第51話 夏合宿福岡編⑦「アベックサイクルヒット」
この場にいる全員は気付いているだろうか。
練習試合とはいえ、サイクルヒットを放ったのは本来公式戦に出れないマネージャーである種田恵、女子だという事を。
デレないではない。
9番卯月はフルカウントまで粘るものの、外角の球を引っ掛けてしまいファーストゴロでアウトになってしまう。
8回裏は卯月が投球術を駆使し、3人を内野ゴロで抑えたため特筆するべき点はない。
監督は、ナインは卯月の成長をただ実感するのみであった。
本当にもう1枚中継ぎがあれば、2枚看板で長い夏の予選の目途も立つと考えていた。
そして4対3で迎えた9回表。
練習試合とはいえ10年前までは常連校の一つとも言わしめていた強豪校相手にリードしていた。
9回表、相手は投手を交代してくる。
ファーストを守っていた岡田がマウンドに上がった。
「白銀、3球は見ていけ。」
全部ストライクだったら三振だけどなというツッコミは入らない。
ファーストストライクは打ち頃の球が多いから積極的にイケというチームと、先頭バッターは投手の球筋を多くでも見極めるため多く投げさせろというチームと様々だ。
他県の相手であれば多くを見ておきたいというのはわからなくはない。
真っ直ぐとカットボールでストライク、フォークがワンバウンド外れてカウントはピッチャー有利の1-2となる。
いつの頃からかボールストライクアウトの順に米国仕様に変わっている。
そのため1ボール2ストライク。
白銀は外角低めに落ちるチェンジアップを上手く合わせて、ボールを追うサードとショートの頭上を越えレフトの前に落とすヒットを放った。
白銀は小技が巧い、足も速いので内野も転がる場所によっては安打になるので出塁率という点ではチームナンバー1でもある。
2番の朱堂は初球に対し一発で送りバントを決める。
米国では態々アウトを一つプレゼントする送りバントはあまり使用されない。
日本独特の文化であり、磨き続けた1点を取る技術ともいえた。
3番八百は2-2から外野に飛ばすも、タッチアップも出来ないセンターフライに倒れる。
相手、東〇岡側にはいつのまにかギャラリーも増えていた。
試合の中盤くらいから人が集まっていた。
たかが練習試合、されど練習試合。
情報を収集したいのはどこも同じというわけである。
2アウトランナー2塁。余程正面過ぎなければ1ヒットで1点をもぎ取れる場面。
3-1から壇之浦に投じたフォークを、全盛期の落合博満のように流し打つと強烈な打球がセカンドのグラブを弾いた。
セカンドも上手く飛び込んでグラブには当てたのだけれど、打球が強く弾いてしまった。
白銀は3塁を少し回ったところで戻る。
セカンドのリカバリーが早く、流石にもう一つの塁を狙う事は出来なかった。
記録はセカンド強襲ヒット。少し元気の出ていない壇之浦にとっては、打開するきっかけにもなる安打となるだろうか。
野球の女神様が見ているとすればこう言う事をいうのだろうか。
種田恵は既にチーム初のサイクルヒットを放っている。
この場面で柊真白に回って来る事がまるで狙っているかのようでもあった。
ランナーは1・3塁。敬遠する場面でもない。
もしこの場面で敬遠する事があれば、どこからかブーイングが起こる事間違いなしである。
バッターボックスへ向かう真白の元に八百が一言声を掛けにいった。
「……」
「ばっ、なっ。なっ。」
言葉を繋げるとバナナとなっている事に真白は気付いていないが、八百はそれだけ驚きの一言を掛けていた。
「まぁおかげで変な力は抜けたけどさぁ。」
バッターボックスに入った真白は呟いた。
「何を伝えたの?」
澪が八百に問いかける。
「内緒。結果が出ればわかる。」
「つまり……面白い事ね。」
澪と八百のおかしなサポート的意思は疎通していた。
将来真白と恵は二人に感謝する事があるかも知れないが、投手にとって捕手が女房役と呼ばれるように……
澪と八百は二人にとってのある意味女房役とも言えるサポートを行っている。
あまり前進はしていないけれど、僅かながらも進んでいる事は端から見ていても伝わっていた。
「まぁ、種田が
そして初球。
避けなければ頭に当たっていたというボールだった。
すっぽ抜けというよりは、元々ストレートを其処に投げたという方がしっくりとくるものだった。
誰にも聞こえてはいないが、「リア充くたばれっ」と言って投げていた岡田だった。
真白は避けた時の反動で地面に尻もちをついている。
「にゃろう。」
真白は立ち上がりバットを左手一本で持ち上げその先を……
センターバックスクリーンではなく、投手である岡田に向けていた。
それも頭ではなく股間付近を。
予告ホームランではなく、予告ピッチャーライナーだった。
「君、そういう挑発や報復行動は慎みなさい。」
「うす。」
真白は即刻注意される。
しかし真白も本気でピッチャーライナーを打とうと思っているわけではない。
挑発する事で相手の冷静さを奪おうとしただけだった。
再開されて投じた2球目。
外角低めのストレートを上手くバットを合わせると、快音が響いて初打席時の恵の大ファールの打球のようにライトへ向かって突き刺さる。
あの時と違うのは明らかに切れておらず誰が見てもホームランとわかる大きな打球だった。
「ばっなっな……」
打たれた岡田は「馬鹿な」と言いたかったのだろうけれど、「バナナ」になっていた。
9回のこの3点追加は大きい、これで7-3となる。
白銀、壇之浦と続いてホームベースを踏み、立役者の真白のダイヤモンド一周を待つ。
ハイタッチからの尻タッチ。
流石に後輩である壇之浦は尻タッチはしなかったが。
ベンチに戻って全員とハイタッチを交わしていく。
最後に待っていた恵が両手でハイタッチを……
しないで両手を握ってぴょんこぴょんことジャンプをする。
真白はその行動に驚きワンテンポ遅れてジャンプをする。
「やったな、これで真白もサイクルだ。」
ぴょんこぴょんこと飛んだあと。
恵は何を思ったか、真白に抱き付いて背中をバンバンと叩いた。
讃えて叩いたというのか。
後で自分の行動を思い出して悶え死ぬのだろうなと思いながらも、澪は放っておいた。
「なんであれであいつら付き合ってねーんだろーなー。」
「本当だよなー。相手のピッチャーが初球ぶつけようとしてたのも頷けるなー。」
「もげればいいんすよー。」
「本当のフリーのマネージャーが欲しいよなー。」
「二人の間に挟まりてーなー。」
部員達は棒読みでツッコミを入れていた。
アベックホームランならぬアベックサイクルヒット。
公式戦ではないため完全な記録には残らないけれど、記憶には残る。
「ふっ」
澪が怪しく微笑んだ。
もし、真白と恵が結婚する事があるならば、このアベックサイクルヒットの様子を式で流すぞと、まるで計画しているかのようであった。
動揺する岡田をさらに攻め立てる。
小倉がストレートのフォアボール。
小峰がレフト前のポテンヒットで2死1・2塁となり恵にバッターチャンスが回って来る。
「トドメ、指してこい。何でもいいからヒット打ったらGIOGIO宴奢ってやる。」
何でもいいから打って来いだと凡打でも良いと解釈されてしまうため、あえてヒットを打って来いと言う。
ちなみにGIOGIO宴とは少しお高い焼肉屋の事である。
高校生が行くには少しハードルの高いお店である。
「ちょ、テメー逃げんなっ!」
申告敬遠はしなかった。
しかし勝負する気は感じられないあからさまに外れるボール球しか投じて来なかった。
新庄剛のように敬遠球を三遊間に打つのような事は恵の頭にはなかった。
申告敬遠しなかったのは女子に対して妙なプライドが働いたからか、しかし態と全て外していればプライドも何もないのだが。
9回の表、打者9人目。途中から出場している卯月はまたしても粘るが、惜しくもライトフライに倒れてチェンジとなる。
先程の事を思い出して真白は複雑な気持ちだった。
サイクルを打って高揚していたのはチームメイト全員含めて理解出来る。
だからといってあの恵の行動、両手握ってジャンプは良い。
その後の抱き付いてきたのはわからなかった。
「体育祭の時も思ったけど……平坦だったな。」
本当は少しは膨らみはあるのだけど、真白にとっては誤差の範囲でしかない。
聞こえる範囲で漏らしていたらパンチが飛んでいたに違いない。
「それ、流石に本人の前では言うなよ?」
八百は聞いていた。
「あ、9回柊行ってこい。」
監督がそういうとメンバー交代を審判に伝えにいった。
いつの間にか桜高校の藤〇球児的扱いにされつつある真白。
「いや、全然練習してないけど……」
その言葉は空気に、周囲に流れて行った。
「気にしたら負けよ。」
マネージャーの澪だけが返してくれていた。
卯月がライトに回り、ライトの小倉がサードに回った。
中学時代は内野は全てやっていたという小倉だからこその守備位置変更でもあった。
普段はファーストのため、感覚としてはいきなり慣れるのは難しいかもしれないが。
真白は7球の投球練習を淡々とこなした。
ストレート5球、スライダー1球、フォーク1球とあまり手の内を見せないように。
先頭バッターは投球練習では見せていない初球スローカーブに思わず手が出てしまいファーストゴロ。
恵自らベースを踏んでまずは1アウトを簡単に取った。
次のバッターには粘りに粘られてフルカウントからのフォークを上手く救いあげられるが、少し影が薄くなりつつあるセンター小峰が間に合いセンターフライに仕留める。
3人目の打者、少し因縁の出来た岡田との対戦となる。
岡田は真白を真似てバットの先を投手である真白の……股間部分へと向けた。
「君も挑発行為は止めなさい!」
主審から注意を受けていた。
4球目、外角やや高めのストレートに対してフルスイングをする岡田。
キィンと良い音を奏でると、打球は真白に向かって一直線。
顔面付近を強烈な弾丸ライナーが襲った。
「ましっ」
恵の声がファーストから響いた。
「柊っ。」
他の内野陣からも声がかかる。
流石の岡田も腰が引けたのか1塁に向かって走り出す事が出来なかった。
内野陣が駆け寄る前に真白は立ち上がる。
打球は抜けていないし転がってもいない。
真白がグラブからボールを取り出すと……
「アウトッ、ゲームセット!」
主審のコールが響いた。
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