2章 14話 世界を穿つ者
「姿を隠せば、どこにゲートを開けば良いか分からない……か」
ギャラリーは周囲を見回した。
当然、悠乃の姿はない。
物音も聞こえない。
完全に身を隠したらしい。
「隠れんぼってわけね」
この倉庫はコンテナや、その他様々なものが置かれており身を隠す場所は多い。
ギャラリーのいる中心部は多少広い空間となっている、
しかし一定間隔で置かれたコンテナが複数の通路を作りだしており、ギャラリーに接近するルートを一つに絞らせない。
そんな地形を活かすため、悠乃は姿を消したのだろう。
「アタシがお前を見つけて撃ち抜けば私の勝ち。アタシに見つかることなくお前がアタシの喉笛を裂けば――お前の勝ち。缶蹴りだとか言う人間の遊びを思い出すわね」
ギャラリーは薄く笑う。
別に悠乃を仕留め損なったことに焦る必要はない。
当然とさえ思っている。
本当の戦いはここからだ。
「…………」
ギャラリーはすべての感覚を聴覚へと注ぐ。
かすかな音さえ見逃さぬよう。
そして、わずかな衣擦れの音を聞いた。
悠乃の服がコンテナに擦れた音だ。
「そこ……!」
ギャラリーは目視も、銃を構えることさえせずに引き金を引く。
必要ないのだ。
どうせ空間転移で弾丸を送り込むのだから、銃口を向けるなど時間の無駄。
「外れたわね……でも」
ギャラリーの視界の端に悠乃の姿が映る。
彼女は弾丸を躱すために飛びあがったのだろう。
「見つけたわ」
ギャラリーは狙いを定め、銃撃する。
弾丸は一直線に悠乃の胸を狙う。
「させないから」
悠乃が弾丸に手をかざすと、両者を隔てるように氷の壁が現れる。
しかし無駄だ。
「空間を操る相手に、壁がなんの役に立つっていうのかしら」
ギャラリーは氷壁の表裏に空間のゲートを開く。
すると弾丸は当然のように氷壁をすり抜けた。
防御などお構いなしに。
悠乃は咄嗟に身をひねるが、弾丸は肩を掠めた。
(当てたッ……!)
軽傷だが、ファーストヒットはギャラリーのものだ。
戦いというものは、先に一撃を与えたものが絶対的に有利だ。
傷を負えば動きが鈍り、第二撃を食らいやすくなる。
ゆえに気持ちに焦りが生まれ、強引な攻めに出てカウンターを食らう。
そんな負のスパイラルによって自滅するのだ。
それを理解しているからこそ、ギャラリーはわずかに口の端を吊り上げた。
――それを油断と呼ぶことも忘れて。
「そういえば、人間の世界にはこんな名言があるんだよ」
ゲート越しに悠乃と目が合った。
彼女は冷静さを失ってなどいない。
むしろ、
「――深淵を覗くとき、深淵もまたお前を覗いている」
氷のように、冷たく冴えきっていた。
「そのゲート、
そう告げるのと、悠乃が氷弾をゲートに撃ちこむのは同時だった。
氷弾はゲートを通り、ギャラリーが持つ銃の銃口へと滑り込む。
「ッ……!」
弾けるように広がった氷柱に内部から食い破られ、彼女のマスケット銃は無惨に破裂する。
銃の破片によって掌が裂け、血が床を汚す。
ギャラリーは自分への怒りで唇を噛む。
初手を決めたという慢心から手痛い反撃を食らい、振り出しどころかこれではマイナスだ。
「ブランクはあれど百戦錬磨の魔法少女。あの戦争を経験していないアタシが油断していい相手ではなかったわ」
五年前の戦いでは、ギャラリーは未熟さゆえに前線に立てなかった。
そのため今の彼女に高い実力があるとはいっても――所詮は経験の伴わない、ただのカタログスペックでしかないのだ。
戦場を渡り歩いたこともないギャラリーが、《
「どうせ頭を撃ち抜けば一発で死ぬんですもの。銃は二丁もいらないわ」
ギャラリーは残った一丁のマスケット銃で悠乃を狙う。
銃口が悠乃を見定めるまでの刹那。
そこを突いて悠乃が前進する。
二人の距離は五メートル。
ギャラリーが撃つ。
しかし悠乃はわずかに体を横に傾けるだけで回避する。
掠った弾丸が彼女の頬を裂き、数滴の血が飛ぶ。
二人の距離は三メートル。
こうなれば、氷剣を持っている悠乃の間合いだ。
彼女は右腕を引き、氷剣による刺突のモーションへと移行した。
ここからでは再び銃弾を撃つ時間などない。
だから――再利用する。
「べー、だ」
ギャラリーは大口を開け、舌を出す。
彼女の喉の奥には――
「なッ……!」
それが意味することを察したのだろう。悠乃の表情が驚愕に染まる。
現在、悠乃の後方にゲートが開いている。
彼女へと放たれた銃弾は、彼女の背後にあるゲートを通過し、ギャラリーの口の中にあるゲートへと転送されたのだ。
だから、これからギャラリーの口からは先程の弾丸が撃ち出される。
この間合いでは避けられない。
すでに悠乃は攻撃の体勢に入っている。
ここから動きを無理矢理中断し、避けようとしても一瞬のラグが生まれる。
それが致命的なロスとなるほどに余裕がない状況。
もう間に合わない。
「ッ、ぁぁッ!」
そんな状況に対して悠乃が提示した解答は想定外のものだった。
彼女は地面を凍らせたのだ。
一瞬で足元の摩擦力を失った彼女は足を滑らせ、その場に尻餅をついた。
ギャラリーの弾丸が悠乃の頭上を素通りしたことは言うまでもないだろう。
「く……!」
完全に不意を突いたと思っただけに、ギャラリーは悔しげに顔を歪めた。
だが反省する時間さえない。
すでに悠乃は倒れた姿勢のまま氷剣を振るっているのだから。
喉から脳天にかけて斬り上げる軌道。
ギャラリーは全力で身を反らしながら後方に跳んで躱す。
しかし、
「とっさに左手を盾にして良かったわ。それで剣速が衰えていなかったら、喉にも届いていたかもしれないわ」
ギャラリーは左腕に目を向け、安堵の息を漏らす。
彼女の服は袖が破れ、その奥にある白い肌に小さな赤い筋が描かれていた。
筋肉を断つほどに深い傷でもない。
そもそも左手の銃はすでに破損したため、左手はこの戦いにおいて有効利用されることはなかっただろう。
そういう意味では、左腕を盾にしたことで他の部位への被弾を防げたというのであれば上手い買い物をしたといえるだろう。
「惜しかったわね。今のが最初で最後のチャンス。もう至近までお前を近づけることは――」
「――《大紅蓮》」
そう言って悠乃が指を向けてくる。
だがなにも起こらない。
ギャラリーは怪訝な表情で首を傾げた。
「なによそれ」
「今、僕が見せた技だよ」
「……お前には、相手に掠り傷をつけるための技なんかを――」
ギャラリーが挑発の言葉を口にしようとした時――
――
「……え?」
ギャラリーは茫然と左腕を見下ろす。
先程までは軽い切り傷だけだった左腕。
しかし今は白骨が見えそうな程に肉が削げ、赤い染みが袖を広がっている。
さらにすさまじい激痛が彼女の脳を掻き回した。
「ぎ、ぁあ……! なによこれぇ……!」
「さっき君の腕を斬った時、君の血液を少しばかり凍らせたんだ」
悠乃は無表情でそうつぶやいた。
「言うなれば、それは
「ぃ……ぐぅ……!」
ギャラリーは左腕を押さえる。
当然ながらそれくらいで止まるような出血ではない。
「そうやって破裂した肉は、
「ちっ」
舌打ちをしてギャラリーは銃を悠乃に向けて構える。
己に時間がないことを悟ったのだ。
すぐに戦いを終わらせる必要がある。
そんな想いは、最初の一瞬で挫かれる。
「な……!」
ギャラリーは悠乃へと照準を合わせるため右腕を振り上げた瞬間、マスケット銃がすっぽ抜けたのだ。
銃は手を離れ、床へと落ちる。
武器を取り落して敗北するなど、どんな阿呆なのだ。
そう思ったギャラリーだが、今の現象の原因に思い至り、背筋が凍った。
「手が……かじかむ?」
ギャラリーは自分の手が震えていることに気がついた。
恐怖のせいではない、寒いのだ。
「やっと気づいたみたいだね。僕は戦いが始まってからずっと、この倉庫内に冷気を充満させていたんだよ」
悠乃がゆらりと歩み寄ってくる。
「ここは室内だからね。戦いの片手間でも、室温を下げるのは簡単だったよ」
この戦いの中、ギャラリーは冷気にさらされていたのだ。
いきなり症状が現れたのは、先程の出血で体温が一気に下がったからだ。
低体温症に陥ったギャラリーには武器を握る握力さえ残っていなかった。
「冷気と出血。これから僕は、外と内の両方から君の体温を奪い、凍死させる。降参するなら、細胞が壊死する前にしたほうが良いよ」
戦いの興奮の中で体温低下に気がつかなかったギャラリーは、ここまで追い込まれて始めて自身の状況を直視した。
今の自分は、詰みの直前であると自覚した。
「はぁッ!」
悠乃が迫る。
氷の血栓。
あれを首や胸に仕込まれれば――即死だ。
そう判断したギャラリーは両手で上半身を守る。
だが冷気で体が鈍っており、思ったように動けない。
だから――悠乃が狙いを変えたことへの対応が遅れた。
「ぐ……ぁァ……!」
悠乃は高速でギャラリーの隣を駆け抜けた。
ギャラリーのふくらはぎに一筋の跡を残して。
《大紅蓮》によって足が破裂し、ギャラリーは苦悶の声と共にその場に倒れ込んだ。
すぐさま立ち上がろうとするも、足に激痛が走ったことでギャラリーは無様に地面へと崩れ落ちる。
左手に続いて片足を奪われた。
千切れてはいないが、体重を支えられる状態ではない。
経験したこともない激痛でギャラリーの目から涙がボロボロとこぼれる。
そんな隙だらけの状況。
だが追撃は来ない。
「……まるで狩人ね。アタシが動けなくなるまで、見えないところで様子をうかがい続けるってわけ」
すでに時間はギャラリーの大敵となっている。
であれば悠乃は彼女が死ぬまで待てばいい。
ちょうど良い隙があれば、彼女の体を少しずつ破壊しながら。
ゆえに悠乃は身を隠し、遠目にギャラリーを削ることに徹する。
嫌らしいが、かなり合理的な戦い方だ。
「……見るな」
だが、ギャラリーの目は光を失ってはいない。
赤く腫れた目に怒りの炎を灯し、彼女は吠える。
「アタシの覚悟を――甘く見るなァァッ!」
ギャラリーが叫ぶと――コンテナが二つ消失した。
直後、消えたコンテナは天井近くに出現する。
そのままコンテナは自由落下し、倉庫内を蹂躙した。
彼女はコンテナを上へと転移させ、落とすことで攻撃したのだ。
「アタシを嬲り殺しにするっていうならやってみなさい! その前に、コンテナで踏み潰してミンチにしてやるんだから!」
無作為で選んだコンテナは次々に飛ばし、落とす。
倉庫内は荒れに荒れて埃が舞い上がる。
これでは悠乃も隠れ続けられないはずだ。
「いたッ!」
埃の中、人影を見つける。
シルエットで分かる――蒼井悠乃だ。
「床の染みにしてあげるわ!」
ギャラリーは人影の真上にコンテナを出現させた。
コンテナが落下することで巻き起こされた風圧が埃を散らす。
「しま――」
そこで初めて、悠乃は背後に迫るコンテナの存在を認知した。
だがもう遅い。
「がッ……!?」
コンテナの角が悠乃の背中へと直撃する。
背骨からメシリという音を鳴らし、悠乃はコンテナと一緒に地面へと叩きつけられた。
落下の衝撃で舞い上がる埃。
埃の霧に包まれながらもギャラリーは高笑いをした。
悠乃を殺した興奮で痛みさえも吹っ飛んだ。
「あはッ……! どうよ! 思い知ったかしら! 頭くらい残っているでしょうから、死ぬ前にアタシの――」
「その埃。吸わないほうが良いよ。……凍ってるから」
聞こえてきた悠乃の声が、ギャラリーの心に冷水を浴びせる。
直後に、ギャラリーは喉にチクリとした痛みを覚えた。
そして次の瞬間には、彼女は大量の血を吐いていた。
「ぅぇ……おぇぇぇッ……!」
ギャラリーは血を吐き、苦しさのあまり手で喉を押さえる。
喉が焼けるように痛い。
彼女は見た。
周囲を舞う埃が、ダイヤモンドダストのように光っているのを。
凍った埃が、尖った形状をしているのを。
「――ざっぎの埃は……。氷の刃……。吸い込んだ者の喉を裂く、氷の刃ってわけね……」
「……ご名答」
埃が晴れ、悠乃の姿が見えるようになる。
「……危なかったよ。魔法が遅れていたら今頃下半身が潰れていただろうね」
結果から言えば悠乃は無事であった。
無傷ではない。だが死んでもいない。
彼女は落下直前、二本の氷柱を地面から伸ばしていた。
その二本は彼女の脇腹を掠めるようにして成長し、彼女を潰さんと迫るコンテナを支える支柱となったのだ。
おかげで彼女は氷柱が作りだした安全地帯に滑り込み難を逃れた。
「よいしょっと……」
悠乃は氷柱の間から体を抜き出した。
「っく……」
そのまま立ち上がろうとした彼女だが、急に膝をついた。
彼女は腰に手を当て、痛みに耐えるような表情をしている。
どうやら先程のコンテナによる衝撃で、かなりのダメージを受けてはいるらしい。
腰というのはどんな動作をするにしても大事な役割を持つ。
そこを痛めたとすると、悠乃はこれから立つも走るも困難となるだろう。
すでに彼女の氷銃は砕け、氷剣も半ばから折れている。
彼女もまた限界が近いはずだ。
「じ……死にな、ざいッ!」
潰れかけた喉でギャラリーは叫ぶ。
すると悠乃の頭上にコンテナが二つ現れた。
とても二本の氷柱で支え切れる重量ではない。
このまま押し潰せばギャラリーの勝ちだ。
「まだ、負けられない……!」
今の氷柱では重量に耐えきれない。
だからこそ、悠乃は自分へと向けて氷柱を伸ばした。
槌のように先端が平たい氷柱は、悠乃の体を遠くに叩き飛ばす。
悠乃の体は軽々とコンテナの落下地点から外れ、別のコンテナの陰へと逃げ込んだ。
動けないなら、自分の魔法で吹っ飛ばされればいい。
そんな大胆な発想だ。
「その傷じゃもうロクに動けないでしょう……! 動かないなら、そのエリア一帯をぶっ潰す……!」
しかし、あの方法では目立たずに動くことは不可能。
つまり依然として彼女があそこにいるのは確定。
そこまで考え、さらにコンテナを送り込もうとギャラリーは決意した。
ガラン。
「え……?」
攻撃に移る直前、ギャラリーの背後でなにかが落ちる音がした。
音からすると金属だ。
いや、材質など問題ではない。
問題は、勝手に道具は落ちたりしないということだ。
「まさか――!」
あの体でギャラリーの背後へと回り込んだのか。
そう思い至った彼女は反射的に振り返る。
そこにあったのは、
地面に転がる工具だった。
金属でできた工具は半分ほどが凍っている。
そしてその氷は溶けかけ、水たまりを作っていた。
「まさか、
――陽動だ。
天井に設置していた工具をギャラリーの背後に任意のタイミングで落とすことで彼女の注意を逸らす。
単純明快な作戦だ。
だが、積み重なるダメージで判断力が鈍っていたギャラリーはその作戦に嵌まってしまった。
(ッ!? しまったッ……!)
急いでギャラリーは視線を正面へと戻す。
そこには、
「はぁぁぁッ!」
折れた氷剣を片手に特攻する悠乃姿があった。
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