2章 21話 決着とその代償

「治療しますね」

「……薫姉」

 悠乃は歩み寄ってくる薫子の名を口にした。

 すでに悠乃たちを固定していた力は消滅していた。

 とはいえ悠乃は満身創痍だ。立ち上がることもできずその場で崩れ落ちている。

「《女神の涙アメイジングブレス》」

 薫子がスカートの中に手を入れる。

 そして二つの爆弾を取り出すと、悠乃と璃紗へとそれぞれ投げた。

 広がるのは柔らかな緑色の爆発。

 するとみるみるうちに悠乃たちの傷が治ってゆく。

 悠乃は痛めていた腰の痛みと、千切れていた手首が。

 璃紗は自分で斬り裂いた手首が。

 それぞれの負傷が癒えてゆく。

「これはもう必要ありませんね」

 床に落ちていた悠乃の手首を薫子は攻撃用の爆弾で爆破した。

「ぇぇ……」

 ――自分の手首が消し飛ぶのを見るのは気持ちが良いとは言えない。

 微妙な表情になる悠乃。

 一方で薫子は全く動じていない。

 千切れ落ちた手首を、悠乃の体の一部としてではなくただの肉塊として認識している目だった。

 これもまた薫子が持っている側面の一つだった。

 姉のように包み込んでくれた薫子。

 そして、冷徹ともいえる作戦を考案することもあった参謀としての薫子。

 どちらも五年前の戦いで見た彼女の姿だ。

 そしてどちらも、悠乃たちを守るために見せた姿だった。

 悠乃たちを守るため、それに必要がない要素をすべてそぎ落とした結果があの薫子というわけだ。

 非情に見える姿も、姉として皆を守ろうとした結果身につけた仮面なのだ。


「それにしても。……殺さなかったんですね。悠乃君」


 薫子はそう言うと、視線を横へと移した。

 そこには大きな血だまりがあった。

 しかし、

「ダメ……だったかな?」

 悠乃は薫子の顔色をうかがいながら尋ねた。

 最後の攻撃。

 悠乃はギャラリーの急所を貫けなかった。

 最初はあのまま殺すべきだと思っていたし、今でも思っている。

 だが理屈ではないなにかがギャラリーの命を奪うことを良しとしなかった。

「……駄目だって思ったんだ」

 悠乃はぽつりとつぶやいた。

 それを薫子は、璃紗は、その場にいた皆が静かに聞いていた。

「あのまま彼女を殺してしまえば、絶対に後悔するって思ったんだ」

 その感覚はあの日に似ていた。

 グリザイユの夜。

 魔王グリザイユと戦い、彼女を殺したと思ったあの日に似ていた。

 多分、ギャラリーという人物に悪い感情が抱けなかったからだろう。

 レディメイドはある意味で『敵』と認識しやすい相手だった。

 しかし、ギャラリーは少し違う。

 グリザイユ――エレナを想う気持ちを知れば、心から敵対することはできなかった。

「だからごめんね。我儘だとは――わわっ」

 そこまで言いかけた悠乃はバランスを崩して前に倒れ込む。

 薫子に手を引っ張られたのだ。

 不意打ちに悠乃は対応できず薫子の胸へと顔面を押し付けることとなった。

 慌てて離れようとする悠乃だが、薫子は悠乃の頭を抱きしめてそれを阻止した。

 そして悠乃を抱きしめたまま、薫子は彼の頭を撫でた。

「……悠乃君の精神状態を考えれば、それで良かったのかもしれませんね」

 優しい声音でそう言う薫子。

 彼女はそれほど発育が良いわけではないので、包み込むような大きさの胸はない。だが、確かに感じる柔らかさに悠乃は照れる。

 彼女の慈しむような抱擁からは母性のようなものさえ感じる。

「…………ありがとう」

 おそらく薫子の言うことは正しい。

 蒼井悠乃という人間の心はそれほど強くない。

 敵であれば倒せる。命を奪える。

 一方で、同情や共感を覚える相手に対しては必要と分かっていても手を下せない。

 そんな気持ちを押し殺してグリザイユを倒したとき、悠乃の心には深い傷が残った。

 もしギャラリーにトドメを刺していたのなら、やっと癒え始めた心の傷が永遠のものとなっていたかもしれない。

 悠乃の心の平穏を守るという意味では、薫子の言う通り悠乃の判断は間違っていなかったのだろう。

 合理的な判断かは別として。

「まあ、今度始末すればいいだけですし」

 そう言って薫子は悠乃の頭を撫でる。

「んん……!」

 ちょっとだけくすぐったくて悠乃が声を漏らすと薫子が微笑んだ。

「ふふ。撫でた時の反応は昔のままですね」

「や、やめてよぉ」

 悠乃は羞恥から赤面して暴れるも薫子から逃げることはできない。

 小柄なのに意外と力強い。

 もっとも慈母のような抱擁のせいで強く抵抗できないのも一因だが。

「おーい。あんまりイチャついてねーで帰らねーか? アタシはともかく、他の奴らはそんなに遅く帰れねーだろうし、家族に心配されるんじゃねーの?」

 とはいえそんなやり取りも璃紗の言葉で終わる。

 長い戦いだったのだ。

 悠乃が最初に戦った時間からかなり経っている。

 倉庫の窓から外を見れば、すでに暗くなり始めていた。

「う……確かに遅いですね。急がないと自習のノルマが終わりません」

「どうしよー。昨日の宿題終わってないよー」

「それはある意味終わっているので安心してください姉さん」

「ぐえー」

 腕時計を確認している美月の言葉に、春陽は舌を出して苦々しい表情を浮かべた。

「うふふ。家族に心配される、ですか……。ここ数年考えたこともありませんね……。あ、でも遅くなりすぎると従業員の寮も施錠されて野宿ですね。まあ、庭も広いので野宿していても不審者に襲われる心配はありませんが」

「僕は薫姉の将来が心配だよ」

「? ないものを心配してどうするんですか悠乃君」

「真顔で言わないでよぉ」

 きょとんとした薫子を前に悠乃はうなだれるのであった。

 こんな何気ないやり取りが尊く感じられる。

 それはきっと、命をかけた戦いを乗り越えた直後だからだろう。

「……ありがとうね。みんな」

 そしてそれは、自分だけでは乗り越えられない困難であった。

 だから悠乃は礼の言葉を口にした。

 璃紗は照れ臭そうに頭を掻き、

 薫子はさっきまでと変わらぬ笑顔を見せ、

 美月は「自分は大したことはできませんでしたから」と顔を逸らし、

 春陽は「無事でよかったよー」と間延びした返事をする。

「……それじゃ帰ろう。僕も、遅くなると怒られるし」

「悠乃は箱入り娘だからな」

「娘じゃないもん」

「知っていますか悠乃君。娘って良い女って書くんですよ?」

「うん。やっぱり僕関係ないよね?」

「「え?」」

「なんでぇっ!?」

 璃紗と薫子にからかわれ悠乃は嘆きの悲鳴をあげることになった。

 そして頭を抱えつつも悠乃が歩き出そうとした時――

「? メールか?」

 璃紗のポケットから着信音が流れた。

「みたいですね。……わたくしにも来ました。メールをくれる方に心当たりがないので心霊現象でしょうね」

「あ。わたしにも来たよー」

「え。姉さんもですか。一斉に着信だなんて気持ち悪いですね。心霊現象かはともかく、開くのには気を付けたがほうが良い類のメールかもしれませんね」

 続々と着信音が重なる。

 なっていないのは悠乃のケータイのみだ。

 ……嫌な予感がする。

 何か忘れている気がする。

 それも、かなり致命的な。

 現在時刻。

 そして、悠乃を除く全員に送られたメール。

「…………あ」

 悠乃はそのメールの正体に行き着いた。

 そして、青ざめる。

(ま……まさかぁ……)

 思い出したのだ。

 自分が――みんなに遺書メールを送っていたことを。

 生きていれば送信をキャンセルつもりだった。

 まさかこの時間まで戦いが長引き、なおかつ生き延びられる可能性を考慮していなかったのだ。

 おそらく璃紗たちの届いていたメールは――

「ん? 悠乃からって……おう……なんか遺書届いてんだけど」

「うふふ。メールで告白ならぬメールで遺書ですか。悠乃君も現代っ子ですねぇ」

「おおー。遺書って初めて見たー」

「なるほど。やはり、戦いに赴く以上、こういう文面は考えておいたほうが良いかもしれませんね。参考にするために保存しておいていいですか?」

「ぎゃわわわああああああ~~~~~~~!?」

 羞恥から悠乃は錯乱する。

 今になって思えば、遺書にはかなり恥ずかしい部分があった。

 最期に残すつもりの言葉なのだ。

 かなり赤裸々な文面となっている。

 みんなへの想い。

 遺してしまう家族への想い。

 最期だからこそ語ることができた言葉も多い。

 生きている時点で読まれるには、ダメージが大きすぎた。

「やめてぇぇ~! 見ないで、そんなに見ないでぇぇ! 死んじゃう! 死んじゃうからぁぁ! そんなの見られたら恥ずかしさで死んじゃうぅぅぅ!」

 悠乃は多くの視線を感じながら地面を転げ回った。

 かなり無様な状態だが、これ以上の無様はすでに見せてしまった。

 もう悠乃にかける恥など残ってはいない。

「あーあーあー! ああああああぁぁぁぁぁああぁぁぁぁぁ~~~~~~!」

 真剣にタイムマシンを探したい気分だ。

 とはいえ、そんな都合の良いものがあるわけもなく――

「ぃぐぅッ……!」

 悠乃の醜態は腹部に走った激痛で強制的にキャンセルされた。

 うずくまる彼の腹からは血が流れている。

「……悠乃君。そんなに暴れたら、傷が開いて普通に死にますよ?」

「それ……先に言っておいてください……な……治して、くだしゃい……」

「もう……次はちゃんと安静にしておいてくださいね」

「ひゃい…………」

 悠乃が悶え苦しもうとも現実は変わることなく、再び開いた怪我を薫子に治してもらうという生き恥をさらすだけに終わったのであった。

「…………ぐすん」

 悠乃は仰向けに倒れ、痛みのせいではない涙を流した。

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