4章 10話 集う裏切り者たち

「朱美さん大丈夫ですか?」

「あー。別に片手だし大丈夫だって」

 美月が心配そうに声をかけるも、璃紗は肩をすくめるだけだ。

 現在、部屋の掃除をしていた。

 彼女たちがいるのは宮廻環が新しく借りたというアパートの一室だ。

「二人とも悪いわね。掃除手伝ってもらっちゃって」

 環は申し訳なさそうにそう言った。

 とはいえ、本当に申し訳ないのは璃紗たちのほうだ。

「当然だろ。元はといえば、こっちから無茶な頼みをしたんだしさ」

「はい。これくらいは手伝わないと気がすみません」

「ごめんね……多分3日くらいで無駄になるけどごめんね……」

「いや。ちゃんとそれは気を付けろよ……」

 環の言葉に璃紗は呆れた目を向けた。

 どうやら彼女は掃除ができないタイプの女性だったらしい。

「朱美さん。床拭きは私がします」

「いやアタシが……あー……ワリーな」

 璃紗は美月の申し出を断ろうとするも自分の右手を見て、引き下がった。

 朱美璃紗は右手首に障害があった。

 かつて遭った交通事故によるものだ。

 《花嫁戦形Mariage》した彼女が持つ力は超速再生。

 それによって一時的に右手も回復したのだが、変身を解いたらすぐに右手の負傷も戻ってしまったのだ。

 イワモンが言うには『魔法少女になる前の傷だから』だそうだ。

 そんなわけで、今も璃紗は右手に爆弾を抱えていた。

 とはいえ左手だけならば問題はない。

 しかし床拭きとなれば右手にも負担がかかる。

 だから美月は気を遣ったのだろう。

「それにしても……姉さんは遅いですね」

 美月はこの場にいない姉――黒白春陽の事を口にした。

 彼女も少し前まではここで掃除をしていた。

 しかし昼になったことで、全員分の昼食を買いにこの場を離れたのだ。

「そーいや、結構時間経ってるな」

「コンビニは近いはずなんですけど」

 呑気な彼女の事だ、大量の商品を前に長々と迷っているのかもしれない。

 普段ならそう思うところだが、なんとなく気にかかる。

(なーんか嫌な予感がするんだよな)

 気になることといえばもう一つ。

 

 もうそろそろ彼がマリアを連れてくる時間だ。

 このアパートは入り組んだ場所にあるので手間取っているのだろうか。

「ま、そろそろ帰ってくるだろ」

 そう自分を納得させ、璃紗は掃除に戻った。

 もっとも、次の瞬間に鳴り響いた轟音で意識が再び引きあげられることとなるが。

「ッ!? なんだ……!?」

 音は外からだ。

 璃紗たちは弾かれるようにして窓から外の様子を確認する。

「ガス爆発かッ!」

「《怪画カリカチュア》でしょうか……!」

 事故か事件か。

 どちらにしても異常事態なのは間違いがない。

 しかし、現実は彼女たちの想定を超えていたのだが。

「姉さんッ!」

 美月が悲鳴をあげた。

 彼女たちの視線の先では――春陽が血まみれで倒れていた。

 瀕死の姉を見て、美月は窓から飛び出した。

「――変身」

 空中で彼女は変身する。

 私服が消え、彼女の体が黒に包まれる。

 ぴたりと肌に吸い付くような黒い布。

 肩と腰を隠すマント。

 その姿は暗殺者を思わせる。

「姉さん!」

 美月は危なげなく着地すると、魔法少女の脚力をフルに発揮して春陽に駆け寄った。

 美月は滑り込むようにして春陽の体を確認する。

 彼女の呼吸は弱々しい。

 大怪我をしているが息はあった。

 しかし少しずつ衰弱している。

 このまま放っておけば危険なのは確かだ。

 美月の目から涙があふれてきた。

「姉さん! 姉さん! 目を開けてください」

「美月! 薫姉の所に連れていけ! まだ助かる!」

 璃紗はパニックを起こしかけている美月の肩を掴み、無理矢理に正気へと引き戻した。

 美月は涙で濡れた顔をこちらへと向けた。

「薫姉なら治せるはずだ」

 この場には春陽を治療できる魔法少女がいない。

 薫子は今日、メイドとして働いていてここにいないのだ。

 だが幸いにして彼女のいる所までの距離はそれほど遠くない。

 美月のスピードならば、建物の上をショートカットすることでそれほど時間をかけずに薫子のもとへと辿りつけるはずだ。

 薫子の魔法なら、この状態からでも美月を助けられる。

「……分かりました」

 美月は頷くと、春陽を抱き上げた。

 彼女はそのまま跳びあがり、金龍寺家の屋敷を目指した。



「――で、そこにいるんだろ?」

 美月が立ち去った後、璃紗はそう告げた。

 彼女が目を向けた先には誰もいない。

 だが、確信していた。

 そこにいるのだと。

 ――春陽をあんな状態になるまで痛めつけた奴がいると。

「きは……! なんかバレたみたいなんだケド」

「やっぱり動物的勘なのかニャ……かなぁ」

 建物の陰から二人の人間が現れた。

 一人は黒髪の――裸エプロンという奇天烈な姿をした女。

 素材はかなりの美少女なのだろう。

 しかし、黒い長髪は手入れ不足でハネており、絵の具で汚れたエプロンと下着しか身につけていないという異常性が彼女の存在に異物感を与えている。

 もう一人の女も普通ではない。

 一番特異な点は彼女の耳だ。

 艶のある黒髪から、黒い猫耳が突き出している。

 瞳は金色。その瞳孔は猫のように縦長に伸びていた。

 その姿はさしずめ化猫といったところか。

 服装も、肩が露出するほどに着崩した黒い着物と一般人からはかけ離れている。

「アンタは魔法少女か? それとも《怪画》か?」

 璃紗は変身して、大鎌を彼女たちに突きつける。

 彼女たちが魔力を持っているのは分かっている。

 状況から見て、春陽の大怪我は彼女たちの犯行だろう。

 問題は、敵が誰かだけだ。

「まァ、魔法少女だよネ。一人ババアが混じってるケド」

「それ誰のことかニャー?」

「24歳で語尾がニャーな痛い奴のコトなんだケド」

「ぎにゃ……」

 猫耳の女は胸を押さえてうずくまった。

 激怒している璃紗を前にして、この余裕。

 緊張感がないとさえいっても良い。

 まるで璃紗を敵としてさえ認識していないかのような態度。

 それが癪に障った。

「まー良いわ。春陽をやったのがお前らじゃねーなら早く言えよ?」

 璃紗は腰を落として構える。

「死んでからじゃ……喋れねぇからさッ!」

 彼女は激情のままに駆けだした。

 彼女の足元で地面が爆発する。

 それはすべて彼女の脚力によるもの。

 圧倒的なパワーに比例して彼女の速度も上がってゆく。

 璃紗が二人との距離を詰め切るまでに1秒もかからなかった。

(狙うのはこのエプロン女だ)

 璃紗は最初からそう決めていた。

 裸エプロンの女。彼女からは臭いがするのだ。

 とびきりの――異常者の臭いが。

 どんな魔法を持つにしても、彼女はこの場で一番の脅威となると判断した。

「らァッ!」

 全力で大鎌を振り抜く。

 万全な姿勢でのスイング。最高威力の一撃。

 これを防ぐことは至難の業。

 そう確信していたのだが。


「…………は?」


 気づいたら、璃紗は空を見上げていた。

 なぜか背中が痛い。

 突然の出来事に璃紗は困惑する。

(なんでアタシは地面に寝てんだ?)

 璃紗は視線を動かし、その理由に行きあたった。

「思ったより遅いにゃ」

 猫耳女に投げ飛ばされていたのだ。

 証拠として、璃紗の右腕は猫耳女に掴まれている。

 おそらくだが、猛スピードで飛び込んだ璃紗の手首を握り、柔道の投げ技のように彼女の体を地面に向けて叩きつけた。

 勢いがつきすぎていたからこそ、反応もできずに気付いたときには投げられた後だったというわけだ。

 もっとも――猫耳女が璃紗の動きを完全に捉えていたことの証明でもあるのだが。

「どけッ!」

「にゃん!?」

 璃紗は右腕を引いて猫耳女を引き寄せる、そしてそのまま足で彼女の腹を蹴り抜いた。

 だが、手応えがない。彼女の体に上手く衝撃が通らなかったことを璃紗は足から伝わる感覚で悟った。

「――猫はそれくらいの衝撃で怪我しないにゃん」

 猫耳女は璃紗の右手を舐めた。

 ザリザリと耳障りな音が鳴る。

 表面がザラついた舌に皮膚が削り取られ、璃紗の腕に血が滲んでいた。

(当たる直前、体を捻って衝撃を逃がされたか……?)

 彼女はダメージを受けないのではない、逸らしたのだ。

 あれは能力ではなく、技術なのだ。

 そう考えれば納得がいく。

(なら、逸らせない状況でぶん殴る!)

 璃紗は一瞬でそう判断し、両足を猫耳女の体に絡みつけた。

 そして脚力だけで猫耳女にしがみついたまま身を起こし、左拳を構えた。

 体をロックした状態での打撃。拘束してしまえば攻撃を完全に流すことは不可能だ。

 本当なら大鎌を叩き込みたかったのだが、投げられたときに手から離れてしまっていた。だからこその拳だ。

 もっとも、身体能力に優れた璃紗の拳であれば一撃のクリーンヒットで充分に致命傷となるのだが。

「これは食らうとヤバイにゃ!」

 猫耳女がわずかに退く。

 だが無駄だ。璃紗の体も彼女と連動して離れることはないのだから。

「ぅおラァ!」

?」

 ボキリ。

 そんな音だった。

 それは――

 元々壊れていた手首がさらに別方向に壊される。

 その痛みは想像を絶するものだった。

「ん、ぁ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ッ!」

 璃紗は激痛に悶絶する。

 手足から力が抜け、猫耳女を拘束できなくなった。

 自由の身になった彼女が距離を取るが、璃紗には追撃する余裕もない。

 璃紗はただ涙を浮かべて右手首を押さえていた。

「てんめぇッ……!」

「部位破壊成功って感じだヨネ?」

 エプロン女は愉悦の表情で璃紗を見下ろしている。

 間違いなく彼女は璃紗の苦痛を愉しんでいた。

 どうやら彼女はさがを持って生まれたらしい。

 今の攻防で右腕は死んだ。

 だが問題はない。元々、戦闘に使える状態ではないのだから。

 とはいえ、怒りが湧かないのかといえばそんなことはない。

 璃紗は二人を睨みつける。

「なんか熱烈だネ」

 それを見てもエプロン女は笑うだけだ。

 だがすぐに何かを思いついた顔になり――

「そう言えば名前を言うの忘れてたカナ? 名前を教えてもらう前に殺されそうだから不安だったんだヨネ?」

 そうエプロン女は肩を揺らす。

「アタシの名前は天美あまみリリス。隣のは三毛寧々子みけねねこ。一生忘れないようにネ」

 エプロン女――天美リリスは口の端を吊り上げた。

 彼女の手中で黒い球が精製されてゆく。


「でも安心しなヨ。どうせ、その小さい脳味噌でも忘れる暇がないくらいにすぐ死ぬんだカラ」


 リリスは黒い球を放り投げた。

 ゆっくりと飛来する黒球。

 それを璃紗は――全力で横に跳んで躱した。

(コイツの魔法は下手にガードしても不味い気がするんだよなッ……!)

 勘だ。

 だが、あのあからさまに遅い球速が引っかかったのだ。

 あのままアレを弾こうものなら、彼女の術中に嵌まる気がした。

「っと」

 もちろん璃紗は攻撃を避けるためだけに跳んだのではない。

 璃紗は着地と同時に、地面に落ちていた大鎌を拾う。

 あくまで主目的は武器の回収だったのだ。

 これで攻勢に移り直せる。

 そう思ったのだが――

「なッ……!」

 空が暗い。

 いや、璃紗の周りが影になっているのだ。

 

「きひひはははッ……!」

 黒流に呑まれた璃紗。

 その光景を見ていたリリスは狂ったように笑う。

 否、事実として彼女は狂っている。

 だが彼女の狂笑もすぐに止まることとなる。


「なんかさー……えらく楽しそーじゃねーか」


 炎が巻き上がる。

 巻き上がった炎は、黒い津波を呑み込んで見せた。

 リリスの魔法は灼炎に食い散らされて消えてゆく。

「せっかくだし、アタシも混ぜてくんねーか?」

 炎の中から璃紗が歩み出る。

 あの魔法には触れないことを徹底して、丁寧に黒い魔法のすべてを焼き払いながら。

「――まだ生きてるワケ?」

 璃紗の生存を確認し、リリスの表情が歪む。

 彼女は隠せないほどの不快感を覚えたらしい。

 それを見て今度笑うのは璃紗のほうだ。

 彼女は好戦的な笑みをリリスに向ける。

「なんだよオイ。さっきまでやたら楽しそうだったじゃねーか。なにが楽しかったのかよー。懇切丁寧に説明してくれねーか?」

「ああッ……!?」

 リリスは歯が砕けそうなほど強く歯ぎしりをした。

 そんな彼女を前にして、璃紗は頭を掻いた。

「あー……そーいや。アタシ謝らないといけねーわ」


「ワリーな。お前の名前、忘れちまったわ」


 璃紗はにやりと笑って大鎌を構えた。

 それは先程リリスが言ったことを逆手に取った挑発だった。

 リリスもそれを理解したのだろう。

 彼女が放つ怒りが激しく、黒くなってゆく。

「きひははは……! そんなに挑発して、よほど残虐に殺されたいみたいだネ」

 リリスは満面の笑みを浮かべている。だが目はまったく笑っていなかった。

「そんな生き方って本当に――」


「――破滅的だヨォ」


 リリスの一声をキッカケに、再び激戦が幕を開けるのであった。

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