3章 7話 海の風物詩? ナンパ

 炎天下の道。

 蒼井悠乃は額の汗を拭い、アスファルトを踏みしめた。

 サンダル越しでも地面からの熱気を感じられる。

「もうそろそろエレナが来る頃かな?」

 悠乃が目指しているのは近くのバス停であった。

 予定通りに運行しているのであれば、エレナが乗っているバスが来る時間だ。

 そのため彼は――いや、はエレナを迎えに行くことにしたのだ。

「うぅ……もう変身解いちゃ駄目なの……?」

 現在もなお、悠乃は魔法少女の姿のままだった。

 すでに男性用の水着は回収されており、元の姿に戻るに戻れないのだ。

 今戻れば、女性用の水着を着た変態だ。

 そのため仕方なく悠乃は魔法少女のままなのだ。

「――うふふ」

 悠乃は海を横目に笑った。

「こういうのって、本当に久しぶりだなあ」

 友人と一緒に遠出をする。

 そんな経験はここ最近なかったものだ。

 悠乃は本当に親しい人物はほとんどいない。

 別に嫌われていはいない。悠乃も嫌ってはいない。

 ただ誰もが悠乃を遠巻きに見るだけだ。そして悠乃も誰かと親しくなる努力をしようとはしなかった。

 魔法少女としてつながった仲間を除けば、一番親しいのは加賀玲央だろう。

 しかし、彼に心を許してはいても、プライベートでの付き合いはあまりない。

 結局のところ、誰かと積極的に親しくするのが苦手なのだ。

 今の仲間とだって、最初は璃紗や薫子に引っ張られるようにして馴染んでいったのだ。

 そんな悠乃だからこそ、今の仲間は得難く、大切なのだ。

 彼女たちもまた一緒に笑い、幸せを分かち合える。

 それがどれほど素晴らしいことなのか。

 今だからこそ分かることだ。

「このままずっと、平和だったら良いのにね」

 叶わぬ夢と知りながらも、そんな事を言ってしまう。

 これから戦いは激化してゆくことだろう。

 もしかすると、みんなと一緒にはいられないかもしれない。

 だから、戦いがなかったら良いと思ってしまう。

 誰も欠けることがないようにと祈ってしまう。


「――ぁぅ」

 海を見ながら歩いていたせいだろう。

 悠乃は顔から何かにぶつかった。

 不意打ちの衝撃に彼女は後ずさり、鼻を押さえた。

「すみません……。ちょっとよそ見をしていて……大丈夫でしたか?」

 接触した時の感触からして、ぶつかった相手は人間だ。

 鼻に手を伸ばしながらも、悠乃は謝罪を口にした。

 思い切り鼻の頭をぶつけたので視界が涙で滲み、目の前の人物の顔が見えない。

 彼女が眼前の人物をきちんと把握できるようになるまで数秒の時間を要した。

「……ふぇ」

 視界が回復した時、悠乃は天を仰ぎたい気持ちになった。

 目の前にいたのはガラの悪そうな男たちであった。

 全体的に軽薄そうな男たちだ。

(なんでこういう人たちによく会うのかなぁ……?)

 多分、悠乃は運が良いほうではないのだろう。

(い、いや……見た目で人を判断するのは――)

 悠乃はそう思い直す。

 目の前にいる男性たち。

 お世辞にも真面目な紳士には見えない。

 だが、それは所詮外観である。

 もしかすると心の中は美しいかもしれないのだ。


「おっ。可愛い娘発見~」


(うん。やっぱり駄目だった)

 もっとも、容姿に本人の気質が滲みだすことも多いのだが。

 悠乃の表情が死んだ。

 どうやら彼らは紳士ではなさそうだった。

「ぼ、僕はおと――」

 僕は男ですから。

 悲しいことに、ある意味で言い慣れてしまった言葉を口にしかけ――やめた。

(よく考えたら、今の僕って客観的に女の子だ……!)

 普段から彼女は女の子に間違われることが多い。

 しかし、今回に限っては彼らの目に狂いはなかった。

 本当に、今の悠乃の体は女性なのだから。

 さすがにこの姿が魔法少女に変身しているからなのだと見抜けというのは酷だろう。そもそも見抜かれても困る。

「ねえ。もしかして一人なのかなー?」

「男といたらこんなとこに一人でいないでしょ」

「シゲ頭良いー。名探偵だねこりゃ」

 男たちが口々に話しかけてくる。

 ――すでに悠乃の頭はショート寸前であった。

 蒼井悠乃は男性が苦手だ。

 女性が得意かといわれると否定せざるを得ないが、男性に比べれば女性のほうが抵抗なく馴染むことができる。

 そうなった原因は、繰り返されてきた男性からの愛の告白だ。

 告白とまではいかなくとも、このようなナンパに出くわすことは珍しくなく、そのたびに悠乃は男性が苦手になっていった。

 つまり、目の前にいる男たちのようなタイプが、悠乃の最も苦手とする人種なのだ。

(今は魔法少女だし……めったなことは出来ないよなぁ)

 魔法少女は基本的に人間離れした力を持つ。

 それは魔法に限らず、身体能力も含めての話だ。

 たとえば悠乃が強引に男たちを引き剥がそうと彼らを突き飛ばせば、彼らは数十メートル先で砂浜に埋まることとなるだろう。

 ――もちろん重傷で。

 目の前の男たちは確かに苦手なタイプだ。

 だからといって決して害したいわけではないのだ。

 となれば穏便に済ませる必要があるのだが……。

(璃紗がいれば追い払ってくれるのになぁ)

 ふと赤髪の友人を思い出す。

 彼女なら眼光一つで彼らを追っ払ってくれることだろう。

 しかしこの場に彼女はいない。

「でさー。ちょっと話聞いてる?」

「ひぅ」

 男の一人が悠乃の肩を掴んだ。

 突然のことに彼女は体を震わせる。

(あ、危なかったぁ……。手で振り払うところだったぁ……!)

 実際にしていたら、男の腕は関節が増えていたことだろう。

 今の悠乃は力が強すぎて、安易に抵抗できない。

 もっとも、男性としての悠乃は弱すぎて全力で抵抗しても効果がないのだが。

 端的に言うと、嵐が過ぎるのを待つしかない状況だ。

(早く終わらないかなぁ……)

 悠乃は顔を伏せ、男たちの声を聞き流していた。

 だが、その間にも男たちのテンションは上がってゆく。

 もしかすると、強く抵抗しない都合の良い相手と思われたのかもしれない。

(どうしよ……。もうすぐエレナも来るし、それまでにはどうにかしなきゃ……)

 海に来て一番にすることがナンパ男の対応となってはエレナに申し訳ない。

 ならば、すぐに行動するしかない。

 悠乃は意を決し、口を開く。

「あの――」


「あー。


「……え?」

 軽快な声が聞こえた。

 言葉を遮られる形になった悠乃は声の主のいる方向へと顔を向ける。

 そこにいたのは一人の少女だった。

「会いたかったよ。マジカ――えっと、悠乃君」

 少女はどこか馴れ馴れしい態度で悠乃へと歩み寄ってきた。

 髑髏や十字架などのロックファッションが特徴の女の子だった。

 夏だというのにジャケットを羽織るなど、海に来るにはあまりに不釣り合いな服装だ。

(どこかで見たことがあるような……)

 悠乃は彼女の姿を見て、妙な引っ掛かりを覚えていた。

 既視感はある。しかし、美人ということもあり一度見たら簡単には忘れなさそうなくらいには印象が強い少女だ。

 それでもよく覚えていないということは、余程なにか切羽詰まった事情がある状況で出会ったのか。

 ともかく悠乃の名前を知っている以上は完全な他人ということはないだろう。

 何より、ナンパを躱すにはちょうど良いタイミングだ。

「こ、こんにちはー。ひ、久しぶりですねー?」

 正直、相手のことが思い出せていないので微妙な対応になる悠乃。

「おやおや。覚えていてくれたのかい。ほんの数分のことだったから、もう忘れられてしまったかと思ったよ」

 クツクツと笑う少女。

 どうやらそれほど親しかったわけでもなさそうだ。

 となれば、悠乃の名前を知っていた理由が気にかかるのだが。

「まったく。胡散臭いけれど、アイツの情報は正確だね。だから君と出会えた」

 誰に聞かせるでもなく勝手にそんなことを喋る少女。

 どうやら誰かに聞いてここに来たらしい。

(そういえば……あの服は見覚えがある気が――)

 悠乃の中で少女の記憶が掘り起こされ始める。

 彼女と会ったのはここ最近で――

「ねー君。この子の友達? オレ、この子とお喋りしちゃってるんだけど?」

「ていうか、君も可愛いね。どっちかっつーと綺麗系?」

「一緒に遊んじゃう?」

 少女の容姿が優れていることに気付いたのだろう。

 ナンパ男たちは少女も標的に加えた。

 口々に話しかける男たち。

 しかし――

「水着かー。あー、なるほどね。ここは海だったんだね。残念ながら水着は持ってきてないなー。これは参ったね」

 そう言って少女は面白そうに笑う。

 だがその言葉も、視線も、仕草もすべてが悠乃に向けられたものだ。

 周囲を囲む男達には目もくれない。

 それこそ存在などしていないかのように無視し続けていた。

「ちょっと君さ――」

「んー。でも悠乃君って……あれ? 最初に聞いていた話と違うな。確か本当は男だって――」

「オイ。お前さぁ……!」

 最初は親しげに話しかけていた男たちに苛立ちが見え始める。

 悠乃のように黙り込んでいたのとは違う。

 少女が、明らかにわざと無視しているのが分かったからだ。

「ったく、いつまでムシしてんだよッ」

 我慢の限界だったのだろう。

 怒声を上げた男がした行動は普通では考えられないものだった。

 男は、少女が自分たちを無視しているのを良いことに彼女の脇から腕を差し込み羽交い絞めにした。

 少女は女性の平均よりも背が高い。

 だが男たちに比べれば小柄で、羽交い絞めにされたことで足が地面から離れる。

「……おや」

 ここで初めて少女が男たちに対して反応らしきものを見せた。

 それも一言限りだったが。

 しかしやっと少女が無視をやめたのも事実。

 それをきっかけに、男たちの行動はエスカレートする。

「君さぁ、俺たちと遊ばない? 遊ぶよなぁ?」

「――――」

 少女は無表情のまま沈黙を貫いていた。

「ちょっと――」


「あのさァーあ?」


 悠乃が止めに入ろうとした時、少女の気配が一変する。

 全身を切り刻まれるような感覚――殺気だ。

 それも『気迫』だなんてお遊戯みたいなものではない、実際に『殺し』をやったことのない人物には到底出せないものだ。

(思い出した……!)

 その殺気を受け、悠乃は彼女の正体を思い出す。

 思い出せないはずだ。

 本来なら、こんなに親しげに話しかけられるはずのない関係なのだから。

 次に会うとしたら、この殺気を纏った状態で対峙しなければないはずの関係だったのだから。

(マズい……!)

 悠乃は止めに入ろうとする。

 男を止めるためではなく、少女を止めるために。

 守るべきは少女ではない。

 この場で、最も危険なのは――


「お前が触れて良いような体じゃねぇンだよ家畜が」


 ――この少女だ。


 直後、彼女を拘束していた男たちが……血霞となって消えた。

「ったく……王の御前だぞ。弁えろよ家畜共」


 少女――《前衛将軍アバンギャルズ》キリエ・カリカチュアは殺人への忌避感など一切見せることなく、不機嫌そうに舌打ちをするのであった。

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