3章 19話 《挽き裂かれ死ね》

「アハ、アハハ、アハハハハハハハハッ! 君はなんでそんなに弱いのかなァ!?」

 キリエの笑い声が部屋に響き渡る。

 しかし美月は攻撃を回避するのに必死で、言い返すこともできない。

(速い……速すぎる……!)

 依然として部屋は氷に覆われている。

 つまり、キリエの速度は半減しているのだ。

 それなのに死に物狂いで躱すしかないのが現状だった。

 呼吸さえまともにできず美月は逃げ惑っていた。

「ツッキーをいじめないでっ」

 遠距離から光刃が飛んでくる。

 キリエに向けて、春陽が魔法を放ったのだ。

 美月たちの中でも最高クラスの速さを持つ春陽の魔法。

 それが後方からキリエを襲う。

 しかし――

「うん。やっぱり遅い」

 キリエは冷静に飛びあがって光刃をやり過ごす。

 美月たちは、まだ一度たりとも彼女の余裕の表情を崩せていなかった。

「アハハ。真面目な顔していやらしい服を着ている豚ちゃんは逃げるのが遅いねぇ。うん。これは、ひょっとするとマゾなのかもしれないね」

「べ、別に好きで着ているわけじゃないですし、マゾでもありません……!」

 美月は赤面しながら抗議する。

 キリエが発したのは侮辱といえる言葉だが、それ自体は別に挑発というわけではない。

 彼女にとってはただの

 つまるところ、彼女にとって美月たちはその程度の相手でしかないのだ。

「誰だって最初はそう言うのさ。でもね、指が全部落ちるころには認めるものなんだよ」

「それ、言わせただけですよね……!」

 最初から今までずっと手詰まりの戦況。

 時間稼ぎをするとは言った。

 だが、もう少しは善戦できると思っていたのも事実だ。

(私は……弱い)

 キリエが真剣に戦っていないからこそ拮抗しているのが現状だ。

 弱すぎるがゆえに、お情けで続いている時間稼ぎといっても良い。

 それが美月には、無性に悔しかった。

「まあさ。それでもね。うん。やっぱり褒められるべきだと思うよ」

 そんな美月の感情を知るわけもなく、キリエは圧倒的強者の余裕で彼女を賞賛していた。

「なんせアタシは――の《怪画カリカチュア》なんだからね。手抜きをしているとはいえ、ひよっこが逃げ続けられるだなんて異常じゃないかな?」

 けらけらとキリエは笑う。

(――最速、ですか)

 想像はついていたが、本人の口から聞くと嫌になる称号だ。

 美月の表情も苦々しいものとなる。

「そんな君たちにご褒美だ。アタシの能力を教えてあげよう。パンパカパーン」

 キリエは軽い口調でそう宣言した。

 能力を喋る。

 本来であれば命知らずの愚行でしかない。

 だが、彼女は確信しているのだ。

 それくらいで自分の優位は揺るがないのだと。

「アタシの能力名は《挽き裂かれ死ねカット&ペースト》。その力は――」

 キリエが腰を落とす。

 来る。

 そう確信して、美月も彼女の一挙手一投足に集中する。

 そして、彼女の口から自らの能力の本質が口にされる。


「――だ」


 キリエの姿が消える。

 いや、消えたと錯覚するほどの速さで移動したのだ。

 こうなってしまうと美月の目ではもう追えない。

 だから――予測する。

「こっち!」

 美月は前方に転がった。

 直後、頭の後ろからふわりと風が吹く。

 ――どうやら鉤爪が掠めていったらしい。

 あと一瞬判断が遅ければ確実に死んでいた。

 さっきからこんな綱渡りの連続だ。

「アハハ。避けた。うん。ちゃんと避けたね。偉いじゃないか」

(――絶対切断、ですか)

 美月はキリエの言葉を思い出していた。

 確かに、彼女の鉤爪は容易く悠乃の武器を切断していた。

 もし彼女の能力が『絶対切断』という概念そのものなら、あの異常な切断力にも納得がいく。

 そして、その事実が意味するのは――

(あんなに速いのに……一撃でも直撃したら死ぬってわけですね)

 予想以上にこの戦いが薄氷の上で成り立っているということだ。

「最速! 絶対切断! これってさぁ! 合わされば最強じゃない!? やっぱりアタシは、魔王になるために生まれてきたんだ!」

 キリエは興奮したようにそうまくし立てた。

 どうやら彼女は自分の能力を自慢したかったらしい。

 どうせ殺す敵。

 だから、彼女は自慢のために軽々しく自分の能力を口にできたのだ。

「ねえほら。能力を教えたんだ。ゲームの攻略本みたいにボスの能力を教えてあげたんだ。頑張って攻略しておくれよ」

「無茶……言いますね」

「だって王様だからね。必死こいて王様を楽しませるのが家畜の仕事でしょう?」

 キリエが飛びかかってくる。

 美月にも見えるよう、わざと速度を抑えた状態で。

(姉さんを狙わせないようにしないと……)

 美月は身を引いて鉤爪を躱す。

 ――現在、キリエは美月を集中的に狙っている。

 それ自体に大した理由はないだろう。

 おそらく『順番に殺す』だとかその程度のことだ。

 だが、それが美月にとってはありがたい。

 春陽の魔法は速い。

 しかし、彼女自身の身体能力は美月に劣っている。

 速く、遠くまで届くという魔法に魔法少女としての力の多くを割いているのであろう。

 ゆえに春陽はキリエの猛攻をしのげない。

 同時に、彼女の援護のおかげで美月は逃げ続けられているのだ。

 もしもキリエが心変わりして春陽を狙い始めれば、均衡は容易く崩れる。

(手も足も出ない……)

 美月の頬を冷や汗が流れる。

 彼女は逃げることしかできない。

 カウンターだなんて仕掛ける余裕もない。

(分かっています……。私の役目は時間稼ぎ)

 それに甘んじるべきという気持ちはある。

 だが、何もできないままで良いのだろうか。

 一緒に戦っているはずなのに、悠乃たちに頼りきりの戦い方で。

 確かに美月は新米魔法少女だ。

 5年前に世界を救った彼女たちと肩を並べられないのは当然なのかもしれない。

 だけど、それを言い訳にしたくない。

(足が痛い……どちらにしろ、それほど長くは逃げきれそうにありませんね)

 前後左右。

 命の危機から死に物狂いで逃げているのだ。

 ペース配分など考えてはいられなかった。

 すでに足が痛み、反応が遅くなり始めている。

 何の策も講じなければ、近いうちに捉えられてしまうのは目に見えていた。

(何かを仕掛けるのなら……今しかない)

 時間稼ぎには二種類の考え方がある。

 今の美月のようにひたすらに逃げること。

 そしてもう一つが――こちらから攻撃をすること。

 攻撃は最大の防御という言葉がある。

 あえて攻勢に転じることで、相手を守勢に回らせ、相手が攻撃する機会を奪うという考え方だ。

 このまま逃げ続ければ、キリエを調子づかせてしまう。

 ここは美月からも攻撃を仕掛け『追いかけっこ』から『戦い』へとステージを上げるべき段階。

 そしてそんな理屈よりも――

「せめて一矢は……報いたい!」

 このまま食われるだけの獲物になりたくはなかった。

 狙うタイミングは――

「とうー」

 春陽が光刃を撃ってくるこの時だ。

「当たらないよ」

 最小限の動きでキリエが光刃を躱す。

 だがそれは何度も見た。

(あなたが『余裕ぶってギリギリでしか躱さない』ことまで含めて予想通りです)

 美月の狙いは、光刃がキリエを照らすことによって伸びた――影だ。

 自分とキリエの影が重なるよう、あらかじめ美月は位置取りをしていた。

 だから、キリエの体にできた影は――美月の支配下だ。

「はぁッ」

 美月はキリエの足元にあった影を棘のように伸ばし、キリエを背後から襲う。

 狙うのは彼女のアキレス腱。

 どうせ心臓といった急所には当てられない。

 なら、地面に近い位置にある箇所へと攻撃をするしかない。

 もし足を傷つけられたのなら、キリエの速力を激減させられる。

「おお。これにはちょっとビックリしたかな」

 それもキリエには通じない。

 読まれていたのか、キリエは鉤爪で影の棘を破壊した。

(だけど、彼女から本気を引き出せた。それくらいには迫った)

 一瞬だが、あの時キリエの右腕がブレた。

 ほんのわずかな時間だが、彼女が本気のスピードで対応した。

 対応せざるを得ない状況に追い込んだのだ。

(でも、ここで終わらせない!)

 美月はさらに影を伸ばす。

 無数の影がキリエを串刺しにしようと殺到した。

 見え透いた攻撃だ。当然キリエは跳んで躱す。

 だが、それでいい。

「姉さん!」

「あいさー」

 美月の号令に合わせ、春陽が光刃を撃ち出した。

 位置はキリエの背後。それも高い位置から斜め下への射出。

 後方であり頭上。

 完全な死角から伸びる光の刃。

 それをキリエは――軽く避ける。

 少し首を傾けるだけで。

「だからさぁ――」

「まだ!」

 美月は自分の足元――影へと手を差し込んだ。

 彼女の腕は影に呑み込まれた。

 潜影。

 黒白美月が魔法少女として持つ魔法の一つだ。

 影へと自分の体を潜らせる。

 そして、別の影へと自分の体を移動させることもできる。

 ――美月の腕が、キリエの足元の影から伸び出た。

「私の魔法では、影の中を移動できるのは私だけ」

 春陽が先程撃った光刃。

 それはまっすぐに美月へと迫っていた。

 だが美月は逃げようとしない。

「だけど――。――移動させられます」

 春陽の光刃が……美月の腕へと吸い込まれる。

 光の刃が彼女の手首に沈み込む。

「い、ぁが……!」

 迸る血流。痛みに美月は涙を浮かべて絶叫した。

 手首に刺さった光刃は美月の肉をかき分けて進んでゆき、美月の掌を――キリエの足元の影から伸びている美月の掌を――貫き通した。

「なッ」

 ここで初めて、キリエの顔が驚愕に染まる。

 

 結果として、キリエが躱したはずの光刃が、再び彼女を足元から襲うこととなる。

「――貴女の仲間の能力を……参考にしました」

 美月がギャラリーの能力――空間転移を参考にして考えた攻撃手段だ。

 自分もひどい手傷を負うこととなる。

 だが、本来であれば逆立ちしても勝てないほどの実力差だ。

 腕一本を犠牲にして有効打を与えられるのなら本望。

「くっ……そ……!」

 空中でキリエは体勢を整える。

 だが彼女の速力を以ってしても、迎撃が間に合わない。

「が、ぁぁ……!?」

 ついに、光刃がキリエの肩を貫いた。

 彼女は衝撃で姿勢を崩し、肩から地面に落ちた。

「痛っ……」

 倒れていたキリエがゆっくりと立ち上がった。

 彼女の肩には穴が開き、血が止めどなく溢れている。

「ぁ……ぁ……」

 キリエは自分の傷口を見てうろたえている。

 唇は震え、青ざめていた。

「この……アタシが……」

 キリエがうわ言のように呟く。

「アタシが……家畜に傷つけられた。傷物にされた。やられた。ヤられた。貫かれた。怪我させられた。穢されたぁ……。ぁ、ぁ、ぁぁ……」

 キリエはふらついて頭を抱えている。

 動揺のせいか、彼女の手から鉤爪が消えていた。

 錯乱した様子のキリエ。

 だがそれも数秒で終わる。

「ぁ、ぁ、ぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!」

 突然キリエがシャウトする。

 世界を揺るがすような激しい咆哮。

 美月は恐怖で自分の心臓が縮みあがるのを感じた。


「絶対……殺す」


 キリエの視線が美月を貫いた。

 その眼光には、抑えきれない殺気が満ちている。

(マズい!)

 身の危険を感じ、美月は後方に呼ぶ。

 だが――

「遅ぇンだよ家畜がさァ」

「ぁぐぅっ!?」

 美月が気付いたときには、すでにキリエが彼女の首を掴んでいた。

 まったく見えなかった。

(これが……全力……!)

 先程キリエが見せたスピードは、これまでで最速――それこそ、床を凍らされる以前の彼女よりも速かった。

 つまり、・カリカチュア

(見通しが甘かった……!)

 美月は苦しさと後悔で顔を歪める。

 これまでの戦いで、ギリギリでも攻撃を避けられていたことで妙な自信をつけてしまっていた。

 相手が本気ではないと分かっていたはずだ。

 だが、それでなお彼女の実力を見誤っていたのだ。

 攻勢に転じて、相手を守勢に回らせる?

 思い上がりも甚だしかった。

「ラァ!」

「ぐっ……!」

 美月は背中から床に叩きつけられる。

 その動作はあまりにも速く、受け身さえ間に合わない。

 背中を打ちつけた勢いで酸素をすべて吐き出してしまう。

 後頭部を叩きつけられたことで脳が揺れ、手足が思うように動かない。

 それ自体は致命傷ではないが、同時に自分が生き残るための希望が潰えてしまったことを嫌でも理解してしまう。

 キリエは美月の首から手を離す。

 しかしそれは許しを意味しない。

「アハ!」

 キリエは容赦なく美月の下腹部を踏みつけた。

 固い靴底が彼女の内臓を圧迫する。

「ぁ……がぁ……!」

「ほら。どうしたンだい家畜ちゃン。このままじゃ、子供が産めない体になっちゃうよォ?」

「ぎぐぅ……がぁ……!」

 美月は獣のような呻き声を漏らしてもがく。

 だがキリエの力は美月の細腕で押しのけられるものではない。

 キリエは鉤爪を振り上げた。

 そして彼女は掌を返す。

 そうすることで、鉤爪の向きが変わる。

 美月のほうに向けられているのは、鉤爪の中でも絶対切断が付与されていない……手の甲の側だ。

「でもまァ……うン。生まれてきたことを後悔する時間くらいは与えてあげても良いかな? あれだよ。慈悲、ってやつだ」

 つまりキリエは絶対切断を使うことなく美月を嬲り殺しにするつもりなのだ。

 あの重量級の武器を叩きつけられたのならば、その部位は容易く潰れてミンチになるだろう。

 少なくとも、原形をとどめたまま死ねるとは思えない。

 美月を殺すだけではなく、その死体さえも冒涜しようというのだ。

(……怖い)

 美月は顔をこわばらせ、恐怖で体を小刻みに震わせる。

 死体さえゴミのように挽き潰される。

 それ以上に無惨な死など彼女には思いつかない。

 そんな最低最悪の死を、今から自分が体験することとなるのだ。

 キリエの目を見れば分かる。

 最初に潰されるのは、とうてい死にはしないような部位。

 脚か腕か。

 末端からすり潰され、死が救いにさえ思えるような拷問が待っているのだ。

(たす……けて)

 美月は目を閉じ、涙を浮かべる。

「ツッキーを放してぇっ!」

 その時、春陽の声が聞こえた。

 美月が目を開くと、春陽は背後からキリエへと飛びかかっていた。

 彼女の指先には白い光が灯っている。

 彼女は美月を助け出すため飛び込んできたのだ。

 だが、それはあまりにも大きな隙でしかなかった。

「うるせぇンだよ」

「きゃっ!」

 キリエは春陽を振り返ることもなく裏拳を放った。

 鉤爪ごと壁にめり込む春陽。

 彼女は鉤爪に押さえつけられ、地面に落ちることさえ許されない。

「ぁぁ……!」

 鉤爪が春陽の体にめり込んでゆく。

 彼女の体が軋む音が聞こえてくる。

 春陽の悲痛な声からすると、骨にヒビが入っているのかもしれない。

 彼女の体が少しずつ壊されてゆく。

「姉……さん……!」

 美月は春陽へ手を伸ばす。

 だが届くことはない。

 それに、彼女を心配している暇などない。

「ぐぁぁ……」

 美月もまた、壊されている側の存在なのだから。

(蒼井さん……朱美さん……もう……)



「下の階うるせぇなぁ……。キリエの奴、さてはブチ切れたな?」

 階下から聞こえてくる音に玲央は舌打ちをした。

 轟音と共に建物全体が揺れ、天井から砂が振ってくる。

 玲央は肩についた砂埃を手で払った。

「悠乃も、ああいう騒がしいのは苦手だろ?」

 玲央は友人にそう語りかけた。

 人付き合いが不器用な彼は、ああいう騒音まみれの場所は好きじゃなかった。

 もっと、静かで安らぎのある世界を求める奴だった。

 何の間違いか、彼が魔法少女に選ばれていなければこんな戦場に担ぎ出されることもないほどに穏やかな人間だった。


「って……もう寝てたか」


 もっとも、今となっては関係のない話だが。


 悠乃も璃紗も、

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