3章 6話 一方その頃のグリザイユ
夏の激しい日差しの中、バスは走っていた。
海沿いの道を走っているせいだろう。
開いた窓から潮の香りが流れ込んでくる。
この海は穴場らしく、人の数が少ない。
それでも聞こえてくる声は楽しげで、自然と気持ちが良くなってくる。
「して、リザ嬢。考えてみた結果はどうなのかね?」
灰色の少女――グリザイユ・カリカチュア――灰原エレナが車窓から海を眺めていると、隣からそんな声が聞こえてきた。
「まったく……休暇じゃというのに風情がないのぅ」
エレナはため息をつき、隣の席に立つ毛玉へと視線を向けた。
そこにいたのは白猫だ。
もっとも、だらしなく腹は膨らんでおり、どことなく中年感が漂う残念な猫なのだが。
とはいえ、彼はただの猫にはあらず。
魔法少女の使い魔にして、5年前にグリザイユの世界侵攻を阻んでみせた救世主たちの一人――イワモンである。
今では見る影もないが。
「残念ながら、大人には夏休みなどないのだよ。つまり、朕は業務中なのだ」
「妾の勧誘は業務の一環というわけかの」
「然り」
イワモンの言い分に、エレナは呆れたように首を振った。
勧誘。
それは、エレナに魔法少女となることを求めることだ。
かつて世界を危機に陥れた魔王を、救世主たる魔法少女に。
それはできの悪いコメディのみたいで、客観的に見てお笑い草だろう。
しかし、イワモンは本気のようだった。
実際、彼からこの勧誘を受けるのは初めてではない。
「まったく大人が夏休みではなくとも、子供は夏休みなのじゃ。素直に楽しませて欲しいものじゃの」
「ふむ。子供が子供でいられる世界。それは争いのない平和な世界と相場が決まっている。とても好ましいと思うが、そんな世界が今壊れようとしているのだ。そうならないために最善を尽くすのが大人の仕事であることも理解して欲しいのだよ」
「詭弁じゃの」
イワモンの言葉を一蹴する。
エレナは――グリザイユは一時期とはいえ王として民を導いてきた。
だからこそ分かるのだ。
「お主は、
「…………痛いところを突いてくるのだね」
エレナは横目でイワモンを睨む。
なんとなくだが、分かるのだ。
彼が、世界の平和など別に望んでいないことなど。
彼の思惑が別の所にある事など。
それらしい大義をとりあえず掲げただけの者など、何度も見てきたから。
「確かに、今の朕にとって世界の平和など些事なのだよ。正直、この世界は朕にとって故郷でも何でもないのだからね。昔ほど正義感には燃えられないのだよ」
「うぬ? 使い魔には使い魔の世界があるのかの?」
「そうだ。君たちに君たちの世界があるように、朕たち魔法生物にも帰るべき世界があるのだよ」
実を言うと、エレナはイワモンについて詳しくは知らない。
精々、彼が悠乃たちの使い魔であったことくらいだ。
魔法少女としての力を彼らに与え、世界を救えばその力を回収する。
考えれば考えるほど、この世界の道理に沿わない力だ。
確かに、人間よりも彼らは《
であれば、どこかに彼らの世界があるのも頷ける。
「なるほどの。なら、なぜお主はこの世界を守るのじゃ?」
「その行動に賃金が支払われる以上、相応の責任が発生するからなのだよ。それに朕の世界とこの世界には密接なつながりがある。義憤にかられることこそないが最低限のバランスを保つ努力は当然なのだよ」
おそらくイワモンたちにとっても、人間を脅かす存在は邪魔なのだろう。
感情的な話ではなく、現実的な問題として。
「しかし国民に戦わせてまで人間を守りたくはない。そう考えた『上』は、上手いこと人間の文化になぞらえた力を現地の人間に与え、自力救済を促したのだ」
「それこそ初めて聞く話じゃの」
……それではまるで、代理戦争だ。
魔法生物の傀儡として、悠乃たちは《怪画》と戦うのか。
そう思えば、わずかにエレナの口調も咎めるようなものとなる。
彼らは――大切な友人だから。
それを察したのか、イワモンは肩をすくめた。
「5年前の朕は下っ端で、そのあたりの事情に疎かった。今は――わざわざ語って聞かせる必要はないと判断した。この戦いが人間のためになるという事実に間違いはないのだからね」
彼の言うことも一理ある。
もしも彼らが力を与えなくても、人間は《怪画》と戦わねばならない。
魔力のない人間は兵器に頼り、多くの者が命を散らすだろう。
であれば、善意の上ではない上っ面だけの協力でも人間には必要なのだ。
「合理的になったものじゃのう。5年前はもっと熱い男であったと思うたのじゃが」
エレナがイワモンを直接見たのは、最終決戦の際だけだ。
しかし、その短時間でも分かるほど、かつての彼は正義を胸に戦っていたように見えた。
「熱さに任せて仕事をする者は、優秀な企業人とは言えないのだよ。立派な企業人となった今、考えているのはリスク&リターンだ」
こともなげにイワモンはそう言った。
そして彼は座席の上で立ち上がる。
「さてと、ここらでサラリーマンらしく商談といこうじゃないか」
イワモンはそう言うと笑った。
「リザ嬢。実を言うとだね、この魔法少女契約には、リザ嬢だけのメリットが存在するのだよ」
「……それが事実かはともかく、そう言われると嘘臭いの」
~だけ、というのは交渉の常套手段だ。
君だけは特別だ。君にだけは売ろう。こんなに安いのは今だけだ。
そんな誘い文句はなかなか信用できない。
「端的に言えばだね……君が魔法少女になれば――
「ぬ?」
聞き捨てならない言葉が聞こえてきた。
寿命。
それはエレナにとって切実なものだ。
《怪画》は人間を食らう。
しかし、今のエレナは一人たりとも食っていない。
それは、彼女が人間として生きてゆくという覚悟の現れだ。
だが、それだけで終わるほど単純な問題ではない。
人間――食料を食らわねばどうなるか。
――待つのは死だ。
人を食らわぬと決めた瞬間から、エレナは飢餓に襲われ続けている。
彼女はあと数年も経てば……餓死する。
それを彼女は望んだのだ。
それでも、自分は人間として生きてゆきたいと。
だが、イワモンは言った。
その問題は解決できる、と。
「どういう意味じゃ?」
確かに受け入れた。
しかし、可能であるのならば長く生きたいと思うのも事実。
自分を育ててくれた老夫婦と添い遂げたい。
人間を食らわなくなったことで、エレナの体は成長が止まってしまっている。
気にしていないつもりでも、ふと気になることがあるのだ。
この成長しない体は、彼らと自分が違う生き物であることだという事実を叩きつけてくる。
――あの夫婦に、自分が成長してゆく過程を見せたい。
ワガママだと思ってはいても、そんな欲求が顔を出す。
「理屈で考えたまえ。なぜ、
「は?」
あんまりな質問だろう。
別に貶める意志はないのだろうが、かなり不躾な問いかけだ。
「君の寿命とやらは、結局は人間を食わないことによる
「…………」
「人間だって、食事をせずとも点滴で生きられる。似たようなものだ」
イワモンはそう断言した。
彼は自分の言っていることに絶対の自信があるらしい。
「魔法少女のクリスタルは、
(……理屈は通るの)
エレナはイワモンの話を吟味する。
彼の言うことは理解できる。
おそらく彼の言う通り、魔法少女となれば寿命の問題はクリアできる。
「魅力的な話じゃの。だが、それは妾が勧誘を受ける理由にはならぬ」
だがその提案を、エレナは蹴る。
「それは所詮、妾の事情じゃ。そんな欲のために、戦うというのは――違うのではないのかの……」
エレナは悠乃たちとはまた違う事情を持つ。
彼女は元はといえば《怪画》だ。
つまり、魔法少女となればかつての仲間を討つことになる。
大切な人を守るためなら。そう思った。
だが、自分の命惜しさに戦うなど、彼女の矜持が許さない。
「難しいものだね。自分のために生きられないという性分は、君の美徳であるとともに――周囲の人間を不安にさせてしまうことだろう」
「……ギャラリーにも、似たような事を言われたの」
全てを背負う生き方は、時に周囲の人間を不安にさせる。
それでも、そういう生き方を変えられない。
本質的に、エレナは不器用なのだ。
「ああ。先に言っておくが、君の義妹さんを魔法少女にすることは不可能だということは承知しておいてくれたまえ。あくまで、君が人間として生きようとしている――その覚悟を理由に上を説得したんだ。現在進行形で人間の敵となっている彼女は適用外だ」
イワモンがそう付け加えた。
(まるで妾の心を先読みでもしたかのような行動の速さじゃの)
エレナは心の中でため息をつく。
先程の説明を聞いて、少しだけ邪念が湧いたのだ。
ギャラリー。エレナの妹分である《怪画》。
もしも彼女を魔法少女にして、食事の必要性がなくなったのなら。
彼女と共に暮らすこともできるのではないか、と。
多分、上手くいくだろう。
ギャラリーはエレナの影響を大きく受けている。
彼女は人間を食料としてしか見ていないが、同時に人間を虐げるような思想を持ってはいない。
そして彼女はエレナと一緒にいることを望んでくれている。
イワモンの話が事実なら、彼女を仲間に引き入れることも可能なのではないかと思ったのだ。
あとは、自分が食欲を我慢すれば丸く収まる。そう思ってしまった。
「それもそうじゃの。元々、妾をスカウトすることそのものがかなりの奇策じゃ。これ以上は望めぬか」
「そういうことだね。正直、君を勧誘することも朕としてはかなりリスキーなのだよ。もしも残党軍の戦力がこれほどでなければ、間違いなく選ばなかった手段だ」
イワモンは腕を組んでそう言った。
「それで――」
イワモンが何かを言いかけた時、バスがスピードを緩めた。
体が前に引かれる感覚。そして、数瞬後には座席へと彼女たちの体が引き戻される。
「どうやら、目的地に着いたようじゃの」
「ふむ。どうやらタイムアップらしい。リザ嬢は、悠乃嬢たちと親睦を深めてくると良い」
「お主は来ぬのか?」
エレナが座席を立つが、イワモンは動かない。
もっとも、窓さえ開いていれば彼がいつでもバスから飛び出せるのだろうが。
「いや。朕は他の魔法少女に会いに行く」
「? 魔法少女が他におるのか?」
イワモンの言葉に疑問を持つエレナ。
それに対するイワモンの表情は――いやらしい笑みだった。
「ああ。朕のチンを膨らませる魔法を使う少女――もしくは女性たちがここには山ほどいる。ここは海だがね」
「――――そ……そうか」
(……反応に困るのぅ)
エレナも王だ。
いずれは世継ぎも――と考えたこともある。
しかし、こういう話は実を言うと少し苦手だった。
平静を装ってはいるが、少し顔が赤くなる。
「あわよくば、夜には魔法のホテルに行きたいのだがね。ぐふ……」
「わ、妾は行ってくる……!」
これ以上聞いていてはいけないような気がしたエレナは、走るようにしてバスから降りた。
もし魔法少女になれば、このセクハラにさらされるのかと思うと気が重い。
☆
「うむ。朕もイッてくるとしようか」
誰も乗っていないバスの中。
イワモンは運転手にバレないよう、静かに窓を開ける。
心地よい風が舞い込んでくる。
「――良い風だ」
白い毛を揺らし、イワモンは呟いた。
窓からは白い砂浜と青い海。――綺麗な水着の女性たちが見える。
壮観だ。そうイワモンは笑う。
「世界を救った魔法少女の復活。死んでいたはずの魔王の復活。くく……これ以上ない滅びの予兆なのだよ。朕が――私が考えねばならないのは世界の終末の演出。そして、それをいかに華々しく救うかなのだ。滅ぼしはしない。だが、私の野望のためにも世界には危機が迫ったフリをしてもらわねばな」
イワモンは大きく息を吐いた。
彼の雰囲気が一変する。
彼が変貌した後、そこにいたのは――ただのスケベなおっさんだった。
見た目は変わっていないが、表情の緩み具合が別格だ。
「そのためにも、今は仕事を忘れて少しスッキリしてくるとしようか」
イワモンは腹を叩く。
膨らんだ腹がたゆんと波打つ。
彼は口元を吊り上げ、獲物を狩る虎のごとき眼光を放つ。
「では、海で山登りをするとしようじゃないか」
イワモンは窓から飛び立った。
「もっとも――登るのは美女の山だがね」
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