3章 12話 デスパレート

「コレは――」

 迫る氷柱を前にしてピエロは驚愕する。

 しかしもう遅い。

「回転が――かかっている」

 悠乃が放った氷柱は軌道を曲げ、ピエロのガードをすり抜けた。

「ぅっぐ」

 計4発の氷柱がピエロの両肩両膝に着弾する。

 悠乃が撃つ氷柱は大口径の銃を軽く超える威力がある。

 ゆえにピエロの両手両足が容易く吹っ飛んだ。

 四肢を失った彼は地面を無様に転がる。

「はぁ……はぁ」

 悠乃は惨殺死体となったピエロに注意しつつ、荒い息を整える。

(良かった……)

 表面上は余裕の態度は崩さないよう努めていた。

 だが、さっきの攻撃はかなりのギャンブルだったのだ。

 回転をかけて氷柱をカーブさせる。

 それは良い。

 だが問題は、

 曲げる角度は回転速度で決まる。そして

 つまり、ピエロがどこにいるか、どこなら薫子を避けられるか。

 この二点を誤差なく予測しなければすべてが無駄になる。

 回転が強すぎれば曲がりすぎてピエロに当たらない。

 回転が足りなければ薫子に当たってしまう。

 針の穴を通すような魔力コントロールが要求される曲芸だったのだ。

 だからこそ、成功したことに悠乃は安堵していた。

「……薫姉!」

 悠乃は倒れている薫子を介抱するため温泉から出ようと、温泉の縁に足をかけた。

 その時――

「綺麗な背中をスーっと」

「ひゃぅんっ!?」

 何者かの指が、悠乃の背中をなぞり上げた。

 不意打ちのタイミングで、敏感な部分を撫でられ悠乃は体をのけ反らせる。

 そのせいで体勢を崩し、悠乃は背中から温泉に倒れ込んだ。

 彼女は慌てて水上に向けて手を伸ばす。

 そんな彼女の手が何かに握られた。

 そのまま何かは力強く彼女の体を水中から引き上げる。

「ぶはぁっ……!」


「オハヨーございマス」


「ッ!」

 水面から悠乃が顔を出すと、そこには仮面が待ち構えていた。

 鼻が触れそうな位置で仮面は笑い泣いている。

 ピエロの手は、悠乃の両腕を掴んでいた。

 そう。彼には両手がある。

 

 その腕をもって彼は、悠乃を湯から引きずり出したのだ。

「キャッチ&リリース☆」

「ぅわ……!」

 唐突にピエロは悠乃の体を押す。

 予期しない出来事に彼女はあっさりとバランスを崩し、ピエロに押し倒された。

 上がる水飛沫。

 悠乃の体が再び温泉へと沈めこまれる。

 しかし運良く息を吸い込んだ後だったため、呼吸には余裕がある。

 だが、不利な状況に陥っているのも事実。

(体勢が悪すぎる……!)

 二人の位置関係は上下。

 昔から、戦いにおいては高い位置を陣取ったほうが有利とされている。

 しかも今回は温泉という特殊な戦場だ。

 水中の悠乃。水上で押さえつけるピエロ。

 どちらが有利かなど明白だ。

 さらにいえば、悠乃は仰向けの体勢であり自由に動き回りづらい事も彼女にとって逆風となっていた。

 この状況を文字通りひっくり返さねば呼吸ができない悠乃は敗北してしまう。

 そこまで理解をしたうえで、悠乃は次なる行動へと移ろうとする。

 しかし、先に手を打ったのはピエロのほうだった。

「ぅぶッ……!」

 ピエロの下半身が水に沈み、両足で悠乃の顔を挟み込んだのだ。

 彼の内腿に左右から圧迫され、悠乃の口内にあった空気が一気に排出される。

 それは悠乃に残されていた時間が一気に減ったことを意味する。

 しかしピエロの攻勢は終わらない。

 ピエロは乱暴に悠乃の髪を掴み、股に挟み込んだ悠乃の頭を固定する。

 そのままピエロは体重のままに温泉の底まで沈んでいったのだ。

 そうなれば当然、悠乃の頭はピエロと水底に上下から挟まれることとなる。

 温泉ということもあり大した水深ではない。

 底に体を押し付けられた今でも、持ち上げた足は水上に出る。

 しかし頭だけは例外だ。

 きっちりと固められた頭だけは、どうあがいても底から離れることさえできない。

 確実に悠乃を窒息させるのが狙いなのだろう。

(そっちがそのつもりなら――)

 悠乃はピエロの体を掴む。

 そして、彼の体を端から少しずつ凍らせてゆく。

 このままピエロが逃げなければ、全身凍結で死は避けられない。

 正直、この体勢からの逆転は難しい。

 すでにピエロの拘束は盤石で、覆すには時間が足りない。

 なら相手自身に解放させればいい。

 

(お願いだから――)

 悠乃は心の中で祈った。

 ギリギリだが……間に合わない。

 おそらく、ピエロが芯まで凍りつくよりも、息ができなくなった悠乃が魔法を維持できなくなるほうが早い。

 だからこれは心理戦だ。

 自分が追い込まれていることを悟らせるな。

 ピエロに『このまま続ければ自分が先に死ぬ』と思わせるのだ。

 すでに氷は肩近くにまで登っている。

 自分の命が危機に瀕していることは向こうも理解しているはずなのだ。

(お願いだから――放して……!)

 息が苦しい。

 指先の感覚が薄れてゆく。それでも魔力の操作はやめない。

 あまりに苦しくて、目から力が抜けてゆく。

 睨みつけるような視線は、解放を懇願するものへと変わる。

 ここは余裕を見せ、相手にプレッシャーを与えるのが重要だ。

 それは分かっている。

 だが、体が苦しみから逃げ出したいとピエロに慈悲を乞うのだ。

 それは相手に、悠乃の限界を悟らせる悪手だと分かっていても止められない。

(このままじゃ――)

 なんとか体に残っていた酸素も底を尽き始め、脳機能が落ち始めているのが自分でも分かってしまう。

 意識を保てる時間はもう長くない。

「――――ッ!」

 声が聞こえた。

 水中なので悠乃には聞き取れない。

 しかし、声は振動として水中に伝わっていた。

 声の主は氷華だと悠乃は確信した。

 なぜなら水中の悠乃からは、ピエロの頭にドロップキックを叩き込む氷華の姿が見えていたから。

 ピエロは蹴り飛ばされ、温泉から弾き出される。

 同時に悠乃を戒めていた重みは消え、彼女は全力で起き上がる。

「ぷっはぁッ……!」

 悠乃の顔が水中から出た。

 彼女は存分に空気を吸い込む。

 徐々に体中を酸素が行き渡り、頭痛や脱力感が消えてゆく。

「た、助かりました……ありがとうございます」

 悠乃は氷華に礼を言う。

 氷華は温泉に浸かることなく、ピエロを蹴りつけた反動で床まで戻ってきていた。

 どうやらかなり勢いをつけてのキックだったようだ。

「礼には及びません。やはり、普通の人間では有効打にはならないようですので、私としては申し訳ないくらいです」

 そう氷華は言う。

 当然だ。《怪画》に人間では勝てないからこそ、イワモンは悠乃たちを魔法少女にしたのだ。

 氷華とピエロには隔絶した力の差がある。

 それは種族としての絶対的な差だ。

 それでなお、二度もピエロに攻撃を仕掛けた氷華の胆力こそ異常といえるだろう。

 普通の人間なら逃げるし、逃げきれないほどに恐怖したとしても仕方のない状況なのだ。

 そんな状況でも、悠乃のピンチを救ってくれたことに感謝する。

 ここまでしてくれておいて『申し訳ない』など謙遜がすぎるくらいだ。

 悠乃からするとそんな気持ちなのだが、悠長に話し込んでいて良い場面でもないだろう。

 彼女はピエロへと追撃をするため、指を彼のいた方向へと向け――

 だが――

「…………いない?」

(目……離してないよね?)

 水中から顔を上げた時、悠乃は床に転がるピエロを視認した。

 それからは息を全力で吸い込みながらも、彼から目を離すことはしなかった。

 しかし、事実としてピエロの姿がない。

 今になって『いつのまにか』ピエロがいないことに気がついた。

「――オープニングセレモニーはこれくらいで良いでSHOW」

 ピエロの声が聞こえてきた。

 方向は――左。

「……いつの間に」

 悠乃は苦々しくそう漏らした。

 彼がいつあそこに移動したのか皆目見当もつかない。

(でも……速いって感じじゃなかった)

 彼が悠乃の目で追えない速度で移動した可能性を内心で否定する。

(そもそも、どのタイミングであいつが動き始めたかを僕は覚えていない)

『見えなかった』というより『見落とした』というほうがしっくりくる。

 そう。悠乃はピエロが動く瞬間を見ていたのに、それに気付かず見落としてしまっていたのだ。

(多分アイツの能力は、

 そう推測する。

 視覚を騙されていたのなら、先程までの奇妙な現象にも説明がつく。

 首が落ちても死なない。千切れた手足が戻る。

 タネは簡単だ。

 ――見せられた幻を現実と錯覚していただけ。

 本当は、単純に躱されていただけなのだ。

 悠乃は目を欺かれ、見当違いの場所を攻撃していただけなのだ。

「ではお姫様も確保しましタシ。開演といきまSHOW」

 ピエロは薫子を抱き上げる。

 彼の後ろには黒い渦が浮かんでいた。

 空間に穴を開けたような渦はどこかに続いているようだった。

 どこかは分からない。

 ただ、渦の向こうに景色が見えている。

「遅ればせながら名乗らせていただきマス」

 ピエロはそう言った。

 彼の表情は仮面のせいで読めない。

「ワタシは《前衛将軍アバンギャルズ》が一人。トロンプルイユでございマス。以後、お見知りおきヲ」

 ピエロ――トロンプルイユはそう宣言した。

 《前衛将軍》。

 それは《怪画》の残党軍の中でも最も強い4人のことだ。

 彼の言うことに偽りがないことは、実際に戦った悠乃には分かった。

 確かにあのピエロは――強い。

 もしかすると、他の《前衛将軍》と比べても強いかもしれない。


「それでは続きましてはデスパレートの時間DEATH」


 ピエロは悠乃たちに背を向け、渦へと歩み出す。

 その手には薫子を抱えて。


「制限時間は2時間。それまでにこの――夢幻回廊をクリアしてお姫様を助けまSHOW」


「待って……!」

 悠乃は手を伸ばす。

 しかしトロンプルイユは渦へと向かって跳んだ。

 すると彼は渦に呑まれ、消えてゆくのであった。

 抱いた薫子を連れて。

「そんな……」

「薫子お嬢様……!」

 氷華の声は珍しく震えていた。

 薫子が連れ去られたという事実に動揺しているのだろう。

 それは悠乃も同じ事。

 そして同時に、冷静な部分がこのまま追いかけても意味がないと告げていた。

「急いでみんなを呼ばないと」

 一人ではどうにもならない。


 奴を倒すには、全員の協力が不可欠だ。

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