3章 14話 夢幻回廊2

「なんつーか。この雰囲気、病院を思い出すよな」

 カツンカツンと靴音が響く。

 白一色の廊下。

 匂いも人の気配もない。

 潔癖で、どこか無機質にも感じられる世界。

 璃紗がここを病院みたいだと評したのも分かる気がした。

「音も響きますし、居場所はすぐにバレてしまいそうですね」

 美月は周囲を警戒しながらそう呟いた。

 彼女は頻繁に背後を振り返り、いつ来るかも分からない奇襲に備えていた。

「安心していいよ。どうせもうバレてるから」

「そうなんですか?」

「術者は、自分の作った幻術空間の中でのことは完全に把握できているはずだよ」

 悠乃は美月にそう説明した。

 おそらく一歩でも踏み入れた瞬間にすべてが術者には伝わっている。

 人数も、現在地も。

 相手はいくらでも他人を惑わせることができる。

 対して悠乃たちは、一切の虚飾が許されない。

 これが相手のホームで戦うことの難しさだ。

「次の部屋に行こー」

 春陽は小走りで扉に向かう。

 罠が張り巡らされた地雷原にいるという自覚があるとは思えない行動だ。

「姉さん! そんな軽率な行動は――!」

 慌てて美月が春陽を止めようとする。

 しかし、だからこそ彼女は気がついていない。

「オイ美月」

「な、なんですか……!?」

?」

「……はい?」

 ――美月の足元が四角に沈み込んでいることに。

 

「す、すみません……!」

「まー別に良いけどさ」

 璃紗はそう返す。

 ……背後から頭に向かって飛来した矢を片手で掴みながら。

 どうやらトラップが発動し、璃紗を標的として矢が撃ち出されたらしい。

 もっとも悠乃たちの中でも一番反射神経が優れている彼女にとってはなんの脅威も感じないものだったようだが。

「ほ、本当にすみません……」

「だから別に良いけどさ」

 平謝りする美月をよそに、璃紗は矢を投げ捨てた。

 そして――

「あ。悪ぃ……」

「いえ。私が先でしたし……」

 美月はそう璃紗に応える。

 ……鼻先を掠めるように横切った巨大な刃に顔を青ざめさせながら。

 数本の前髪が宙を舞っている。

 あと数センチ前にいれば今ごろ大怪我だっただろう。

 とはいえ、悠乃は彼女の心配をしてなどいなかった。

 正確には心配をする余裕などなかった。


「わわ、わぁ……」


 悠乃は壁際で這いつくばり震えていた。

 彼女の目の前には先程の刃が深々と壁にめり込んでいる。

 悠乃の身に起こった悲劇は二つ。

 一つは、璃紗を標的にした矢が彼女に襲いかかるよりも先に悠乃へと飛んできたこと。

 そのことを察知した時、反射的に悠乃は床に倒れ込むようにして躱したのだ。

 さらに二つ目の悲劇は、直後に発動したギロチントラップ。

 首切りの刃が通過した軌道上に――悠乃の首があったのだ。

 倒れたばかりでまともに動ける体勢にない悠乃。

 それでも必死に首を傾け悠乃は一命をとりとめたのだ。

 あと数センチで耳が削ぎ落されるところだったが。

「「あ……」」

 そのことにやっと気づいたらしい璃紗と美月。

 彼女は涙目になった悠乃を見て固まった。

「……すまん」「すみません」

 二人の謝罪が静かな廊下に響いた。

「あ、あはは……だい、大丈夫、だからぁ……」

 悠乃は顔を盛大に引き攣らせながらそう言うのだった。

 もっとも、大丈夫には見えていないだろうが。


「みんなー。まだ結構続いてるみたいだよー?」


 呑気な春陽の声が聞こえる。

 どうやら彼女は扉を開いたらしい。

 彼女には一切の傷が見受けられない。

 トラップは彼女に対して一度も発動しなかったのだろう。

「お前の姉ちゃんってさ……なんつーか。すげーな色々と」

「……昔から運が良いんですよね」

「んー? どうしたのー?」

 春陽は先程起こったトラップラッシュにも気付いていなかったらしく、明るい笑顔で手を振っていた。

 

 ――これからも、続々と迫りくる罠が春陽に牙をむくことはなかった。



「あークソッ! メンドくせぇ!」

 璃紗は怒鳴り散らしながらドアをけ破った。

 その勢いのままに扉は吹っ飛び、数十メートル先に落下する。

 彼女は青筋を立てて苛立っている。

 ――あの扉を通ると、そこはまさに回廊であった。

 時計回りに巻いた廊下を一周。

 するとそこに扉がある。

 それを越えれば、さらに回廊。

 その先にはさらに扉。回廊。扉。回廊。

 すでに30分はその繰り返しだった。

 しかも、回廊には嫌になるほどのトラップが仕掛けられていた。

 なんとかすべての罠を避け、傷は負っていない。

 しかし心労は話が別だ。

 ずっと気を張っていたがゆえに精神的にはかなり疲れが蓄積している。

 中でも気が短い璃紗がついに沸点を迎えていた。

「大体こういう陰湿な奴が一番メンドくせーんだよ。もう天井ブチ抜いて行こーぜ。それが一番速ぇーだろ」

「璃紗。こういうのは順序を守るのが大切だって分かってるでしょ? 下手なことをしたらペナルティが来るタイプの能力かもしれないんだから」

「……分かってるよ」

 肩を怒らせながらも悠乃の忠告に従って怒りを鎮める璃紗。

 苛立ってはいても、最低限の冷静さは残しているのだ。

「ですが正直に言えば、私も疲れてきました」

 美月は大きく息を吐き、眉間を揉む。

 彼女は最初から最大限の警戒をしてきていた。

 だからこそ多くの罠を回避できた反面、疲れも大きいのだろう。

「少し前から自分でも注意力が落ちてきているのが分かります。罠の見落としも増えてきましたし」

 だがそれも限界が近いらしく、美月は目を何度も開閉させている

 相当に目を酷使してしまっているようだ。

「ツッキー大丈夫ー?」

「……目薬が欲しいです」

「それは持ってないかなー?」

「……今度からは目薬を持ち歩くことにします」

 これから先、最低でもトロンプルイユとの交戦は避けられないだろう。

 であれば、ここで消耗をしすぎるのは良くない。

「氷なら出せるけど? いる?」

「……お願いします」

 悠乃は拳サイズの氷を作ると、美月に渡した。

 すると美月は氷を掴んだまま手袋を裏返し、氷を布で包み込んだ。

 そのまま彼女は氷で自分の目を冷やす。

「おー。衣装に手袋があると便利だねー」

「多分、本来の用途ではないと思いますけど」

 美月はそう返しながらも、天井を見上げる姿勢で目の熱を冷ましている。

 応急処置にもならないが、多少は楽になるだろう。

「……こりゃ休むべきか? さすがにアタシも疲れてきたし、いい加減もうそろそろ馬鹿やらかしそうな自覚があるんだけど」

「タイムリミットが問題だよね……」

(腕時計だけでも持ってきておくべきだったかな……)

 悠乃は誤算に頭を抱えたい気分だった。

 この回廊には時計がない。

 つまり、トロンプルイユが提示した時間制限が分からないのだ。

 今、どれくらいの時間が経過しているのかが分からない。

 罠を警戒しているせいで時間間隔が狂ってゆく。

 どれほどタイムリミットが迫っているか分からないからこそ焦ってゆく。

 完全に術中に嵌まっていた。

(薫姉ならこんなミスしないんだろうなぁ……)

 時間を知る手段。

 この空間に入る前に備えておくべきことだったし、備えることができる程度の問題だったのだ。

 最初に気付けていなかったことを猛省する。

「うーん。あと40分くらいじゃないかなー?」

「……分かるんですか?」

 声を上げる春陽に、美月はそう尋ねた。

 彼女の質問に嬉々として頷く春陽。

「多分! お腹が減ってきたもん!」

「腹時計ですか……」

 嘆息する美月。

「……ただ、わりと正確なのが理不尽なんですよね。姉さんの腹時計」

「えっへん」

 肩を落とす美月に、胸を張る春陽。

 このやり取りから察するに、春陽が予想するタイムリミットはそれなりに信頼できるらしい。

「そうだとしたら……あまりゆっくりはできないよね」

 終わりが見えないのだ。

 今のところ、変わり映えのしない回廊を歩き続けている。

 それだけだ。

 これがいくら続くのかなど悠乃には分からない。

 それこそ夢幻回廊ではなく『無限』回廊なのではないかとさえ思えてくる。

(焦っちゃ駄目なんだろうけど……)

 それでも気が急く。

「私は大丈夫です。だいぶ楽になりました」

 美月は目を冷やしていた氷を床に落とした。

 氷は床にあたると砕け、見えない粒子となる。

「……まー……もう少しの辛抱か」

 璃紗は頭を乱暴に掻き、深呼吸を始めた。

 そしてすぐに落ち着いた顔つきとなる。

「……それじゃあ、行こう」

 悠乃はそう決断する。

 ここに留まっていても、焦った心では充分な休憩とはならないだろう。

 それくらいなら、今の緊張を保ったまま進むべきだと判断したのだ。

 悠乃たちは再び歩みだす。

「それにしても……大部屋か」

 悠乃は呟いた。

 延々と続いた回廊。

 しかし今、悠乃たちの目の前に広がっているのは広大な部屋だ。

 これは終着点なのか、なんらかのチェックポイントか。

 ともかく特別な意味が込められているようにも思える。

「なんかボスキャラとか出てきそうな部屋だな」

 璃紗は周囲を警戒しながらもそんな声を漏らした。

 確かに、唐突に現れた大部屋はゲームであればボスが出現しそうな場所だろう。

「それか特別な罠があるか、ですね」

 美月も警戒を緩めてはいない。

 悠乃たちはトラップに気を配りながらも一直線に次の扉を目指す。

 次はどんな罠が待ち受けているのだろうか。


「……あれ?」


「罠なかったねー?」

 悠乃の決意とは裏腹に、意外なほどすんなりと彼女たちは扉の前に来ていた。

 どうやらこの部屋にトラップはなかったらしい。

「もしかしてセーフエリアみたいなものだったのでしょうか」

「モンスターが出ない部屋みたいな奴かなー?」

「……終わりが近いのかもしれませんね」

 黒白姉妹はそんな事を言いあっていた。

 罠はなかった。しかし悠乃たちの緊張感は増した。

 トラップがないという事実は、トラップ地帯の終わり――真打の登場を意味している可能性があるからだ。

 この扉の先に、トロンプルイユがいる可能性があるのだ。

「……準備は良い?」

 悠乃は首だけで振り返り、みんなの表情を確認する。

「おう」「はい」「大丈夫だよー」

 そう返す面々。

 まだ気迫は衰えてはいない。

 悠乃は彼女たちを見て頷いた。

 意見はまとまった。

「じゃあ行くよ」

 悠乃はドアノブを握った。

 そして勢いよく開く――!

 そのまま突進するように部屋の先に飛び込めば――!


「って、なんでぇッ!?」


 結論から言うと、ドアノブを回しても扉は開かなかった。

 ではドアノブはただの飾りだったのか。

 答えは否だ。

「嘘でしょぉっ!?」

 ドアノブは――

 悠乃が開かない扉にタックルを仕掛けたために顔面を打ちつけたのと同時に――彼女たちが立っていた床が……

「なんなのさぁもぉっ!」

 一瞬の浮遊感。

 しかしギャグマンガのように空中に居座れるわけもなく、悠乃たちは真っ逆さまに落ちていくのだった。


 ――底の見えない大穴へと。

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