3章 エピローグ 前兆 

「で、なんでいるのさ?」

 これは悠乃が学校に来て最初に発した言葉だった。

 今は夏休み後半。

 しかしながら夏休みすべてが休めるわけではない。

 今日は夏休み中に設けられた登校日だ。

「まあそう言うなよ。オレ学生だぞ。そりゃあ、学校来ちゃうって」

「ええ……」

 悠乃は目の前で笑う同級生――加賀玲央にうんざりした視線を向けた。

 そう。

 なぜか玲央が登校してきているのだ。

 彼が《怪画》だと知った時点で、もうここには来ないと思っていたのだが。

「まあ安心しろって。こんなところで戦うつもりはねぇよ」

 玲央は悠乃の耳元でささやく。

 半信半疑ではあるが、彼が嘘を吐いているとは思いにくかった。

 どう考えても、彼の能力ならここで仕掛けるよりも上手く事を運べるタイミングなどいくらでもあるからだ。

「あとさ――」

 玲央が言葉を続ける。

 もしかすると、あの言葉の真意を告げようとしているのだろうか。

 ――お前たちの中に裏切り者がいる。

 今日まで悠乃を悩ませ続けてきたその言葉の意味を。

「ふぅー」

「ひゃわわんっ」

 玲央が耳に息を吹きかけてきたせいで、悠乃は変な声を上げて体を跳ねさせた。

 悠乃は慌てて耳を塞ぐと、涙目で抗議する。

「なにするのさッ!」

「いや。可愛い反応するかと思って」

「しないもん!」

「メチャクチャしてたけどな」

 悠乃は玲央から距離を取る。

 これ以上近づけばいつ辱められるか分かったものではない。

 警戒心剥き出しの悠乃を見て、玲央は嘆息する。

 そして彼は腕時計を確認すると――

「……10分か。時間はあるな」

「?」

 玲央が言わんとすることが理解できずに悠乃は首を傾げた。

「悠乃。ちょっと来てくれねぇか? 人が来ないところ……校舎裏で良いか」

「や、やだッ……! 変なことするつもり……!?」

「しねぇよ!」

 そう叫びつつ、玲央は半笑いで頭を掻いた。

「警戒するところはそこじゃねぇだろ。普通さ、いきなり襲われねぇかとか警戒するだろ」

「……僕がしたのも襲われないかの話だったし」

「エロ的な意味じゃなくてバトル的なほうを警戒しろって」

 玲央は呆れた様子で息を吐いた。

 なんだかんだ、悠乃はまだ彼を本気で切り捨てることができてはいないのだ。

 どこかで彼は心の底から残党軍に所属しているわけではないのではないかと。

 そう信じているのかもしれない。

「まあいいや。……で、来てくれるか?」

 いつも通りの表情を浮かべている玲央。

 夏休みの出来事がなければ、何の違和感も覚えなかっただろう。

 彼がトロンプルイユを名乗る《怪画》であることが夢幻のようにさえ思える。

「――行く」

だから、彼について行くことに抵抗はなかった。



「玲央って……《怪画》なの?」

「正確にはハーフだけどな」

 最初の質問に玲央はそう答えた。

 ハーフ。

 初めて聞く話に悠乃は片眉を上げた。

「ハーフって……」

「人間と《怪画》のハーフだな」

「……ありなの?」

「あったんだから仕方ないだろ?」

 気楽な様子の玲央。

 ハーフなんて存在は5年前にも聞いたことがない。

 そういうこともあり得るのだろうか。

 《怪画》の生態について何も知らない悠乃には判断できなかった。

「人を……食べるの?」

「やろうと思えばできるけど、絶対に必要ってわけじゃねぇな」

 ハーフであるがゆえに、人間としての要素も持って生まれたのだろうか。

 そう考えれば、人間を食わなくていいことにも納得がいく。

「なら――なんで残党軍にいるのさ」

 そこに問題は収束する。

 ある意味で、残党軍が結成されたことは必然だろう。

 《怪画》は人を食う。

 だが人は――魔法少女は《怪画》を討つ。

 魔法少女という敵がいて、一人では生きられない。だから徒党を組む。

 結局は、残党軍は生存戦略の一つといえる。

 であれば、人を食わなくても――人と食い違う生き方をしなくても良い玲央がなぜ残党軍に身を寄せたのか。

 その意味が知りたい。

「父親探し……かね?」

「父親?」

「子供作るだけ作って消えやがった糞親父だな」

 ハーフと彼は言っていた。

 ならその父親が……《怪画》だったのだろう。

「今、残党軍はかつての魔王軍にいなかった《怪画》もスカウトしてる。野良の《怪画》の情報だって集まってくる」

「そうすればお父さんが見つかるかもしれないってこと……?」

「人間として生きるより可能性はあるだろ?」

 消えた父を探す。

 確かにそれを成し遂げるためには、人間としての生活にしがみつくことはできない。

 《怪画》の世界に飛び込まねば、《怪画》の情報は手に入らない。

「キリエはオレの親父を探すための人手を。オレは、アイツが王になるための力を提供する。それがスカウトの条件だったのさ」

 多分、玲央の生き方は批判される得るものだろう。

 彼の力は、人間に不必要な犠牲を強いてしまうから。

 それをエゴと評する人間の気持ちも分からなくはない。

 だが、生き別れの家族を探すという目的を叶える現実的な手段がこれしかなかったのも事実なのだろう。

「散々お袋に苦労かけやがった糞親父をぶん殴る。それがオレの志望動機ってやつさ」

「でも――玲央のお父さんは……」

 悠乃はそこで言葉を止めてしまう。

 彼自身が言って良い言葉ではないと感じたから。

 ――悠乃たちがもう殺してしまった《怪画》の一人であるかもしれないだなんて、言えるわけがない。

「確かに、糞親父が生きていたことを証明する最後の痕跡はオレが生まれたこと――15年以上前のことだ。もう殺されててもおかしくねぇよな」

 5年前、悠乃たちは《怪画》と戦い。魔王軍を壊滅させた。

 討伐した《怪画》の中に玲央の父親がいたとしても、悠乃には分からないのだ。

「もしかしたら、もうのたれ死んでやがるのかもしれねぇ。だけど、探す前から諦める気にはならなかったんだよな」

 そう玲央は笑う。

 すると彼は悠乃に背を向けた。

「結局、自分語りで終わっちまったぜ。もう聞きたいことはねぇか?」

 どうやら玲央は教室に戻るつもりのようだ。

 気付かない間に、思っていたより時間が過ぎていたらしい。

「じゃあ……最後に」

 悠乃は切り出した。

 今度、いつ玲央が問いかけに答える気になるかは分からない。

 なら、これだけは聞いておかなければならなかった。


「裏切り者って……誰?」


 裏切り者。

 玲央が前回の戦いで示唆した存在。

 もちろん鵜呑みにしているわけではない。

 だが、ただの愉快犯にはどうしても思えないのだ。

 どうにも――波乱の予感がする。

 良からぬことが起こる前兆を感じているのだ。

 だから、どうしても彼に聞きたかった。

 あの日の言葉の真意を。

「秘密だ」

「なッ……!」

 玲央が選択したのは黙秘だった。

 緊張していただけに、悠乃は想定外の返事に困惑する。

「敵に聞いちゃダメだろ」

「だって玲央は――」

「敵じゃないってか?」

「……本気で敵だとは……思いきれないよ」

 悠乃は本音を吐露した。

 彼が残党軍に入った理由を聞いたからだろうか。

 違う。

 これまで過ごしてきた日々の分だけ、情が残っているのだ。

 今でも、あれがすべて偽りだったとは思えない。

 あの日々の中にも、彼の本音は隠れていた気がするのだ。

 だから、悠乃は玲央と本気で敵対はできない。

「オレは、お前が壊れちまわねぇか心配だよ」

 そう言うと、玲央は歩き始めた。

 そのまま歩き去ろうとする玲央。

「裏切り者の正体は言えない」

 ふと彼が立ち止まる。

「だけど、確実にいる」


「オレたちの友情に賭けて誓うぜ」


 その言葉を最後に、玲央は校舎の角に消えていった。


「それじゃ……結局分からないよ」

 ピエロの格好をした《怪画》は、最後まで悠乃の問いをのらりくらりと躱し続けたのだった。

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