4章 5話 世良マリア

 魔法少女と思われる少女を見つけた悠乃たちがとった行動は、速水氷華を呼ぶことであった。

 最初は救急車を呼ぶべきかという話になったが、彼女が魔法少女であるのならば公共の施設を安易に利用することは避けるべきという結論になったのだ。

 悠乃たちは魔法少女としての自分を隠してきた。

 目の前で倒れている彼女もまた秘密の露見を恐れている可能性があるからだ。

 それでも命の危険があるのならば仕方がないのだが、幸いにして薫子がいれば治療に差し支えはない。

 あと必要なのは安静にできる場所だけだ。

 宮廻環に頼ることも考えた。しかし彼女は安いホテルを拠点にしているらしく、いきなり他人を連れていくのは難しい。

 その結果、謎の少女は金龍寺家にあるメイド寮の一室へと秘密裏に運び込まれることになったのだ。



「記憶がない……!?」

 悠乃は驚愕の声を抑えられなかった。

 少女を見つけた次の日。

 彼女が目を覚ましたという話を薫子から聞いた悠乃たちは飛ぶようにして――正確には魔法少女となって跳んだのだが――金龍寺家のメイド寮を訪れたのだった。

 そこで伝えられたのは、という事実であった。

「記憶喪失……どれくらいの状態なんですか」

 美月が薫子に尋ねた。

 記憶喪失と一言で表現しても、その軽重、範囲は千差万別なのだ。

「エピソード記憶は軒並み。意味記憶もかなり危うい状態ですね。わたくしの将来くらい危ういです」

「……危うい状態というのに同意したいんですけど、余計な一言のせいでこれに同意すると金龍寺さんを罵倒してしまうみたいで同意し辛いんですが」

 美月は半眼で薫子を見つめた。

 エピソード記憶がないということは思い出を失っているということ。

 意味記憶までないとなると、言語の知識も穴開きになってしまっているということだ。

 もっとも、手続き記憶に言及しなかったということは『箸を持つ』などという動作に関しては問題がなかったということだろう。

「意味記憶が欠損していたってことは……もしかして」

「はい。彼女は魔法少女という言葉を理解していませんでした」

 悠乃の言葉に少し苦い顔をして薫子が答えた。

 魔法少女という言葉の意味が分からない。

 それが示すのは――

「つまり、彼女が魔法少女だったかどうかさえ分からないのか」

「はい。彼女は魔法少女かもしれませんし、ちょっと変わっているだけの一般人かもしれません」

「でもよー。魔力で構成された服っていうのは証拠にならないのか?」

 悠乃と薫子の会話を聞いていた璃紗がそう問いかけた。

 確かにあの少女が着ていた服からは魔力を感じた。

 それにデザインとしても私服とは考えにくいものだ。

「根拠とはなりますが……やはり本人の口から聞かないと分かりませんね」

「まー……そーなっちまうか」

 璃紗も引き下がる。

 悠乃たちから見ても、彼女が魔法少女である可能性は高い。

 しかしデリケートな問題だけに、確定していない時点で決めつけて行動するわけにもいかないのだ。

「ねぇー。じゃあこの子、名前は? 帰る場所は?」

「どっちも分からないそうです」

「それはまた……」

 春陽に返された薫子の答えを聞いて、美月は同情の色を見せた。

 名前も、帰る場所も分からない。

 他の思い出も残っていない。

 それがどれほど不安なのか、悠乃には想像もできない。

 一方で、少し気味の悪いものも感じていた。

 悠乃はベッドで身を起こしている少女を盗み見る。

 少女は虚ろな瞳で目の前の壁を見つめている。

 どこまでも色のない表情。

 目の前で悠乃たちが話している内容に興味のある素振りさえ見せない。

 そこには喜びも不安も存在しない。

 もっとも、感情というものは思い出に強く影響を受けるものなので、記憶障害のある彼女が上手に感情を表現できないのは仕方がないのかもしれないのだが。

「ふむ。しかし、朕の知る限り彼女のような魔法少女はいないはずなのだがね」

 イワモンは難しい表情でうなっている。

 彼が言うには、魔法少女の名前、居住地などの情報はすでに力を返還した少女たちも含めて書類として残っているらしい。

 世界の危機が訪れた際の迅速な対応のため。

 そして、魔法少女という人智を越えた存在を監視するために。

 だが、

 それが少女の正体を判断しかねている理由の一つだった。

「お前のとこのデータがおかしいんじゃねーのか?」

「そうだとしてだ璃紗嬢。なぜ彼女のデータがないのだ。どんな理由であれ不自然だ。魔法少女は世界の危機を救うために存在する。? あったとして、?」

 イワモンの言うことも理にかなっている。

 彼は書類だけでなく、同僚(?)にも情報提供を依頼したという。

 だがどう確認しても『そんな魔法少女がいるはずがない』と結論付けるしかない状態だったという。

「そう考えると、《怪画カリカチュア》――それに準ずる化物の仲間と考えるのが妥当だ。もっとも、朕の目から見ても、彼女の魔力の質が魔法少女と酷似していると言わざるを得ないがね」

 結局、少女の正体は確定しないのだ。

「しかし直近の問題としては、なぜ傷だらけだったか……じゃろう?」

 エレナはそう投げかけた。

 あの少女は出会った時は衰弱していた。

 すぐに治療をしたので命には関わらなかったが、あのまま誰にも見つかっていなければどうなっていたかは分からない。

 そうなった原因も気にかかる。

「家出や、運悪く敵と遭遇したというのならまだマシじゃ。しかし、誰かに狙われておるとしたら――」

「……ここでも、記憶喪失が問題か」

 あの少女を取り巻く状況がまったく見えない。

 悠乃は思わず頭を抱えた。

 まさかここまでの面倒事になるとは思わなかった。

「ともかく、彼女の名前でも決めないかね?」

「名前?」

 イワモンの提案に悠乃は首を傾げた。

「『上』の決定で彼女の身柄は悠乃嬢たちで預かってもらうことになった。我々としても、イレギュラーとしか言えない彼女を放任しておくわけにもいかないのだよ。そして、そうなれば名前が必要だろう?」

「僕たちが預かるのは確定なんだ……」

 悠乃は苦笑する。

 イワモンは魔法少女の使い魔であり、監視者でもある。

 そして魔法少女の舵を取り、彼女たちが世界を救うという目的を達成できるようにするためのサポート要員でもある。

 一方で、あの少女はとびきりの不確定要素だ。

 彼女の正体や思惑によっては、世界に少なくない影響が出てしまう。

 それを事前に防ぐのもイワモンの役目なのだろう。

 そして、そのもっとも効率的な手段が悠乃たちの近くに保護しておくことだったというわけだ。

「いつまでこちらで預かれるかは分かりませんが……そういうことであれば付き合いが長くなる可能性もありますし、名前を考えておいたほうが良いかもしれませんね」

 薫子がそう言った。

 確かに、他人である少女はいつまでもメイド寮にかくまえない。

 ある意味、薫子がメイド寮に隠れ済むことができているのは、彼女がメイド長である氷華と近しい関係にあったからだ。

 しかし今回は正真正銘の他人。

 責任ある立場として、氷華もそんな人間をいつまでも寮内においておくわけにはいかない。

 それが超自然的な力を扱う可能性のある人間ならなおさら。

 今の状況だって、薫子の頼みだからと道理を曲げた結果なのだ。

 例外中の例外といっても良い。

 ――彼女が暮らす場所も後で考えなければなるまい。

 ともあれ、今考えるべきは少女の名前だった。

「アタシには無理だわ。幸子とか花子とかしか浮かばねー」

 璃紗は早々にギブアップする。

 とはいえ彼女のアイデアを聞いた限りでは彼女が出した名前が選ばれる可能性は皆無に等しかったが。

「佐藤凛はどうでしょうか。佐藤も凛も人数の多い名前ですから。仮の名前としては適当かと」

「んー?」

 美月がメガネを押し上げて提案するも、春陽は腕を組んだまま微妙な表情をしている。

 悠乃は少女をもう一度確認した。

 悪意も善意もないまっさらな少女。

 それは儚げで、確かに『凛』というイメージには合わない気もする。


「――世良せらマリア」


 ふとイワモンがそう口にした。

 そこで挙げられた名前は、不思議と悠乃たちの胸にすとんと落ちた。

 彼女が持つ不可思議な雰囲気とマッチしているように思えたのだ。

「イワモンにしちゃー良いんじゃねーのか?」

 璃紗も気に入ったらしく、発案者であるイワモンの背中を叩いた。

 彼は「もっと、もっとぉ」などと言っているが全員が無視する。

「――反対意見はないようですね。……構いませんか?」

 ここで初めて薫子は件の少女へと話を振った。

 すると少女もやっと反応を見せる。

 ――目を薫子へと向けるだけの微々たるものだったが。

「私の名前は――世良マリア……なの?」

「気に入ってくださいましたか?」

「……分からない」

 少女――世良マリアはそう答える。

 未だに彼女の態度に色はない。

 そう思っていた。

 だが、わずかに彼女が――微笑んだ。

「だけど……運命を感じた」

 不思議な言い回し。

 しかし、気に入ったと同義であると解釈して良いだろう。

「それじゃあ、君が記憶を取り戻すその日まで、僕たちは君を『世良マリア』と呼ぶことにするよ」

 悠乃はそうマリアへと笑いかけた。

 そして彼は彼女に右手を差し出す。

「これからよろしくね」

 それをマリアは数秒間見つめた後――手を握り返してきた。

 もしかすると握手の存在まで忘れられているかもしれないと不安になったが、どうやら彼女の記憶の中に残っている習慣だったらしい。

「私からも……よろしく」

 マリアは虚ろな――それでも先程までに比べると色づいた瞳で悠乃の目を覗き込んでいる。

 吸い込まれそうなマリアの美しい瞳。

 ふと彼女の口元が緩んだ。


「私は今、。そんな気がする」


「は……はぁ」

 彼女は雰囲気に違わず、難解な人物のようだった。

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