4章 7話 運命という嵐の中で

「「……………………」」

 人の声が飛び交っている。

 しかし、その中で悠乃のいるこの場だけが静まりかえっていた。

 ここにいるのは悠乃、ギャラリー、マリアだ。

 殺し合った仲である悠乃とギャラリーは言葉を交わさない。

 一方でマリアは無関心に周囲を見回している。

「それ、ちゃんとお金払ったんだよね?」

 結果として、悠乃がなんとかひねり出した言葉は今聞かなければならないこととはかけ離れていた。

「当たり前じゃない」

 そんな問いかけにも律儀にギャラリーは答えた。

 彼女はさらに一口アイスを口にした。

「どうやって稼いだの?」

 しかし、彼女がお金を払えたとなると当然気になることがある。

 彼女は人間を食らう化物だ。

 そんな彼女が人間の通貨をどのように手に入れたのだろうか。

 考えたくはないが――

「トロンプルイユが『』で稼いできたのよ」

「ええ……」

 ……ある意味で考えたくない可能性だった。

 トロンプルイユ。

 彼はピエロのような恰好をした残党軍最強の男だ。

 そしてその正体は加賀玲央――悠乃のクラスメイトであり友人だった男だ。

 彼がアルバイトをしているのは知っていた。

 まさか彼が稼いだお金がこんなところで消費されていたとは。

「――安心しなさい。別にここで戦おうだなんて思っていないわよ」

 ギャラリーが唐突にそう言った。

 彼女の目には戦意など微塵もない。

「……そう」

 悠乃は彼女から注意を逸らし、自分のアイスを一口食べた。

 少し溶けていたが、ぬるくなったことでかえって甘く感じられる。

「……ギャラリー」

 彼女に戦う意志がないと分かったからだろう。

 自然と悠乃の口は動き始めていた。

 かつて彼はギャラリーと決闘をした。

 互いが命を懸けたのは灰原エレナという一人の少女。

 友人として。家族として。

 立ち位置は違えども、大切な一人のために死闘を演じたのだ。

 ギャラリーは、エレナ――魔王グリザイユの妹分だ。

 しかし今、エレナは魔法少女として生きている。

 それはギャラリーにとって何を意味するのだろうか。

 そんな思いが悠乃の中に燻っていたのだ。

「なによ。お姉様に選ばれて勝ち誇っているの?」

 ギャラリーは高飛車に……しかし、それでいてどこか卑屈にそう言った。

「そういうつもりじゃッ……!」

 思わず悠乃は否定する。

 ギャラリーが心からエレナを大切に思っていることは痛いほど分かっている。

 だからこそ、ギャラリーの自虐じみた言葉に反応してしまったのだ。

「同情なんていらないわ。たとえお姉様が魔法少女になってしまっても、アタシの気持ちは変わらない」

 しかし彼女は怒りさえ滲ませて悠乃の言葉を遮った。

 彼女は強い意志を持って悠乃の心を拒絶する。

「アタシは魔王となり、お姉様を迎えに行く」

 ギャラリーは胸に手を当て、高々と宣言した。

 彼女が語ったのは揺るがない覚悟だ。

「……ねぇマジカル☆サファイア」

 激情を口にしたからか、彼女は少し落ち着いたようだ。

 むしろ今の彼女は弱々しい――いや、気まずそうに見える。

 ジェットコースターのように感情が移り変わっているギャラリー。

 どこか彼女には余裕がないように思える。

「お姉様の……両親になった人たちって……良い人なの?」

 そんな中で彼女が口にしたのはやはりエレナの心配事だった。

 ギャラリーにとって人間はどこまでいっても食料だ。

 彼女がエレナの関係者とはいえ人間のことを聞いてくるのは意外だった。

「うん。優しくて、良い人たちだ」

 悠乃は偽りのない本音を答えた。

 エレナは『グリザイユの夜』と呼ばれた決戦の後、老夫婦に拾われたという。

 身寄りどころか戸籍すらない幼女。

 それを優しさだけで拾い、育てる。

 そこには無償の善意があった。

 それは底なしの愛情だった。

 普通の人間にできる生き方ではない。

「……良かった。アタシが――」

 悠乃の言葉を聞いたギャラリーは安堵した表情となり――途中で言葉を呑み込んでいた。

 一瞬だが、彼女の目に憤怒の感情が宿る。

 それは自分へと向けられた憤りだった。

 まるで、弱気になる自分を戒めるような怒りだった。

「……何でもないわ。アタシは勝つ。そしてお姉様が帰るべき場所を自分の手で作って見せる。ただそれだけを考えているのだもの」

 ギャラリーは安心したという心さえも胸に押し込んで、そう言った。

 きっと彼女は考えているのであろう。

 自分の壮大な理想を叶えるには、強い自分でなくてはならないと。

 強い自分になるには、弱い自分はいらないのだと。

 夢を叶えるまでは、弱さを心の奥に隠し続けるのだろう。

 彼女は立ち上がった。

 彼女の視線の先には、いつも通りの笑顔を浮かべている人々。

「平和ね。みんな、自分が明日さえ不確かな世界を生きているなんて自覚がないんでしょうね」

 ギャラリーは歪んだ微笑みを浮かべる。

 嘲るような言動。

 だがなぜだろうか。

 この場で一番不安に押し潰されそうで、余裕がないのはギャラリー自身にしか思えないのは。

「――それは、君が言って良いことじゃないよ」

 悠乃はギャラリーの言葉を否定する。

 彼女は《怪画カリカチュア》だ。

 本質的には、人を食らう化物なのだ。

 人のような姿で、感情があっても……化物なのだ。

 数々の悲劇を招いてきた彼女に、人の平和を――安寧の上で成り立った無警戒を笑う権利などない。

「アタシたちなんて、所詮は食物連鎖の一部でしかないわ

 一方でギャラリーの反応はドライだった。

 加害者だから言える意見でもあるだろう。

 もっとも、《怪画》が人間を食らうしか生きる術のない種族である以上は、彼女の行いを強く批判することもできないのだが。

「人間が本当の意味で危機に瀕するのは……これからよ」

 だが、ギャラリーが次に吐いた言葉は看過できなかった。

 彼女の言葉は宣戦布告と同義のものだったから。

「それってどういう――」

 悠乃は問い返す。

「マジカル☆サファイア」

 ギャラリーが悠乃の名を呼んだ。

 しかし彼女は彼の質問に反応したわけではない。

「お姉様に、伝言」

 彼女は悠乃の言葉など聞いていない。

 ただ一方的に自分の言葉を話しているだけだ。

「『アタシたち残党軍は近いうち――』」

「なッ……!?」

 ギャラリーから告げられたメッセージ。

 その内容に悠乃は驚愕した。

 宣戦布告と同義なんてものじゃない。

 彼女がしたのは、正真正銘の宣戦布告だ。

「『だからお姉様には……側にいて欲しい』」

 それは多分、ギャラリーが漏らしたSOSだった。

 自分の許容量を超えた運命の流れに溺れかけている彼女が、信頼する人へと求めた『助けて』のサインだった。

「……ううん。『どこか、アタシたちの手が届かないどこかに逃げて欲しい。いつかすべてが終わったら、お姉様が失くしたものすべてを拾い集めて会いに来るから』」

 だが、それを彼女自身が否定してしまう。

 ……悠乃は確信した。

 ギャラリーは今、選択を迫られている。

 止まるか、進むか。

 進んだ先に求める理想があると信じている。

 同時に、止まれるのはここが最後だと自覚しているのだ。

 今日の彼女の様子がおかしかったのは、彼女の心が揺れているから。

 もしかすると彼女は、何かの答えを見つけたくてここを訪れていたのかもしれない。

 ――悠乃は昔を思い出す。

 昔の彼は、抗えない運命の波に呑まれるままに戦った。

 きっとギャラリーも同じ場所にいるのだろう。

 その先を後悔するかは、彼女自身にかかっているのだけれど。

「もう……帰るわ」

 ギャラリーは悠乃に背を向け、手元に空間門を出現させた。

 彼女の能力は空間転移。

 きっと彼女はその力で、自らの本拠地に帰ってゆくのだろう。

「戦争が始まる前に……最後に会えた相手がアンタだなんて……ツイてないわ」

 ――どうせなら、最後にお姉様と会いたかった。

 そうギャラリーは続ける。

「待ってッ……!」

 なぜか悠乃は手を伸ばしていた。

 このまま離れてしまえば――。

 ギャラリーの姿がかつての自分と重なる。

 そんな彼女を見過ごせなかった。

 悠乃の手がギャラリーの手首を掴んだ。

「……なによ。ここで戦争を始めたいの?」

「そんなつもりじゃない。僕は君に――」


「あら。始めたら良いじゃない。戦争」


「「――ッ!」」

 声が聞こえた。

 女性の澄んだ声。

 大きな声ではない。なのに、不思議と真っ直ぐに鼓膜を揺らす声音だ。

「だってもう、私たちは準備ができているもの」

 自然と悠乃たちの視線が声の主を探す。

 乱入者の姿はすぐに確認できた。

「初めまして。私は美珠倫世みたまともよよ」

 そこにいたのは女性だった。

 整った目鼻立ち。

 金糸のような髪はハーフアップに結われている。

 何よりも特徴的なのは、纏う衣装だ。

 鎧。

 西洋の騎士を思わせる鎧を彼女は身につけていた。

 あの質感はレプリカなどではない。

 本物だ。

 こんな場所で白昼堂々と鎧姿のまま歩く女性。

 異常ではあるが、悠乃には心当たりがあった。

「もしかして――」

「ええ。あなたと同じ――」

 女性――倫世は笑う。

 優雅に。貴族のように。


「――――――

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