第87話 度肝と約束?

「柊、ちょっと良いか?」


 入浴を済ませ、コーヒー牛乳を一気飲みした後に八百が真白に問いかけた。


 湯あみ処の椅子に並んで、二人は深く腰を掛ける。


 所謂人間をダメにする椅子である。


「なんだ?」


「実はな、やっぱり明日ちょっと変化を来たしたいって監督が言うんだよ。俺はそれもアリだと思ってる。」


 温泉施設に来る前、八百は監督から一つ相談を受けていた。


 後でそれとなく真白に話してはくれないか?と。



「ロングは投げられないぞ。本職を履き違えないでくれよ。」


 真白は八百の話が、先発の話だと想像して答えた。


 当たらずとも遠からずと八百は思っているため、核心には触れられてないと安堵を感じていた。


 監督の言う変化は、先発だけではないのであるが、それはまだ先の話である。


「あぁ、そういうのじゃないから大丈夫だよ。ただ、事前に知ってないと本番で上手くいかないからな。」



 八百は監督が直前で提案した内容を真白に話す。


 驚いた真白の表情は、リクライニングシートに座っているため誰にも見られる事はなかった。



「おまっ……まぁ良いけど、大丈夫だと思うか?」


「黙ってたけど、俺も小学校時代に経験あるしな。お前がピッチャー・サード以外にやった事あるのも人づてに聞いた。」


 小学生の頃の野球チームであれば、本人の希望以外にも色々と経験するのはよくある話である。


「小学生の頃の話な。中学の時もちょっとだけやってみたって感じではあるけど。あくまで未経験ではない程度だぞ。」


「まぁ味方も敵も欺かないといけないんだけどな。」


 この話は監督と八百、真白だけしか知らない話である。


「そういう事なら成功するだろうけどな。」



 女風呂から上がってきたマネージャー4人が扇情的だったという話は、語られる前に闇に葬られる。


 何人かの男子部員が戦闘不能性癖が歪んだ事件になったという話もまた、闇に葬られる。


 


 そして日が変わり、決勝戦当日。


 誰かが遅刻するなんてハプニングもなく、試合開始3時間前には球場へと全員が辿り着いていた。


 決勝戦とはいえ、高校生の部活の大会だというのにも関わらず、開場前にも関わらず既に観客の列は形成されていた。


 今では40度近い気温にまで上るというのにも関わらず、老若男女問わずこうして野球の試合を観戦しようというのである。


 当然球場関係者はもっと前に着いているわけであり、2時間に満たない時間のために多くの人達が土台を支えている事が窺える。


 こういった人達のおかげで、球児達は自分の夢に向かってやりたい事が出来る事を感謝しなければならない。


 それを知っている、理解しているかはさておき、両チームメンバーは控室へと向かう。


 


 そして、ユニフォームへ着替えが済み、ベンチへ向かう前に監督から発表されたスタメンで、桜高校ナイン全員が驚きを露わにしていた。



「マジで?」


「それってあり?」


「奇策過ぎる。」


 などと意見が上がっていた。


 そして守備練習やバッティング練習を経て、スコアボードに両チームの先発メンバーが掲示される。


 桜高校側のメンバーは以下の通りである。


1番二塁 白銀(4) 

2番左翼 朱堂(7) 

3番投手 柊真白(5)  

4番遊撃 壇之浦(6) 

5番捕手 八百(2) 

6番一塁 小倉(3) 

7番中堅 小峰(8) 

8番右翼 卯月(9) 

9番三塁 朝倉(12) 



 これまでの戦いとは違い、3年は最初から全員先発出場。


 真白と八百は打順が逆であるが、そして投手が山田でない点は別であるが、当初監督が考えていた2・3年のみのベストメンバーだった。


 そしてなんと真白を先発に要したのである。

 

 昨日絶対にやらんよ、と言っていたのにも関わらず、監督は真白を三番・先発に持ってきたのである。



「ロングはやらんよ。」


 そこだけは豪語する真白であった。


「まぁ、そういうのってフラグだよな。」


 真白に聞こえないよう、ぼそりと誰かが呟いた。


 

 柊真白が先発で投げるのは、小学生の頃の野球チーム時代、親子野球の時以来である。


 当時は投げられる人が同チームにいないという事でしかたなく、という感じであった。


 しかし現在は違う。投手が何人もいる中での先発である。


「決勝で博打は止めて欲しいんだけどなぁ。」


「昨日ビビビってきたらしいよ監督が。それで俺に相談されたんだけどな。」



 様々な人が驚く中、1回表の山神学園の攻撃を3者凡退で抑え、ベンチに戻る際に真白が八百に語った。


「度肝を抜く采配はまだ用意してるみたいだぞ。いちいち驚いていたらツッコミ持たないぞ。」



「なんだよ、そのツッコミ持たないって。」


 軽くじゃれ合いながら戻る様子は、少年野球漫画にありそうな一面だった。




 山神学園の先発は昨夏優勝へと導いた背番号1を引っさげた、2年生エースである水凪。


 昨年のスリークォーターと違い、ほぼオーバースローである。


 投球練習では捕手がミットにボールを収めると、外野にまで響いてそうな程良い音がグラウンドの選手達の耳を唸らせていた。


 練習なので球速は表示されないが、昨夏より上がっているだろう事は見てわかる程である。




 先頭打者である白銀が、そして2番打者である朱堂が、ネクストバッターズサークル付近で、水凪の投球練習に合わせてバットを振る。


 水凪が練習で投じた球は、直球を除き昨年見せた変化球しか投じていない。



 この決勝のために、正確には今夏甲子園のために新変化球を取得していたとしても、それを知る術は桜高校にはない。


 しかし、昨年同様プレートの一塁側から投げるのは変わらなかった。


 右打者にはクロス気味に、左打者には内角を抉るような真っすぐは、今年も健在であった。



「よっしゃ、白銀。七虹にいいとこ見せてこい!」 


 元ヤンマネージャー、種田恵の激励という名のヤジである。



「朱堂!3年の意地見せてやれ!最近影薄いんだから!」


 これもまた恵の激励という名のヤジである。


 立ち上がりの水凪は、先頭二人を合計5球で仕留める完璧な立ち上がりだった。


 テレビにおいても、サイテレ名物実況の植野章うえのあきら氏も完璧だと放送していた。


 ネクストにおいては真白が水凪の一球一球を、本に穴が開くのでは?というように見つめていた。


 昨年最後にやられた事を思い出しているのか、それはまるで仇でも見据えているかのようだった。




「ねぇ恵。ここは一発、【ここで打ったら純潔あげる】なんて言ったらどう?」


 スコアブックをつけている澪がさりげなく恵へと囁いた。


「ばっなななっ何言ってくれちゃってんのっ!」


 口元を隠すように、顔を真っ赤にした恵の口調が大きくどもる。


「そういうのは本人が聞こえないように言えよ。」


 ネクストバッターズサークルにいる真白にも筒抜けであった。


 先程までの張りつめた、水凪の投球を凝視していた眉間の皺が取れていた。


 そして、この瞬間元ヤン種田恵が処女だという事が野球部員及びマネージャー等に知れ渡った。


 流石に報道やスタンドにまでは聞こえてなかったが。


 尤も、普段の恵の様子を見ていれば、未経験だという事はわかっているだろうけれど。




 そして、真白は3球目の外角高めのボールからゾーンギリギリに入ってくるクロスファイヤー気味のストレートを振りぬいた。


 カーンともキーンとも取れる、金属音が真白自身にも、そして投じた水凪にも、その耳が快音を拾っていた。


 放物線というよりは、三角定規の長い部分。


 大きな三角定規の一辺のようなライナーがセンター方向へ飛んでいく。



 入れ!と真白が思うよりも早く、真白はバットを放り1塁へ向かって駆け出していた。


 どこで失速しグラウンドに落ちるかわからない。


 プロ等では良く見かける確信歩きをして、ホームランにならなかった時には怠慢プレーと言われてしまう。


 そうならないよう、一つでも先の塁へと駆けるためだった。



 しかし打球はこうべを垂れる事無く、そのままスコアボードの少し下へと突き刺さる。


 正確には全然落下していない事はないのだが、それだけ打球が良く飛んだという事であった。


 推定飛距離130m前後、金属バットとはいえ、高校生が良く飛ばしたものである。



「ねぇめぐめぐ、柊君本当に打っちゃったよ。」


「だ、だから、そそそっそんな約束してにゃっ……」


 緊張して噛み噛みの恵は、バイト先を特定された時のようにもの凄く焦っていた。



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