4章 12話 最強の魔法少女

「《貴族の血統ノーブルアリア》――――《円環の明星ダ・カーポ》」

 倫世がそう唱える。

 ただそれだけで周辺の建物が無差別に横に斬り裂かれた。

 一拍遅れて、切断されたことに気付いた建物が崩落してゆく。

「くッ……」

 落下するガレキを足場にしつつ悠乃は倫世との間合いを保つ。

(速い……!)

 あの《円環の明星》という魔法。

 たった一つの魔法だけで悠乃たちの攻め手は封殺されていた。

 第一に速い。

 少しでも気を抜けば躱しきれないほどに。

 第二に遠い。

 倫世を中心とした同心円状を剣が周回する《円環の明星》の攻撃半径は体験しただけでも100メートル以上だ。

 彼女の間合いよりも外から攻撃するという戦法が選べないのだ。

「どうしたのかしら? もう終わり?」

 倫世は涼しい顔で悠乃たちと対峙する。

 彼女はふわりと跳んだ。

 そして《円環の明星》の回転軸が傾き――空中にいる悠乃を狙った。

「ッ!」

 第三の厄介な点。

 ――彼女の魔法は『平面的ではない』こと。

 《円環の明星》の正体を看破した時、悠乃はあの魔法では自分より上や下にいる相手に対しては攻撃できない可能性を考えた。

 その結果がこれだ。

 彼女の魔法は、回転軸を傾けることで上方にも下方にも攻撃することが可能なのだ。

「今度は躱せるかしら?」

 倫世が指を鳴らす。

 それだけで7本の剣は歯車のように周り悠乃を切り刻まんとする。

(避けられないッ……!)

 悠乃がいるのは空中。

 あのスピードで迫る斬撃を躱しきる余裕はない。

「凍てつけ世界!」

 悠乃が叫ぶ。

 同時に、世界中の時計が――凍りついた。

 《花嫁戦形》した悠乃の能力――それは時間停止。

 時間という絶対的概念を支配し、自分だけが行動できる世界へと変える。

 消費魔力も多いが、その効果は絶大だ。

(危なかった……!)

 凍りついた世界で悠乃は冷や汗を流す。

 頬を流れる汗は――そのまま頬に食い込んだ剣へと伝ってゆく。

 あと一瞬でも発動が遅れていれば、悠乃の頭は上半分が飛んでいただろう。

 悠乃は呼吸を整えながら、迫る剣の下をくぐった。

「――ようこそ。雪解けの世界へ」

 そして、再び世界が色づいた。

 再始動した《円環の明星》が悠乃の髪を斬り裂きながら通過する。

 止めた時間はコンマ1秒。

 だが、それでも明らかに収支が合っていない。

 死ぬよりはマシだろう。

 しかし、一発の魔法をやり過ごすために費やしていい魔力量ではない。

 このままでは魔力が枯渇して、いずれ惨殺されるだろう。

(一か八か……か)

 リスクなしに倫世を獲れない。

 そう悠乃は判断した。

「《凍結世界》ッ……!」

 彼女は再び世界を止めた。

 今度は回避のためではなく、攻撃のために。

「たぁッ!」

 悠乃はガレキを蹴って倫世に迫る。

 1秒。

 時間停止は止める時間が長いほど、指数関数的に魔力消費が大きくなる。

 現実的な運用なら2秒くらいが限界だ。

 それ以上は、悠乃が一度に使用できる魔力容量を越えてしまう。

 普通の魔法なら多少制御できなくなっても無理をすることはある。

 だが、時間を止める魔法が制御できなくなった時の代償を思えば2秒以上の運用はするべきではないというのが悠乃の結論だった。

 ――悠乃は倫世の足元に着地する。

 そして2秒。

 世界が動き始めた。

「!」

 倫世が足元の悠乃に気付き、わずかに体を硬直させる。

 その隙を逃すことなく――悠乃は氷剣を振り抜いた。

 会心の一太刀。

 完全に不意を突いた一振りは――

「そう来るのは予想していたわ」

 二本の指で止められていた。

 倫世は優雅な微笑みを崩すことなく、左手の人差し指と中指で氷剣を挟み込んでいる。

(読まれたッ……!)

 悠乃が時間停止を使って《円環の明星》を掻い潜る可能性を倫世はあらかじめ考慮していたのだ。

(2秒じゃ時間が足りない……!)

 《円環の明星》はリーチが長い。

 あれを躱しながら接近しては2秒以上かかってしまい、倫世への攻撃の直前に時間停止を解除しなくてはならなくなる。

(時を止めた状態で彼女に攻撃するには、『時間を止めずに』《円環の明星》を攻略することが必須ッ……!)

 それは簡単な事ではない。

 《円環の明星》のシステムを考えれば簡単だ。

 あの魔法はリーチを短くすればするほど回転する『円周』が短くなる。

 そうなれば等速でも、剣が一周するのに必要な時間は少なくなり、より高密度な斬撃を放つことができる。

 悠乃は時間を止めずに倫世に接近しなければならない。

 しかし、接近するほど彼女の攻撃は鋭くなる。

 それだけで、倫世に一撃を加えることがどれほど困難か分かるだろう。


「あら。相手の間合いで考え事なんて余裕なのね?」


 そんな倫世の声が悠乃を現実に引き戻す。

(しまった……!)

 逆転の一手を容易く止められたことで動揺していたのだ。

 悠乃は敵を目の前にして、敵から意識を逸らすという最悪の愚行をしてしまっていた。

 その代償はすぐさま支払うこととなる。

「ぁぐぅ……!」

 倫世の膝蹴りが悠乃の鳩尾に食い込む。

「ごぶ……ぉぇ……」

 胃袋を押し潰され、悠乃は胃の内容物をこぼした。

 下から突き上げられて浮き上がる体。

 悠乃は揺らぐ視界で、倫世が体を反らすのが見えた。

 そのまま彼女は後方に回転しながら跳び――

「ぃぎいっ……!?」

 悠乃の顎へと強い衝撃が走り、脳が上下に揺さぶられる。

 倫世が宙返りをした直後のダメージ。

 いわゆるサマーソルトキックを叩き込まれたらしい。

 そんな事をぼんやりと悠乃は考えていた。

 脳が強く揺らされたせいで、思考が散漫になっているのだ。

 悠乃はそのまま吹っ飛ばされ、受け身も取れずに建物の壁にめり込んだ。

 ――おそらく、悠乃は運が良かったのだろう。

 彼女の体は横倒しになって壁に張りついていた。

 だから――切り落とされるのは『左腕だけ』で済んだ。

「が、ああああああああああああああああああああああッ!?」

 悠乃は激痛に絶叫する。

 左腕は肘から先がなくなっており、血が止まらない。

「やっと当たったわね」

 そんな倫世の声が遠くに聞こえる。

 《円環の明星》だ。

 悠乃が吹き飛ばされた後、《円環の明星》で追撃を受けたのだ。

 その結果が、この斬り落とされた左腕だ。

 しかし、これでも運が良いほうだ。

 最悪、あそこで落ちていたのは首だった可能性もあるのだから。

「《氷天華》ォォ!」

 悠乃は腕の断面を凍らせて血を止める。

 これ以上血液を失えば、まっすぐ立つことさえできなくなってしまう。


「来なさいマジカル☆サファイア!」


 脳を塗り潰す激痛の中、ギャラリーの声が聞こえ、悠乃の体が背後へと引っ張られた。

 そのまま彼女の体は建物の壁をすり抜け――空間に開いた門へと消えた。


 ――どうやら、今度は助ける側が逆転したようだ。



「腕は回収したわ。とりあえずくっつけるわよ」

「ありがとう……。重心が偏って転びそうだったから助かるよ」

 ギャラリーは悠乃の左腕を空間固定で繋ぎ止める。

 腕が万全に動くわけではない。

 しかし、左右のバランスが崩れることによる動きづらさは大分軽減された。

「――どうするのかしら?」

 ギャラリーは悠乃に問いかける。

 まだ続けるのか、と。

 現時点で、勝機は限りなくゼロ。

 それを悠乃たちは痛感していた。

「こんな路地裏に隠れているんだもの。アタシたちの居場所をすぐに突き止めるのは向こうも無理でしょうし、逃げるなら今よ」

「……確かに、仕切り直すのも手かもしれないね」

(すでにマリアは逃がせた。今日はこれでやり過ごせるはず……)

 明日の事は明日考える。

 今日死ぬよりはマシだ。

 そんな思考が駆け巡る。

 だが、それで良いのだろうか?

 今日投げ出した『難題』が、明日『不可能』になって降りかかってくる。

 その可能性から目を背けて良いのだろうか?

(やっぱり――)

「ねぇ、ギャラリー」

「……何よ?」

 悠乃はギャラリーを見つめ、言った。


「僕を……信じて欲しい」


 真剣な表情で悠乃はそう告げる。

 一方で、ギャラリーは酷く狼狽していた。

「は、は、はぁ!? ななな、なんでアタシがお前を信じないといけないのよ!」

「お願い。信じて。ギャラリーが僕にすべてを委ねてくれるのなら――勝機はある」

「委ねろ……だなんて……」

 ギャラリーは胸元で両手を握りしめた。

 彼女は目を伏せ、左右に視線を泳がせる。

「僕は『あの魔法の弱点を見つけた』。ギャラリーの手助けがあれば、勝ち目はまだ残っている」

 悠乃はそう説明した。

「でもこの作戦は多分……ギャラリーが死んでしまう可能性は……かなり高い。とはいえ、失敗したら死ぬのは僕も同じだけどね……」

 悠乃は空笑いを浮かべた。

 あまりにも勝算のない戦いに眩暈がする。

「それでも……僕と戦って……くれないかな?」

 悠乃はギャラリーと正面から向き合い、頼んだ。

「お願いだ。僕に君の命を預けて欲しい」

 多分、ギャラリーにとってのメリットはあまり大きくはない。

 強いて言うのなら、ここで倫世を倒せば彼女の影に怯えずに生きられるくらいだろう。

 だから、彼女が乗らなければ素直に諦める。

 悠乃はそう決めていた。

「何よ……。敵のお前に……命を預けろだなんて……」

 どこかしおらしいギャラリーの態度。

 その感情を説明することは、悠乃にはできそうにない。

「ねえ……マジカル☆サファイア」

「なに……?」

 真剣な様子でギャラリーが問いかけてくる。


「お前の名前を……教えなさい」


 名前。

 人間としての名前。

 ギャラリーが要求したのは『蒼井悠乃』という名前だった。

 もしも悠乃が名前を教えたのなら、彼女たちに悠乃の情報は筒抜けになる。

 それをギャラリーは望んでいるのか?

 それは違うと断言できる。

 そもそもギャラリーなら、同じ《前衛将軍》である玲央に聞けば悠乃の名前などすぐに知ることができるだろう。

 だからギャラリーが名を尋ねたのは別の意図。

 ――名前も知らない奴を、信頼できるわけがない。

 そんな至極当たり前のことだ。


「――僕の名前は、蒼井悠乃だよ」


 それが分かっていたから、悠乃はギャラリーに名乗った。

「ふぅん……そういう……名前、だったのね」

 ギャラリーは噛み締めるようにそう言うと、悠乃に背中を向けた。

「勘違い、しないでよね」

 彼女は表情を悠乃には見せない。

「アタシは、お姉様を傷つけたマジカル☆サファイアにじゃなくて――『お姉様の友達である蒼井悠乃』に手を貸すだけなんだから」



「――来たわね」

 倫世は呟いた。

 直後、彼女の視線の先でゲートが開く。

 その距離は――50メートル。

 依然として彼女たちは倫世の魔法から逃れるために間合いを保つつもりか。

 ――もっとも、空間転移を使って距離を縮めたところで、倫世ならば大剣を使って断ち切るだけなのだが。

(てっきり、時間停止と空間転移を使うと思っていたのだけれど)

 倫世は自らの予想が外れたことを感じていた。

 ギャラリーが空間をつなぎ、悠乃が時を止めてゲート越しに倫世を攻撃する。

 そういう戦法を取ってくると考えていたのだ。

 そうなれば、ゲートを埋め尽くすほどに『武器』を召喚して、悠乃の移動を妨害することで時間停止の限界まで粘るつもりだったのだが。

 そんな対策も今回は無駄になったらしい。

「はぁッ!」

 ギャラリーが駆け出す。

 空間転移も使わずに。我が身一つで。

 ギャラリーの身体能力は決して高くない。

 少なくとも、敵へと真正面から接近するべきではない程度には。

「まあ良いわ――《円環の明星》」

 倫世が選択したのは迎撃。

 《円環の明星》は倫世が持つ『基本』の魔法。

 一番愛用した技であり、精度も高い。

 この魔法だけで充分に対応できると判断した。

「それじゃあ、さようなら」

 同時に倫世は魔法を発動させ――

 ――ギャラリーが横を向いた。



「なッ……!」

 倫世の表情が驚愕に染まる。

 なぜだろうか。

 簡単だ。

 彼女の魔法が――ギャラリーを斬れなかったからだ。

 《円環の明星》の剣はギャラリーの首に振り抜かれている。

 だが、肝心の彼女に傷一つないのだ。

「――空間固定」

 倫世がその原因を口にした。

 ギャラリーは攻撃を受ける直前に横――ガラス張りの建物を見ていた。

 より正確にいえば『ガラスに映り込んでいた自分』を見ていた。

 あの時にギャラリーは自分を固定し、剣を防いだのだろう。

(今だ!)

 そのタイミングを、悠乃は見逃さなかった。

 彼女は飛びあがり――倫世の真上の位置を取る。

「上……!」

 彼女の出現を察知し、倫世は上空を見上げた。

 二人の視線が交錯する。

「君の魔法には『3つの弱点』がある!」

 悠乃はそう叫ぶ。

 そう自分を鼓舞した。

 そんな彼女を迎撃しようとした倫世の表情が――動揺に変わる。

 なぜなら――

「一つ目の弱点! 君の《円環の明星》は一本でも止められると、連動してすべての剣が止まってしまう!」

 ――《円環の明星》の回転が始まらないのだ。

 正確にいえば、回転しようとしてもギャラリーの体に引っかかって止められてしまう。

 一つが止まれば、等間隔に配置された七本の剣すべてが動けない。

「く……!」

 倫世は仕方なく魔法を一旦解除した。

 そして再び七本の剣を顕現させる。

 そのまま上にいる悠乃を狙おうとするが――

「二つ目の弱点は! 君の魔法は『傾けられる角度に限界がある』!」

 ガキン、という音を最後に《円環の明星》の回転軸がそれ以上に傾かなくなってしまう。

 ――簡単だ。

 回転軸を傾ければ片方の軌道は上へと向く。しかし回転円の反対側は下がってしまう。

 ――下がれば、地面に当たってしまう。

「地面にッ……!」

 回転軸を傾けすぎたことで一本の剣が地面に引っ掛かり、それ以上回転軸を傾けることを妨げた。

 その間にも悠乃は倫世に迫る。

 その距離3メートル。


「三つ目の弱点は、『魔法の回転円を3メートル以内に縮小できない』ことだ!」


 彼女の魔法は100メートル圏内を無差別に斬り裂ける。

 しかし、3メートルよりも半径を縮めることはできないのだ。

 理由は単純。

(3メートル。それは彼女が『大剣を振るえる間合い』だ。もしも《円環の明星》がそれよりも近くを周回できたのなら『手に持った剣と《円環の明星》がぶつかるという致命的な事故』が起こりかねない)

 それはあまりにも大きすぎる隙だ。

 そんなものを晒したのなら、戦場では死に直結するだろう。

(彼女は『一人』で世界を救った魔法少女。なら『仲間に助けてもらう』という思考がない。『誰かに隙を補ってもらう』という概念がない)

 だから――

(彼女なら、万が一にもそんな事故が起こり得る状況で魔法を使わないはず!)

 彼女の強さは一人で完結している。

 だからこそ――彼女を中心とした半径3メートル圏内は《円環の明星》が決して襲ってこない『安全圏』となっているのだ。

 距離は2メートル。

 そして――時が止まる。

「はああああああああああああああああああああああああああああああああ!」

 もう防御はいらない。

 悠乃は全魔力を攻撃に注ぎ込んだ。

 全ての力を込め、彼女は氷剣を振り下ろす。

「終わりだああああああああああああああああああ!」

 静止した世界。何物も彼女を止められはしない。


 そして――悠乃の氷剣が、倫世の脳天から股にかけて縦一閃の軌道で振り抜かれた。

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