3章 16話 魔王の姉と狂ったピエロ

「こんばんは魔法少女諸君。『先代魔王の娘』であり『次期魔王』であり――『残党軍のリーダー』であるキリエ・カリカチュアだよ」


 少女――キリエ・カリカチュアは両腕を広げ、そう宣言した。

 彼女は嬉しそうな笑顔を顔面に張り付けている。

「あー。あれがエレナの姉って奴か……」

「うん。彼女は……強い。気を付けて」

 悠乃は璃紗と言葉を交わす。

 一方でその視線はキリエへと向けられおり、すでに二人は戦闘体勢に移行していた。

 悠乃は氷銃と氷剣を。璃紗は大鎌を構える。

 彼女たちの背後では黒白姉妹もすでに戦いに備えている。

「アハハ……! いやー、よく来たね。うん。本当に。アイツのいやらしい罠をくぐり抜け、よく来たものだよ」

 キリエは三日月のように口元を吊り上げ嗤う。

「本当に良かった。喜びなよ。ここが終着点だ」


「――君たちの人生のね」


 直後、キリエの姿が忽然と消えた。

「「……?」」

 悠乃と璃紗は唐突な出来事に面食らう。

 だが、悠乃は知っていた。

(これは――)

 今日の昼に見たばかりだ。

 キリエが目にも見えないほどの速さで人間を惨殺する光景を。

 だとしたら――

「みんな離れて……!」

 ほとんど勘だった。

 しかし悠乃はそれを信頼し、全力で横に跳んだ。

 それはその後の出来事を見るに正解だったのだろう。

 悠乃が跳び去った場所に、キリエの鉤爪が深々と突き立てられていたという事実がある以上は。

「おや。躱されてしまったね。これは驚いたかもしれない」

 キリエはわずかに目を見開いた。

 どうやら回避されるとは思っていなかったらしい。

 しかしキリエは追撃することもなく、その場で笑った。

 明らかに隙だらけな行動。

 だがそのまま攻勢に転じようと思うには、先程の攻撃はあまりにも驚異的だった。

「「「!」」」

 璃紗、春陽、美月はそれぞれキリエから距離を取った。

 キリエは速すぎる。

 鉤爪という近接武器を使用したインファイトスタイルとはいえ、あの速さがあれば間合いは想像以上に広い。

 彼女を近接戦闘型と決めてかかれば、痛い目に遭うだろう。

「うん。ちゃんと躱せたご褒美だ。次期魔王として、家畜君たちに下賜してあげようじゃないか」

 キリエは再び両手を広げ、笑い声を上げた。

 彼女は軽々と床に刺さっていた鉤爪を持ち上げる。

 身の丈ほどもある鉤爪だ。

 軽いはずがないのだが。

「ここが終着点とは言ったけど、その言葉はそれほど間違ってはいないんだよ。もうトラップ地帯は終わり。ここでアタシを倒し、次の部屋で待つトロンプルイユを倒せば……お姫様が捕らわれた部屋に辿り着くって話さ」

 ――まあ。うん。出来ないんだけどね。

 そうキリエは補足する。

 この部屋には扉がなく、階段があった。

 確かにさっきまでの繰り返しの回廊は終わりを迎えているのだろう。

 キリエの言葉を借りるなら、中ボスであるキリエ、ラスボスであるトロンプルイユを倒させねば薫子を助けられないというわけだ。

「制限時間は25分。うーん。間に合うかなー?」

 そう言ってキリエは悠乃たちを煽る。

 彼女の言うことがどこまで正しいかは分からないが、タイムリミットまでそれほど長くないのは悠乃たちも感じていた。

 トロンプルイユ一人なら何とかなっただろう。

 しかしキリエも戦線に加わっているのなら、時間制限はかなり厳しい。

 それもまた事実。

「問題ないよ」

 悠乃は銃を構えた。

 狙いはもちろんキリエだ。

「そういうピンチは、もう何度も乗り越えた。――5年前にさ」

 悠乃は一息で5発の氷弾を撃ち出した。

 しかしキリエは動かない。

 氷弾が彼女に迫る。

 3メートル。2メートル。1メートル。

 氷弾がキリエの鼻先に迫り、やっと彼女は動き始めた。

 ――キリエの姿がブレる。

 まるで時間が止まったかのように氷弾が置き去りにされる。

(見えた……!)

 だが、今度は違う点がある。

 悠乃はキリエが回避を選ぶと知っていた。

 そして、充分に間合いを取っていた。

 だから彼女が高速で動いても、完全に見失うことはない。

「ふッ!」

 悠乃は横に跳んでキリエの鉤爪を躱した。

 視界の隅で、意外そうな表情をしたキリエが見えた。

 あのスピードだ。二度も回避された経験などなかったのかもしれない。

 悠乃は側転をするようにして地面に触れた。

「《銀世界》!」

 彼女は叫ぶ。

 一瞬で広範囲に広がる冷風。

 刹那と呼ぶべき短時間で、部屋全体が氷の膜に覆われた。

「おっとっと……」

 キリエはわずかに足を滑らせて体勢を崩した。

 凍った床は滑りやすい。当然のことだ。

「君は速い。速いってことは一歩目の踏み込みが力強いという意味だ。でも、こんな滑りやすい床の上では力一杯に地面を蹴ることはできないでしょ?」

「……家畜が」

 恨めしげな表情でキリエは悠乃を睨む。

 その眼光は鋭く、怒りが宿っていた。

 悠乃は部屋を凍らせることで、キリエが全力で動き回れない環境を作った。

 もちろん悠乃たちも全力では動けない。

 しかし、より大きな影響を受けるのは間違いなくキリエだ。

「舐めるなァッ!」

 キリエが悠乃に跳びかかる。

 すさまじい速力だ。

 しかし――

(さっきより遅い……!)

 氷の床によってキリエの速力が削がれている。

 これなら決して対応できないスピードではない。だから悠乃は迎撃を選ぶ。

 悠乃は腰を落とし、氷剣を振り抜いた。

 そのまま鉤爪を受け止め、直後に氷銃を撃ちこむのだ。

「邪魔だッ!」

「なッ!?」

 だが、氷剣は一瞬で鉤爪によって砕かれる。

 ほんのわずかな拮抗さえ許されなかった。

 新聞紙で作った棒を日本刀で斬るかのようにあっさりと切断された。

 悠乃の体へと勢いそのままに鉤爪が迫る。

(しまった……!)

 すでに全力で氷剣を振り抜いており、体の重心が完全に前へと偏っている。

 今からでは鉤爪を躱せない。

「たぁッ!」

 悠乃の決断。

 それは、彼女の足元から天井へと向かい、巨大な氷の柱を作りだすことであった。

 彼女の体が床から押し出され、天井へと吹っ飛ばされる。

 悠乃の下を鉤爪が通過した。

 彼女の体に傷はない。

「……ふぅ」

 悠乃は天井に『着地』すると汗を拭った。

 すでに彼女は足元を凍らせ、天井にはりついている。

 悠乃とキリエ。二人は互いに見上げ合う。

 しかし、キリエが空中まで追撃してくることはなかった。

「よいしょっと」

 悠乃は天井を蹴ると、璃紗たちのいる場所へと降り立った。

「大丈夫か?」

「うん」

 璃紗に悠乃はそう笑い返す。

 強敵だが、絶望的な差ではない。

 そう悠乃は判断していた。

 だが時間が――

「……蒼井さん」

 キリエへと視線を注いでいる悠乃の背後から、美月が声をかけてくる。

「なに?」

 悠乃は振り返ることなく、美月に尋ねた。

 すると美月は一度躊躇ったように言葉を区切り、それでも自らの意見を口にした。

「……蒼井さんたちは、先に進んでください」

「え?」

「彼女の相手は、私と姉さんでします」

 美月が切り出した内容に悠乃は耳を疑う。

 思わずキリエから視線を外し振り返ってしまったくらいだ。

 一方で、彼女の目に飛び込んできた美月の表情は――決意で満たされていた。

 少なくとも、さっきの言葉は冗談などではない。

「もう時間がありません。であれば、蒼井さんと朱美さんは先に進むべきです」

「でも――」

「分かっています。私たちが未熟な事は。だから、彼女を倒そうとは思っていません。精々時間を稼ぐだけです」

 美月はそう語る。

 自分の実力を客観的に判断した上で、自分にできることを選び取ったのだ。

「全員でここにいれば時間が足りない。私と姉さんで先に進んでも、この先にいる相手を突破するのは難しい。なら、二人だけでも敵を倒せる可能性が高い蒼井さんたちが先に進むべきです」

 そう断言する美月。

 彼女の言うことは理にかなっている。

 このままでは時間が足りない。

 それは薄々悠乃も気付いていた。

 心の中では、彼女も美月と同意見なのだ。

「……私たちは時間を稼ぎます。だから蒼井さんと朱美さんは金龍寺さんを助けて……戻ってきてください。そして、彼女を倒せば万事解決です」

「……璃紗」

 悠乃は視線を璃紗へと動かした。

 この作戦はリスクが高い。

 確かに黒白姉妹なら戦闘を長引かせることはできるかもしれない。

 しかしそれにも限度がある。

 悠乃たちの突破が遅くなれば、二人は死んでしまう。

 ――キリエの性格は大体分かってきた。

 彼女が敵を生かして帰してくれるタイプでないのはほぼ確実だ。

 しくじれば、殺される。

 そんな危険な役目を美月と春陽に任せてしまうのか。

 悠乃は決めかねていた。

 そんな思いを込めての視線。

 それを受けた璃紗は――

「ま、いんじゃね?」

 そんな軽い答えを返してきた。

「たださ。マジでヤバそうだったら、アタシたちのことは良いからちゃんと逃げろよ? 死んでもここは~だとかそーいうのは良いからさ」

 璃紗はそう美月に語りかけた。

 黒白姉妹はつい最近魔法少女となったばかりだ。

 そんな彼女に死闘を強いることなどできるはずがない。

 そんなことがあって良いわけがない。

 そう璃紗は考えているのだろう。

「つーわけで行くぞ悠乃」

「…………」

「どーしても心配ならさ。一秒でも早く行って、一秒でも早く戻って来れば良いだけだろ?」

「……そうだね」

 悠乃は同意する。

 璃紗の言う通り、美月と春陽のことを思うのなら一秒でも早く行動するべき場面だ。

 悠乃は両手で頬を思い切り叩いた。

 ジンジンと頬が痛む。

 だが、弱虫な心は追い払えた。

 悠乃は美月へと向き直る。

 そして、


「――すぐに戻って来るから」


 悠乃は璃紗と共に階段を上ってゆくのであった。



「すみません。姉さん。勝手な事を言ってしまって」

 悠乃たちがいなくなった部屋で、美月が最初にしたことは姉への謝罪であった。

 さっきのは美月の独断だ。

 もちろん春陽が拒否すれば再考するつもりではあった。

 だが彼女の意見を聞くことなく悠乃へと提案してしまった。

 その事への謝罪だ。

「良いんだよ。わたしも、ツッキーと同じ気持ちだったから」

 いつものように優しく春陽が笑いかけてきた。

 普段通り、どこか真剣味がないように思える春陽の態度。

 だが双子として育ってきた美月だからこそ分かるのだ。

 春陽は、心の底から覚悟をしていると。

 ここで戦い抜くという覚悟を。

「……ありがとう。姉さん」

「当たり前だよー。だってわたしは、お姉さんだからねー?」


、かぁ……」


 聞こえてきたもう一人の声に、美月たちは視線を動かす。

 声の主はこの部屋に残ったもう一人――キリエだ。

「うん。美しい姉妹愛だ。アタシには、あまり縁がなかったものだなぁ」

 キリエは首を傾け、そう言った。

 顔は笑っている。

 依然として、狂気的な笑みを浮かべている。

 だがどこか目は虚ろだった。

「いや。もしかすると妹ちゃんはアタシのことをそれなりに愛していたのかもしれないなぁ。まあ、うん。それが余計に腹立たしかったんだけど。端的に言うと嫌いだったよ。そういう――

 キリエはぎこちない動きで傾けていた首を戻す。

「とはいえ、ここは戦場だ。ノスタルジィに浸るのは後で良いか」

 キリエは自己解決したようで、満足げな表情になる。

 ついに彼女の視線が美月たちに向けられた。

「あなたは、追いかけなくてよかったんですか」

 美月はそう問いかけた。

 彼女たちの作戦をキリエが妨害しない理由が分からない。

 キリエの速力なら、あの距離からでも悠乃たちの行き先を塞ぐこともできたはずなのだ。

「まあ。うん。些細だからね。遅いか早いかだ」

 キリエの解答はそんな曖昧なものだった。

 彼女にとって美月たちが取る行動などどうでも良いのだろう。

「じゃあ、やろうか」

 キリエは腰を落とし、鉤爪を構えた。

 それを見て、美月たちもいつでも動ける姿勢を取った。

 これからするのは時間稼ぎ。

 キリエを倒す必要はない。

 だが、分かっている。

 

 ――これは、



「やっぱり、キリエさんは適当DEATHねー。二人も逃がしたんですカ」

 悠乃たちが進んだ階段の先。

 そこには想像通り、ピエロ姿の男がいた。

「――アレがトロンプルイユって奴か」

「うん。薫姉を連れていったのはコイツだよ」

「そーかい」

 璃紗は大鎌を肩に担ぐと、トロンプルイユを睨みつけた。

 彼女も肌で感じているのだ。

 目の前にいる男が、すさまじい実力を隠していることを。

 正体不明の敵――トロンプルイユ。

 正確な能力も、《怪画カリカチュア》なのかさえあやふやだ。

 だけど分かる。

 彼は、強い。

 それだけは確かだ。

「――それでは、早速始めまSHOWか?」

「そうだね。僕たちには時間がない」

 悠乃はピエロにそう応える。

 遊びに来たわけではない。

 今もきっと、美月たちはキリエと戦っている。

 なら一秒も無駄にはできない。


「だから、すぐに終わらせる!」


 悠乃は氷剣を振るい、氷の津波を起こした。

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