3章 5話 海の風物詩、浜辺のビーナス

「海……初めて来ました」

 黒髪の少女――黒白美月はそう呟いた。

 彼女の瞳はメガネ越しに広大な海を捉えている。

「……海は不衛生なイメージがありましたから。でも実際に見てみると、案外気持ちが昂るものですね」

 美月が着用しているのは黒いビキニであった。

 とはいえ、上半身はパーカーを羽織り、下半身はパレオによって隠れていることによって総合的に見ると露出はそれほど多くない。

「うんうん。わたしも初めてでビックリだよー」

 そんな美月の隣で、白い少女は興味津々に海を眺めている。

 腰まである絹糸のような白髪。

 雪のように白い肌。

 美月とは対照的な色の髪でありながら、彼女と瓜二つの容姿を持つ少女。

 彼女――黒白春陽は美月の双子の姉である。

 春陽が着ているのは白いビキニだ。

 パーカーもパレオも身につけていないため、肌面積はそれなりに大きい。

 彼女が何も考えずにジャンプするたび、形の良い乳房が上下に揺れるので目に毒だ。

「ほえー。すごいねー」

 春陽は美月とは違って大興奮の様子だった。

 もっとも、美月は平静をこそいるもののソワソワしており、内心は春陽と大差ないほどに興奮しているようだったが。

「アタシたちは……あったよな? 確か5年前に」

「あー。あれだよね。スイカの《怪画カリカチュア》が出た奴」

「そーそー。スイカのくせにスイカ割り仕掛けてくる奴」

 悠乃にそう話しかけてきたのは赤髪の少女――朱美璃紗だった。

 手入れが行き届いていないのか少しボサついた赤髪。

 そして、先程の二人とは一線を画す大きさの胸。

 年齢差を加味しても、これほど大きいのは一種の才能だろう。

 彼女の水着は赤と黒が混じったビキニだ。

 動きやすさ重視のせいか生地は少なめで、さっきから悠乃は彼女を直視できていない。

「……海でも出てくるんですか?」

「あー、そうそう。なんでか分かんねーけど、アタシたちの行く先々で出てくんだよな」

 うんざりしたように尋ねてくる美月に璃紗はそう答えた。

 思えば、確かにあれは不思議であった。

 あの頃は遠出をするたびに《怪画》と遭遇していた気がする。

「とはいえ、あの頃は今よりも頻繁に《怪画》が出ていたからね。遠出の時に出会う確率が高かったのも仕方がないかも」

 悠乃はそんな結論に至るのであった。

 残党軍と呼ばれるだけあって、今の《怪画》は人手が完全に足りていない。

 以前は数日に一度のペースで《怪画》が現れていたというのに、今は数週間に一度出てくるかどうかというところだ。

 一体一体の練度は高いが、前のように次々と現れる敵の討伐に追われることはない。

「じゃー、今日いきなり《怪画》と戦いになることはないってことだねー」

「……なんというか、言葉にされた途端に不安な気分になってきました……」

「ツッキー、ネイティブだねー」

「姉さん、ネガティブです。いや、私はネガティブじゃないですけど」

 嘆息する美月。

 一方で春陽は陽気なままだった。

「――お待たせしました」

 そんなやり取りをしていると、薫子が現れた。

 彼女の後ろには、現在彼女の保護者をしているというメイド――速水氷華もいる。

 薫子は黄色のパレオ、氷華は白のビキニスタイルである。

 二人の手には、ビーチボールなど海を楽しむための道具があった。

 どうやらどこかでレンタルされていたものを持ってきたらしい。

「これでみんな揃ったね」

「おー」

 悠乃の言葉に春陽が腕を天高く突き上げた。

 これから魔法少女チームの海水浴が始まる――。

 そんな時、

「それはそうとさ、悠乃。さっきから気になってたんだけどさ」

「? どうしたの?」

 突然、璃紗が口を開いたため悠乃は首をかしげる。

 やけに神妙な面持ちで璃紗が撃腕を組んでいる。

 何かあったのだろうか。

 悠乃は若干ながら不安になる。


「悠乃。上の水着忘れたのか?」


「言われると思った!」

(今日はそういうイジりがない日かと思っていたけど甘かった……!)

 悠乃の水着は海パンにパーカーというスタイルだ。

 当然ながら上半身を隠す水着はない。

 男子なのだから。

「こ、これはマズいよー。白い謎の光―」

 春陽は危機感のない声音でそう言うと、腕を横に一振りする。

 すると彼女の手から白い光が放たれる。

 光は帯状に伸び、綺麗に悠乃の胸元を隠した。

 光の魔法。

 それが春陽の魔法少女としての力だ。

「おー。こりゃー、なんかすごいな」

「後日、白い光のない映像が売られるんですね」

「撮影されてるの!? ていうか、別に水着は忘れてないからね!?」

 璃紗と薫子に悠乃はそう抗議した。

 聞き入れられることはなかったが。

「姉さん。使? 私は普段、魔法なんて使えないんですが」

 一方で、美月は別の所に意識が向いたらしく、春陽に質問をしていた。

 ――魔法少女が魔法を使えるのは変身中だけだ。

 それは悠乃も知っているし、実証済みだ。

 言われてみると、春陽はさっき変身せずに魔法を使っていたように見えた。

 確かに疑問だ。

 悠乃たちの視線が春陽へと注がれた。

 対して、春陽は得意気に胸を張って笑顔を見せている。

「ふっふっふー。実は、魔法少女に変身してから、服を脱いで着替えたんだよー」

 ――言われてみればそれも道理だ。

 魔法少女になれば衣装が変わる。

 逆にいえば、見た目で変わるのは衣装だけだ。

 ――悠乃のような例外を除けば。

 つまり、衣装さえ脱いでしまえば普通の人間と区別することは難しい。

「! 盲点でした。それなら魔法少女状態でも制服を着て学校に行けます……! そうなれば突然の事態にも――いえ、変身中は微量ながら魔力を消費します。かえって戦闘中のパフォーマンス低下の原因にも――」

 美月にとっても斬新な切り口だったらしく、彼女は自分の世界に入り込んでいた。

 彼女は好奇心が旺盛なのか、時々思案の渦に迷い込む癖があった。

 確かに、美月がいうところのというアイデアは決して悪くはないと思う。

 突発的な出来事に対応しようと思えば、そのような常在戦場の考え方は正しい。

 もっとも、実際に行おうとすると、彼女の言う通り普段の消費魔力がネックとなるのだが。

 ともあれ、今はそんなことよりも――

「なんか……急に恥ずかしくなってきたんだけど……」

 思わず悠乃は胸を両手で隠す。

 別に隠さなくても良いはずなのだが、白い光で隠されると恥ずかしいことをしてしまったような気分になったのだ。

 悠乃の頬が赤くなる。

「じょ……冗談だと分かっているのに、私も見てはいけないものを見ている気分になってきました……」

 そんな悠乃を見て羞恥する美月。

「じゃあせっかくだし、悠乃は魔法少女の姿になるか?」

「氷華さん。水着はありますか?」

「ええ。事前に用意しています」

「なんでぇ!?」

 璃紗の提案に薫子は嬉々として乗った。

 しかも、なぜか氷華も替えの水着を持っているという。

 というか、なぜ余分に水着があるのだ。

「つーことで、行くか」

「ふぇ?」

 悠乃の体が浮き上がる。

 璃紗に持ち上げられたのだ。

 背中と膝の裏に腕を回した抱き方――いわゆるお姫様抱っこだった。

「嫌だぁ……! 行きたくないっ、行きたくないのぉっ……!」

 抵抗する悠乃。

 しかし、いくら手足をバタつかせても時間稼ぎさえできない。

「り、璃紗ぁ……! ほら、右手痛いでしょ……! 無理しないほうが良いって……!」

 悠乃は思わずそう叫ぶ。

 ――朱美璃紗は過去に遭った交通事故によって右腕を負傷している。

 見た目としては薄く傷跡が残る程度。

 しかし、その手には障害が残っており、思い通りに動かせないという。

 だからこその言葉だったのだが。

「怪我したのは手首。今、使ってるのは腕。――問題ないな」

「問題ないのッ!?」

「まあ、ミスって落としても悠乃なら受け身くらいできるだろ。多分」

「すんごい不安になって来たんだけどぉッ!?」

 悠乃は目を見開いた。

 不安しかない。

 しかし、悠乃の力では璃紗を振り払えない。

「やらぁぁ! 放してぇぇ! 酷いことしないでぇぇッ!」

 結果、悠乃には泣き叫ぶことしかできないのであった。



「ぅぅ……」

 悠乃は顔を両手で覆ってすすり泣いた。

 理由は彼女が纏っている水着だ。

 上半身を覆うように隠す布。それに反比例するように、股間のあたりは際どい。

 これでもかと脚が露出している。

 ――『彼女』が着ているのは、競泳水着に分類されるものだった。

 色も紺と大人しく、本来であればそれほど刺激的なものではなかっただろう。

 しかし――

「やっぱり、悠乃君はスタイルが良いですね」

「ぅぅ」

 感心したように薫子が言った。

 自画自賛のようになってしまうが、客観的に見て魔法少女としての悠乃はかなりスタイルが良い。

 大きく、それでいてバランスのとれた胸。良い具合にくびれた腰。ヒップも全体のバランスを崩さない絶妙な塩梅だった。

 競泳水着は確かに露出が少ない。

 しかしそれは必ずしも禁欲的である事を示さない。

 なぜなら、競泳水着はもっともボディラインが浮き彫りになる水着だからだ。

 肌に張りつくような生地はむしろ扇情的とさえいえる。

 くっきりとした胸の形も。ギリギリの股間も。

 すべて衆目にさらされるのだ。

「ッ、ッ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!?」

 自分がどういう格好をしているのかを理解し、悠乃は再び羞恥する。

「これからこの格好で出ていくのぉ……?」

「なんというか……正直、わたくしたちの中で一番男性の注目を浴びそうです」

「これが素なら、すさまじい魔性ですね」

 薫子と美月が口々にそう言った。

「確かに、演技でそんな感じの奴はいても、素でこーいう感じの奴は少ねーよな」

「これなら男の人にモテモテだねー」

「ぜ、全然嬉しくないです……」

 悠乃は力なく璃紗と春陽の言葉を否定する。

 すでに体力のほとんどを使い切ってしまったのだ。

「恥ずかしいよぉ」

「わたくしは、そう思いません。決して」

 悠乃の弱音を薫子が一蹴した。

 彼女は力強く悠乃の肩を掴む。


「本当に恥ずかしいのは――わたくしの存在ですから……!」


「璃紗ぁー。薫姉の言葉は反応し辛いよぉー」

「おーよしよし。アタシたちも反応に困ってるから大丈夫だぞー」

 悠乃が泣きつくと、璃紗は優しく彼女の頭を撫でる。

「うふふふ……。友達のフォローもできないだなんて……わたくしってなんで生きているのかしら……?」

「金龍寺さん。うちひしがれているところすみませんが、もうそろそろ行きませんか?」

「海行こー。今わたしたちが生きているのは、泳ぐためだー」

「姉さんは刹那的すぎです」

「うふふ……。自滅して、後輩にフォローされるわたくし。生きているのが恥ずかしい……」

 薫子はうなだれた。

 黒白姉妹でも彼女を元気づけることはできなかったらしい。

 ――こういうときは、話を変えるに限る。

「そ、そういえば気になってたんだけど……」

 悠乃は話題を変えるため――そして、さっきから気になっていたことを尋ねる。


?」


「……あー」「あ」「……ちゃー」

 璃紗、美月、春陽が思わずそんな声を漏らした。

 いつものメンバーだったせいで油断していたらしい。

 悠乃も同じなので、彼女たちを責めることなどできないのだが。

「……そういえば、普通に魔法少女の話をしてしまいました……。旅行で気が緩んでいたようです……! す、すみません……! すみません!」

 罪悪感のせいか、美月は唇を噛んだ。

 彼女は何度も頭を下げて謝っている。

「あわわわ……。もしかしてこれ、わたしのせいだー……」

 一方で、珍しく春陽も動揺していた。

 さっきのやり取りで魔法を使い、最初に魔法少女の話題になってしまう原因を作ったからだろう。

 もっとも、本来であれば悠乃たちが止めに入らなければならなかったのだ。

 そのことに気付かなかった時点で、悠乃たちも同罪だ。

(浮かれすぎていた……)

 悠乃は猛省する。

 特殊な環境に浮かされ、注意が散漫になっていた。

 身バレは一番気を付けるべきことだったのに。

(薫姉の保護者を買って出てくれるような人だし……多分、話せば分かってくれるとは思うけど……)

 どう言い訳するべきか。

 悠乃は思考をめぐらせる。


「まー……つっても、多分このメイドさん、最初から魔法少女のこと知ってたんじゃねーの?」


「「「え」」」

 璃紗の一言で、その場の雰囲気が一変する。

 彼女に悠乃たちの視線が集中したことで、璃紗は説明する。

「まず、水着の替えを持って来てる時点でおかしいだろ。明らかに薫姉とは会わないサイズの水着だ。水着なんて海に行くんだから当然みんな持って行くわけで、薫姉が他人の――しかも一人分だけ準備する必要なんてないし、そんなおかしな頼みごとをされたら普通事情くらい聞くだろ」

「確かに……」

 悠乃は納得する。

 彼女が着せられた水着は、あらかじめ用意されていたものだった。

 薫子が着ることのできない大きさの水着を頼まれたら、氷華も用途くらいは確認することだろう。

「なるほど、それに蒼井さんに着せるために用意した水着も不自然です。男性に着せるのならパッドが必要。しかし、パッドは持ってきていない――つまり不要だと知っていた。これは、魔法少女に変身した後の蒼井さんを知っているからこそできること――!」

 名探偵のごとく眼鏡をクイと上げ、美月は推理を披露する。

(地味に男性扱いされた……!)

 一方で、悠乃はそんな関係のないところで喜びを感じていた。

「ま、一番の根拠は薫姉がまったく気にもせず魔法少女の話を続行したからだけどな」

「確かに、薫姉がそんなミスをするとは思いにくいかも」

 たとえ悠乃たちが見落としても、薫子ならば即座に話題を変えようとしたはずだ。

 しかし薫子は話を止めるどころか、悠乃の変身を促しさえした。

「そーいう感じですよね? メイドさん」

「……ええ」

 璃紗が問いかけると、氷華は肯定した。

 やはり、彼女は魔法少女について知っていたらしい。

「えーっと、いつから知っていたんですか?」

「そうですね。グリザイユの夜から半年ほど経った頃でしょうか」

 グリザイユの夜。

 それは、悠乃たちが魔王グリザイユと最終決戦に臨んだ日のことだ。

 大規模な戦いだったがゆえに、多くの映像が残り、魔法少女という存在を白日の下にさらすこととなった事件だ。

「実を言うと、やむにやまれぬ事情で話すことになってしまい――」

 そこで初めて、薫子が申し訳なさそうに口を開いた。

 ――魔法少女について安易に漏らさないことは、悠乃たちの間で決めておいたことだ。

 不用意に広めてしまえば、自分たちの生活が脅かされると危惧したから。

 そして、それを提案したのが薫子自身だったからこそ言い出しづらかったのだろう。

「そっか……――」

 とはいえ、悠乃としては糾弾できない。

 薫子は特殊な家庭の事情がある。

 いうなれば、氷華は薫子にとっての命綱なのだ。

 同じ立場にあったとして、そんな女性に隠し事をする自信は――悠乃にはなかった。

 隠さねばならないと分かってはいても、いつか話してしまっていただろう。

 だから、薫子の行動を咎めるわけにはいかない。


「実は……魔法少女時代が忘れられず……か、鏡の前で変身の練習をしていたのを見られてしまい――」


「迂闊すぎる……!」

 前言撤回。

 多分、これは責めても許されるだろう。

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