2章 エピローグ2 敗者

「く……はぁ……はぁ」

 魔界。

 それは《怪画カリカチュア》たちが住む世界。

 そこの中心に建てられた、かつて魔王が治めていた魔王城。

 その廊下にギャラリーはいた。

 転移で何とか逃げ帰った彼女は、廊下に倒れ込んでいた。

 すでに空間固定は解け、滝のように血液が流れている。

 なんとかとどめていた肉は骨から離れ、赤い花を咲かせている。

 自分が死に向かっているのが嫌でも分かった。

 おそらく、数分と経たずに自分は死ぬだろう。

(早く……傷を癒さないと……!)

 まだ反撃のチャンスはある。

 それまでは、死ねない。

 その執念だけで彼女は意識を保ち続ける。

「誰……かぁ……!」

 かすれた声でギャラリーは叫ぶ。

 もう転移をする余裕もない。歩いて治療室に行くこともできない。

 今のギャラリーにできるのは、助けを呼ぶことだけだ。

 治療室にさえ辿りつければ、まだ治せる傷だ。

 すると彼女の声が届いたのかカツンカツンと靴音が響いてきた。

 音からしてブーツか。鎖が擦れる音もする。

 誰かが近づいてきているのは確かだった。

(誰でも良い……ここに――)


「……おやおや。助けを呼ぶ声が聞こえて来てみたら、少し前にアタシに八つ当たりをしてくれたギャラリーちゃんじゃないか」


 ほとんど見えないギャラリーの目が歩み寄る少女の姿を捉えた。

「……キリエ」

(ツイて……ないわね……)

 ギャラリーは自嘲した。

 勝負は時の運などというが、きっと今日は厄日だったのだろう。

 何かと彼女の思惑通りに進まない事態が多すぎた。

 その集大成が、この結末だ。

 ギャラリーの声を聞きつけてここまで来たのが彼女とは。

 今、一番顔を合わせたくない相手だった。

「キリエさん、でしょ? 年齢的にも、、さ。君はアイツの妹分だったってだけの下っ端なんだからさ」

 小さく笑いながらギャラリーを見下ろしているのは、自分と同じ《前衛将軍アバンギャルズ》を務めているキリエだった。

 どうやら、悠乃との決闘を邪魔された際に、怒鳴り散らして彼女を退散させたことを根に持っているらしい。

「まったく。プライドを優先したあげく、返り討ちにあって死にかけかい。?」

「っ……!」

(こいつ……お姉様のことを……!)

 姉のことを、敬愛するグリザイユのことを馬鹿にされた。

 ギャラリーは唇を噛む。

 言い返すだけの余力もなく、もう睨む力さえない。

 本来であれば、駆けつけてきた彼女に助力を乞い、治療室へと運んでもらわねばならないだろう。

 だがギャラリーとしてはキリエに頼む気にはならなかった。

 それくらいならこの廊下が死に場所でも良いとさえ思った。

「ん? 自力で治療室に行けないからアタシを呼んだんじゃないの? それとも、アタシに頼むのはプライドが許さなかった? あー。そこはお姉さんに似なかったねぇ。あいつはいくら反抗的な部下が相手でも、私情で選り好みはしなかったからね。必要なら、敵対派閥の《怪画》にだって教えを乞うことがあったくらいさ」

 キリエはクツクツと笑う。

 そんな中で、ギャラリーは意識が薄れてゆくのを感じていた。

「まあいいや。どうせ、助ける気はないんだし頼まれても困るからね」

 キリエはそう言うと、腕を振り上げた。

 すると彼女の手の甲から巨大な鉤爪が現れる。

 あれは、一撃で敵を殺せる武器だ。


「だって……、でしょ?」


 そう言い放つと、キリエは勢いよく鉤爪を振り下ろす。

 当然、ギャラリーに動く力など残っていない。

 できることといえば、最後の抵抗として目を逸らさないことだけ。

 最期の瞬間までギャラリーはキリエを睨みつける。

(……ごめんなさい)

 はたして誰への謝罪だったのだろうか。

 守るという誓いを果たせないことをグリザイユに謝っているのか。

 それとも、マジカル☆サファイアと再び雌雄を決する機会を永遠に失ってしまうことへの謝罪か。

 だが無情にも鉤爪は止まることなく――

「――――」

 息が止まりそうになる。

 だが、鉤爪は自分に突き立てられてはいない。

 ただ目の前で、床を貫いているだけだ。

「――クハッ……!」

 続いて聞こえてきたのはキリエの笑い声だった。

「なんちゃって。嘘だよー。安心しなよ。あいつの妹分だなんて、可愛さなくて余すことなく憎さ一〇〇倍だけれど、貴重な戦力だからね。治療室に放り込むくらいの労力は背負ってあげよう」

 そう言うと、キリエはひょいとギャラリーを背負う。

 乱暴な動作のせいで剥がれかけていた肉がさらに裂け、ギャラリーは苦痛の呻き声を漏らす。

 それでもお構いなしにキリエは歩いてゆく。

 もちろん上下の揺れを抑える努力など皆無だ。

「っ……んぁぁ……裂けて……! もっと、優しくできないの……!?」

 思わずギャラリーが毒づいたのも無理からぬことだろう。

 一方、キリエはギャラリーの言葉を意にも介さずに歩く。

 むしろギャラリーが痛みに悶えるのを楽しんでいるようにさえ思えた。

「でも、君がそこまでやられるとなると興味が湧くね」

 そう口にするキリエ。

 別にギャラリーからの返答に期待していない独り言だ。

「となると、いよいよアタシの出番が来るのかな?」

 キリエの口元が歪む。

 醜悪に、残虐に、無慈悲に口元が三日月のごとく吊り上がった。


「このアタシ――キリエ・の出番がさ」


 カリカチュア。

 それは王族しか名乗ることが許されぬ名前。

 それをキリエは当然のように名乗った。

 なぜなら、それは彼女にとって当然の権利だから。

 キリエ・カリカチュア。

 

 そして――にして――


「やっぱり、すべてを終わらせるのは次期魔王のアタシじゃないとね」


「お父様の望む世界を作れるのは、愚妹じゃなくてアタシなんだから」


 ――


「……いくらアンタが魔法少女を殺しても……アンタが魔王になることなんてないわ……」

 そんなキリエに対してできる反抗は、そんな言葉だけだった。

 キリエ・カリカチュアは、

 かつての《旧魔王派》筆頭の女。

 そんな彼女が企てることといえば一つしかない。

「姉様……」

 それは魔王の血を継ぐもう一人の後継者――グリザイユを殺すこと。

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