4章 11話 世界を救わなかった魔法少女

「姉さん! しっかりしてください!」

「んぅ……」

 美月は腕の中にいる春陽へと必死に声をかけ続ける。

 もしもこのまま意識を手放せば、春陽が意識を再び取り戻せる保証などない。

 現在、美月は金龍寺邸を目指して走っている。

 建物の屋根から屋根へ。

 最短ルートをとっさの判断で選び取ってゆく。

 美月は自分の魔法少女としての力に感謝する。

 彼女は敏捷性を重視した軽装の魔法少女だ。

 だからこそ機敏に姉を運べている。

 このペースで向かえば、春陽の命をつなぎとめられるはずだ。

「《影の楽園ワールドシャドウ》……!」

 美月は自分の影を前方へと伸ばす。

 影の先には指があり、道の向こう側の建物の屋根を掴んだ。

「はぁッ……!」

 ジャンプと同時に影の腕を引く。

 すると美月は本来の跳躍力を越えて遠くまで跳んでゆく。

 そのまま屋根へと着地。

 それを繰り返して金龍寺家までの所要時間を短縮していった。

 今、美月の集中力は最高潮を保ち続けていた。

 それは大切な姉の命を守るため。

 それが幸いしたのだろう。

 ――

「ッ――!」

 美月はその場で急ブレーキをかける。

 彼女が停止すると同時に、彼女の前方に何かが突っ込んできた。

 それは弾丸のように屋根へと着弾する。

 埃が周囲へと巻き上がった。

(人に見えましたが……)

 美月は一瞬だが飛来物の正体を見ていた。

 ――人間だった。

 それこそ人間ミサイルのように人が飛んできたのだ。

 跳ぶのではなく、飛んできた。

「………………頭から突っ込んだのに」

 砂煙の中で声が聞こえた。

 可愛らしい、幼い声だ。

「……

 その内容は物騒なものだったが。

「――誰、ですか?」

 美月は目の前の存在に問いかける。

 奇抜な登場をした彼女の姿はすでに砂煙から抜け出していた。

 少女の肌は人形のように白かった。

 白磁の肌に、黒いゴスロリ服。

 身長は美月の胸あたり。

 おそらく小学生くらいの年齢だ。

 だが、最も特徴的なものは――目だ。

 彼女の目は深い闇によどんでいる。

 影さえ呑み込むほどの黒。底さえ見えない絶望。

(こんな目を……人間がして良いんですか……?)

 それが美月には恐ろしかった。

 彼女を『そう』してしまった惨劇を想像するだけで背筋が凍る。

 それほどに彼女の存在は『不吉』だった。

「わたしの名前は……星宮雲母ほしみやきらら


「すべての魔法少女の中で唯一『世界を救わなかった魔法少女』」


 救わなかった。

 救えなかったのではなく、救わなかった。

 彼女――星宮雲母は自らをそう表した。

「わたしは死ねない人形。死なせることしかできない人形」

 雲母は腰をかがめた。

「だから……わたしを殺して欲しい」

 そして彼女が――跳ぶ。

 カタパルトから射出されるかのような加速を見せる雲母。

「速いッ……!」

 美月は体をひねるようにしてそれを躱す。

 雲母はそのまま美月の傍らを通り過ぎ――電柱に突撃した。

 折れる電柱。

 それはぐらりと揺らぎ、そのまま倒れた。

 ――

 それだけではない。

 千切れた電線のすべてが垂れ落ち、雲母へと触れた。

 青白いスパークが雲母の全身を駆け巡る。

 ――あれは魔法少女でも死にかねない。

(……助けるべきなんでしょうか?)

 状況からして、彼女は美月の逃亡を妨害しようとしていた。

 おそらく敵だろう。

 もしかすると春陽をこんな状態にした張本人の可能性もある。

 だが、それが見捨てて良い理由になるのだろうか。

 あのまま彼女を放っておいて、自分は後悔しないだろうか。

 そんな思考がまとわりついてくる。

 しかし、結論から言えばその議論は無駄だった。


「不幸だ……」


 雲母は依然として起き上がってきたのから。

 彼女はすべてを諦めた表情で世界を呪う。

 その体には傷一つない。

「……また死ねなかった」

(よく分かりませんが……彼女はマズいッ……!)

 ここにきて美月の感覚がそう告げる。

 彼女はそれこそ《前衛将軍アバンギャルズ》に引けを取らないほどの『危険』であると。

 美月は雲母に背を向けて逃げる。

 彼女は自分の手に余ると判断したのだ。

 全速力で美月は屋根を駆け抜ける。

 彼女は首を回し、雲母の位置を確認した。

(! 直線のスピードはあちらが上みたいですね)

 わずかに雲母が近づいてくるのが分かる。

 彼女は蹴り足のたびに屋根の一部を吹き飛ばしながら加速している。

 直線勝負は不利だ。

(本来、逃げる側は何度も曲がるのが鉄則……)

 肉食動物から逃げる草食動物は、まっすぐに逃げるのではなくジグザグに逃げる。

 その理由は単純にして合理的。

 自分で曲がるタイミングを決められる逃走者。相手が曲がるのを見てから慌てて対応しないといけない追跡者。

 どちらがロスなく走れるのかなど明白だからだ。

(だけど……それでは時間がかかりすぎる……!)

 しかしそれは今の美月には選べない選択肢だ。

 遠回りをするということは、春陽の治療が遅れることを意味するのだから。

(そうなれば、まっすぐに逃げ切る。それは曲げない)

 なら、どうそれを可能にするかだ。

(私が選ぶべき道は――追いかけさせないこと!)

 雲母の進行を妨害する。

 美月が選んだのはそれだった。

「《影の楽園》!」

 美月は影を操作する。

 操るのは――瓦屋根――その下に潜む影だ。

「!」

 雲母の顔がわずかに驚いたものとなる。

 美月が影を操り、瓦屋根を影ごとひっくり返したからだ。

 畳返しのごとく瓦の壁が雲母の道を塞いだ。

 しかし、それが彼女の追跡を遅らせることはなかった。

 彼女は何の躊躇いもなく、顔面から瓦屋根を突き破ったからだ。

 常人の感性では選び得ない手段。

 それを雲母は逡巡さえせずに選んだのだ。

(だけど一瞬は視界を塞げました!)

 だが、美月とてそれだけで万全と思っていたわけではない。

 壁をそのまま破られる可能性も織り込んだ上で美月は作戦を立てていた。

 ――現在、美月は狭い路地裏を走っている。

 確かに屋根を走るほどのショートカットにはならない。

 だが、路地裏を突っ切ればほとんどロスなく目的地にたどり着く。

 しかも雲母からは、路地を覗き込まねば美月を見つけることは難しいだろう。

 今頃、彼女には美月が消えたように見えているはずだ。

 そのまま雲母が彼女を見つけきれていない間にこの場を離れてしまえば良い。


「《表無し裏フェイトロット無い・タロット》」


 しかし、そんな希望はあっさりと打ち砕かれる。

「なッ……!」

「わたしの魔法は『占い』の魔法。……あなたの居場所を占った」

 突如、美月の前方に雲母が落下してきた。

 彼女は落下の衝撃で派手にクレーターを作りながらも、無機質な瞳で美月を見つめている。

(まさか彼女が探知系の魔法を持っていただなんて……)

 それこそ不運だ。

 前方を塞がれたのなら、どうにか雲母を退かせるしかない。

「はぁッ!」

 幸いにもここは路地裏。

 美月の武器となる影は無限に存在する。

 雲母をあらゆる方向から影が襲った。

 すべてが鋭利な棘となり、簡単に人体を貫通する攻撃だ。

「これで……わたしも……死ねる?」

 だが雲母は躱さない。

 無表情に、すべての攻撃を受け入れた。

「ぁぐッ……!」

 しかし、痛みに悲鳴を漏らしたのは――

 彼女の肩は影に貫かれて血に濡れていた。

(――今)

 だが美月の頭には自分の怪我のことなどない。

 考えているのは目の前で起こった異常事態だけだ。

(すべての影が……跳ね返された……!?)

 そう。

 影の棘。そのすべてが正確に雲母を襲っていた。

 しかし彼女に攻撃が触れた瞬間、あらゆる攻撃が反転し、雲母に到達することはなかったのだ。

 そして、戻ってきた影の一つがちょうど美月の肩を貫いたのだ。


「わたしの魔法は『一定確率ですべての攻撃を反射』する」


 暗い表情で雲母は呟く。

 自分から離れていった攻撃を名残惜しそうに眺めながら。


「……でもわたしは不幸だから。……『運悪くすべての攻撃が跳ね返って』しまう……『絶対に死ねない』」


 不幸。

 本来であれば、攻撃が反射する確率を引き当てることは『幸運』だろう。

 しかし彼女は違う。

 星宮雲母は違う。

「わたしは……また死ねなかった」

 彼女はひたすらに死を望んでいる。

 だから、自分の命を穿つはずの攻撃が『逃げて』ゆくのは『絶望』なのだ。

 ――そう美月は直感した。

「わたしは……救世の魔法少女……じゃない。……ただ、戦争に勝つための……殺戮人形」

 雲母は空虚な瞳で美月を射抜く。

「まだ打つ手は……残ってる?」

 雲母は問う。

 コテンと首を傾けて。

 本来なら可愛らしい動作を、不気味な人形のような表情で。

「あるなら……それで……わたしを殺して?」

 雲母は返事を待つことなく――

 本来なら何の意味もない自傷。

 だが彼女の魔法があれば、その意味は大きく変わる。

「なッ……!」

 壁に顔を打ちつけた反動を『反射』して雲母が吹っ飛ぶ。

 そのまま彼女は向かい側の壁へと叩きつけられ――その反動を『反射』してまた別方向へ跳ねた。

 彼女の体が縦横無尽に路地裏を跳ねまわる。

 それはまさに人間ピンボール。

(目で追えなッ……!)

 最初は雲母の軌道を呼んでいた美月。

 しかし一度目が置いていかれたら、もう追いつけない。

 見失った雲母の体を再び捉えることはない。

 気がついたときには――

「これで……終わり」

 背後から美月の腰に腕が回される。

 跳ねていた雲母は彼女の後ろに着地して、そのまま抱き着いたのだ。

 その抱擁は明確な攻撃行動だった。

「ぁ、ああああああああああああッ……!」

 美月は腹を締め上げられる感覚に絶叫した。

 人間のパワーではない。

 まるで機械に挽き潰されるようなほどの圧力が内臓を襲う。

「わたしはすべてを『反射』する……。相手を掴めば……『肉が反発する力も反射して』……相手を押し潰す」

 ――結局、彼女に捕まった時点で詰みだったのだ。

 雲母はあらゆる攻撃を――自分へと向けられる力を反射する。

 自分が攻撃をした結果生み出された反作用も、すべて敵に押し付けてしまう。

「ッ~~~~~~~~~~~~~~~!」

 美月は内臓を押し潰される感覚に悲鳴をあげることさえできなくなる。

 臓物を満たしていた液体は排出されて彼女の股間を濡らす。

 腰を折りそうになりながらも、抱いた春陽を落とさないことだけが美月に許された抵抗であった。

 肉が圧迫される。それに体が反発すれば、その力が反射され自分を締め上げる。

 そしてさらに体が抵抗すれば、その力をも上乗せして美月を絞る。

 負のスパイラルに呑み込まれ、彼女の体を破壊する力はどんどん増してゆく。

(このままでは――!)

 腰から捩じ切られる。

 そう美月は確信した。

 だが打つ手がない。

(振りほどこうにも……攻撃のできない彼女をどうやって……!)

 美月から雲母に干渉する術がない。

 それは彼女が自分の意志で美月を解放しない限り、美月に生き延びる道がないことを示している。

「んぁぁッ……!」

 ついに美月は膝を折り、その場にうずくまる。

 それでも雲母は幼子のように抱き着いて放さない。

(姉さん……)

 美月は地面に転がり落ちた姉の姿を目に映す。

 すでに意識は朦朧。

 春陽を抱き上げるだけの力など残っていない。

 美月は――失敗したのだ。

 姉を助けることもできず。自分もここで殺される。

 敵の正体もよく分からぬまま。

 腰が潰された謎の死体として発見されるのだろう。

 ――両親はどう思うだろうか。

 二人の娘が、無残な変死体として見つかったとしたら。

(まだ……私は……私たちは……)

「まだ……死ねません……!」

 そう思うと、美月は体に力が湧いてくるのを感じた。

 もちろんそれは気のせいだ。

 そんなご都合主義などない。

 依然として美月は這いつくばっていて、抵抗する方法はない。

 魔力も増していなければ《花嫁戦形Mariage》もしていない。

 この場において、美月は悲しいほどに弱者だった。

 ただ――死ねない理由が増えた。

 死にたがりの魔法少女に、殺されてはいけない理由が増えた。

「ッ、ァァア!」

 美月は闇雲に影を伸ばした。

 影は大樹となり、周囲の建物を貫きながら成長する。

 ――これは攻撃ではない。

 一本の枝さえ雲母を狙っていない。

 これは、目立つための魔法だ。

 目立って――『助けを呼ぶため』の。

 自分は死ねない。

 でも、このままでは死は避けられない。

 だから――助けを求めた。

 誰かが手を差し伸べてくれるのを待つのではない。

 自分の手で、助けて欲しいと手を伸ばしたのだ。

(賭けにもならない悪あがきでも……諦めたくないッ……!)

 美月は涙を流しながら影を伸ばし続ける。

(まだ私は……死にたくないッ……!)

 生への執着故だろうか。

 美月の行動の何が運命を微笑ませたのかは分からない。

 だが事実として、彼女は賭けに勝った。


「真昼間から路地裏で盛るのは感心しないぜ?」


 ――男が現れた。

 男はにやりと笑みを浮かべている。

 黒髪のオールバックに、燕尾服。

 それは執事のようでいて、マジシャンのようでもあった。

「……誰?」

 雲母は美月から手を放し、男へと向き直る。

 すでに彼女の眼中から美月は消え去っていた。

「はぁ……はぁ……!」

 久しぶりの呼吸に美月は慌てて酸素を取り込んだ。

 すでに視界はホワイトアウトしかけている。

 男が現れるのが数秒遅ければ死んでいたかもしれない。

 だが死を免れたとはいえ動ける状態には程遠い。

 美月は地面に倒れたまま声の主を視界に収めた。

「誰……ねぇ」

 男は悠然と構えて雲母の問いの答えを探している。

 彼が何者なのかは美月にも分からない。

 ただ彼の態度でなんとなくわかった。

 彼は騒ぎを聞きつけて現れただけの一般人ではない。

 美月の魔法を見て、状況を理解した上で現れた人物だ。

 だからこそ男に動揺の色はない。

「まあ強いて言うなら?」


 男がそこで言葉を区切る。

 そして男は――


「――加賀玲央かがれおだ。よろしく」

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