3章 18話 ピエロはどっちだ

「顔を見られちまったわけだしな……。それじゃあ、名乗り直すか。……オレは《前衛将軍アバンギャルズ》最強の男。――加賀、玲央だ」

 

 悠然と佇む友人の姿に、思わず悠乃はよろめいた。

 眩暈がする。手足が震える。血の気が引いてゆく。

「そんな……」

 悠乃の口から情けない声が漏れた。

「オレも、こんなところでは再会したくなかったよ」

 そう言うと、玲央は泣いている仮面を投げ捨てた。

 仮面は床を転がり――砕け散る。

「にしても……んなダセー服いつまでも着てらんねぇよな」

 そう言うと、玲央は一瞬にしてピエロの服を変化させた。

 次の瞬間には、彼が纏っていた衣装は燕尾服へと変貌する。

 おそらくあれも幻術の応用なのだろう。

 だが、そんなことは悠乃にとってどうでも良かった。

 

「あ、あ、あ、あ……」

 心の乱れは魔力の乱れへと波及する。

 悠乃の手から武器が消えてゆく。

 彼女は胸を押さえ、必死に心臓を鎮めようとした。

 だが、動揺は隠しきれない。

 動いてもいないのに息が切れ、視界が歪んでゆく。

「悠乃! しっかりしろ!」

「!」

 もうダメだ。

 そう思った時、璃紗に背中を叩かれた。

 力がこもっていたせいか、痛みが背中全体に広がる。

 だが、だからこそギリギリで悠乃の正気が保たれた。

「――知り合いだったのか?」

「学校の……友達……なんだ」

「そーか」

 璃紗はそう言うと、静かにトロンプルイユ――加賀玲央と対峙した。

 一方で、玲央はまだ臨戦態勢に入ってはいない。

「ねぇ……玲央」

 だからだろうか。

 場違いだとは分かっていても、自然と悠乃の口が動き出していた。

「れ、玲央……玲央にとってさ」

 嗚咽混じりに問いかける。

 気がつくと、悠乃の目からは涙がこぼれていた。

「玲央にとって……僕って……何?」

 思えば不自然だった。

 なぜ一週間前に決まった旅行先で偶然襲撃されたのか。

 ――悠乃は、玲央に海水浴について話をしていた。

 なぜ悠乃が無関心を装っていたマジカル☆サファイアの話題を執拗に振っていたのか。

 ――悠乃が、マジカル☆サファイアだと知っていたから。

 自分は、友人のことを何も知らなかったのだと――知ってしまった。

 無知を、自覚した。

「悠乃が……何か……か」

 玲央は懐かしむように天井を見上げた。

 そして彼は小さく嗤ったのだった。


「まあ、お友達『だった』んじゃねぇの? 知らねーけど」


 そう玲央は悠乃を突き放すと、手中に作りだした鞘から剣を抜く。

 鏡のように研ぎ澄まされた刀身に悠乃の顔が映った。

 顔をぐしゃぐしゃにして泣いている彼女の姿が。

「ふざ……ふざけるなぁぁぁああああああああああああああああああッ!」

 怒りが沸点を越え、悠乃は子供のように絶叫した。

 悔しい。悔しくてたまらない。

 一人で勝手に友情を感じていた自分が。

 今でも、どこかで友情を信じたい自分が。

 ――馬鹿みたいで、悔しい。


「――――――――――――


 悠乃が静かにそう唱えた。

 そして、彼女の魔力が爆発的に上昇する。

 彼女が放つ魔力の波動が周囲を凍らせてゆく。

「――マジか」

 顔を腕で庇っていた玲央は驚いたようにそう漏らしていた。

 冷気から身を守るために彼が構えていた腕が凍っている。

 悠乃が解き放った魔力は、それだけで一つの技といって良いほどの威力を有していたのだ。

 それだけではない。

 彼女が纏っていた衣装が様変わりしてゆく。

 純白にして潔白。

 花のコサージュが添えられたドレス――ウエディングドレスへと。


「――《氷天華アブソリュートゼロ凍結世界レクイエム》」


 悠乃は花嫁衣装を纏い、友だったはずの男を睨みつける。

 一方で玲央は肩をすくめるだけだ。

 凍っていたはずの腕は、すでに治っている。

「まさか――悠乃の花嫁姿を、こんな形で見ちまうとはな」

「うるさい……」

 悠乃はうつむいたままそう呟いた。

 怒りが心を支配する。

 すでに自分が冷静でないのは分かっている。

 これはきっと――ただの癇癪だ。

 だけど、抑え切れるわけがない。

 この溢れんばかりの激情を。

「こりゃあ……クラスで一番の幸せ者だなオレ」

「黙ってよッッッ!」

 その悠乃の声は呪詛のようでいて、懇願のようでもあった。

 悠乃は感情のままに大雪崩を引き起こす。

 その規模はさっきまでとは桁が違う。


「ほんっと……やりきれねぇわ」


 悠乃が放った氷撃が生み出す轟音で、玲央の声はかき消された。



「おお怖。やっぱ美人が怒ると怖いなぁ」

 玲央は幻術使いでありながら、接近戦の腕も一級品だ。

 それは、

「うるさいッ!」

 悠乃は怒鳴りながら氷剣を一閃する。

 それを大きく飛び退いて躱す玲央。

 さらに氷銃で追撃するが、玲央は軽く剣で弾き飛ばす。

 玲央は余裕の様子だ。


「……もう、美人は否定してくんねーのな」


 そしてどこか彼は物悲しそうに――そんなわけがない!

「そんな顔を……しないでよぉぉッ!」

 悠乃はさらに氷剣を振るう。

 それに呼応するように大量の氷撃が玲央へと殺到する。

 雨のように降り注ぐ氷柱。

 それを間一髪で躱しながら駆け抜ける玲央。

 捉えたと思っても、彼の姿は霧のように消えてゆくだけだ。

「ちっ……生まれつきだぜこの顔は。美人なお袋と糞みてぇな親父から受け継いでんだ」

 玲央は剣で氷柱を破壊すると、そう言い返してくる。

「わりーけど悠乃。お前はもう退場だ。これから先の戦いには――もうお前はいらねぇよ」


「殺しはしねぇから……再起不能になってくれや」


 ついに玲央が攻勢に転じた。

 彼の周りにいくつもの刀剣が展開される。

 あれは幻だ。

 刺されば血が出て、死に至る幻だ。

 それを彼は一斉に射出してきた。

「オレがマジカル☆サファイアのファンって話。アレ、マジなんだぜ?」

 玲央は笑う。

「だから、悠乃の戦闘スタイルは知ってる」

 迫る剣の弾丸。

 それを悠乃は左手の剣で薙ぎ払う。

 斬撃と同時に発生する雪嵐ですべての剣が吹っ飛んだ。

 そこから一切ロスのない動きで右手の銃を構え、撃つ。

 しかし玲央に焦った様子はなかった。

「左手に剣、右手に銃は。剣で守って、銃で精密射撃――そうだろ?」

 正確に氷弾は玲央の眉間を狙う。

 それを玲央は首を傾けるだけで躱した。

 そして彼は走りだす。

 二人の距離が詰まる。

「くっ……」

 悠乃は左右の手にある得物を持ち変えた。

 そして、左手の氷銃を乱射する。

「左手に銃、右手に剣は。銃で牽制して、剣で必殺の一太刀を叩き込むってな」

 玲央の足元を狙った射撃を彼は意に介さない。

 最小限の動きで、最短のルートを踏みしめて悠乃へと接近する。

 すでに間合いは2メートル。

 ここまでくると、もはや剣の間合いだ。

「はぁッ!」

 悠乃は鋭い斬撃を玲央に向けて放った。

 会心の一撃。

 しかしそれを容易く玲央は防いでみせる。

 それどころか手首を返し、悠乃の剣を跳ね上げた。

 剣に引っ張られて悠乃の右腕が持ち上がり、胴ががら空きになる。

 その隙を見逃してもらえるわけもない。

「終わりだぜ」

 玲央の剣が悠乃の胴を薙ぐ軌道で振るわれる。

(これは躱せない)

 だから――

「凍てつけ世界」

 ――時間を、止めた。

 世界が一瞬にして凍りつく。

 悠乃以外のすべてが停滞した世界。

 この瞬間だけは、悠乃だけが超越者となる。

「終わるのは、玲央のほうだ!」

 時間を止めている間は急激に魔力を消耗する。

 それも長く止めれば止めるほど、消耗率は指数関数的に増えてゆく。

 実際のところ、一回の時間停止で止められるのはせいぜい2秒だ。

 だから、その短時間で終わらせる。

 悠乃は左手の氷銃を氷剣へと再構築し、一時的に二刀流の形となる。

「たああああああああああああああああ!」

 悠乃は踊るように連続で斬撃を繰り出す。

 剣舞のようにして放たれる攻撃は着実に玲央の体へと刻み込まれた。

 そして――2秒。

「――世界は氷解する」

 時が、再び歩み始めた。

 それによって玲央は無残な死体をさらし――はしない。

 彼の体は再び霞となって消えた。

「時間が止まっていても、狙う相手を間違えていたら意味がねぇだろ」

「――玲央」

 悠乃の後方6メートルの位置に玲央が現れる。

 どの時点からかは分からない。

 しかし彼は、あの交戦の中で幻術を使って身を隠していたらしい。

「はぁ……さすがに5年前に魔王を倒した力ってのはスゲェな」

 玲央は呆れたように頭を掻く。

「でもなぁ……レディメイドとの戦闘以来、いまだに自分の意志では扱えていないって報告を受けていたんだけどな」

 玲央の言うことは正しい。

 悠乃がMariage――花嫁衣裳を纏ったのは三回だけ。

 先代魔王、魔王グリザイユ、レディメイドと戦った時だけ。

 今でも自分の意志でこの状態になることはできていないのだ。

「――条件を満たしてはいるものの、まだコツを掴めていない状態……か。どうやら、オレの正体が変なスイッチを押しちまったらしい。運悪ぃなぁ」

 玲央は面倒くさそうにため息をついている。

 悠乃はそれが妙に癇に障った。

「はぁッ!」

「おおっと」

 氷剣を振り上げて悠乃は突撃する。

 しかし突進の勢いをも利用した斬撃でさえ、玲央は防いでしまう。

 彼はまだ剣を両手で握ってさえいない。

「――まだやるのか」

「もちろん」

 だけど、問題ない。

 今回は――つばぜり合いをすることこそが目的だったから。

 悠乃は氷剣の峰に左手を添えた。

 そして、告げる。


「《大紅蓮二輪目・紅蓮葬送華》」


 一瞬にして、部屋中が氷に包まれた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る