第56話 突撃オタク訪問、その名はメッコール

 ピンポーン


 呼び鈴を鳴らす音が響く。

 現在呼び鈴を鳴らした扉……隣もその隣も同じ作り、周囲には変わり映えのない玄関扉が羅列している。

 地元のよくある団地。小学校や中学校はこの団地の住む人達で集まるのだろう。


 同級生や先輩後輩も変わり映えはしないに違いない。


 そんな団地の呼び鈴を押しているのは柊真白。

 手にはクリアファイルに入っている書類。

 この書類を届けにやってきたのだが。


 扉の外側、右上の表札には―――


 「はいはーい。ちょっと待って。」

 可愛らしい女性の声がインターホン越に返って来る。

 一軒家やマンションのような、訪問者の顔が見えるような最近のインターホンではない。

 白い横長長方形の小さな呼び鈴。


 昭和40年代の高度成長期に建設が盛んだった団地は、日本中あちこちに現在でも残っている。

 立地場所や地域的なものもあるかもしれないが、聖徳太子……現在では福沢諭吉が3人程度の家賃であるため低所得者には優しい。


 がちゃっ

 扉の鍵が開く音が真白に聞こえる。漸く家の住人が出てくるかと安堵した。


 安堵したのにも理由があって、ここは3階なのだが、団地入口のあちこちに落書きがしてあった。

 消しては書いての繰り返しに見えるその落書きは、とても口に出せるものではなかった。

 

 もちろん落書き禁止や見つけた場合には、落書きを消すための金額を払って貰います的な張り紙もされている。

 恐らくは町内会費等で支払われているのだろう。


 本来使わなければならないところにお金が使えなくなる程ではないのだろうけれど、元々団地の収入は然程多くない。

 維持管理は中々に厳しいのだ。

 耐震にしても’82耐震すらされていないので、大きな地震があれば最悪倒壊の危険がないわけでもない。


 それでも最近は色々手を加えているようで、初めて見る真白にも何かしているのかもなくらいの結果は現れていた。

 昔はなかったであろうバリアフリー的なスロープ等も後付けされているのがわかる。


 もっとも、エレベーターはないので安全で快適な環境とまでは言い難い。




 がちゃっ

 ドアノブが回転し、扉が外側……真白の方に向かって開いた。

 扉が開くと黒い髪の毛がぱっと現れる。

 少し跳ねたり崩れたりしていた。

 寝起きだろうか。


 「お、おはよ……」

 寝起きだったようだ。

 真白の目には髪の次に寝間着へと映った。


 やや欠伸気味に挨拶をしてくる住人。

 寝間着が少しずれたり開けたりしているせいで、その下に装着されている所謂下着が覗かせていた。


 「あぁ、おはよう。今が何時かは言わないでおく。」


 「え?あ、えっ?ななっにゃっなんで……」 


 真白は担任の教師から恵に約1週間分のプリントを渡すように頼まれていた。

 住所は知らんと答えたが、担任はこっそりあっさり教えてくれた。


 どこら辺だ?と検索しようとしているところで声を掛けられる。

 久しぶりに登場の恵のマブダチ?小倉七虹である。

 

 七虹に途中まで案内され、「恵をよろしくね。色々な意味で。」と言われ別れた。

 色々って何だよと真白は思ったが、気にせず種田邸へと向かったけれど。


 「何でって、そりゃ溜まったプリント類を届けに決まってるだろう。」


 「ちょ、ちょちょっ。ちょっとだけ待って。待ってくれ。待ってくれないと泣くぞっ。」


 以前の恵であれば「殴るぞ。」だっただろうけれど、「泣くぞ。」であったのは恵なりの変化の訪れだったのかもしれない。

 

 「今更着替えたり寝ぐせ直したりしても仕方ないけどな。」

 プリントを届けに来ただけなのだから、渡してそれで終わりなのに……と。


 既に恵は部屋に戻った後。真白は再び扉の閉まった外に待たされる事になった。


 ふと、表札を見る。其処には苗字だけが書かれていた。 


 ―――今更であるるが、表札には【種田】と書いてあった。



 「あぁ、すまん。どど、どうぞ。」

 待った時間は10分にも満たない。その間に真白は外の景色を見て時間を潰していた。

 これがあいつの育ったところか……と何故か感慨深く。


 ツッコミはしなかったが、恵は学校指定のジャージを着ている。色気も何もあったものではないが、ある意味では恵らしいと思っていた。

 寝癖もある程度は直していたが、後半めんどくさかったのか、首の後ろで一つに縛って軽く三つ編みにしていた。

 時間が掛ったのはそこだろとしか考えられない。


 ハーフの某澤村さんと最終話の娘を抱く某音無さんを足したような見た目と言えば良いだろうか。

  


 思わぬ形で恵の家に入る事になる真白。

 実の所女子の家に入るのは初めてだったかもと思う真白であるが、抑他人の家に入る事自体が久しぶりではないだろうかと記憶を辿っていた。


 「お邪魔しまs……」

 「す」まで言おうとしたところで恵からツッコミが入る。


 「邪魔するなら帰れ。」

 こういうネタを言う中学生は少なくない。恐らく10人に1人くらいはいるはずである。

 

 「お前、良い度胸だな。そういう事をネタで言うのは分かるが。今そういう事する必要はないだろ。」


 「あ、うん。すまん。うちに人が来るのは小学生以来なんで、人が来た時の対応が珍しくてさ。」


 それは随分と寂しい数年だなと思わなくもないが、元ヤンキーであればどこかへ行く事はあっても招く事は少ないのだろうと判断していた。

 


 玄関で靴を脱ぎ、扉を横にスライドさせると所謂リビングへと繋がっていた。

 玄関から左に行くと洗濯機と洗面所があり、その先にトイレと風呂場がある。

 玄関から右に行くと今入ったリビングへと繋がっている。


 リビングの先には恐らく8畳ほどであるがひと部屋あり、襖で遮られているがその先にも同じくらいの部屋がある。


 一人暮らしには広く、4人家族には狭いといったところか。


 「リビングの隣は姉ちゃんの部屋になってる。あまりじろじろ見ないでやってくれ。」

 じろじろ見なくても嫌でも目に入る。

 女性物のスーツが何故か吊るかっていた。

 箪笥の中にでも仕舞えよと思うが、そこは他人の家。真白が突っ込むところではない。


 リビングに案内された真白は恵に促され椅子に座った。

 

 「コーラ(のようなもの)……で良いか?」

 恵は冷蔵庫から細長い缶を取り出した。


 「投げるなよ?」


 「それは良いという事だな。」


 恵は自分の分と合わせて2本取り出して冷蔵庫を閉めた。

 真白の正面に座ると1本を手渡してくる。


 「いやこれコーラじゃないし、メッコールだし。」

 赤と白と青のデザインからしておかしいと感じていた真白が漸くツッコミを入れる。


 「コーラ……のようなものとあたしは言ったぞ。後半は小さな声で言ったけど。」


 「態とか。まぁ良いけど。メッコールやドクペ(ドクターペッパー)は一部マニアにしか受けないからな。」

 「チバラギコーヒーは今では普通に全国に売ってるけど、少し前までは千葉と茨城にしか売ってなかったし。」

 端的に言うと、メッコールはコーラと麦茶を混ぜたような味だ。


 ネタ的飲料としてはそれなりに有名である。

 ドクペが甘いとか薬っぽいとか言われてはいるが味は悪くない。

 一方でメッコールは恐らくは飲んだ人の1割もリピーターがいれば良い方だ。


 「マッ缶もあるぞ。」

 

 「野球に本腰入れてからはあまり炭酸とか甘いのは摂取してなかったからな。たまには良いだろう。」

 真白もどこか螺子が緩んでいた。ゲテモノ愛好家ではないけれど、一部マニア側の人間であった。


 「久しぶりだな、小学生以来だ。ってMAXコーヒーもあるんかいっ。」


 「まぁコレだけで良いよ。飲みすぎも良くないし。」


 妙に落ち着いて5分程かけて話しながらメッコールを飲み干す。


 「あぁ懐かしい味。2018年に日本での販売が停止されたからな。」


 「癖になる味だよな。」

 真白と恵は堅く握手をしていた。


 真白と恵の関係は思わぬところで前進……したのかもしれない。

 そして本来の目的は少し頭から抜け落ちていた。



 「そういえば、本題を忘れそうだった。」

 真白はクリアファイルに詰め込んだプリントを恵に手渡した。


 「げっ、ナニコレ。何故課題もあるんだ?」


 「そりゃ授業に参加出来ないんだからこれで少しは穴埋めしろって事だろ。まぁなんだ、部活に出ても俺も右腕とか下半身の筋トレくらいしかできないから、少しくらいなら教えてやれるぞ。」

 今日はプリントを配る用事があるため、最初から参加しない旨は伝えてある。

 

 「それは是非にも頼む。この数日、実は勉強はしてなかった。」

 それはつまり他の勉強はしていたという事にもなるのだけれど、鈍感な真白にはその言葉の真意は伝わってはいない。

 

 「全部は流石に恵のためにならないから、全教科少しずつで良ければ教えてしんぜよう。貸し1という事で構わない。」


 「じゃぁ部屋片してくるからもう少し待っててくれ。」


 姉の部屋の先の襖を開けて中に入ると恵は襖を閉めた。

 しかし直ぐに開いて……


 「今見たら……3階から突き落とす。」


 見られて困るものがあるなら普段からある程度片しておけば良いモノを……と思う真白ではあるが、突然の来訪と言う事では仕方ないという結論に至った。

 真白だって女の子(恵を女の子と称すのには賛否あるかもしれないが。)の部屋に興味がないわけではない。


 実はあの恵が少女漫画を散らかしてるとか、コスプレ衣装が吊るされてるとかは思ってはいない。

 単純に人を招くには散らかっていると思っていた。


 初めて家に来た異性である男子を良く自分の部屋に入れるものだなと思わなくはない。

 ある意味ではそれだけの信頼を得ているという証でもあるのだから。

 真白としては嫌な気はしない。


 「どうしてこうなった。」

 プリントを届けにきただけなのに。

 懐かしいものを出されて気がおかしくなったのかもしれない。

 決してアルコールがあるわけでもないのだけれど。



 真白は少しだけ興味を惹かれベランダの方を見てみた。


 「ぶっ」

 そして吹き込んだ。


 そこには女性物の下着が……というわけではない。

 見てはいけないモノがそこには干されていた。


 「どっちのだ?」

 先程姉がいる事は聞いていたので、姉のものか恵のものか……

 

 「そういや両親の話は一切してないな。」

 昨年勉強を図書室で教えていた時には家族の話は一切していない。

 今日家に来て初めて姉の事だった聞いたくらいだ。


 流石に箪笥の中を開けるわけにはいかない。

 部屋に吊るかっているスーツ類はともかく、わざわざ開けるのは人間性に欠けてしまう。

 

 「まぁどっちのでも良いけど……」


 どっちかはヲタクという事が理解出来た。それだけで新鮮な気分となる。




 「おう、良いぞ。」

 10分程して恵が真白を迎えに来る。

 迎えといっても襖が開いて、顔だけひょっこり出して呼んだだけだが。


 「あ、わかった。」




 「まぁ、面白いものも変なものも何もないけどな。」


 この時恵は気付いていない。

 無理矢理押し入れに押し込んだ数々のモノ。

 押入れの襖を閉めた際にレールから少し外れて閉めていた事。


 その押し入れ側に真白を座らせた事。

 これらフラグはきっちりと回収される事となる。



 真白の正面には机が置かれている。

 その上にはノートやらが出しっぱなしにはなっているが、それほど散らかっているようには見えない。

 写真立てが伏せられている事には気付かない事にした。

 

 きっと幼稚園くらいの時の水着写真でも入っているのだろうと勝手に納得しておく真白。

 本当はもっと恥ずかしい写真なのだが、真白がそれを見る機会があるかどうか。



 「じゃぁ、前半の少しずつを教科書と共に説明しながら解いていこうか。教えるという事は自分の復習にもなるしある意味丁度いいな。」

 後半のそこは口に出さないほうが男としてのポイントは高いのだろうけど、恋愛偏差値の低い二人には気付く様子もない。


 


 30分程が経過すると時刻はすでに17時を半分程回っていた。


 「思っていたよりはスムーズに進んだな。」

 真白は少しだけ感心していた。昨年は色々あって教えるのがそれなりに大変だったけれど。

 最近は態々教えなくても悪い点数は取っていない。

 地頭は悪くない、これまでの環境や生活態度が若干悪かっただけで。


 だからこそ昨年だって、教える側として付き添ったわけだけれど。

 根は悪い奴でない事も少し接しただけでも理解出来ていたわけでもある。

 真糸は噂を鵜呑みにはしない。本人を自分の目と耳で得た情報ならともかく。


 「お替り持ってくる。」

 まさかの2本目を持ってくるという恵。

 今や密林のようなサイトからでないと入手がし辛い商品だというのに、こんなにも消費して良いものなのかと思っている。


 そして2本の缶を持ってくる。

 今度は赤茶色したものを持っていた。

 メッコールが韓国のコーラであるように、今度持ってきた黒松沙士は台湾コーラである。


 次あたりは広島コーラとかルートビアとか出てきそうだなと思った真白である。


 恵は襖を閉めて歩いてくると異変に気付いた。

 押入れの襖が徐々に倒れそうになっているのが目に入った。


 「わっ、だめっ。まっ。」

 慌てて掛けよろうとした恵が何もない場所で躓いたのである。

 飛び出した黒松沙士を素早く受け取り横に置くと、倒れ込んでくる恵を受け取ろうとした真白の元に……

 横から襖から飛び出してきたモノが襲い掛かる。

 

 男気とでも言おうか、真白は瞬時に身体を反転させてそららから庇おうと身体を入れ替える。

 幸いにして座布団があるため頭は守られる。


 普通に真白が恵を押し倒したかのような構図となっていた。

 勿論左腕は立てられないために肘を畳に付けているためかなりの至近距離となっている。

 恵の顔の横に真白の顔があった。


 こうして押し入れフラグはあっさりと回収された。

 押し入れから飛び出てきたものは……


 「ただいま。」

 恵の家族が帰ってきた。

 鍵の音もドアノブを回す音も二人には聞こえていなかった。



 スーっと扉を横にスライドさせる音が微かに聞こえる。

 


 「あら、そういうのは大人になってから……だゾ。」

 顔を上げて後を振り返ると真白の目には、恵を少し大人っぽくしたような女性が映っていた。


 「ああ、あ。ね、姉ちゃん……」

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