2章 エピローグ 灰色の少女は考える

「うむ……。では、ギャラリーもまだ生きておるのじゃの?」

「多分。薫姉が言うには、すぐに治療を受けられたら死なずに済むって」

 決闘が一日経ち、悠乃はエレナと話をしていた。

 内容は主に、昨日の決闘の顛末についてだ。

 ギャラリーとの戦い。

 そして彼女は深手を負ったものの、今でも生きているであろうこと。

 それらを話したとき、確実にエレナは安堵していた。

 表情や態度は淡々としていたが、それくらい分かる。

 人間として生きることを決めてはいても、かつての仲間が無事であることに喜びを感じることを止められはしないのだ。

 そういう意味でも、あそこでギャラリーを殺さなくて良かったと思える。

 きっとあそこでギャラリーを殺してもエレナは悠乃を責めなかっただろう。

 仕方のない結末だったと受け入れるのだろう。

 だが、心が傷つくかどうかは別なのだ。

 多分、彼女の心は傷を負い、また彼女の背中が重くなる。

 それは、あまりに悲しいことだ。

「しかし……あやつがのぅ」

 エレナはそうつぶやいた。

 特に返事を求めているわけでもなく、ただ口からこぼれただけの言葉なのだろう。

 ふと彼女はこちらへと目を向けた。

「……おそらく、妾が人として生きている間にも、向こうでは色々なことがあったのじゃろうな」

「そうだね。もう《怪画カリカチュア》を導く王はいない。それでも彼女たちは進んできたんだと思う」

 悠乃は立ち止まった。

 そして思い出す。

 ギャラリーという少女が見せた覚悟を。

 敵でありながら、敬意さえ抱かせる彼女の戦いぶりを。

「僕も五年間、魔法少女としての生き方から離れていたからね。今までずっと戦い続けていた彼女たちとは意識のギャップを感じるというか……気持ちの面で押されてしまうよ」

 悠乃は率直にそう言った。

 そう言わざるを得ないほど、ギャラリーの在り方は鬼気迫るものがあった。

「五年前の戦いに関わっていないこともあってギャラリーの戦闘スキルには未熟さもあった。でも、勝とうとする意志は……すさまじかった」

 おそらくだが、ギャラリーの実戦経験はそれほど多くはない。

 だからこそ、あの傷でも戦意を衰えさせなかったことこそが異常。

 普通であれば、早々に傷の痛みで戦意を失っていただろう。

「レディメイドは象徴としてエレナを求め、ギャラリーは家族としてエレナを求めた。求める理由は違うけれど、どちらも最後まで戦うという意志が揺らぐことは微塵もなかった」

「王がいなくなったからこそ、自らの足で未来を切り開き、踏破してゆくことを覚えたということなのかもしれぬの」

 ――もっとも、それは王の存在意義が揺らぐ考え方なのじゃろうが。

 少し寂しげにエレナはそう言った。

 王が民を導く。

 だが、王という導き手がいなくなることで民は自分の足で歩くことを覚えるのなら?

 結局は、王が民を導く必要などなかったのではないかという話になる。

「《怪画》にとって、王など本来は必要なかったのじゃろう」

「……そうかもしれないね。でも、あの頃の《怪画》にとって魔王グリザイユは大きな存在だった。だからこそ、王の意向ではなく自分の意志で歩み始めた《怪画》は、自分の意志でエレナのことを求めている」

「…………」

 エレナは沈黙した。

 彼女は手を開き、掌を見つめている。

 そして掌を自身の胸へと当て――

「――この前の件じゃが」

「へ?」

「妾を魔法少女に誘った件じゃ」

「ああ……」

 エレナの言葉を聞いて、悠乃は目を逸らす。

 例の件とは、イワモンが掲げた迷案のことであった。

 さすがに無茶すぎると呆れた案だったのだが――


「……ちょっとだけ、考えさせてほしいのじゃ」


「え?」

 悠乃は自分の耳を疑った。

 魔法少女になる。

 それは、《怪画》と敵対することを意味する。

 それを「考えたい」とエレナが口にしたことに驚いたのだ。

「妾は人間として生きると決めたのじゃ。人として生き、そして人として死ぬ。それだけで充分だと思うておった」

 エレナは拳を握る。

「じゃが、前回と今回のことで思い知った。妾が人として生きることで、父上や母上に被害が及ぶかもしれぬということを。妾がおることで、この町が戦場になるかもしれぬということを」

「エレナ……」

「人として生きるのに、《怪画》としての力を振るうことは間違いじゃと思うておった」

 エレナは瞳を閉じる。

 再び目を開いたときには、そこには毅然とした意志が宿っていた。

 彼女は正面から悠乃と向き合う。

「人としての生き方は捨てぬ。そして両親もこの手で守る。二つを実現するためには、お主たちの提案は悪くないじゃろう」

「でも、ギャラリーたちと戦うことになるかも」

「それでも、じゃ」

 エレナはそう言った。

 表情がわずかに厳しくなったことから見て、彼女の中ではまだ葛藤があるのだろう。

「それに……これまでは妾を積極的に害そうというものはいなかった。じゃが、

「?」

 悠乃は彼女の言葉に疑問を持った。

 確かに、レディメイドもギャラリーもエレナに対して強い害意を持っていたようには見えなかった。

 とはいえ、そもそもエレナ――魔王グリザイユは《怪画》から熱烈な支持を受けていた魔王だ。

 元とはいえ彼女の部下であった《怪画》が、彼女を積極的に害するなど考えにくかったのだ。

 彼女が人間として生きると決めたことを裏切りと呼ぶ者はいるだろう。

 しかし、エレナが指しているのはそういう相手ではないように聞こえた。

 もっと絶対的な――話し合いの余地のない悪意を指しているようだった。

「妾が魔王となってからも、完全に妾たちは一枚岩であったとは言えぬ。先代と方針が食い違っていたこともあり、妾以外の者を魔王に推す派閥は存在しておったのじゃ」

「……そうなの?」

 悠乃は《怪画》の内部事情に詳しいわけではない。

 それに彼女と再会してからも、好奇心で昔のことを掘り返すようなことはしたくない――そう考え、《怪画》の内情までは聞こうとしてこなかった。

「妾に従う者は《現魔王派》。先代魔王の方針を支持する者たちを《旧魔王派》と呼んでおった」

「そうなんだ」

「とはいえ、勢力としては《現魔王派》が圧倒しておったからの。以前は表立っての対立はなかったのじゃ。しかし――」

「その旗印だったエレナは敗北し、しかも生きている」

「妾の復権を恐れた者が、妾を殺しに来てもおかしくはないじゃろう?」

 そうエレナは自嘲する。

 確かにエレナは人間として生きることを決めた。

 だが、それは彼女の中だけの話。

 周囲がそれに理解を示してくれるとは限らないのだ。

 少しでも可能性があるのならいっそ――そう考える輩がいるかもしれない。

「《旧魔王派》に所属しておった《前衛将軍アバンギャルズ》がおらぬとは限らぬ。先代魔王――お父様の思想を継ぐ者たちが、父上や母上を見逃してくれるとは思えぬ。そして、そうなったときに今の妾では守れぬ」

 悠乃は先代魔王を思い出す。

 先代魔王は本能のままに人間を食らい、蹂躙する者だった。

 魔王グリザイユは人間をただの食料と割り切り、それでいて不必要な殺戮を避けていた。

 対し、先代魔王はそれらを楽しむ節があった。

 どちらも人間を殺す点には変わらないが、その理不尽さや残虐さ、そして被害の大きさも違った。

 確かに、《旧魔王派》の《怪画》がエレナの両親に慈悲をかけるとは思えない。

 むしろ、より残酷な死を与えるであろう。

「――じゃから、考えねばならぬ。妾としても、妾を慕ってくれた者たちと戦いとうはない。じゃが、それでも守りたいものがあるのなら――」

 エレナはその続きを口にしなかった。

 口にできなかったのだろう。

 情の深い彼女にとって、妹分のギャラリーや己を慕ってくれていた部下たちに銃を向けるのは耐えがたいことであろう。

 今の家族と、かつての仲間。

 それらを今、エレナは天秤にかけさせられているのだ。

「……まだ、確固とした決意があるとは言えぬ。じゃから少し考えさせてほしいのじゃ」

「うん」

 すぐに決められるわけがない。

 簡単に決めて後悔しないわけがない。

 だから悠乃はただ頷いた。

「エレナはゆっくりと悩んで決めると良いよ。それに、エレナは僕の大切な友人なんだ。その両親くらい、体を張ってでも守ってみせるよ」

 悠乃はそう笑いかけた。

 悠乃にとって魔法少女とは望んだ道ではない。

 五年前も、今も。

 なし崩し的に魔法少女になってしまっただけで、強い正義感があったわけではない。

 それでも、友人の家族を守りたいと思う程度の正義感はある。

 それに、少しでもエレナが気負わずに未来を選択できるようにしたかった。

 できるだけ彼女には周囲の事情に振り回されずに選択して欲しかった。

 彼女は、五年前の戦いにおいて自分の気持ちを挟む余地など与えられなかったのだから。

 せめて今回くらいは――そう思う気持ちは悠乃のわがままだ。

 きっとそれはエレナも察しているのだろう。

「――感謝するのじゃ」

 エレナは照れ臭そうに笑ってそう言った。

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