4章 2話 お茶会にしましょう2

 喫茶店の席に着き、紅茶が届いた。

 いつも通り良い香りがしているのだろう。

 しかし、残念ながら悠乃は緊張でそれを感じる余裕さえなかった。

「ぁ……」

 そんな中、悠乃が最初にしたことは――

 ティースプーンは彼の手から滑り落ち、当然のように床へと落下した。

「うぬ。手に紅茶がかかったりはしておらぬか? 服に染みも――なさそうじゃの」

 そう。

 普通、客が床にスプーンなどを落とせば店員が来るだろう。

 実際に灰原エレナは悠乃を心配して歩み寄ってきてくれた。

 彼女は悠乃の身に問題がないことを確認すると、その場でしゃがんだ。

 ――床のティースプーンを拾うために。

「だ、大丈夫……!」

 そこを狙い、悠乃は自分の手で拾おうとしたかのように机の下に体を隠した。

「エレナ……緊急事態」

「ぬ?」

「これ、持って……!」

 エレナへと丸めた紙を手渡す。

 そう。すべてはこのため。

 記者である環の目を逃れ、エレナにメモを渡せるタイミングを作るために悠乃はわざとスプーンを落としたのだ。

 あのメモには『記者、魔法少女』と書かれている。

 聡明な彼女なら、それでおおかたの状況は察するはずだ。

 机の下でメモを流し読んだエレナは真剣な表情で頷く。

「替えのスプーンを持ってくるのじゃ」

 そう言い残すとエレナは店の奥へと歩き去った。

 ――どうやら通じてくれたらしい。

(一応、最低限の根回しはできた……)

 この喫茶店に誘われたのは、案外ラッキーだったのかもしれない。

 そう思う悠乃であった。



(ちゃんと連絡を回してくれているみたいだね)

 悠乃は横目で店の奥を確認する。

 そこではエレナがケータイを片手に誰かと会話していた。

 おそらく他の仲間たちに悠乃の状況を伝えているのだろう。

(魔法少女を探る記者がいること。その容姿。これをあらかじめ全員に伝えておけるだけで安全性はかなり変わるはず)

 そう考えたからこそ、エレナから他の魔法少女たちに環の情報を回してもらったのだ。

 これで他のみんなは環の存在を知った状態で出会える。

 そうすれば追及を躱すことも多少は簡単になるはず。

(問題は、僕がここでヘマをしたら意味がないって点だけどね)

 悠乃は穏やかな表情で紅茶を嗜んだ。

 エレナに窮状を伝えることができたため、幾分か落ち着いてきた。

 今なら紅茶の香りを楽しめそうだ。

「なんていうか……結構慣れているわね……」

「?」

「ほら。ティーカップの置き方」

 環が指で示したのは、悠乃が先程机に置いたティーカップだった。

「さっき置くとき、小指をクッションにして音が鳴らないようにしていたでしょ? そういうのって、ただ喫茶店に通っていても身につくものではないわ」

(細かい所に気付く人だなぁ……)

 悠乃は感心すると同時に、環への警戒度を引き上げる。

 確かに、音を鳴らさないカップの置き方は悠乃が友人から教えてもらったものだ。

 金龍寺薫子。

 同じ魔法少女であり、悠乃たちによく紅茶を振る舞ってくれた彼女が昔に教えてくれたエチケット。

 それは今でも悠乃の習慣となっている。

 紅茶の飲み方に詳しい薫子から聞いていなければ、こんな作法は悠乃も知らなかったことだろう。

「……そうですね。よく友人とお茶会をしていたので」

「お茶会……? もしかして私より女子力あるんじゃ……?」

 何かをメモする環。

 内容が怖くて聞けない。

「うん。正直、そうやって紅茶を飲んでいる悠乃君はかなり『絵になる』よ」

「あはは……」

「これで詩集とか読んでたら完璧ね」

(たまに読んでるなんて言えない……)

 悠乃は髪を耳にかける振りをして冷や汗を拭うのであった。

「それにしても、このビスケットってどれくらい浸すかが難しいのよね。私ってせっかちだから、いつも早く出しちゃうの」

 そう言いながら環は紅茶に浸していたビスケットを口に運ぶ。

 紅茶にビスケットを浸す行為――ダンクは単純なように見えて案外難しいものだ。

 浸ける時間が短ければ不完全にしか染み込まず固いまま、逆に長ければボロボロと崩れてしまう。

 美味しく食べようと思うと、存外タイミングが難しい。

「そうなんですか? なら――」

 悠乃は自分の手にあったビスケットを紅茶に浸した。

 頭の中で時間を数えたりだなんて無粋な事はしない。

 お茶会は会話を楽しむものだから。

 適正な時間なんて、感覚で覚えている。

「え――?」

 悠乃はビスケットを持ち上げると、そのまま身を乗り出すようにして環の口へとビスケットを運んだ。

 思わずと言った様子で環はビスケットを口にすると、そのまま咀嚼し嚥下した。

「……美味しいですか?」

(そういえば、初めてお茶会をした時……薫姉がこうしてくれたんだよね)

 初めての紅茶だ。

 当然ながら適切な時間なんて分かるわけがない。

 ビスケットにまだ固い部分が残っていたり、溶け崩しそうになる悠乃を見かねて、薫子が手本を見せてくれたのだ。

 その時のビスケットは本当に美味しくて、自分でも再現できるようにと頑張っていた記憶がある。

 そんな事を思い出し、気付くと悠乃の顔には柔和な微笑みが浮かんでいた。

「ヤバ…………これが尊いという感覚……」

「?」

 環が何かを言っているが、声が小さくてよく聞き取れなかった。

 もっとも、悠乃に向けた言葉ではなかったようなので気にしなくとも構わないだろう。

 そう思い込むことにしたのであった。



「さすがに家までついて行くのも悪いし、今日はここまでにしておくわ」

 とある公園の前まで一緒に歩いていた環が、そう悠乃に告げた。

 もしも彼女が無神経なら、悠乃の家まで何かと理由をつけてついて行こうとしていたのかもしれない。

 しかし所詮は他人。そこまでの信頼関係は築いていない。

 そう弁えているから、彼女はあえて悠乃とここで別れることにしたのだろう。

 スカウトを諦めるかは別として。

「じゃあ、これ私の連絡先ね」

 そう言うと、環はメモ帳のページを一枚破って悠乃に手渡した。

 そこには電話番号らしき数字の羅列が書かれている。

「スカウトの件はもちろんだけど、普通の相談なんかもしてくれちゃって良いわよ。これでも私は大人で、悠乃君は子供なんだから」

「……はい」

(多分、後ろめたいことさえなければ良い人なんだろうなぁ)

 悠乃には魔法少女という秘密がある。

 だから環に対しては警戒心を持たざるを得ない。

 しかしそんな事情を取り払えば、宮廻環という女性は好印象だった。

 強引そうに見えるが踏み込みすぎない。

 自分の意見を言うが、相手の意見を聞かないわけではない。

 なにより、大人として子供である悠乃を尊重しようとしてくれていることが分かった。

(それとも、そんなことを思う時点で毒されちゃってるのかなぁ)

 もしこれが彼女なりの交渉術なのであれば、すでに悠乃は術中に嵌まっているのだろう。

 すでに彼は環を警戒しつつも、彼女と話すこと自体は楽しいと思うようになってしまっていた。

 また後日話しかけられても、無下にはできないだろう。

「そういえば、公園って昔に比べて遊具が減ったわよね」

「事故なんかが起こるとどんどん撤去されますからね」

 二人は夕暮れの公園を前にしてそんな会話をしていた。

 昔はどうだったか分からない。

 ただ、今の公園は子供の声なんて聞こえてこない。

 今どきはそんなものなのだろう。

「まあ、私は砂場派だったから関係ないけれどね。砂の山にトンネルを作っていたわ」

 そんなことを環は口にする。

「それ、男子がするやつじゃないんですか?」

「別に女の子がしても良いでしょ? 悠乃君は女の子の遊びしたことない?」

 環が頬を膨らませた。

 大人なのにこういう仕草は子供っぽい。

 それにしても多少失礼ではあるが、ある意味で彼女が砂場で遊んでいたというエピソードは納得できる話だ。

 環は人形遊びよりも、男子と混じって遊んでいるほうがしっくりくる。

 それが今日の話を通しての印象だ。

(女の子の遊び、かぁ)

「そういえば……なぜか妙に誘われましたね。……男子から」

 悠乃は昔のことを思い返してそう呟いた。

「……?」

「『悠乃ーママゴトしよーぜ。お前オレの嫁なー』みたいな……」

「うん。ごめんね。聞かないほうが良い話だったかも」

「ははは……やっぱりそういうことなんですかねぇ……」

 気まずそうに目を逸らしてしまう環。

 悠乃は空笑いで誤魔化すことしかできなかった。

「しかし悠乃君のせいで性癖を狂わせてしまった男子は何人になるのかしら……。下手したら悠乃君、少子化に一役買ってない?」

「ないです」

 完全に迷惑である。

 容姿はともかくとして、悠乃の趣向はノーマルであるのだから。



「それじゃあ、僕は帰りますね」

 悠乃はそう切り出す。

 あのまま別れるはずが、案外と話し込んでしまったらしい。

 時計を見てみるとそれなりに遅い時間だった。

「あれ? 思ったより時間が経っているわね」

 環も腕時計を見て現在時刻に驚いている。

 彼女も自覚がなかったらしい。

「えっと悠乃君。引きとめておいてなんだけど、一人で帰って大丈夫? 人の多いところを通って帰らないと駄目だからね」

「大丈夫ですよ」

 心配してくれる環に悠乃はそう返す。

「僕、男の子ですので」

「見えないから心配なんだけどね」

「ぬぅ……」

 不満である。

 しかし、不審者に声をかけられることも多いので強く否定できない。

「もうっ。大丈夫ですからっ」

 悠乃は拗ねたようにそう言い返す。

「それじゃあ宮廻さん。さようなら」

「ええ。さようなら悠乃君」

 手を振り合って二人は別れる。

 そのまま悠乃は振り返り――


「ッ――!?」

 轟音が響いた。

 意識外からの爆発音に悠乃は身を固くする。

「な、何っ……!?」

 弾かれたように悠乃は音の方向を確認する。

 音が聞こえてきたのは公園内部。

 その中心には――《怪画カリカチュア》がいた。

 《怪画》はジャングルジムを踏み潰すようにして顕現していた。

 体長は約3メートル。

 そして何より特徴的なものは、地面に届くほどに長い両腕だ。

 その腕は太く筋肉質で、そこから繰り出されるであろう殴打は人体など容易く肉片にしてしまうだろう。

(こんな時にっ……!)

 悠乃は歯噛みした。

 自分一人でも充分倒せる相手だ。

 だが、この場には環がいる。

(ここで変身したら宮廻さんに正体がバレちゃう……)

 それは避けるべき事態だ。

(どうすれば――)


「何やってるの! 早く逃げるわよッ!」


 悠乃が行動を決めかねていると、怒鳴りつけるようにして環が彼の手を引いた。

 つないだ手。環の手は汗で湿っていた。

 それだけではない、震えている。

 当たり前だ。初めてあんな化物を目の前にしておいて冷静でいられるわけがない。

 冷静でなくなれば虚飾は剥げ落ち、人の本性が現れる。

 そして

 ――つまり、そういうことだろう。

(幸い、ここには宮廻さんしかいない。様子を見てから行動しても問題はないはず……)

 まずは環と逃亡する。そこで彼女の目を盗み、ここに戻ればいい。

 多少は怪しまれるかもしれないが、被害出すわけにはいかないのだ。

「うん……!」

 悠乃は環に追従して走り出した。

 しかし――


 


「え……?」

 二人は立ち止まって再び視線を公園へと向けた。

 子供は、いた。

 公園の端にあるトンネルのような遊具の中に子供が一人いたのだ。

 位置的に悠乃たちから死角になっていたため存在に気付いていなかった。

 《怪画》が出現した音に反応して子供がトンネルから這い出したので、やっと悠乃たちからも見えるようになったのだ。

 子供は《怪画》という未知の存在を前にして泣き喚く。

 恐怖からか逃げることもできていない。

 そして、《怪画》も当然自分の近くで鳴り響く声を目で追った。

 《怪画》が子供を見つけるのに数秒とかからない。

(マズい……!)

 この状況。一旦逃げてから変身をするなどという悠長な事を言っていられなくなった。

 このまま立ち去れば、あの子供は死ぬ。

 《怪画》によって貪り食われてしまう。

 それを見逃して良いのか。

 正体を隠したいというエゴで、見ないフリをして良いのか。

(ここで僕が変身をしたら他のみんなにも迷惑が――)

 魔法少女が一人でないことは5年前に明らかになっている。

 悠乃が魔法少女と分かれば璃紗と薫子とのつながりは露見してしまう。

 5年前は魔法少女でなかった春陽、美月、エレナだけならばなんとか隠し通せるかもしれない。

 だが、この秘密は……悠乃だけのものではないのだ。

(駄目だ……だからって見捨てて良いわけが――)

「悠乃君は先に逃げて!」

 悠乃が覚悟を決めようとしたその時、環が駆け出した。

 彼女はまっすぐに子供へと向かっている。

 環は助けようとしているのだ。見ず知らずの子供一人を。

 自分の命を懸けて。

 ――宮廻環は普通の人間だ。

 戦う力なんてない。

 守る力なんてない。

 それでなお、悠乃よりも早く決断した。

「ごめん……みんな」

 ――この人を死なせてはいけない。

 自分よりも誰かを優先してしまう人だから。

 この極限状態の中で、誰かを助けには知れる彼女を死なせてはいけない。

 躊躇いなんて、一瞬にして消えてしまった。


「秘密は……!」


「――変身」

 悠乃が唱えた。

 一瞬にして『彼女』の姿がかき変わってゆく。

 少年だった体は、女性のものへ。

 学校の制服は魔法少女としての装束――臍と太腿が大胆に見えるデザインのものへと変化した。

 ――魔法少女は変身後であれば正体がバレることはない。

 しかし、それにはいくつか例外がある。

 1つ、あらかじめ正体を誰かから聞いておくこと。

 2つ、変身の瞬間を直接目にすること。

 3つ、その他――なんらかの理由で同一人物と強く確信すること。

 最後の条件は、本人の癖、互いにしか分からないキーワードなどだ。

「悠乃……君?」

 悠乃が変身すると同時に魔力の奔流が風圧となりあたりを駆け抜けた。

 その衝撃に煽られ、環は立ち止まり――振り返った。

 そして彼女は目撃しただろう。

 悠乃がいたはずの場所に、魔法少女がいることに。

 彼の姿がなく、彼女の姿がある。

 そんなありえないはずの光景を目にしたのだろう。

「はぁッ!」

 悠乃は一瞬で環を追い抜いてゆく。

 環の髪が風に揺れ、悠乃の頬を撫でた。

 そのまま悠乃は《怪画》と子供の間を遮る位置に降り立った。

「消えて」

 悠乃は右手を掲げ、掌を地面に叩きつけた。

 すると《怪画》の足元から氷が精製され、数秒で覆い尽くす。

「《風花》」

 悠乃は氷の結晶へと歩み寄り、爪で軽く叩く。

 キィィンと透き通った音が鳴る。

 音叉が共鳴するような心に染み入る音色。

 だがそれは綺麗な音なんかではない。

 命を刈り取られる者の、断末魔の叫びだ。

 悠乃が作りだした氷の結晶が砕ける。

 欠片はさらに砕け、綺羅星のような粒子となり消えてゆく。

 周囲は宝石のような輝きに包まれる。

(子供の前だからね……あんまりヒドイものは見せられないよね)

 悠乃はため息をついた。

「あーあ。もう、隠すわけにもいかないかぁ……」

 責任は、自分で取ろう。

 

「僕の平和もここまでかなぁ……」

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