2章 17話 未来を切り開く覚悟

「これは……」

 水蒸気の霧に呑まれ、ギャラリーは顔をしかめた。

 彼女は、目にした光景を空間ごと固定することができる。

 一連の攻防から璃紗がそのことに気がついているのは分かっていた。

 だが、ここまで的確に嫌な手を打たれるとは思わなかった。

 相性的にはギャラリーのほうが断然有利だと考えていたのだが。

「さすがに……五年前の戦いを経験した者は違うわね」

 ギャラリーは息を吐いて精神を落ち着ける。

「だけど負けるわけにはいかないの」

 ギャラリーは周囲からすさまじい殺気を感じる。

 璃紗が自身の居場所を隠すためあらゆる方向から覇気をぶつけているのだ。

 命がけの戦場を渡り歩いた魔法少女だからこその技能だろう。

 相手の居場所が分からない現状。

 警戒心が膨れ上がり、守りに入ろうとする体。

 それを叱咤し、ギャラリーは胸を張る。

「アタシには為すべきことがある」

 悠乃との決闘を取り付け、姉であるグリザイユと再会した。

 おかげでギャラリーの中で漠然としていた想いが具体性のあるビジョンを形作り始めていた。

「魔王となり、すべての《怪画カリカチュア》を統制し、この世界を変える。アタシが、お姉様と何の障害もなく生きられる世界へと……!」

 それこそがギャラリーが抱いた夢だ。

 現時点ではグリザイユを何の憂いもなく家族として迎え入れられない。

 人間を食うことをやめ自衛のための力さえ失ったグリザイユを。

 《怪画》にとってただの食料でしかない彼女の両親を。

 今のギャラリーでは守り抜けないからだ。

 今のままでは――

「お前たち魔法少女を殺し、……! そして、すべてを変えてみせる……!」

 もうグリザイユを連れ帰るとは言うまい。

 だが、離れたくはない。

 世界さえも隔てられたまま離れ離れになりたくない。

 ――人間として生きるグリザイユの側にいたい。

 《怪画》でありながらそれを実現するためには力がいる。

 他のすべてを押さえつけられるだけの絶対的な力が。

 それを成せるのは魔王だ。

 《怪画》にとっては魔王こそが法だ。

 王が望めば本能のままに人を食らい、王が望めば秩序のもとに己の居場所を取り戻すために人間と戦う。

 王が望めば――

「お姉様の幸せを守ることのできる世界をアタシが作るッ……!」

 それだけは譲れない。

「だからお前たち魔法少女に負けるわけにはいかないのよ!」

 璃紗は基本的に直接攻撃を使う。

 つまり、ここから彼女は霧に紛れて接近してくるはずだ。

 となれば、耳をすませば駆ける璃紗の足音が――

「リーチは圧倒的にアタシが勝っている。なら……相手の来る方向さえ先読みできたのなら――」

「アタシの足音でも探してたのか?」

「ッ!」

 声が聞こえた。

 方向は――横。

 直後、濃霧の中から璃紗が飛びだしてきた。

 彼女は飛んでいた。まるで弾丸のように。

「わりーけど、それくらいの距離なら一歩で届く」

 璃紗は大鎌をすでに構えていた。

 おそらく、彼女はコンテナを蹴りつけ、その勢いでここまで跳んできたのだろう。

 先程までギャラリー自身がコンテナをめちゃくちゃに落としていたのだ。

 いまさらコンテナを蹴りつける音がしたところで、どこかの積み重なったコンテナが崩落したのだろうと聞き流してしまった。

 そこまで織り込んで、コンテナを足場にしてここまで跳躍することを決めたのだろう。

「……!」

 空間固定は万能ではない。

 対象にピントが合っていなければ固定ができない。

 つまり、見てから固定するまでにわずかなラグがある。

 今から璃紗を視界に収めても、彼女を固定する前に大鎌でギャラリーの腰を切り落とされるだろう。

 この戦いの本質は、いかに璃紗を近づけないかだ。

 これほど彼女の接近を許した時点で、大勢は決していた。

 命の危機がそうさせるのか。

 ギャラリーは自身の世界が酷く緩慢になってゆくのが分かる。

 自分も、近づいてくる璃紗も。

 すべて等しく鈍い。

 そんな世界の中で彼女の思考だけが早送りで進んでゆく。

 走馬灯のようなものが流れる。

 思い出されてゆく。

 姉様と慕う主君と過ごしたあの日の思い出がどんど――それを拒絶する。

(まだ、終わっていないわ)

 だって、それは過去だから。

 自分が掴み取るべきは未来。

 お前なんかに――甘美な過去なんかに酔いしれている暇はない。

 そう己の弱さを叱りつけた。

 そして、ギャラリーの脳裏に逆転の一手が浮かぶ。

 しかし――

(でも、それにはかなりの覚悟が必要ね)

 あまりにもリスキー。

 成功する自信はあるが、その対価を想えば背筋が震える。

 それほどに狂った博打だ。

「だけど――」

 ギャラリーは口の端を吊り上げる。

 彼女の中で言葉が聞こえていた。

 懐かしい――姉の声が。

 少しでも姉のために戦いたくて。

 ギャラリーは未熟ながらも共に戦いたいと志願した。

 その時、

 これまでで一番怖い表情で怒鳴っているはずなのに、

 あの日の事を思い出す。

 ――このギャラリー。お姉様のためなら怖いものなんてありません! アタシには! 命を懸ける覚悟がある!

 ――馬鹿者が! お前の言う覚悟は、自分から目を背けて思考停止しているだけだ! そんな覚悟を持った奴を妾は戦場へと送らぬ! 覚悟とは――


「『――!』」


 姉の言葉は、いつもギャラリーの心に温かい明かりを灯してくれる。

 不安? 恐怖? 

 命を懸ける戦場で、何も思わないほど狂ってはいない。

 だが、ギャラリーにはそれでも踏み出させばならないだけの理由がある。

 ゆえにギャラリーは駆けだした。

 ――朱美璃紗へと向かって。

「ッ!」

 璃紗の顔に驚愕の色が現れる。

 まさかここで近づいてくると思わなかったのだろう。

 近距離型の璃紗。中遠距離型のギャラリー。

 それだけで彼女の行動が非合理なのか分かる。

 だが今回だけは当てはまらない。

 理由は璃紗の特殊な得物にある

 大鎌が最大の攻撃力を有するのは先端部の刃というかなり限られた一部だ。

 つまり、厳密にいえば璃紗の射程とは、大鎌の刃が通る部分のみなのだ。

 それを利用し、ギャラリーは距離を詰めることで璃紗が得意とするリーチの更にインサイドへと踏み込んだのだ。

 もっとも、それは攻撃の回避を意味しない。

 たとえ刃が当たらずとも、柄がそこにはあるのだから。

「ぃぎぃぃぃぃッ!?」

 璃紗のフルスイングがギャラリーの脇腹を抉る。

 すさまじい激痛にギャラリーは濁った悲鳴をあげた。

 肋骨が折れ、内臓が振動する。

 ごぼりと口から血の塊がこぼれた。

 だが、生きている。

 意識を保てている。

「ちっ……。正解だよ、それでさ」

 忌々しげな表情で璃紗はそう告げた。

ギャラリーのとった行動こそが、璃紗の攻撃に存在した唯一の突破口だったのだ。

「こりゃ……アタシの負けか」

 悔しげに、璃紗は眉を寄せた。

 二人は至近距離で向かいあっている。

 この状況では、どうあがいてもギャラリーの空間固定のほうが早い。

 それが分かっているからこその言葉だ。

「ただ、無条件で負ける気はねーぞ」

 ギャラリーが空間を固めるよりも早く、璃紗が動いた。

 彼女は腕を首の後ろへと回している。

「ッ! 《魔姫催ス大個展フィキシビジョン》ッ!」

 璃紗がなにをしようとしているのかは分からない。

 だからこそ、それをさせてはいけないことは分かる。

 ギャラリーは最速で空間を止める。

 しかし――

「らァッ!」

 璃紗な首の後ろにあったなにかを掴むと、横へとぶん投げた。

「ッ!」

 一瞬だが、本能的にギャラリーは飛んでゆく物体を目で追いかけ――無理矢理に璃紗へと視線を戻した。

 一瞬だがギャラリーには見えていた。

「んほぉぉぉッ!」

 あれはイワモンと呼ばれていた、璃紗たち魔法少女をサポートしていた猫だったはずだ。

 あれには直接的な戦闘力はないと聞いている。

 それなら先に潰さなければならないのは璃紗だ。

 そう判断したギャラリーは予定通りに彼女の体を空間ごと凍結する。

「最後の最後に仲間を逃がすだなんて、仲間想いなのね」

「違うね。あのままアタシが動けなくなったら、どんなセクハラされるか分かんねーから投げ飛ばしただけだ」

 ギャラリーの問いに璃紗はそう答える。

 悠乃と同じように、彼女も頭部は固定していない。

 たいした意味はないが、ギャラリーは相手を空間固定する際、会話ができるように頭部は固定しないことが多いのだ。

 今回は無言のまま残る魔法少女を待ち構えるのが面倒というのもあるが。

 ともかく、これでマジカル☆ガーネットはギャラリーの手に落ちた。



「これで残る魔法少女はね」

 ギャラリーは息を吐いた。

 体力は底を尽きかけている。

 だが残るはマジカル☆トパーズのみ。

 あと一人を相手取るくらいであればなんとかなるだろう。

 そんな算段をギャラリーがしていると、

「……? 何か言いたいことでもあるのかしら?」

「……いや。まあ仕方ねーかと思っただけだ」

 そんなことを言う璃紗。

 いまいち釈然としないが、おそらく自身が敗北したことを言っているのであろうとギャラリーは自分なりに納得する。

「案外冷静なのね。なんの抵抗もできない状況。死が近づいている状況でそんな落ち着いていられるものなのかしら」

 ギャラリーがぶつけたのは純粋な疑問であった。

 先程の戦いが、ギャラリーにとって初の実戦であった。

 本当の意味で追い込まれる体験は初めてだろう。

 そんな状況で彼女は自分が極度の興奮状態にあったのを感じていた。

 ゆえにギャラリーとしてはここまで冷静でいられる璃紗のメンタルの根源が気になったのだ。

「ま、死にかけたのは初めてじゃねーし。さっきまで戦ってた奴に命乞いしたいとも思わねーしな」

 そこで璃紗はわずかに口元を歪める。

 身動きが取れない状態にありながら、彼女は不敵な笑みを浮かべている。

「それに――、アタシは負けたけど、はまだ負けてねーし」

 多分それは信頼なのだろう。

 仲間への絶対的な信頼。

 数多の戦場を共に駆け抜けた仲間だからこそのものだ。

「やっぱり……アタシはまだお姉様と同じ景色が見えていないのね」

 璃紗が語る想いは、五年前の戦いを経たからこそなのだろう。

 そしてきっと、ギャラリーの姉であるグリザイユにも同じ世界が見えていたのだろう。

 あの戦いを経験していないギャラリーは、実力こそあれど精神性で彼女たちに太刀打ちできない。

 実際、空間固定という一撃で勝負を終わらせる手札を持っていたからこそギャラリーは勝てただけだ。

 受けた傷はギャラリーのほうが多いという事実がそれを証明している。

 璃紗を固定しようとして失敗した際、ゲート越しで受けた反撃によって彼女の左目の上が薄く裂かれ、血が目に垂れている。

 最後のフルスイングによってギャラリーの肋骨は数本単位で折れた。

 服越しで分かるほどに彼女の胴体が変形している。

 体を形作っていた骨が折れたせいで、胴体の一部が不自然にへこんでいる。

 肋骨におさまっていたはずの内臓が解き放たれ、腹の中で好き勝手に散らばっているのだ。

 そのせいで内臓の位置が偏り、圧迫されているせいで吐き気が止まらない。

「っ……。アタシもあまり時間がないわね……」

 ギャラリーは自分の手で胴体を支え、内臓の位置を補正する。

 そしてそのままの状態を空間ごと固定。

 これで応急処置は完了だ。

 骨は治っていないが、空間ごと体の形を保つことができる。

 痛みは止まらないが、死へのカウントダウンは緩やかになった。

 何とか体裁を整えてから、ギャラリーは璃紗へと視線を向ける。

「お仲間と一緒のところで観戦していなさい。あなたに恨みはないから、今回は殺さないであげるわ」

 これはあくまでギャラリーと悠乃の決闘だ。

 もしギャラリーが勝ったとしても持ち帰るのは悠乃の首だけと決めている。

 なぜなら、他の魔法少女まで殺したのならギャラリーと悠乃の決闘という根幹が揺らいでしまうと考えているからだ。

 個人的な決闘なら、死ぬのは当事者だけで良い。

 他の魔法少女は、傷を癒してから後日狩れば問題ないのだから。

 そういう意図からの言葉だったのだが、璃紗は表情を歪めている。

「全っ然……ありがたくねーな」

 不快そうに璃紗は顔を歪める。

 だがギャラリーは意に介することなどない。

「《虚数空間スペースホロウ》」

 ギャラリーが手をかざすと、璃紗の体が黒い霧に包まれる。

 空間ごと固定されている物体は壊せないし動かせない。

 だが、周囲の空間ごと移動させることは可能だ。

 もっとも空間に干渉できるギャラリーだからこその所業だが。

「ねえマジカル☆サファイア。お仲間がやられた気分はどう?」

 そうギャラリーは空中に縫い付けられた悠乃へと語りかけた。

 璃紗は彼女の隣へと移動させている。

 もちろん空間固定は解除していない。

「……璃紗はどうするの?」

 悠乃は隣にいる璃紗を見て尋ねた。

「別に。彼女は殺さないわ。今はね。本来であれば、今回の決闘に彼女たちは部外者だったんだもの。後で殺すけど、今日は見逃してあげるわ」

「そう……」

 小さく声を漏らすと、悠乃は目を伏せた。

 どこか彼女の表情は安堵しているように見える。

 自分が取り決めた決闘で仲間が命を落とさずに済むことに安心したのだろう。

 そういうすべてを背負い込むような気質は、ギャラリーが姉様と慕う彼女と酷似している。

 敵対関係になければ、それこそ友人にでもなれたかもしれないほどに。

 いや。なれたかもしれないのではなく、今の彼女たちはそういう関係にあるのだろう。

 そう思うと、ギャラリーは胸にわだかまりを覚える。

 怒りではない。嫉妬だ。

 一度はグリザイユと敵対していた身でありながら、彼女と共に生きてゆける蒼井悠乃に嫉妬しているのだ。

 自分は姉様を想い続けているのに。

 それでなお寄り添うことが許されないというのに。

 正直に言ってしまえば、今回の決闘も彼女への八つ当たりという側面が強いのかもしれない。

 グリザイユの生存を――彼女なりに満足のいく生き方をしていると知った時点で、以前ほどの熱量で憎悪を燃やし続けることなどできないのだから。

 ただ、姉様の隣にいるのが悠乃であることが羨ましくて、憎悪を理由にして決闘を挑んだだけなのかもしれない。

 とはいえ何の考えもない行動ではない。

 魔法少女である悠乃たちを殺せば、ギャラリーの発言力は増す。

 魔王の座が空席である今、魔王の血族ではない彼女でも魔王の地位を得られる目があるのだ。

 ギャラリーが魔王となれば、グリザイユが再び魔王として戦いに駆り出されることもない。

 ギャラリーが魔王となれば、《怪画》の統治権を得て、グリザイユの幸せな生活を確保できる。

 そうなれば、グリザイユを無理に《怪画》の陣営で保護する必要もなく、彼女は人間の世界で暮らして行ける。

 ――そこにギャラリーが訪ねることがあったとしても、魔王としての権力があれば周囲の奴らを黙らせることは容易い。

 魔王という権力は、ギャラリーがグリザイユと以前のような関係を取り戻すうえで必要なものなのだ。

 始まりは妬みからの決闘でも、この戦いに勝つことはギャラリーにとってプラスに働く。

 だから、絶対に勝――

「ぅ……」

 不意に眩暈が襲ってきてギャラリーはよろめいた。

 さすがに血を流しすぎたのだ。

 彼女が空間固定できるのは見える範囲のみ。

 しかし、先程の璃紗の一撃で内臓からも出血しているはずだ。

 それは分かっているのだが、それを止めることはできない。

 

 おそらく今のギャラリーの腹は内出血で黒ずんでいることだろう。

「まだ……まだ……」

 揺らぐ視界。世界が回ってゆく。

 それでもギャラリーは地面を踏みしめる。

 まだ彼女は勝っていない。まだ敵は残っている。

 ここで倒れたら何も為せない。

 何も取り戻せないのだ。

「……ギャラリー」

 何を考えているのか、悠乃がそう口にした。

 ギャラリーの返事を期待しているわけではないであろう呟きは、どこか彼女の身を案じているようにも聞こえた。

 同情が同調か。

 ギャラリーには分からないが、今の時点で知る必要はないと切り捨てる。

 知ったところで技が冴えることなどない。

 今必要なのは、次なる戦いのために意識を研ぎ澄ますことだけだ。

「――来なさいマジカル☆トパーズ。お前で最後よ」

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