3章 23話 夢の跡

(悲報。面倒臭いの一言で仲間から斬られてしまった件)


 そんな言葉が薫子の脳内に浮かんだ。

(……もしかして、本物でも良かったと思われていました……?)

 目から光が消えてゆくのを感じた。

 階段を下りる足が止まって動かない。

 彼女の足はガクガクと震えていた。

「え……えっと。璃紗さん……? なんでわたくしが本物って分かったんですか?」

「済まん。分からなかったわ」

「分かってなかったんですかッ……!?」

 あんまりな璃紗の回答。

 薫子は白目を剥きそうになるのをギリギリでこらえる。

「まー……別に本物でも良いかと思って」

(本物でも良かったんですかッ!?)

 今度こそ薫子は白目を剥いて崩れ落ちた。

(って……ここは階段でした……!)

 ふらついた際に段差から足を踏み外して初めて、薫子は自分がどこにいたのかを思い出した。

 薫子は体勢を崩し階段を落ち――なかった。

 璃紗に受け止められたからだ。

「あと、先に言っとくけど勘違いすんなよ。薫姉なら、絶対に大丈夫だって思ってたからやっただけだからさ」

 璃紗はそう語りかけてきた。

 彼女の言うことは正しい。

 もしあれが本物の薫子だったなら、とっさに時限式の治療用爆弾を準備しただろう。

 ――致命傷を受けても生き返れるように。

 それに――対策ができなくても、璃紗たちが死んでしまうくらいなら、自分を斬り殺して欲しいと思ったはずだ。

 そういう意味では、璃紗の行動は薫子の考えを正確に汲み取っての判断だった。

「ぅぅ……全身がまだ気持ち悪い……」

「おーい。悠乃も大丈夫かー」

「い、一応大丈夫……!」

 璃紗が悠乃に向かって叫ぶと、弱々しくも悠乃は無事を伝えている。

 璃紗も悠乃もボロボロだ。

 どうやらかなりの激戦だったらしい。

 そうまでして、薫子を助けに来てくれたのだ。

「璃紗さん。悠乃君」

 そう思うと胸が温かくなる。

「――ありがとう、ございました」



「き、気持ち悪い……」

 悠乃は座り込んだままそう漏らした。

 いや。漏らしていない。

 悠乃は錯乱した頭で現実逃避をした。

「おーい。悠乃。もーそろそろ戻るぞー?」

 璃紗がそう手を振り、こちらに歩いてくる。

 薫子も一歩引いた位置を歩いている。

 だが、悠乃にとってそれは歓迎すべきものではなかった。

「こ、来ないでぇ……! 来ちゃダメぇ……!」

 悠乃は両手を突き出し、慌てて璃紗を遠ざける。

 理由は、色々と……出てしまっているからだ。

 悠乃はドレスにまで染みが侵蝕するほど濡れてしまった股を手で隠す。

 アンモニア臭が鼻腔を刺激して、羞恥心で泣きそうになった。

「ったく。そんなの今さら気にしねーよ。ほら」

「ぁう」

 そんな悠乃の拒絶を無視して、璃紗は彼女の手を引っ張った。

 腰が抜けていたせいで足に力が入らずに悠乃が転びかけると、璃紗はその場で抱きとめてくれる。

「フラフラじゃねーか。歩けるか? 背負ったが良いか?」

「よ、汚れるから良いよ……。歩けるから」

 悠乃はそう言って一人で立とうとするも、足が震えて直立さえできない

 男子のプライドにかけて歩こうとするも一歩も踏み出せない。

「だから遠慮すんなって」

「ぁわわ……!」

 そんな彼女を見かね、璃紗は彼女を持ち上げると簡単に背負ってしまう。

 ……男女が逆のような気がする。


(悲報。女友達のほうが男らしい件)


 泣けた。

 心の中で泣いた。

「っと……急がねぇと下がどうなってるか分からねーぞ」

「うん……」

 璃紗の言葉に悠乃は頷く。

「春陽さんと美月さんが……下で戦っているんですか?」

 薫子の問いかけに、悠乃たちは頷く。

 階下からは戦闘音らしきものが聞こえてこない。

 いくら時間を稼ぐだけとはいえ、ここまで音がしないとは考えにくい。

「音が聞こえてこねーからな。急がないとヤベーかもしれねー」

 最悪の場合も、ありうる。

 黒白姉妹だけでキリエを打倒することは難しいと悠乃は思っている。

 そして、下の階からは戦いの気配がしない。

 もしかすると、手遅れの可能性も視野に入れねばならないかもしれない。

「そういうことならば急ぎましょう……!」

 薫子が下へ降りる階段へ走り出す。


「ったく……油断しすぎだろ」


「「「ッ!?」」」

 突然聞こえた玲央の声に、悠乃たちは身を固くした。

 彼は璃紗により致命傷を受けたはず。

 なのに――

「安心しろよ。戦いはお前たちの勝ちだぜ?」

 玲央が現れる。

 ――階下から続いてきた階段を上って。

 つまり彼は悠乃たちに幻術をかけ、彼女たちよりも先に下の階を確かめてきていたのだ。

「まさか……二人を……!」

 殺してきたのか。

 悠乃はそう問いかけようとして、言えなかった。

 玲央が彼女を制止するように手を伸ばしてきたからだ。

「安心しろって言っただろうが。ちゃんとお友達は生きてるよ」

「本当……?」

「ああ。マジだ。オレたちの友情に賭けて」

「……それ、さっき欠けちゃんたんだけど」

「おや残念」

 玲央は肩をすくめる。

 すると彼はおもむろに白い布を懐から取り出す。

 そして彼は左手を隠すように白い布を揺らす。

「ワン、ツー、スリー。ほれっ」

 玲央は白布を取り払う。

 すると彼の腕の中には一人の少女が収まっていた。

 黒髪の少女。悠乃たちは彼女に見覚えがあった。

「キリエ……カリカチュア……!」

 玲央に抱えられているのは、下の階で猛威を振るっていたであろうキリエだった。

 どうやら玲央は彼女を回収するためにここを下りていたらしい。

 キリエは気を失っているのか、身じろぎもしない。

 ただ浅い呼吸を繰り返している。

 彼女は意外なことに童顔のようで、静かに眠る彼女は凶暴性を見せていたこれまでの彼女と似ても似つかない。

「お。悠乃。黙ってればチョロ姫も案外可愛いだろ」

「思ってませんッ!」

 図星を突かれたからか、食い気味に否定する悠乃だった。

「ま、こいつは持って帰らせてもらうわ」

 キリエを肩に担ぎ、玲央は悠乃たちに背を向ける。

「……そんなに簡単に、逃げられるとお思いですか?」

 薫子は手中に爆弾を作りだして問いかけた。

 現在、玲央は手負いのキリエを抱えていて満足には動けない。

 悠乃たちも万全ではないが、ここで仕掛けておいたほうが有効だと薫子は判断したのだろう。

 だが、玲央は笑うだけ。

「思うさ。というか、

「……なるほど、ここに上がってきた時点であなたは幻影だったんですね」

「そういうことだな」

 玲央の言葉を聞いて、薫子は爆弾を持った手を下ろした。

 彼のあまりにも余裕の態度。

 それは、ここに本物はいないからだったのだ。

 本物の彼はもう出口に向かっているのだろう。

「だとすると……なぜここに来たのですか?」

 薫子が尋ねる。

 そう。ここにいるのが幻影でしかないのなら不自然なのだ。

 そもそも、わざわざ悠乃たちと顔を合わせたりはせず、そのまま帰れば良いだけなのだから。

「いや……せっかくだから伝えておこうかと思ってな」

 玲央は真意の掴めない笑みを浮かべたまま口を開く。

 想像だにしない爆弾発言を口にしたのだった。

「悠乃。元友達のよしみだ、忠告しとくぜ」


――



「って……エレナぁ!?」

「ぬ……帰ってきたんじゃの」

 玲央の幻が消えた後。

 悠乃たちが下の階に降りると、彼女たちを出迎えたのはエレナだった。

 エレナが纏っているのは魔王としての戦闘衣装であったはず。

 つまり――

「魔法少女に……なったの?」

「うぬ」

 エレナは悠乃の言葉を肯定する。

 どうやら彼女が黒白姉妹の救援をしてくれていたらしい。

 ボロボロになっている黒白姉妹から察するに、エレナが助けに来てくれていなければ二人がどうなっていたかは分からない。

「……ありがとう。エレナ」

「妾は妾の意志で、妾の友を守っただけじゃ。礼などいらぬわ」

 エレナは照れ臭そうに向こう側を向いて顔を見せようとはしなかった。

「……治療しますね」

 薫子は浮かない表情で3人の怪我を治療し始めた。

 やはり、自分のためにここまで来た友人たちが傷ついているという事実は彼女にとって重い意味を持つのだろう。

 もっとも、逆の立場であれば自分も絶対に気にしてしまうという自信が悠乃にはある――というよりも、ギャラリーとの決闘の際に同じ思いをした。

 だからこそ軽々しく「気にしないで」とは言えない。

 それは無理な話なのだから。

「……それにしてもエレナ。本当に良かったの?」

「魔法少女になったことが、かの?」

「うん」

 悠乃はエレナの気持ちが知りたかった。

 彼女はかつての仲間と、人間として築き上げた関係の間で葛藤していた。

 そこに解答は見つかったのか。

 それを確かめたかった。

「正直に言えば、完全に割り切れたとは言えぬの」

 そう語るエレナは言葉とは裏腹に穏やかな表情をしていた。

 割り切れないと表現したにしては、暗澹とした様子がない。

「ワガママじゃとは分かっておる。じゃが、魔法少女になるにあたり、奴――イワモンと約束をさせてもらうことにしたのじゃ」

「約束?」

 彼女が魔法少女になったということは、イワモンがその約束に同意したということだろう。

 そうである以上、それほど問題のあるものではないのだとは思うが。

「妾は……人間を襲う《怪画》にしか力を振るわぬ。それを条件として、魔法少女となったのじゃ」

「人間を襲うって……食事とは関係なく人を襲う《怪画》とだけ戦うってこと?」

「否。食事として襲う者も含めての話じゃ」

「それって、結局全員じゃないの?」

 悠乃は疑問を口にした。

 魂か血肉か。

 そんな違いはあれど、《怪画》は人間を食らう生物だ。

 であれば、エレナが提示した条件から除外される《怪画》はいないように思えるのだが。

「これから妾は人間として生きるのじゃ。目の前で人が食われそうになっておったとして、食事だから仕方ないと見逃すのは……違うじゃろう?」

「まあ……人間側としては……納得してもらいにくいだろうね」

 魔王グリザイユは食料としてしか人間を襲わなかった。

 それは《怪画》にとって、人間を食うことは当然の事だからだ。

 しかし、今のエレナは人間だ。

 だからこそ判断基準も人間に寄り添ったものへと変えた。

 そういうことだろう。

「とはいえ、《怪画》だからと見つけ次第殺すのは……さすがに……の」

 エレナは言いよどむ。

 だが彼女を責められまい。

 彼女はかつての民を愛しているのだ。

 いくらなんでも、そこまで強いることは悠乃にはできない。

「確かに、そこで見逃した《怪画》が明日人を食うかもしれぬ……否、食らうじゃろう。だが妾にとって、それが『今』であるのか『将来』であるかの間には越えられぬ一線があるのじゃ」

 エレナはそう言うと、悠乃たちに向き直って……頭を下げた。

「お主たちのやり方に口を挟むつもりはない。じゃが、妾個人としてその一線は越えられぬ。それでどうか、納得してはくれぬか?」

 エレナの言うことは、簡単に言ってしまえば『《怪画》を倒すために戦う』のではなく『目の前の人を救うためだけに《怪画》と戦う』ということだ。

 それを偽善だとか、独善だとか、無責任な話だとか言う人間はいるのだろう。

 だか、悠乃はそうは思えなかった。

 彼女なりに必死に折り合いをつけようとした結果だと分かるから。

「僕は、それで良いと思うよ。そもそも、それで良いと思ったからイワモンもエレナを魔法少女にしたんだろうし」

 結局はそういうことだ。

 イワモンが承知した以上、エレナが魔法少女であるという事実は揺らがない。

 それに――

「それに――エレナの本音って感じがして、僕は好きだよ。そういう理由」

 だから悠乃はエレナの意思を尊重し、肯定した。

「僕だって自分の身を守るために魔法少女になったのが始まりだしね。最初はみんな、自分だとか、目の前の誰かを助けるために戦ったんだ。世界だとか、人間だとか、そういう壮大なものを最初から背負うつもりだったわけじゃないんだし」

 目の前の人を助けていたら、いつの間にか世界を救うための戦いへと道が続いていただけなのだ。

 最初の想いなんて、そんな大したものではなかったのだ。

「たった6人で世界を救えだなんて無茶を言うんだ。ちょっとのワガママくらい許されて良いんじゃないかな?」

 悠乃たちは生まれながらのヒーローじゃない。

 人を救うだけシステム――理想の具現化であることを求められる義理もない。

 悠乃たちは、悠乃たちの意志で戦うのだ。

「まー。アタシも大体同じ意見だな」

「わたくしとしても、多少の制約なんて問題にならないくらいエレナさんの加入は大きいと思っていますよ」

「……そもそも、すでに助けられた私が否定できるわけがありません」

「わたしも、エレナちゃんと一緒が良いよー」

 悠乃の意見を支持するようにみんながそう口添えしてくれた。

「そうか……そうじゃの……」

 エレナが顔を上げる。

 ようやく見えた彼女の表情は――泣き笑いだった。


「――これからも、よろしく頼むのじゃ」


 その言葉に、どれほどの想いが込められていたのか。

 それはエレナの胸に秘められたままで、悠乃にも正確には分からない。

 ただ分かることがあるのなら――この時、悠乃たちの関係が『友達』から『仲間』となったことくらいか。



 運命論という考え方がある。

 それは、人生には、世界にはあらかじめ定まった未来が存在しているという考え方だ。

 心も、努力も、すべてが織り込み済みで、未来を変えようと努力することさえ予見した上で成り立つ覆し得ない未来があるという思想だ。

 もしそんなものがこの世界にあったとしたのなら、最初から悠乃たちは魔王グリザイユと――灰原エレナと共に歩む運命にあったのだろう。

 敵でありながら、彼女を憎めなかったのも。

 ある意味で、互いの間で結ばれた宿命のようなものを無意識に感じ取っていたからなのかもしれない。

 そして、様々な回り道を経て、運命へと到達した。

 願わくば、共に歩き続けられますように。

 その努力を悠乃が惜しむことはないだろう。

 運命とやらがあるのなら――それは彼の努力を織り込んだ上で定まってくれているのだろうから。



 ……だから、加賀玲央が最後に残した言葉をこの時だけは忘れることにした。



「そーいえば、薫姉ってどうやって逃げてきたんだ?」

「手足を拘束されていたので、爆弾で手足を吹き飛ばしてから――つなぎ直しました」

「……薫姉。ちょっとそれは引くかも」


 そんな会話をしながら、一日を締めくくるのだった。

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