3章 13話 夢幻回廊

「…………?」

 薫子が目を覚ました場所。そこはあまりに異常な空間だった。

 まず床しかない。

 壁も、天井も。空さえない。

 ただ気味の悪いマーブル模様の空間が広がっているだけだ。

(いえ。よく見れば、階段がありますね)

 薫子のいる床からは、下へと向かう階段があった。

 光で作られた階段は下へと伸び、扉へと続いていた。

「んー……。ここより下があるということは地獄ではないのでしょうか?」

 最後の記憶を思い返す。

 温泉で悠乃と話していた。

 それからのことだ。

 妙な声が聞こえたと思えば、逃げる間もなく首を締め上げられたのだ。

 魔法少女に変身していなかった薫子に抵抗する術があるわけもなく、あっさりと意識を落とされて今に至る。

「これはあの世でしょうか……?」

 そう呟いてみるも、薫子はすぐに否定する。

「いえ。あの世ではなく、敵が作った幻術空間のようなものでしょうか」

 知り得る情報を総合し、薫子はそう導き出した。

「あの時、敵が現れるまで誰も気付きませんでした。逃げている相手ならともかく、近づいてくる敵の気配を読み損なうとは考えにくいですね」

 薫子たちは5年前。多くの戦いを経験した。

 今さら、油断していたから気配を見落としたというのは考えにくい。

「つまりわたくしを襲った敵が持っている能力は『相手の認識を操作する能力』ですね。それも……最低でも聴覚と触覚は操作できる能力です」

 水音を消し。微妙な波が肌に触れる感覚を消した。

 だからこそ、薫子たちは敵の接近に気がつかなかった。

 そう考えると説明がつく。

「問題は――」

 薫子は左右に視線を向ける。

 現在、彼女は拘束されていた。

 敵の趣味なのか、十字架に磔にされるようにして。

 しかも敵は悪趣味らしく、薫子の体は逆様にされていた。

 人間は逆さ吊りにされた状態を長く続けると体に異常をきたすという。

「これは……人質……しかもタイムリミットを設けた脅迫のネタにされているかもしれません」

 薫子は推測する。

 まず、敵の能力が『幻術』に分類されると仮定。

 であればそのメリット――入念に準備をしておくほど効果が増すという点を利用するべく敵は立ちまわるだろう。

 幻術は急ごしらえのものよりも、じっくりと下準備をしておいたほうが効力――幻術の強制力やリアリティ、あるいはクオリティとでも表現するべきものが向上する傾向にある。

 場合にもよるが、幻術によるトラップを作ることも可能だろう。

 となれば敵は自分から攻めるのではなく、相手から自分の本拠地に呼び込んでくるような戦いを好むはず。

 自分のホームで戦えば、実力を遺憾なく発揮できるのだから。

 であれば重要なのが薫子――人質だ。

 まず人質を取り、悠乃たちがこちらに出向かねばならない動機を作る。

 そしておそらくタイムリミットを設けることで、急がねばならない――トラップを見落としやすくなる状況を作り上げる。

 それが敵にとって理想的なシチュエーション。

 敵が頭の回るタイプなら、それくらいの準備はしているだろう。

「この状況は――くしゅん」

 薫子はくしゃみをした。

「……肌寒いと思ったら、まだ裸でした……」

 彼女は一糸まとわない姿で磔にされていたことに気付く。

 どうやら服を着せてくれるほど紳士的な敵ではないらしい。

「とりあえず――変身しましょうか」

 薫子が変身をすると、彼女の体が衣装に纏われる。

 これで体を隠すことはできた。

 ――重力に従って捲れ上がるスカートを太腿で挟みこむことに腐心するハメにはなったが。

「制限時間は――くらいでしょうか。3時間では長すぎますし、そもそも、それだけ逆様にされていては、わたくしが普通に死にかねませんし。逆に1時間では短すぎて怪しい。焦らせたいという意図が透けて見え、かえって相手を冷静にさせかねませんから」

 それに、少し長い時間があるからこそペースを狂わせやすい。

 2時間という時間を甘く見て最初を慎重に進みすぎれば、最後は余裕など吹き飛ばされることとなる。

 その時になれば、最初から急いでいた『1時間』の場合よりも心理的に追い詰められることとなるだろう。

 敵が提示するであろう条件は大体推測できた。

 当たらずとも遠からず。そんなところのはずだ。

「……なら、わたくしも上手く立ち回る必要がありますね」

 最後まで捕まっていれば、敵が薫子を盾にする可能性は高い。

 前回のギャラリーと違い、今度はそういうことを躊躇うような甘い相手ではない。

 つまり、薫子は自力で脱出する必要がある。

 しかし

 それは難しい。

 理想は自力で脱出し、すぐに悠乃たちと合流してこの空間から一緒に逃げ出してしまう。

 そして、この空間から出た後に幻術使いを討伐することだ。

 そのためにはある程度タイミングを図る必要がある。

 悠乃たちが助けに来て――なお、ある程度この空間の奥にまで進んでいるタイミングを読まねばならない。


「気がつきましたカ」


 薫子が思案していると、目の前から声が振って来た。

 彼女は声の主を追い、『下』へと『見上げ』た。

 そこにいたのはピエロのような姿をした男だった。

「気分はどうDEATHか?」

「……ピエロばっかりで鬱になります」

 反射的にそう薫子が答えると、ピエロは首を傾けた。

 そして彼はしげしげと薫子の顔色を観察する。

「ピエロばかり……? おや、もう視覚に異常が出始めているのDEATHか? そうなるとマズいですね。ワタシの想像よりも体が弱かったのでSHOWか。さすがに、こちらの手落ちでお姫様が死んでは困りマスし、ここは一旦――」

「あ。いえ。ただ、見た目がピエロなあなたと、わたくしでピエロだらけだと思っただけですので。体調は良好です」

「…………あ、ハイ」

「うふふ……軽々しい発言で混乱させてすみません。存在価値だけじゃなくて口まで軽いだなんて。本当にどうしようもないわね」

「いえ。そこまで自分を卑下なさらなくても良いと思いますヨ」

「……ふふ。敵に慰められるなんて、ほんとわたくしって愚図」

「フォローのしがいがねぇ奴だなぁ……………………おっと」

 仮面の向こう側からため息が聞こえた。

 敵にさえ呆れられたらしい。

 鬱である。

「……では、体調に異常はないのですネ」

「多少、頭に血は上っていますが」

「血が上る……フフフ。この場合は血が下がるのでしょうか。頭に血が下がる。奇妙な表現DEATHね」

 そんなシャレでピエロは一人笑う。

 しかし薫子は笑う気分になどなれはしない。

 表情に出しこそしないが、彼女の胸は自分への失望で満ちていた。

 元々、たいして期待はしていなかったが今回は酷すぎる。

 今回の薫子は多かれ少なかれ足手まといだ。

 自分の弱さに苛立ちがつのる。

 そして彼女のテンションは急降下してゆく。

 いっそ自害したいくらいだ。

 もっとも、自害というのは『』に『』にするものだ。

 そうすることで、自分を追いかけてきた味方が傷つくのを防ぐのだ。

 全滅から一人の死へ。

 そうやって戦力のロスを最小限に抑えるのだ。

 言い換えれば、すでに連れ去られた後の薫子が自害しても意味がない。

 自害したところで、それを仲間に気付いてもらう術がないのだから。

 つまり、今の自分は自害さえ許されない。

 なんと無様な事だろうか。

 恥さらしとはまさに自分のことだ。

「うふふ。鬱になってきました」

 そうして薫子に笑顔が戻った。

 どう見ても取り返しのつかない暗すぎる笑顔だったが。

「……うふっ。それにしても綺麗な牢屋ですね。ゴキブリ一匹いません。そういえば、ゴキブリは一匹いれば十匹いると思わなければならないんですよね。わたくしの短所みたいです。『一つ短所を自覚したら、十個あると思え』なるほど納得です。暇ですし、悠乃君たちが来るまで、短所を数えて待ちましょうか。『背が低い』『Aカップ』『縛られていても色気がない』『コミュ障』『面倒くさい』『重い』『うざくて引く』『お手洗いで食事をしたことがある』――」

 流れるように口が動く。

 次々と自分の短所が脳から溢れてくる。

 別に不思議な事ではない。

 自分の特徴を挙げれば、それが短所だ。

 一度言い始めれば興が乗るものだ。

 薫子は軽やかに短所を並べ立てる。

 言うたびに目から光が消えてゆくが気にしない。

「『運動神経が悪い』『唯一の特技が小細工』『陰湿』『根暗』『そもそも根に限らず全部暗い』」


「あのぉ……頼みますから、仲間が来るまでに自殺しないでくださいね」

 そんな彼女を見て、そう呟くピエロがいたという。



「ここの先に……金龍寺さんがいるんですか?」

 温泉にぽっかりと空いた穴。

 空中に発生した渦を美月が覗き込む。

 薫子が浚われてから15分。

 この場には悠乃と氷華だけではなく、璃紗、美月、春陽、エレナ、イワモンが集まっていた。

 薫子を救いだすため、悠乃が皆を呼んだのだ。

「悠乃嬢の見立てでは、敵は幻術使いだったのかね?」

「多分だけど。幻術系の能力を持っていると考えると、説明がつきやすい……と思う」

 悠乃はイワモンの問いに答える。

 とはいえ断言もできなかったのだが。

「正直に言うと、僕も薫姉ほど分析ができるわけじゃないし。100%の自信を持って言い切ることはできないよ」

 悠乃はどちらかというと感覚よりも理屈で戦うタイプだ。

 そういう意味では、勘に頼る面が大きい璃紗とは対極的だ。

 しかし、チーム内で一番分析力に長けていた人物を挙げるとしたら、満場一致で薫子となる。

 悠乃も多少の分析はできる。しかし、薫子ほどのスピードで状況を把握することは難しい。

「薫姉だったら、すぐに相手の能力を予想できていたんだろうけど……」

 悠乃は少し気落ちした声でそう言った。

「薫姉が浚われたっていうのは痛いよ。回復ができるのも、僕たちをチームとして一番上手く扱えるのも薫姉なんだから」

(いっそ――)

 いっそ、連れ去られたのが自分であったら状況はここまで深刻じゃなかったかもしれない。

 そんな事を言いかけて、悠乃は慌てて口をつぐむ。

 少なくとも、今言うべきことではないという自覚があったからだ。

「おー。広いねー?」

 春陽は渦の奥を覗き込んで感嘆の声を上げた。

 彼女の言う通りだ。

 渦から見える世界はかなりの広さを持っているようだった。

 見えるだけで100メートルはある廊下。

 しかも突き当たりには扉があるため、先は長いのだろう。

「これくらいデカい幻術空間が作れるってことは、結構強ぇ相手なんだろーな。しかも、多分トラップがたっぷりなんだろーなこりゃ」

 うんざりした様子の璃紗。

 そう。

 まだ悠乃たちが渦の中に踏み入れていないのはそれが理由だ。

 幻術使いと推定される相手が用意した空間。

 それだけで、あそこが罠だらけなのは簡単に予想がつく。

 だからこそ安易に踏み込めないでいる。

 踏み入れれば、もう一瞬たりとも気を抜けない。

「とはいえ、入らないわけにもいきませんよね?」

「まーな」

 美月の言葉に璃紗は同意する。

 当たり前だ。薫子を見捨てるだなんて最初から考えていない。

 この場にいる誰一人として、だ。

「エレナ。さっきの戦いで分かったことは全部伝えたわけだけど……心当たりはないの?」

「……済まぬ」

 エレナは申し訳なさそうに首を横に振った。

 彼女はかつて魔王として《怪画カリカチュア》を率いていた。

 だからこそ最初に、ピエロ――トロンプルイユの情報を聞こうとしたのだ。

 しかし、彼女が口にしたのは意外にも『知らない』という言葉だった。

「妾の知る限り、かつての魔王軍にトロンプルイユというピエロの姿をした男などいなかった。能力に関しても、これほどの幻術使いは記憶にないのじゃ」

 エレナは魔王として、民である《怪画》は全員把握していたという。

 そんな彼女が知らないということは――

「考えられるのは、――つまり、じゃ」

「残党軍を作るにあたって、戦力補充のために呼び込んだってこと?」

「……うむ」

 エレナは悠乃の言葉を首肯する。

「別にすべての《怪画》が魔王軍に所属しておったわけではない。探せば、実力者が野良に埋もれていた可能性もないとは言えぬ」

「少しでも事前に情報が分かると良かったんだけど……」

 エレナから情報が得られないとなると、トロンプルイユとの戦いは出たとこ勝負となってしまう。

 できれば避けたかったが、分からないものは仕方がない。

「まーゴチャゴチャ言ってても仕方ねーか。なるようにするしかねーだろ」

「わたしも早いほうが良いかなって思うよー」

 しびれを切らして璃紗と春陽がそう切り出した。

 それを横目に美月が嘆息する。

「……感覚派二人はそう言っていますけど」

「まあ、留まってもこれ以上分かることはないか……」

 悠乃は目を閉じる。

 心を落ち着ける。そして、改めて渦の向こう側の世界を見据えた。

「――行こうか」

「おう」「おー」「ですね」

 皆が思い思いの返事をする。

 悠乃は一歩踏み出し――振り返った。

 そこには悲痛な顔をした人物が二人。

 灰原エレナ、速水氷華の二人だ。

「悠乃。妾は――」

 エレナは目を伏せている。

 彼女は《怪画》だ。

 そして、同時に彼女は魔法少女としての素質を持っている。

 彼女は身内に対して情が深い。

 きっと今すぐにでも魔法少女となり薫子を助けたいという気持ちのはずだ。

 しかし、それはかつての仲間と――国民と戦うということでもある。

 だから踏ん切りがつかない。

 友とかつての国民。どちらかを選び取ることができない、

 そんな自分への自己嫌悪に蝕まれているのであろう。

「大丈夫。僕たちが薫姉は連れて帰ってくるから」

 このままではエレナは焦りのままに魔法少女となる決意を固めてしまうかもしれない。

 それはきっと悠乃たちにとって都合の良いことだろう。

 だが、悠乃の心はそれでは駄目なのだと繰り返している。

 

 こんな形でエレナに選択を迫りたくはない。

 だから悠乃は彼女に伝えたのだ。

 焦らなくても良いのだ、と。今回は自分たちだけで解決してみせる、と。

「……うむ」

 渋々ではあるが、エレナは首を縦に振ってくれた。

 きっと納得はしていないだろう。焦燥感は消えていないだろう。

 それでも、無理にでも彼女は悠乃に任せる道を選んでくれた。

「速水さん」

「っ……」

 悠乃は次に氷華へと目を向けた。

 氷華はこの数分でかなり憔悴していた。

 無理もないことだろう。

 この旅行を提案したのも、計画したのも氷華なのだ。

 良かれと思い企画した旅先で薫子が危険な目に遭っている。

 薫子を大切に思うからこそ氷華にとって耐えがたいものだろう。

 実際、先程から彼女は何かを言いたげな素振りを見せていた。

 おそらく、同行を申し出ようとしていたのだろうと悠乃は思う。

 だが、自分では《怪画》と戦えない。

 そんな残酷な事実を客観的に認識できるからこそ、彼女は押し黙っていた。

 ここで自分が固執して時間を浪費すれば、薫子が危険だと理解できるから。

 自分が身を引くことが――

 頭が回るからこそ、その認めたくない現実が分かってしまう。

 ゆえに彼女は感情を押し殺し、何も言わなかった。

 必要なら自害でもしそうな程に追い詰められている彼女に下手な慰めは逆効果だろう。

 だから悠乃は一言だけ告げることにした。

「明日も遊びたいですね。みんなで」

 誰一人欠けることなく明日を迎えよう、と。

 あえて氷華の反応を見ずに、悠乃は渦へと向き直った。

 ――大人の女性として、氷華は自分の弱いところを悠乃たちに見せたくはないだろうから。

「……さて、と」

 悠乃は深呼吸する。

 渦の中心に開いた穴は充分に人間が通れるほどに大きい。

 あそこから先は敵のホームグラウンドだ。

 不利な戦いになるのは確実。

 だが逃げるわけにはいかない。


「――行こうッ……!」


 薫子は、大切な友達だから。

「とーぜんだ」「レッツゴー」「慎重に行きましょう」


 悠乃たちは躊躇うことなく渦へと身を投じた。

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