3章 11話 湯煙に預ける戯言3

「そういえば、みんなはどうしてるの?」

「部屋でババ抜きをしていますよ」

「そういえば春陽がトランプを持って来てたんだっけ?」

「ありがちだからこそ、旅行を楽しんでいる気がしますよね」

 温泉の中。

 悠乃と薫子はそんな他愛もない会話をしていた。

 ちなみに氷華は離れた位置で気配を隠しており、薫子に話題を向けられたときに最低限の返事をするのみだ。

 あくまで氷華は、悠乃と薫子が二人でいる空間を演出するつもりらしい。

「うふふ……旅行を楽しんでいる気がする、ですか。家族旅行はゼロ。去年の修学旅行では楽しむというより楽死たのしんでいたわたくしのいうことに何の説得力がありましょうか。旅行先で自動販売機としか喋らなかったわたくしが、旅行の楽しみを語るだなんてお笑い種です」

「薫姉……戻ってきてよぅ」

 負のスパイラルに捕らわれた薫子を悠乃は涙目で引き戻す。

 あと喋る自動販売機は存在するが、一方的なものなので会話とは呼べないだろう。

 そう思ったが、それを口にすればもっと面倒なことになるのは必定なので悠乃は黙っていた。

「璃紗が、早く悠乃君が戻ってこないかと言っていましたよ」

「それ、僕がババ抜き弱いからだよね?」

「付け加えると、二番目に弱いのが璃紗さんだからですね」

 昔からそうだった。

 そういう心理戦を含むゲームでは、負けるのは決まって悠乃や璃紗だった。

 ちなみに体を使うゲームは璃紗の一人勝ちだった。

 悠乃が勝てるゲームは……あまり多くない。

 強いて言うのなら、運の要素が強いゲームだろうか。

 直感であれば、璃紗と良い勝負だ。

 ――薫子が言うには、ババ抜きでの勝率は高いほうから薫子、美月、春陽、エレナ、璃紗だそうだ。

 美月は薫子と似ているタイプなので読み合いに強い。

 一方で、春陽は勘に頼るものの、その勘が無視できない的中率らしい。

 エレナはポーカーフェイスこそ悪くはないのだが、不器用というか、他のメンバーに比べて読みやすいという。

 残念ながら、薫子ほど相手の心理を汲み取れない悠乃では、彼女の言う意味も実感としては分かりにくいのだが。

 しかし、分かることはある。

 これから部屋に戻ればすぐに自分が最下位に躍り出るだろうということが。

「旅行といえば、なにをするのかな?」

「なるほど。わたくしへの挑戦状ですね。受けて立ちたいところですが、すでに立てないくらい大ダメージを受けました。わたくしには荷が重すぎる質問です」

「そういうつもりじゃないってぇ!」

 何気ない言葉で致命傷を受けている薫子であった。

 悠乃は必死に宥める。

(速水さんが助けてくれない……)

 悠乃はちらりと氷華へと視線を向けた。

 しかし彼女は澄ました表情で目を閉じていた。

 まさに我関せずといった様子だ。

(ん?)

 氷華の口が動く。

「(あとは若い二人で)」

 そう声を出さずに言った。

 氷華はゆっくりと温泉から体を引き上げる。

 その動きは流れるようだった。

 人間の目は、動かないもの、変化のないものを認識し辛い。

 だから機械のように一定の速度を保つ彼女の動きは、人間の警戒網をすり抜けてしまう。

 完全な不動と、まったくブレのない定速の動き。

 この二つが、彼女の気配を消す技術なのだろう。

 実際、最初から視界に捉えていなければ氷華の動きに気付かなかっただろう。

(この人、本当にメイドなの……?)

 氷華が温泉を出ても波紋は広がらない。

 そのまま彼女は薫子の死角に潜り込み、出口へと歩いてゆく。

(って、なんでガン見しちゃってるんだよ僕ッ……!)

 氷華の動きを最後まで追ってしまったことを悠乃は猛省した。

 さっきまでの自分は客観的に見て、裸の女性を凝視していた変態だ。

 自分で自分が恥ずかしい。

「――悠乃君?」

「ふぁっ……!」

 いきなり薫子に声をかけられ、悠乃は飛びあがった。

 完全に氷華に集中していて、薫子が意識から外れていた。

 その間に彼女は復活していたらしい。

「うぅぅ……酷いです」

「ごめんって……」

「わたくしの存在感が酷すぎます……」

「あ、そっちなんだ……」

 薫子の自虐癖はしばらく治りそうにない。

(でも――いつかは来るのかな)

 悠乃は思う。

 そして願う。

(薫姉が自分を責めなくても済む日が)

 薫子は自分を責める。

 事実を事実のままに受け止めてなお、家族を憎まずにいられる自信がないから。

 自分を責めれば、家族への許せない思いを誤魔化せるから。

 だから、彼女が自分を責めなくても良い日が来ることを願う。

 それは本当の意味で、両親のことを彼女が許せた日なのだから。

「ねえ」

「はい?」

「薫姉はさ――」


「お取込み中すみまセ~ン」


 背後から、声が聞こえた。

 跳ねるような軽快な声。

 おどけた口調。

 それなのに、悠乃が感じたのは『恐怖』だった。

 一気に鳥肌が立つ。

(こいつは――!)

 殺気はない。だが、後ろにいるのは敵だ。

 悠乃の本能が確信する。

 彼女は腕を振るい、背後に水を撒きかけて敵の視界を潰しながら跳躍する。

 反射的な行動だったため体勢が崩れてしまうがなんとか空中で姿勢を整え、声の主から数メートルは離れた位置に着水する。

 しかし――

「ぁぐぅ……!」

「ナンパ成功。彼女GETだZE~☆」

「薫姉ッ!」

 敵は薫子を捕えていた。

 当然といえば当然だ。

 悠乃が反応できたのは、姿

 そして、悠乃とは違って女湯に入るにあたり性別の問題がない薫子が、

 普通の人間としての反応速度しかない薫子が逃げられるわけがないのだ。

(判断ミスだった……!)

 あそこは薫子を守らなければならない状況だった。

 突然の出来事に、戦闘時と同じ思考で行動してしまった。

 戦闘時と同じに――各々の対応に『任せて』しまった。

 今の彼女が一人で逃げられる状態でないことは分かり切っていたのに。

 普段であれば下手に手助けはせず、各々の力量を信じても良いだろう。

 実際、そちらのほうがロスなく攻勢に転じることができる。

 これまでの戦いの中で反復し、洗練されたスタイル。

 それが仇になった。

「んん……くぅ……」

 薫子が苦しげに唸る。

 彼女の首は完全に背後から固められており、まともに呼吸ができていない。

 しかも、ただ締め上げられているだけではない。

 敵は体を反らすようにして薫子を持ち上げることで、彼女自身の体重も首を圧迫する力に加わるようにしていた。

 苦悶の声を漏らす薫子の背後で、怪しげな仮面が笑っている。

「――ピエロ?」

 それはまさにピエロのような姿をしていた。

 笑顔と泣き顔が半々になった仮面。

 奇抜な色の服とマント。

 これまでの経験から最も似たものを挙げるのなら、ピエロをおいてほかにない。

「ピエロは悪い子だから、肩まで浸かって10秒数えたりはしないのDEATH」

 水飛沫が上がる。

 ピエロが薫子ごと跳躍し、温泉から脱出したのだ。

 彼はそのまま危なげなく濡れた床に着地する。

「まずヒーラーから狩る。ピエロにあるまじき遊びなしのガチ勝負ですNe」

 薫子の体が正面から見えるように角度を調節するピエロ。

 まるで酸素が足りず衰弱してゆく彼女が見世物であるかのような扱いだ。

「さらにのけ反りまSHOW」

 宣言通りピエロはさらに背後へと反り返る。

 それに連動するように薫子の体も後ろへと折られてゆく。

 そのたびに首をより深く極められ呼吸が困難になる。

 涙と泡のような涎で顔を汚す薫子。

 ついに息が限界に達したのか薫子の体が感電しているかのように跳ね始める。

 そしてそのまま彼女の体からは力が抜け、抵抗しなくなった。

(首の骨が折れた音はしなかった。今なら、まだ助けられる)

 もし首の骨が折られていたら治療手段のない悠乃では彼女を救えない。

 だが、薫子は酸素欠乏により意識を失っただけだ。

 今助けたのなら間に合う。

(だけど……隙がない)

 一見、ピエロの行動はふざけていて隙だらけに見える。

 しかし悠乃は感じていた。

 奴は隙なんて一瞬たりともさらしていない、と。

 むしろ無防備に近づいた悠乃をカウンターで狩ろうとする可能性さえある。

 だから悠乃は手出しができないのだ。

(せめて、ほんの少しでもキッカケがあれば)

 この膠着状態に一石を投じる出来事があれば。

 そう悠乃は願う。

 そしてその願いは聞き届けられた。

「何をして、いるんですかッ……!」

 氷華の声が聞こえた。

 気がつくと彼女はこの場に戻ってきていた。

 温泉の異常を察知して引き返してきたようだ。

 それがこの場では最高の一手だった。

「はぁッ」

 状況を理解し、氷華はピエロを敵と判断したのだろう。

 彼女は素早く桶を掴み、ピエロに投げつけた。

 桶は手裏剣のように回転しながら飛び、ピエロの側頭部に直撃する。

 カポーンという間抜けにも思える音とは裏腹に、ピエロの首が横90度に曲がった。

「クフ……クフフフフ……」

 それでもピエロは笑う。

 彼は首を傾けたまま、自分の頭を両手で掴み――

「ハイ。ボキッとな」

 そのままピエロは、

「「なッ……!」」

 悠乃と氷華は驚愕の声を漏らす。

 確かに首の骨が折れる音がした。聞き間違えるはずがない。

 ピエロは――自殺したのだ。

 それでもピエロは笑みを止めない。

 それだけではない。

 彼の首が千切れ。ゴロリと地面に転がり落ちた。

「――驚きましたカ?」

 ピエロは首だけになってもそう問いかけてくる。

 異常すぎる状況。

 悠乃は顔が引き攣るのを抑えきれない。

 悪趣味なエンターテイメント。

 まともな精神をしているようには思えない。

「イヤァ。びっくりしましたNE」

 ピエロの薄ら笑いが妙に耳に残る。

 悠乃は頬を汗が流れるのを感じた。

 首を失った彼の体が地面に沈み込んで消えてゆく。

 同時に、地面に転がっていた首が浮かび上がった。

「え……?」

 浮かぶ首。それには体が――ついていた。

 首が上昇するのに合わせ、地面から体が生えてくる。

 ――気がおかしくなりそうな光景だ。

 なにが起こっているのかまったく分からない。

 夢でも見ているようだ。

 もっともこれが夢なら、間違いなく悪夢だろう。

 それも、とびきりタチの悪い。

「人体切断マジック。楽しんでいただけマシたカ?」

 クツクツとピエロは笑みを絶やさない。

 その光景があまりにも不気味で、思わず悠乃は後ずさる。

「そして次は――」

 ピエロが下へと視線を向ける。

 そこには失神して仰向けに倒れたままの薫子がいた。

「人体消失マジック――DEATH」

 ピエロの手が薫子に伸ばされる。

「薫姉ッ!」

 悠乃は叫ぶ。

 だがピエロは止まることなく薫子の首を――掴めない。

「――――ヘェ」

 なぜなら、ピエロの全身が凍りついていたからだ。

 彼の体は空気ごと凍結されていた。

 薄皮までしか凍らせることはできなかったが、彼の動きを止めるには充分だ。

「――事前の予想より随分と凍結速度が速いですねェ」

「当たり前だよ」

 本当に当たり前のことだ。

 だって――

?」

「……湯気DEATHネ」

 ここは温泉だ。

 周囲には湯気――水分であふれている。

 氷結の魔法を使う悠乃にとってここまで都合の良い場所はない。

 この場での氷結速度は、普段の倍近くなる。

「ここで僕と戦ったのは、君のミスだ」

 悠乃は温泉の水をすくい上げる。

 彼女の魔法なら空気中の水分を凍らせて攻撃できる。

 だが、水が手元にあったほうがより速い攻撃が可能。

「《氷天華アブソリュートゼロ》」

 悠乃は自らの魔法の名を唱える。

 そして彼女は腕を振るいピエロへと水を投げつけた。

 もちろん水をかけるためなんかではない。

 空中を舞う飛沫。

 それは凍り、鋭利な氷柱へと変貌する。

「はぁぁッ!」

 氷柱は4発。

 そのすべてがピエロを目指して撃ち出されていた。

 それでもピエロは余裕を崩さない。

「ナラ。ナイフ投げに演目変更ですネ☆」

 ピエロは倒れていた薫子を抱き、自分の前面に構えた。

 彼と薫子の体が重なる。

 氷柱が直進すれば、ピエロよりも先に薫子を撃ち抜いてしまうだろう。

(薫姉を人質に……!)

 薫子を盾にされてしまった。

 彼女を傷つけない方法はある。

 撃ち出した氷柱を解除し、水に戻せばいいだけだ。

 それこそがピエロの思惑。

「これで貴方は魔法を解除――」

「僕を――」

 悠乃は拳を握りしめる。

「舐めるなァッ!」

 薫子が盾にされる可能性。

 そんなこと、

「――コレは」

 ピエロの声に初めて驚きが混じる。

 気付いたのだ。

――」

 そう悠乃の氷柱はただ撃ち出しただけではない。

「――

 氷柱は高速で回転している。

 それは本来、氷柱に弾丸のような貫通力を与えるために磨いた技術。

 だが今回は違う。

「はぁぁぁあッ」

 氷柱が命中する直前。

 すべての氷柱がそれぞれ別方向に軌道を変えた。

 それはまるでピッチャーが投げたボールがカーブするかのように。

 今回の氷柱は高速で回転している。

 だからその氷柱は――曲がる。

 ピエロは薫子よりも体が大きい。

 だから彼女を盾にしても全身を守ることは不可能だ。

 なら薫子の陰に隠れていない部位を狙えばいいだけ。

「なッ」

 ピエロは薫子を放し、後方に跳ぶ。

 だが遅い。

 

「いっけぇぇぇぇぇッ!」


 悠乃は裂帛の気合いを込めて叫ぶ。

 そしてそのまま、すべての氷柱がピエロに着弾した。

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