が決まった後の俺達の評価随分低かったな。」



「まさかの最下位な。一応山田とか壇ノ浦とか中学で名前残してるやつがいるのにな。」


「30校未満の県より評価低いというのも妙だけどね。」


「これ、俺達が勝ったら座布団飛んでくるかな。」


「笑う点じゃあるまいし、山田く……あ、うちに山田いるわ。」


「そう言うと思ってベンチに座布団は用意してたりするけどな。」


「監督、何やってんすか。」


「家から持ち込んだものだ。後悔はしていない。」


 緊張を解すにはちょうど良い、いつもの桜高校のやり取り。


 恵のノックで気を引き締め、ベンチのやり取りで気を和ませる。


 程よく、緊張とゆとりを持った、ベストの状態だった。





 そして整列して開始の礼と号令が終了する。


 サイレンと同時に白銀に対して第一球が投じられた。




「やっぱり全国は違うな。」


 あっさりと三者凡退となり、守備に散る前の桜高校ナインの言葉だった。


「でもな、その全国区の山神……他にも浦宮や徳春にも勝ってきたろうが。」


 部員の誰かがそう後押ししていた。


「エラーしたら鬼マネの釘バットによるケツバットな。」


「怖がったりビビったり躊躇してエラーするくらいなら思い切ってやれ、その結果の失策は問題ない。」


 いつもと変わらないやり取りだった。


 萎縮は普段通りを阻害する。


 

「鬼マネのサバ折りもありかも知れんな。試練だけに。」


 誰かが上手い事を言ったつもりだろうけれど、それは悪手だった。


 元ヤンは純情なのだ。元ヤンだからって性に開放的とは限らないのだ。肌が密着するサバ折りは……


「だだだっ誰が真白以外の奴に抱き着くかっ。」


 ほのぼのとする一言だった。


 そして何かを白状した一言だったが、そこにツッコミを入れる者はいなかった。





 そして山田の先発復帰登板。


 思いのほか山田の出来は良く、中学時代の前評判通りのピッチングで、立ち上がりの3人を凡打に打ち取った。


 最初のゴロは真白のところに、次の凡打は白銀のところに、3人目の凡打は小倉のところに転がった。


 内野ゴロ3つで上々の立ち上がりと言えた。


「良くやった。省エネ投法ナイス。」


 山田のスタイルは決して省エネではない。


 150km/hを超える直球と多彩な変化球を持っていると、身体への負担は大きい。


 高校生は大人に比べて体力配分が出来ていないため、どうしても常に全力投球となりがちだ。


 いくら分業制が高校生に行き渡っていたとしてもである。


 初回、10球に満たず終えられた事は、先発復帰である山田にはありがたい結果である事は間違いない。


 球数制限が存在する現在の高校野球では、省エネ投球は大変有難いのである。





「あ、ナイスバッチン♪」


 両チーム続いての初ヒットは壇ノ浦であった。




「ねぇねぇ、めぐめぐ。ましろんに何か言わなくていいの?ヒット打ったらハグ、ツーベースならなでなでとか。」


「ばばばっ。ばっかじゃないの。なんであたしがそんなこと。」


「でもさ、冗談とはいえ、決勝で純潔云々を私らが言ったらホームラン打ったじゃない?」




「じゃぁさ。流石にえっちなのとかは公序に欠けるからさ。これから私が言う言葉に続いて言ってみて。」


 澪の言葉に仕方なく頷く恵である。


 そして恵が激励とばかりに澪に続いて復唱した大声が以下である。


「真白ー!ホームラン打ったらあの言葉の続き考えてやるぞー!」


 もちろん恵には何のことかわかっていない。決勝の帰りのバスの中で夢の国へ旅立っていたのだから。


 しかし当の真白は、その言葉を聞いてドキッとする。


 まさか聞こえてやがったのか、狸寝入りだったのかと。


 しかし、にへらと笑う澪の姿を捉えた真白は、「あぁお前の差し金か。」と安堵する。




 確実に1点を取りに行くなら、たとえクリーンアップであってもここはバントをする場面である。


 しかし、吉田監督は打てのサイン。


 実力の劣る学校が、上位の学校に勝つにはセオリー通りにやるのが無難である。


 つまり、確実に1点を取りたかったら一死二塁という場面を作りたくなるものである。


 後続の小倉達を信用していないわけではない。


 吉田は真白に託したのだ。


「あいつにバントのサインを出したら、俺が女マネ種田に殺される。」


 そう、真白の勇姿を見たいであろう恵の圧に耐えられなかったのだ。


 バントが決して悪いわけではない。戦略の上で大事な作戦である事も確かだ。


 それでもずっと傍で見ていた恵には、真白が成功したり活躍したりする場面を本能的に見たかったのである。


 そこには元ヤンとかマネージャーとかは関係なかった。





 初球、見事に空振りする真白に、ヤジが飛んでくる。


「ぶんぶん丸はいらんのですよー。」


「大きいのはいらんのですよー。何事も適度適度。おっきいからって誰も喜ばないよー。」


 桜高校ベンチからの声である。


 微妙に卑猥なヤジである。




 そして2球目。


 誰も予想していなかった。それはボールを捉えた真白もだったかも知れない。


 キィンっと甲高い音と共にボールはレフトスタンド目掛けて飛んでいく。


 そう、埼玉県大会決勝戦と同じように。


 違うのはボールの飛んで行った方向位である。


 所謂浜風にも乗ってグングンと伸びていく。


 真白は確信歩きというものは行っていない。


 一塁ランナーの壇ノ浦は、打球を見ながら次の塁を目指していく。


 


「あ、入った。」


 ベンチで誰かが呟く。


「入っちゃったねぇ。めぐめぐ、さっきの言葉覚えてる?」



「そういや、あの言葉ってなんだ?」


「試合が終わって宿に帰ったら教えてあげる。」


 結局は謎のまま、恵は悶々とする時間を迎えるのである。


「持っていきやがったな。第一号。」


「名も知らぬポッと出の俺達の学校名が今大会は残るな。」


 ホームランが出辛いと言われる低反発バット。


 近年甲子園における長打が減ったと言われている。


 大会通じて10本出れば良いとさえ言われている。


 



「木製バットで真芯に当てる練習したからかな。」


 あの時一緒にバッティングセンターに行った朱堂が言った。


「そうかも知れませんね。金属に慣れた自分達が急に木製で練習すると、逆に良くないかもと思ってましたが。」


「いや、誰もがそうってわけじゃないでしょ。そんな細かいバットコントロール。」


 偶然かもしれないが、木製での練習が役に立ったと思わないわけでもない一部部員達は思っていた。



「いえーい。」


「良くやった。もし負けても2回の表までは俺達が勝っていたと自慢できるぜ。」


「何その微妙な勝ち誇り感。」


「山田を信用しろ。俺達バックを信用しろ。」


 様々な出迎えの言葉であった。




 そして試合はトントン拍子で進んでいく。


 ヒットこそ互いに生まれるが、中々3塁を踏むことも出来ず、淡々と回だけが進んでいった。


 Hの欄は桜高校が5、大阪陰陽は4、Eのところは両チームとも0。


 スコアは2-0のまま、6回を終了していた。



「誰が得点も安打数も俺達が上のまま終盤を迎えると思ってたろうな。」


「俺達自身思ってねーよ。」


「山田、大丈夫か?」


 6回まで投げて、山田の投球数は80球、完投しても100球を超えるが120球は満たないくらいのペースだった。


 ここまで両チーム共にノーエラーに加えてノー四死球でもある。


 プロ注目選手が複数存在する大阪陰陽もまた流石の一言である。


 初回から入れ替わるように控え投手達である後輩達は準備を整えていた。


 しかし、山田の替え所は今のところ存在していない。



「まぁ一度危なかったけどな。出番少ないと嘆いていた朱堂のファインプレーとかさ。」


 左中間に飛んで行った打球をダイビングキャッチしたのは朱堂である。


 あの打球が抜けていれば、ツーベースは確実、場合によってはスリーベースヒットとなっていた可能性すらあった。


「やぁやぁ。そんなに持ち上げるなよ。死亡フラグみたいになるだろ。俺には帰りを待ってる恋人とか幼馴染とかいないんだけどさ。」



「言ってて悲しくなるだろ、それはここにいるほどんどの奴がそうなんだからさ。」


 朱堂の死亡フラグツッコミに同じ3年である卯月からのツッコミが野球部員を落胆させる。


「それは言わない約束だろ。八百と柊以外に春は存在しないんだから。」


「なんで俺もなんだ?」


「おま、それ本気で言ってるか?本気だったら至近距離で打球受けさせるぞ。」


「あのな。ニブチンが受けるのは漫画だけだぞ。現実でそれやられると嫌味以外のなにものでもないぞ。」


 声には出さないけれど、後輩達も同意なのか微かに頷いた。


 それでも身近に姉を持つ朝倉だけは、若干涼しそうな顔をしていたが。




 6回に入る前にグラウンド整備と強制給水タイムである10間の休憩は済んでいる。


 7回表を迎える現在、この談笑染みたやり取りは、打者とネクストにいる二人は参加していない。


「無理して替えると、それまでの流れを壊してしまうかもしれないしな。難しいところだ。」


 1年が加わり、20人フルとは言えないが、控え選手を複数携えた事で監督の悩みは増えていた。


「あ、柊。一応9回行けるよう準備しておけ。」


 いつも通りを貫きたい吉田は、完投を視野に入れてではあるが、万全を尽くそうとしていた。


 一方で二刀流とかずるいなと思わない面々でもあった。


「このまま行ったらインタビュー絶対あのニブチンだろ。」


 監督と主将のインタビューは当然であり、先発投手や活躍した選手もその声は掛けられる。


 この試合で第一号を放ち、現状その得点だけしかないこの試合において、真白のインタビューは濃厚である。


 それにしても、ここにきて最近の真白に対するチームメイトの表現が辛辣になっていた。


「そういや、応援もさ。あの女子からの声がすごいんだよな。流石元ヤン、声通るのかな。」


 県大会の時は自前の軽音部と吹奏楽部少数と近隣の応援から成り立っていたが、この甲子園でもそれは健在だった。


 チア部は存在していないため県大会も有志で応援を募っていたが、今のような形になったのはこの試合が始めてだった。


「でもちょっと昔の映像で見た硬派な応援になってるんだよなぁ。女子たちに続いて姐さんと慕うような男子生徒達の声も。」




 そして試合は8回を終え、2-0のまま最終回を迎える事となる。

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