2章 18話 黄金は冷たく柔らかい

「正直、あのまま放っておけば勝手に死ぬと思うんですが」


 薫子はそう漏らした。

 すでに彼女はギャラリーが待ち受ける倉庫にたどり着いている。

 そこで会ったのは、窓を突き破って来たイワモンであった。

 彼曰く、敗北を察した璃紗がとっさに彼を投げ飛ばしたらしい。

 おそらく、を与えたのだろう。

「――確かに、朕はギャラリーの能力に関する情報はすべて渡した。それを踏まえて、薫嬢がそう判断するのなら尊重しよう」

 イワモンは薫子の言葉を否定しない。

 彼女の戦略が合理的であることは重々承知だからだ。

 薫子は倉庫の天井に立ち、天窓からギャラリーの姿を捉えている。

 ギャラリーの体が限界に近いことは、イワモンの情報も併せて考えればすぐに分かる。

「全滅のリスクを想定すれば、放っておいても死ぬ相手と戦うメリットはありませんよね。話を聞く限り、死に際になって自分のルールを曲げてまで悠乃君たちを殺す人物には見えませんし」

 もし薫子が現れなければ、

 魔法少女全員を倒すよりも先に悠乃を殺すことは許容できず、ただ一人で死んでゆくだろう。

 そう思わせるだけの誇り高さが彼女にはあった。

「わたくしはプライドなんて持つ権利のない最底辺な人間ですからね。いまさら相手の誇りを踏みにじることなんて全然気になりませんし」

「私も大概ですけど、金流寺さんってかなりドライですね」

「当然ですよ。わたくしたちが死ねば、世界は救われないんですから」

 そんな薫子に複雑な視線を向けるのは美月だった。

 美月と春陽も、薫子と同時刻にこの場に到着していた。

 つまり、魔法少女陣営の残存戦力がここに集結しているというわけだ。

「もし悠乃君たちの身が危険なら、わたくしも一応誘いに乗りはしますよ。形式上は」

「……あくまで正面から戦う気はゼロなんですね」

「ヒーラーですので」

 そう言うと、薫子は胸の前で両手を組む。

 その姿はシスター服を彷彿とする衣装のせいもあって、敬虔な信徒が祈りを捧げているように見えた。

 語る内容は物騒極まりないが。

「でも、このまま放っておくのは心配だよー?」

 異を唱える春陽。

 薫子もそれを否定しない。

「……そうなんですよね。いくら、わたくしが他人の顔色をうかがって媚を売るのが得意とはいっても、読み違いはありえますからね。死を前にすれば、高潔に見える方でも簡単に誇りを捨てますし、彼女がそうならないとも限りませんよね」

 薫子はギャラリーが最期に暴走して悠乃を殺す確率はと思っている。

 だが、それは推測にすぎない。

 もしアテが外れたのなら、悠乃たちの命はない。

 薫子は、客観的にギャラリーが持つ誇り高さを認めている。

 だが、計画のすべてを憶測に委ねるほど、他人の善意を信用していない。

 ギャラリーが悠乃との約束を違えないなどと妄信してはいない。

 となれば春陽の意見も間違いとは言えないのだ。

「――もし戦って負ければ全滅。戦いを避けて、もしもあの《怪画カリカチュア》が死に際に心変わりしてしまえば蒼井先輩と朱美先輩は死――。……勝率を考慮すると――」

「? ? ?」

 小声でつぶやきながら思考する美月。

 その傍らで春陽は頭上に疑問符を浮かべて首をかしげている。

 そんな姉を気にすることなく、思考の海に浸っていた美月は顔を上げた。

 だがその表情はすぐれない。

「ダメですね。正直、経験の浅い私では、理屈をこねまわしても素人考えの域を出ません」

 表情を曇らせる美月。

 理屈屋ゆえに、経験不足から生じる不確定要素を処理しきれないのだろう。

「イワモンの話によると敵はお二人の存在をまだ知らないようです。それを利用すれば、戦うというのも分の悪い賭けではないと思います」

 ギャラリーの言葉の端々から、薫子たち魔法少女は三人だと確信している節があったらしい。

 黒白姉妹を勧誘したのはつい先日だ。

 まだギャラリーたちは、

 その無知は、大きな隙となり得る。

 上手く立ち回れば、ギャラリーを狩るのは可能だ。

「そうですね。多少のリスクはありますが、勝ち目は充分にあります」

 そこまで語ると、薫子は美月たちに視線を向けた。

「しかし、それはお二人が協力してくださることが前提です。無理だと思うなら、待ちに徹することにしましょう」

 この戦い。タイムリミットが迫っているのはギャラリーだ。

 黒白姉妹が危険を恐れるというのなら、無理に戦いを挑む必要はない。

 もっとも、悠乃たちの命は運任せになってしまうのだが。

 そこまで理解したのだろう。

 春陽も美月も神妙な顔をしている。

 そして、最初に踏み出したのは春陽だ。

「わたしは行くよー。ここで逃げたら、これから先、皆と一緒に戦い抜くなんてできない気がするから」

 そう言った春陽を見て、美月も踏み出す。

「私も行きます。他人に運命を委ねないために魔法少女になったのに、ここで運任せみたいなことをするなんて非合理です。運命は、自分の手で切り開きます」

 まだ二人は戦士として雛鳥のようなものだ。

 言葉ではそう言っても、実勢に危機が迫れば覚悟が折れることもあるかもしれない。

 だが――

「……それなら、わたくしが作戦を考えます。安心してください。セコセコと底辺を這いまわるコスい生き方には自信があります。ずっとしてきたので」

 薫子は柔らかく微笑む。

 彼女たちを見ていると、微笑ましい気持ちになるのだ。

 自分たちもそうだったと。

 覚悟の意味も知らないままに戦い始め、戦いの中で己の心と向かい合っていった日々を思い出す。

 自分はそんな戦いの果てにこんな醜態をさらすことになったが、彼女たちはどうなのか。

 戦いを越えた先にさらなる飛躍を見せるのか。

 戦いの終わりと共に衰退してゆく余生を送るのか。

 はたまた戦いの半ばで散ってゆくのか。

 それは薫子には分からない。

 分からないが、導く努力をしたいと思う。

 それが先達の役目であろう。

「――それでは三分ください。作戦を考えます」

 そう宣言すると、薫子は瞳を閉じ戦略を巡らせ始めた。



「悠乃」

 静寂に包まれていた倉庫に璃紗の声が響いた。

 手足を拘束されたまま流れてゆく時間に身を任せていた悠乃は、彼女の声に反応して顔を上げる。

「どうしたの?」

「ぶっちゃけさ……薫姉来ると思うか?」

「……どうだろ」

 璃紗の疑問に悠乃は微妙な答えを返す。

「正直、来ない可能性も結構あるんじゃねーかと思うんだよな。アタシたちがどうでも良いってわけじゃなくて、合理的な判断ってやつでさ」

「薫姉って、戦いの美学とか、流儀とか結構無視するからねぇ」

「むしろ付け入る隙が増えて喜ぶタイプだな」

 悠乃としても璃紗の言葉を否定できない。

 少なくとも、薫子なら真っ先に提案する作戦だろう。

 彼女はリスクを好まない。

 戦いの中で、どれほど命が儚いかを知っているから。

 自分の作戦が、どれほど多くの命運を左右するのかを知っているから。

「でも、そういう薫姉がいたから僕たちはあの戦いを生き残れたんだと思う」

 それは偽らざる本音だ。

 薫子は回復役であり参謀だった。

 彼女なしでは越えられなかった戦いは数知れない。

「悠乃には悪いけどさ。無理に助けに来てくれなくていいって思ってるよ。それで危ない橋を渡るくらいなら、見捨ててくれって思ってるよ。素直にさ」

 璃紗はそう漏らした。

 彼女の手足を拘束されており、動けない。

 悠乃を含め、彼女たちは確実に薫子の足枷となる。

「それは……僕もだよ」

 そうなるくらいなら、自分たちは切り捨てて欲しいと思う。

 それは悠乃も同じ気持ちだった。

 確かに、最後の最後でギャラリーが自分の言葉に反する凶行に出る可能性もある。

 薫子が静観し続けた結果、悠乃は殺されるかもしれない。

 だけど、そのリスクを負ってなお、薫子が来なくても良いと思う。

 むしろ来ないでくれとさえ。

「でも案外さ――」

 悠乃は小さく笑う。

 困ったような。それでいて、どこか誇らしげな笑みを。

「そういうこと言ってると――来ちゃうんだよね」


「――僕たちの姉さんはさ」

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