3章 15話 夢幻回廊3

「え、ええええええええええええええええええええええっっっっ!?」


 穴の中で悠乃の絶叫が響いた。

 彼女たちは底の見えない穴を落下し続けている。

「どこまで落ちるんですかっ!?」

「確かめてみよーか?」

 美月の叫びに春陽は呑気な態度を崩さない。

 春陽は空中で体勢を整えると、指先に光を灯した。

「せいやー」

 間の抜けた掛け声と共に春陽は下に向かって指を振り抜いた。

 すると穴の底めがけて光刃が神速で伸びる。

 そのまま光刃は周囲を照らしながら穴の奥底まで……

 …………………………。

 …………。

「んー。見えないねー」

「……マジですか」

 悠乃はどんどん遠くなる天井を仰いだ。

 春陽の光刃が穴の底を照らし出すことはなかった。

 つまり、この穴に底はない。

 このまま落ちれば死は避けられそうにない。

「しゃーねーな。アタシに掴まってろよッ!」

 璃紗がそう声を上げた。

 悠乃たちはそれぞれ璃紗に向かって手を伸ばす。

 直接璃紗に手が届かないものは、璃紗を掴んでいる人物に掴まる。

 そうして悠乃たちは一つながりとなった。

「おっらァァァァッ!」

 そのことを確認すると、璃紗は全力で大鎌を壁面に突き立てた。

 火花を散らしながら大鎌は壁に傷跡を残す。

 同時に悠乃たちの落下速度が落ち始めた。

 だが、

 大鎌というブレーキに対し、悠乃たち4人分の体重が重すぎるのだ。

 明らかに減速が間に合っていない。

 このままでは止まりきるよりも、脱出不能な深さにまで落ちてしまうほうが早い。

「クソッ。このまんまじゃ、止まらねぇぞ……!」

 璃紗も事態を正確に把握できているようで表情は苦々しい。

「しょうがねぇ……! ぐっそッ……!」

 そして璃紗は左手だけで持っていた大鎌を――

 そうすることで大鎌を掴む力が増し、さらに深く壁へと刺し込める。

 深く突き立てることができれば、ブレーキの効力も増す。

 みるみる減速する悠乃たち。

 だが代償として――

「痛っでぇぇなマジで!」

「璃紗ッ!」

 璃紗の顔が痛みに歪んでいる。

 彼女の右手は本来であれば無茶をさせられる状態ではない。

 小学生の頃に遭った交通事故で右手首には障害が残っており、わずかに歪んで治ったせいか彼女の右手首は負荷に弱い。

 握力も弱ければ、ちょっとした衝撃も激痛に変わる。

 だから本来であれば無理なのだ。

 4人分の体重を支えきるような暴挙など。

「僕だって!」

 悠乃は氷を伸ばす。

 狙うのは二カ所。

 一つは璃紗の右腕。

 彼女の右腕を包むように――ギプスの役目を果たすように帯状の氷が伸びる。

 こうして固定したのなら、璃紗の腕への負担は軽減されるはずだ。

 もう一つは壁面だ。

 悠乃は背中に氷の翼を生やし、それを壁に突き刺した。

 そうすることでブレーキを増やすのだ。

「くっ」

 だが魔法少女としての武器そのものである大鎌と、魔法で作っただけの氷では強度が全然違う。

 氷翼は数秒で砕けてしまった。

 だが悠乃は絶えずに氷を精製し続けることで強度不足を補う。

「それじゃーわたしは!」

 次に行動をしたのは春陽だ。

 彼女は再び地面に向けて光刃を放った。

「今さら底を照らしても意味は――!」

 無意味に思える春陽の行動にそう美月は口にした。

 彼女の魔法は光。

 光を放ったところで反動はない。

 反動がなければ、下に向かって放とうともブレーキとして機能しない。

 確かに、一見すると春陽の行動はなんの役にも立たない。

 しかし――

「ツッキー。ツッキーが見なきゃなのは底じゃなくて――」

 春陽は体を裏返し、上を見た。

「天井だよっ!」

「! そういうことですかッ……!」

 彼女の一言ですべてを美月は理解する。

 自分の為すべきすべてを。

「はあッ!」

 美月が叫ぶ。

 彼女の魔法は影。

 影に潜み、影を武器にする。

 今回、彼女が操った影は悠乃たちの影。

 下から光刃によって照らされて、大鎌から壁へと順々に伝い天井にまで伸びている影だ。

 

 そこから導き出される美月の役目は――

「できましたッ!」

 美月の手には天井まで続く影のロープが握られていた。

 あれを上れば、扉へと再び舞い戻れる。

「こっちも何とかなったよ……」

 一方で悠乃もブレーキが功を奏し、自分たちの落下が完全に止まったことで一息ついた。

「あー……右手がイカれるかと思った」

「璃紗は無茶しすぎ」

「死ぬよかマシだろ」

「まあね」

 無事だったという喜びもあって悠乃は璃紗と苦笑いを浮かべ合う。

 大穴に落ちた時はパニックになりそうだったが、なんとか切り抜けられたらしい。

「私の影では皆を引き上げるだけのパワーがありません。下の人から順番に上っていくしかないと思うんですけど」

 そう美月は切り出した。

 彼女の影は自由度こそ高いが、強度やパワーに不安がある。

 自由に動かせるが、発揮できる力はそれほど大きくない。

 人間4人を一本のロープで引き上げられるような力は、ない。

 だからこそ、彼女は一人ずつロープを伝って上ることを提案したのだろう。

「一番下っていうと……悠乃か」

 璃紗が下を見下ろしてそう言った。

 現在、悠乃たちは美月、璃紗、春陽、悠乃の順番に連なっている。

 璃紗に春陽と美月が掴まり、璃紗に掴まった春陽とつながるように悠乃が手を伸ばしたからこの順番となったのだ。

 その結果、最初に上るのは悠乃の役目となる。

 そうやって一人ずつ上ることで、影ロープへの負担を減らすのだ。

「うん。分かった」

 ここで時間をかければかなりのロスだ。

 悠乃は頷くと、上を向いた。

 そして、気付く。

「……えっと」

 現在、悠乃は春陽の足にしがみついてる状態だ。

 そして見上げれば、見えてしまう。

 ワンピースのような衣装に包まれた春陽の太腿が。

「ふわぁ」

 そんな状況ではないと分かってはいても、恥ずかしいものは恥ずかしいのだ。

 春陽の魔法少女としての衣装は丈が長く、膝あたりまでは隠れている。

 しかし下から見上げることになったことで、普段であれば見えない深淵まで覗き込むことができてしまう。

 色白な肌。

 太いわけでも、細すぎるわけでもないちょうど良い肉付きの足。

 思わず視線が吸い込まれそうになる。

「い、いきます……」

 悠乃は腹を決めた。

 こんな馬鹿みたいな理由で時間を潰すわけにはいかないのだ。

(考えれば難しいことはないんだ……。急いで上れば良いだけ。薫姉のためにも、僕の心の平穏のためにもそれが一番なんだ)

 そう。これは合理的判断なのだ。

「ッ~~」

 悠乃は春陽の体を上り始める。

 重力に抗うため、悠乃は彼女の体にしがみつく。

 顔が太腿と密着する。良い香りがした。

 恥ずかしくて死にそうだ。

 悠乃は念仏を唱えながら春陽の体を着実に上った。

「ふぁ」

「……えーっと。さすがにこれはちょっと恥ずかしいかもー……?」

 二人の顔が急接近する。

 いつかこうなることは分かっていたはずだ。

 悠乃は向かい合う体勢で春陽の体にしがみついていた。

 となれば、同じ高さまで上ればこうなるのは必然だったのだ。

(き、気にしちゃダメだ……)

 悠乃は無心で春陽の体を通過した。

 そのまま一心不乱に上り続け――

「ふにゃ」

 悠乃の頭に何かが当たった。

 柔らかく。それでいて重量感のある物体だ。

(こ、これは……!)

 悠乃の目に映るのは学生服を思わせるシャツだ。

 これは璃紗が魔法少女として纏う衣装。

 位置からして、今の悠乃は彼女の腰辺りにいる。

 向かいあう位置関係。

 ここまでくれば、自分の頭にのしかかっているものが何かくらいは想像がつく。

「い、良いから早くしろって……!」

 頭上から璃紗の少し焦ったような声が聞こえてくる。

 なんとなく彼女が赤面しているのが分かった。

(やっぱりこれ――)

 悠乃は脈打つ心臓が早く鎮まることを祈りながら、璃紗の体にある『丘』を越えてゆく。

 璃紗の体にある一部だけ大きく膨らんだ部分が、悠乃の体が上へと向かうのにあわせ悠乃の顔から腹、そして足へと滑っていった。

「んっ……んぅ」

 二つの山が擦れ、璃紗が甘い声を漏らす。

(へ、変な声出さないでよぉ……)

 普段は女性らしい仕草を見せない彼女がふと見せた女性を感じさせる声。

 ずっと前から知っているはずなのに、ずっと意識してこなかった声。

 それが悠乃の心をかき乱す。

(急いで。急ぐことで忘れるんだ僕っ……!)

 悠乃はさらに先を急ぐ。

 追いかけてくる羞恥心から逃れるために。

 だが追いかけているものにばかり気を付けていては、進行方向への注意がおろそかになる。

 結論から言うと――

「ぁ……ちょっと、ドコに入っているんですかっ……!?」

 気がつくと、悠乃の頭に布がかぶっていた。

 怒ったような、恥じらったような声で美月が抗議してくる。

 美月の魔法少女としての衣装は暗殺者を彷彿とさせる。

 全身を覆う薄い黒いタイツ生地。

 肩にはマント、腰にはスカートが確かにある。

 しかしどちらも不自然なほど丈が短く、申し訳程度にしか体を隠していない布きれのようなものだ。

 だからこそある程度の長さがある春陽や璃紗のスカートと違い、悠乃は頭を突っ込んでしまうまで気がつかなかったのだ。

 ――もっとも、最初から頭上に注意していれば避けられた事故だったのだが。

 ともあれ、前述の通り美月のスカートはかなり短くなっている。

 それに頭を入れてしまっているということは、悠乃の顔が密着してしまっている部位は美月の――

「ご、ごめんなさい、ごめんなさい! そういうつもりじゃなかったのぉ!」

「っひゃぁぁぁ……!? わ、分かっていますから喋らないでください……! 息がっ……とにかく動かないでくださいっ……! っふ……!」

 悠乃がしがみついていた美月の腰がビクリと跳ねる。

 少しでも彼女から逃れようと美月は腰を引くが、しがみつかれていれば離れることがあるはずもない。

 美月の体が小刻みに痙攣し、ぴたりと閉じられていた足が緩むように開いた。

 ロープを握っていた彼女の力が弱まり、数十センチ悠乃たちは下へと滑る。

「すす……すみません……! 力が抜け……! あの……! は、早く上ってください……!」

「は、はいぃ! す、すぐ上るからぁ!」

 悠乃は目前に迫った死の気配に引っ張られるようにしてさらに上を目指すのであった。


 この後も、悠乃が美月の胸を通る際に似たようなやり取りがあったのだが、なんとか彼女たちが奈落の底へと落ちることはなかった。



「っらァ!」

 璃紗が乱暴に扉を殴り抜いた。

 もはや当然のように扉は外れ、次の部屋へと吹っ飛んで行った。

「さっきの扉も最初っから、こうすりゃ良かったんだよな」

 璃紗はそうため息をついた。

 ドアノブをひねったのが罠の起動キーだったのだ。

 であれば、ノブなど無視して破壊すれば良い。

 強引な手段だが、あのトラップを避けるには有効な方法だったかもしれない。

「はぁ……はぁ……」

「あー。ツッキーの大きくなってるー。触って良いー?」

「い、今は本当にやめてください……!」

 悠乃たちの後ろでは美月が胸を隠すようにして春陽から距離を取っていた。

 さっきの事を想い出してこちらまで恥ずかしくなるのでやめて欲しい。

「なんとか無事に切り抜けられたね……」

 悠乃は熱くなった頬を両手で冷ましながらそう言った。

 ――悠乃たちの目の前に広がっていたのは広大な部屋だった。

 先程の部屋よりも大きい。

「ここも、さっきみたいに規模の大きな罠があるのかな?」

「どーだろーな」

 悠乃と璃紗は周囲を警戒する。

 さっきは手痛い目に遭ったのだ。

 再びの大部屋を警戒しないわけがない。

「ただ、違うところもあるみたいだ」

 悠乃は部屋の向こう側を見つめている。

 そこにあるのは、

 そう。これまで無限と思われるほどに繰り返されてきた扉がない。

 代わりにあるのは幅の広い大きな階段だった。

「もしかすると、本当に終わりが近いのかもな」

 璃紗がそう口にする。

 それがキッカケだったのだろうか。

 カツン。

 カツン。

 靴音が響いた。

 石の階段を踏みしめる音だ。


「――まったく、トロンプルイユも嫌な奴だ」

 女の声が聞こえた。

 声が聞こえてくるのは、階段の上からだ。

 やっと足元が悠乃たちにも見えるようになった。

 最初に視界へと飛び込んできたのは黒いブーツだった。

「仮にもをこんな中ボス臭い部屋に配置するだなんてさ」

 声の主の全貌がついに露わになった。

 黒を基調としたロックファッション。

 一見するとフランクにも思える口調で、人間を見下した視線を放つ少女。

 そこにいたのは昼頃にも見かけた少女で、


「こんばんは魔法少女諸君。『先代魔王の娘』であり『次期魔王』であり――『残党軍のリーダー』であるキリエ・カリカチュアだよ」

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