3章 17話 ピエロは仮面を外さない

「だから、すぐに終わらせる!」

 悠乃は裂帛の気合いを込め、氷剣を振るった。

 吹き荒れる雪嵐。

 振るわれた氷剣の軌道に沿って、大量の氷が放たれた。

 氷撃の奔流がトロンプルイユへと向かう。

「ワオ」

 トロンプルイユはおどけた態度で宙返りをした。

 高く舞い上がった彼の眼下を氷の津波が呑み込んでゆく。

「うーん。思ったよりも攻撃範囲が広いですネ。それに――」


「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!」


 トロンプルイユは顔を上へと向け、上空から落下してくる璃紗を見た。

 彼女は大鎌を振り上げ、最高威力の一撃を叩き込もうとしている。

「連携も申し分ない」

 悠乃の大規模な攻撃でトロンプルイユを空中に追い込み、そこを叩き落とすように璃紗が追撃する。

 この程度の連携に打ち合わせなどいらない。

 悠乃たちが越えてきたのは数多の修羅場。

 今さら、これくらいの気持ちが通じ合わないわけがない。

「っらァァァァ!」

 璃紗は空中で縦回転をしながら大鎌を振り下ろす。

 遠心力をたっぷりと乗せた一撃。

 この一撃はとてつもなく重い。

「仕方ないですねェ。戦闘は苦手なんDEATHが」

 嘆息しつつもトロンプルイユは虚空に手を伸ばす。

 すると彼の手に一本の剣が現れた。

 何の変哲もない両刃の剣。

 他の装いからは想像もつかないほど単純なデザインだ。

 しかし悠乃も伊達に5年前の戦いを経験したわけではない。

 あの剣がかなりの業物である事は一瞬で見抜ける。

 そして、トロンプルイユの剣筋が達人の域にある事も。

「まあ、負けるほどではありまセンが」

「……言うじゃねーか」

 トロンプルイユは危なげなく璃紗の攻撃を防いだ。

 とはいえ足場もない空中だ。

 彼は璃紗の勢いを殺すことはできずに床へと叩き込まれた。

 落下の勢いで氷の欠片がまき散らされる。

「もう一発……!」

 悠乃は天に氷剣を掲げる。

 すると散っていた氷の欠片が氷剣へと収束し、一塊の氷となる。

 そのまま彼女が剣を振り抜けば、氷の津波が再びトロンプルイユを襲う。

 そして氷の津波はトロンプルイユを呑み込むのだった。


「よっと」

 透きとおった津波。

 その一部が割れ、璃紗が飛びだしてくる。

 彼女の魔法は炎。

 なら、氷を防ぐことは可能だ。

 それを勘定に入れ、悠乃は彼女ごとトロンプルイユを攻撃したのだ。

「おー寒ぃ」

 璃紗は体を震わせる。彼女が吐く息は白い。

「どーだ?」

「まだやっては……いないと思う」

 悠乃にも璃紗にも油断はない。

 たった一撃を当てただけで終わる相手とは思ってはいない。

「いやはや。びっくり仰天ですネ」

 そう、思ってはいた。

 だが想像できるだろうか。

背後に――首筋に吐息がかかるほどの近くにまで接近を許しているだなんて。

「「――――!」」

 悠乃と璃紗は反射的に背後へと得物を振るった。

 だがトロンプルイユは両手に剣を持ち、二人の攻撃を容易く受け止めていた。

「接近戦もよー。けっこー強ぇじゃねーか」

 璃紗は苦々しい表情でつぶやいた。

 確かに彼女は後遺症によって両手で大鎌を振るえない。

 しかし、それでなお彼女の攻撃力は悠乃たちの中で最高。

 そんな彼女の攻撃を片手で防ぐとなれば、トロンプルイユのスペックの高さは計り知れない。

 だが――

「はぁッ!」

 悠乃は両手に武器を持っているのだ。

 彼女は素早く受け止められた氷剣による攻撃を諦め、氷弾をトロンプルイユの顔面に撃ち込んだ。

 この接近状態では避けられないはず。

 そう思ったのだが。

『外れデース』

 トロンプルイユの顔へと悠乃の攻撃が着弾すると同時に、彼の体は霧のように消えていった。

『――ワタシの使う幻術には二種類ありマス』

 トロンプルイユの声が聞こえる。

 だが、彼の姿はどこにも見えない。

『一つは個人個人の感覚を操る幻術』

「……どこにいるんだ?」

「分からないよ……」

 悠乃と璃紗は周囲に気を配り続ける。

 だがトロンプルイユの影も形もない。

 彼は悠乃たちに殺気を持っていない。

 だからこそ、悠乃たちにも彼の位置を察知することができずにいるのだ。

『もう一つは、……DEATH』

 突如、部屋の光景が一変した。

 明らかに不自然な景色――ジャングルにだ。

「なるほど。これでこの夢幻回廊とやらは作られていたんだね」

「らしーな」

 悠乃と璃紗は背中合わせになる。

 この空間では、トロンプルイユは王様だ。

 なんでもできる。

 どんな不可思議も起こし得る。

 だから最大限の警戒を――

「きゃっ」

 唐突に悠乃の体が浮き上がる。

 何の前触れもなく悠乃の体に植物のツルのようなものが巻き付いていたのだ。

 どこからか巻き付いてきたのではなく、体に絡みついた状態で出現したのだ。

 予備動作も前兆もなく、すでに攻撃が当たった状態を幻術で実現されてしまう。

 そこに回避という概念が介在する余地は、ない。

「っくそ! こーいう搦め手の敵は苦手なんだよっ」

 どうやら璃紗もすでに拘束されているようで、二人は少しずつ吊り上げられてゆく。

 もがいてもツルは頑丈で簡単には千切れない。

 悠乃たちが手間取っている間にも、彼女の体にまとわりつくツルは増える一方だった。

「ん……ぁ……!」

 体を締め付ける力が増してゆき、ついに悠乃は苦悶の声を抑えきれなくなる。

 首を、腕を、胸を、腰を、股を、足を。

 ツルはこれでもかと悠乃たちの体を絞り上げてくる。

 手足をそれぞれ別方向に引っ張られ、四肢の関節が悲鳴をあげる。

 今や、悠乃と璃紗は空中で大の字に拘束され、嬲りものにされていた。

トロンプルイユは悠乃たちの手足が人形のように外れるまで開放するつもりはないらしい。

「ぅ……ぁぁ……」

『こうやって見ていると、ハムを思い出しますネ』

 体が軋む音が止まらない。

 トロンプルイユの声が聞こえるが、彼の位置を探す余裕もない。

 柔らかい肉に容赦なくツルが食い込んでゆく。

(この幻術空間に留まるのは……マズい)

 このままでは幻術に殺されてしまう。

 そう判断した悠乃は行動に移る。

「っ……ぁぁ!」

 悠乃は魔力を体に纏った。

 そして氷の魔力でツルの一部を凍らせる。

 凍った物体は固くなる。

 固くなり、しなやかさを失う。

 それは――脆くなるというのと同義だ。

「はぁ!」

 力任せに悠乃はツルを千切り、拘束から抜け出した。

 そのまま落下するよりも早く、悠乃は回転しながら璃紗を捕えていたツルをすべて断ち切る。

「璃紗!」

 ここからは重要となるのは悠乃ではなく、璃紗の魔法だ。

 悠乃が呼びかけると、彼女は頷いた。

「お、らァッ! 《炎月》ッ!」

 璃紗の一声で彼女の大鎌の刃が炎に包まれた。

 彼女は空中で大鎌を水平に構えると、その場で一回転する。

 鎌の軌跡を描くように炎が残り、一つの円となる。

「燃えちまえ!」

 次の瞬間、璃紗が空中に残した軌跡を起点として全方位に火炎が放出される。

 狙いも何もない無差別攻撃。

 炎は璃紗の制御さえ離れて思い思いのものを燃やし始める。

『場所が分からないなら、当てずっぽうDEATHか』

「違ぇーよ」

 場所の分からないトロンプルイユに対し、璃紗は余裕の表情で答えた。

 当然だ。

 最初から、

(どこなの……!)

 悠乃は着地すると同時に周囲へと目を凝らす。

 一片の違和感も見過ごさないように。

 燃えてゆく森を観察し続け――

「……見えた!」

 悠乃は不自然な場所を見つけ出した。

(璃紗が放った炎の近くでは陽炎が見えるはず)

 にもかかわらず、璃紗が生み出した炎の近くに陽炎はない。

 しかし、一点だけ。

 そう、一点だけ空間が揺らいでいる。――陽炎が見えていた

(だけど本来、

 それがこの空間で陽炎が見えない理由。

 なら、なぜあそこでは陽炎が見えるのか。

 悠乃は陽炎が発生している一点へと跳んだ。

(だからこの一点。幻術では再現が難しい陽炎が見えているここだけは――)

 幻術空間というものには弱点がある。

 それは簡単だ――単純に作るのが難しい。

 思うがままに空間を作るだけでも難しいし、維持となればもっと難しい。

(――元の、世界なんだ!)

 そうなれば一点くらいは綻びが生じるものだ。

 元の世界が覗いているここが、その綻び。

「やぁ!」

 悠乃は空間の綻びに向かって氷撃を放つ。

 氷剣の動きに従って撃ち出された氷の軌跡は、幻の世界を砕いた。

 まるでガラスが割れるかのように世界へとヒビが入る。

 そのまま悠乃が突っ込めば穴が致命的となり、彼女の体は幻術から解き放たれた。

「ナルホド……。これはお強イ」

 気がつけば、彼女は元の夢幻回廊にいた。

 予想はついていたが、あの綻びは夢幻回廊を崩せるほどに致命的なものではなかったらしい。

(だけど――見つけた)

 だが、悠乃の眼前には驚いた様子のトロンプルイユが佇んでいた。

 幻術を破られたことで、今の彼は無防備だ。

 今なら一撃を食らわせられる。

 そう判断した悠乃は、氷剣を一度引いて力を溜める。

「はぁああああああああああああああああああ!」

 そして、全身をバネのようにして氷剣をトロンプルイユの顔面に突き立てた。

 最高の体勢で放たれた刺突。

 不意を突かれたトロンプルイユがそれを躱せるはずもなく、悠乃の氷剣は彼の仮面へと突き刺さる。

「ああああああああああああああああああああ!」

 悠乃は叫び、さらに氷剣を押し込む。

 仮面のヒビが広がった。

 それでも攻撃の手は緩めない。

 悠乃は地面を強く踏みしめ、全力で氷剣を振り抜いた。

「ッッッ!」

 その威力に耐えかね、トロンプルイユは吹っ飛んでゆく。

 彼は一直線に飛ばされ、壁へと突っ込んだ。

 衝撃で砂煙が上がる。

「はぁ……はぁ……。――君の腕前が……くらいに完成されたものであったことが仇になったね」

 即興で作った幻術空間。

 自然現象が反映されない空間。

 そのクオリティの差が明暗を分けたのだ。

 もしもトロンプルイユが二流であったなら、陽炎の有無で幻術の綻びなど見分けられなかった。

 どっちの空間でも陽炎だなんて不規則なものを再現できないのだから。

 しかしトロンプルイユが作った夢幻回廊は、陽炎をも作りだせるほどの完成度を誇っていた。

 それが逆に利用されてしまい、今に至るというわけだ。

「これで一発だ」

 頭部への一撃。

 仮面があるとはいえ、完全に威力を殺すことなどできない。

 衝撃がある程度仮面を貫通したのは手応えで分かる。

 倒せてはいなくとも、多少のダメージにはなっただろう。

 そう確信してなお、悠乃は氷剣の切っ先を砂煙から外さない。

(これからが本番だ)

 そう悠乃は気を引き締める。

 トロンプルイユは強い。

 悠乃と璃紗が完璧なチームワークで戦ってさえ届くか分からないほどに。

 であれば油断などできない。


「あーあ。


 砂煙の中から声が聞こえてきた。

 だが、違う。トロンプルイユの声ではない。

 口調も、声音も。

 全てが彼と一致しないのだ。

(この声……聞いたことが……)

 同時に、聞き覚えのある声ということもあって悠乃の動きが止まる。

 誰の声か思い出せない。

 いや。思い出したくないのかもしれない。

(これって……)

 もしも、悠乃の記憶に間違いがなければ――

 ――砂煙が、晴れた。

 そこには予想通りトロンプルイユの姿があった。

 しかし、先程の攻撃のせいで彼の仮面は半分割れてしまっている。

 だからこそ、見えてしまったのだ。

 認めたくない……トロンプルイユの素顔が。


「できれば、ここでバレたくはなかったんだけどな? 

 

「なん、で……?」

 悠乃は茫然と呟いていた。

 だって、目の前にいる敵の顔は……見慣れたものだったから。

 

 どこか軽薄そうな雰囲気のあった表情は、今は冷たいものとなっていたが。

 それでも、見覚えがあったのだ。


「顔を見られちまったわけだしな……。それじゃあ、名乗り直すか。……オレは《前衛将軍アバンギャルズ》最強の男。――加賀かが玲央れおだ」


 悠乃と対峙していたのは《怪画カリカチュア》であるトロンプルイユではなく、悠乃のクラスメイトである少年――加賀玲央だった。


「そんな……」


「オレも、こんなところで再会したくはなかったよ」


 玲央の顔を隠す仮面は……泣いていた。

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