4章 6話 街を歩こう
蒼井悠乃は世良マリアと共に街を歩いていた。
目指しているのは、宮廻環が借りたというアパートだ。
マリアが目を覚ましてから、悠乃たちはマリアが記憶障害と判明した時点で彼女の保護を環に願い出ていた。
しかし彼女は一時的な取材のために安いホテルに泊まっていたということもあってマリアを引き取ることが難しかった。
その事情が変わったのが数時間前の事。
なんと環は一日で新しいアパートを借りたというのだ。
もっとも交通の便も悪く、あまり住人のいないボロアパートだそうだが。
とはいえマリアが抱えているかもしれない事情を思えば、巻き込まれる人間は少ないほうが良い。
――思い切り環を巻き込んだことには罪悪感があるのだが。
環自身が、悠乃と結んだ取引のおかげで魔法少女との付き合いも長くなると判断したために長期滞在がしやすい安いアパートを探した、と言ってくれたのが幸いか。
同時に「一泊二泊ならともかくこれ以上は経費じゃ落ちないのよ……」とうなだれる彼女が可哀想にもなってしまったが。
環は偶然を装って魔法少女のスクープ写真を撮る予定なのだ。
そんな理由での滞在費を経費として補填してくれる会社ではなかったらしい。
それこそ魔法少女の正体を調べ上げたのでもない限り、数日もの滞在が認められることのほうが少ない気もするのだが。
そういう意味でも彼女に無理を強いてしまったようで心苦しい。
「ねえ。マリアは本当に何も覚えていないの?」
悠乃は隣を黙って歩いているマリアに問いかけた。
今は二人きりだ。
特に話す内容もない――記憶のない人間と話すネタなど悠乃にはない――ため自然と失われた記憶に関する話題となる。
「何も――といえば御幣がある」
「?」
想像していなかったマリアの答えに悠乃は疑問符を浮かべた。
昨日の時点では、彼女はそんな事を言っていなかったのだ。
「途切れ途切れになら……記憶がある」
「どんな?」
「歩いていた」
だがいまいち要領を得ない。
質問の答えを聞いているのに、疑問符がかえって増えてゆく。
「そして?」
「歩いていた」
「?」
悠乃は詳細を求めるも、マリアは「歩いていた」としか語らない。
「何かに導かれて歩いていた。それは本能、あるいは運命」
「なるほど。よく分からないね」
それこそ、悠乃が下した結論だった。
結局のところ記憶も曖昧でマリア自身も把握できていないということだろう。
そこから彼女の正体に行き着くことは困難に思える。
「私は歩いていた。でも、私の意思ではなかった。私はただ、漂っていただけ。記憶はあった、だけど自我はなかった」
遠くを見つめながらマリアはそう口にした。
記憶の中にいる彼女の状態は、言い換えるのであれば夢見心地といったところか。
「霞がかかったように、寝惚けたように私の意識は薄弱だった。気付いたら最初からそうだった。それより前の記憶は……ない」
(話しぶりを聞く限り、ちぐはぐな感じだなぁ)
そんな感想が悠乃の頭に浮かぶ。
彼としては一刻も早く彼女の居場所を見つけてあげたいと思う。
善意としても、彼女を長くは保護できないという現実的な観点からも。
(変なイントネーションもないから訛りのキツい地方の生まれではない。雰囲気的にも、普通の教育を受けている)
このようにマリアが発した何気ない言葉や態度からも、なんとか彼女の正体へと迫る情報を探しているのだが見つからない。
(自分が自分である自覚が薄い言動。それは記憶がないからってことで間違いはないのかな)
記憶とは人間の根幹といっても差し支えないと悠乃は考える。
記憶があるから、個人の価値観は生まれる。
記憶がないのなら、自分自身に愛着を持つことも難しいだろう。
今のマリアにとって、自分の体が自分のものであるのかさえ証明できないのだから。
「まだ暑いね」
悠乃は空を見上げる。
今は9月。
夏休みを開けたばかりの空は太陽が輝いていて、自然と汗ばんでしまう。
そんな中ふと漏れた悠乃の言葉だが、それに薄い反応しか見せないマリア。
「そう? よく分からない」
彼女は暑さを感じていないようだった。
表情もいつも通り。汗だってかいていない。
周囲の気温からさえ切り離されているかのようだ。
そんなマリアを見つめていた悠乃だが、彼の視線が横へと逸れた。
彼の目には一つのキャンピングカーが映っている。
「アイス……」
その車には――アイスという文字が書かれた看板が立てかけられていた。
☆
車で売られていたのは、冷えた鉄板の上で作られるロールアイスと呼ばれるものであった。
タイ発祥などと解説も書かれていたが、結局のところ大事なのは冷たくて美味しいという事実である。
「おいしい」
マリアの表情は薄い。だがこの瞬間は、少しだけ表情が緩んでいた。
彼女はほとんど手を止めずにアイスを口に放り込んでいた。
「私は一つ知った。私は、アイスが好き」
そんな一言と共に、マリアはアイスを食べつくした。
――ほんの数分の出来事だ。
どうやら余程、彼女の舌に合っていたらしい。
(アイスの味に違和感を覚えていない。やっぱり彼女はこの世界で生まれた人間である可能性が高いのかな……?)
もし彼女が別の世界で生まれたような化け物なら、この世界の味覚に対応してない可能性は高い。
元々、《怪画》として生きていたエレナから聞いたが、当初はこの世界の食べ物に違和感を覚えたこともあったそうだ。
異国の料理でさえ価値観の違いを感じるのだ。
違う世界の住人なら、ここまでギャップを意識することなく食事を楽しめるだろうか。
根拠としては弱いが、悠乃の心証はマリアが異世界の化物である可能性は低いという意見に傾きつつある。
(彼女がこの世界で生まれた人間なら……魔法少女である可能性は高い)
この世界で魔力を持つ人間など、悠乃は魔法少女しか知らない。
もしかするとテレビで見るような超能力者の中にも本物はいて、彼らの力の正体は魔力かもしれない。
しかし残念ながら、悠乃は超能力者を見たことがない。
(思い出の食べ物で記憶が復活~ってなれば簡単なんだけどなぁ)
ありがちだが、実際に失われた過去と縁深いものが刺激となり、消えていたはずの記憶がよみがえるキッカケとなることもあるという。
そういう展開にも期待したかったのだが。
「んー。身内を探そうにも名前も出身地も分からないんじゃなー……。見た目が似ている人を探そうとしても当てずっぽうじゃ望みは薄いし」
警察に届ければ見つかるのだろうか。
しかし悠乃は、彼女が特殊な家庭の事情から逃げ出してきていた可能性も考えると慎重に行動したいとも思っていた。
「――
そんなことを悠乃が考えていると、マリアがふとそう言った。
悠乃は顔を上げて彼女へと視線を向けた。
彼女は一点だけを見つめ、その方向を指さしている。
「え?」
彼女の意図が分からず、悠乃は思わず聞き返した。
するとマリアは目を逸らすことなく――
「
そう言ったのだ。
似ている。
偶然かもしれない。普通なら偶然だろう。
しかし手詰まりの現状。
もしも少しでも可能性があるのなら、それを手繰り寄せるしかない。
「え!? どこどこッ……!?」
奇跡的に身内の可能性もあるのだ。
慌てて悠乃はマリアの指先を追った。
そこには、確かにいた。
ピンクの髪をした少女が。
「ふぅーん。これが、人間の女が好きな『すいーつ』なのね」
少女は白いゴスロリ服に身を包み、興味深そうにアイスを食べていた。
「……よく分からないわ。でもきっと、お姉様もこれが好きなのよね」
少女は首をかしげながらもスプーンを止めない。
彼女はかなりの美少女だ。
一度見たら忘れられないほどに。
だから、悠乃は忘れていなかった。
「「あ…………」」
偶然か運命か。
二人の視線が交わった。
向こうも悠乃の事を忘れられなかったのだろう。
彼女の瞳も驚愕に見開かれている。
当然だ。
なぜなら二人は、かつて殺し合った関係なのだから。
「ギャラリー……!」「――マジカル……サファイア」
《怪画》の少女――
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