2章 13話 蒼井悠乃VSギャラリー

「しっかし、最近は学校も退屈になったな」

 璃紗は屋上で空を見上げながらぼやく。

 彼女の手にあるのは昼食のパンだ。

 別に学校生活が変わったわけではない。

 悠乃たちと再会し、放課後が騒がしくなっただけだ。

「寝るか」

 璃紗はそう呟くと、コンクリートの床に転がった。

 彼女が通う学校の屋上は広い。

 何人もの生徒が昼食を取っているが、それでもスペースに余りはある。

 彼女が寝転がったところで誰の邪魔にもならない。

 誰かの声は聞こえるが、会話の内容までは聞こえない。

 そんな絶妙な環境で璃紗は眠る。

「にょふ。にょふ。にょうふ」

 ――はずだった。

 妙にオッサン臭い猫の声が聞こえなければ。

「ん?」

 璃紗は横になったまま片眼を開けて声の主を確認する。

 そこにはデブ猫がいた。

 肥満猫が腹を向けて転がり、女子生徒たちに撫でられている。

 明らかに見覚えがあるデブ猫だった。

 というかイワモンだった。

「にゃん。おっふ。おっふ」

「きゃー。ブサ可愛いー」「ていうか息づかいがオッサンだよねー」

 オッサンはダメで、オッサン猫は大丈夫。

 璃紗には分からない基準であった。

 ブサ可愛いはブサイクではないのだろうか。

 あんな死にかけみたいな呼吸音をしたデブ猫のなにがいいのか。

 謎だ。

「にゃん。にゃんん……ぅっ……おふぅ……」

 きっと慣れているのであろう。

 イワモンは猫を演じきっていた。

 時折変な声が漏れているが気のせいだと思いたい。

「「じゃあねー。ぶちゃ丸ー」」

 変な名前で呼びながら生徒たちはイワモンから離れてゆく。

 どうやらひとしきり遊び終えたらしい。

「ぬふふ。全裸で女子高生に全身を触らせるプレイは最高だな」

「んなもん見せられたこっちは最低の気分だよ」

 女子高生の目がなくなるやいなや、イワモンは両足で立ち上がって璃紗へと歩み寄って来た。

 璃紗が辛口で返すも、イワモンは楽しそうに腹を揺らすだけだ。

 この猫への罵倒は効果がないようだ。

 むしろ喜んでいる節さえある。

「で、用事でもあんのか? それとも女子高生を物色に来たのか?」

 何の意味もなく璃紗のいる学校にイワモンが来ることはないだろう。

 もしかすると残党軍のほうで動きがあったのかもしれない。

 そう考えて璃紗は問いかけた。

 するとイワモンは笑顔で、

「後者なのだよ」

「他所でやりやがれ」

 ――数秒前の自分が馬鹿だったと反省する。

 今のコイツに欠片でも真面目さがあると考えた自分が愚かであった。

「無論ヤりまくるが。ここの女子が一番ミニなスカートなのだよ。薫嬢の学校も清楚美人が多くてグッドなのだがね。ただ悠乃嬢の学校は、悠乃嬢ばかりを見てしまって女子の印象が薄いな」

「泣くぞ。……悠乃が」

「では紳士として、淑女の涙は拭わねばならん」

「マッチポンプじゃねーか」

「恋の駆け引きと言ってくれたまえ。時に恋愛とは、策を弄することもあるのだよ」

「自分の策に溺れて死ね」

 辛辣に言い放つも、イワモンは全く意に介していない。

 いや「カモン……カモン……!」と言っている以上、璃紗が望まぬ方向で彼に影響を与えているようだ。

「そういえば、少し前に悠乃嬢を見たのだよ」

「お前、本当に女あさりしかしてねーのかよ。女目当てに学校をハシゴなんて、随分良い趣味してんじゃねーの」

「いや、

「?」

 璃紗は疑問符を浮かべた。

 少し前と言ったので数時間以内を想像していたのだが、朝方の話だったのだろうか。

「イワモン。脳味噌までボケちまったのか? 何時間も前のことを、少し前って言わねーぞ」

「いや。半刻も前のことではないが?」

 続くイワモンの言葉に、璃紗はさらに疑問を深めた。

 当然ながら悠乃にも学校があるはずだ。

 そんな時間に校外を出歩いているとは思いにくい。

「具合でも悪かったのか?」

「朕もそうかと思ったのだが、走っていたのだよ。悠乃嬢がハァハァ言っていたせいで、朕までハァハァしてしまったのだよ。そして悠乃嬢に掻きたてられた虎のごとき欲望を鎮めるため、ここへ来たのだ。そして今、仰向けに寝ているせいで左右に引っ張られている璃紗嬢のパイ乙によって欲望が再燃してしまい困っている」

「ハ、ハァ……!? 馬鹿みたいなこと言ってんじゃねーぞッ!」

 反射的に璃紗はイワモンの顔面に掌打を打ち込んだ。

 今日は少し暑かったので制服の胸元を開いていたのだ。

 まさか見られていたとは。

 油断した。

 璃紗は起き上がると、急いで胸元のボタンを留める。

「ん……んで、悠乃はどこ行ってたんだよ?」

「さあ。風が吹いたので周囲のスカートを確認していたら見失った」

「使えねーなッ!?」

「んっん~。できればもう一度『ここまでして起きないとか。お前のアレ、全然使えねーな』と言ってはくれまいか。軽蔑とわずかな落胆を孕んだ目で」

「一回も言った覚えねーけどな! しかも、妙に難しい演技を要求してんじゃねーよ!」

 璃紗は頭を掻きむしる。

 イワモンと話しているとペースが乱される。

 そもそも、あまり下ネタは得意ではないのだ。

 高校生にもなれば内容は理解できるが、聞いているだけで顔が赤くなる。

「それにしてもちょっと妙だな」

 気を取り直し、璃紗はそう口にした。

 自分はともかく、悠乃は学校をサボるタイプではない。

 だが、体調不良ではない。

 となれば彼が校外に出ている説明がつかない。

「イワモン。《怪画カリカチュア》の気配とかはないんだよな?」

 あと考えられるとしたら《怪画》関連だ。

 校内で《怪画》に遭遇し、そのまま戦闘に。

 それを追っていたと考えれば、つじつまが合わなくはない。

 多少の違和感はあるが。

「ない、な。特殊な手段を持っているのならば分からないが、朕のレーダーにはかかっていない」

「そっか……」

 璃紗はひとまず安心する。

 《怪画》との戦闘になったのでなければ、すぐに危険が迫っているわけでもないだろう。

 なんらかの事情はあったのだろうが、大事にはならないはずだ。

 とは割り切れないのが璃紗である。

「心配なのかね?」

「そりゃ、ちっとはな」

 付き合いの長さもあってかイワモンには内心を見透かされたらしく、璃紗は少し悔しそうに顔を逸らす。

「あいつって結構抱え込むし」

 内気で人を頼れないくせに、責任感が強くて必要のないものまで背負う。

 魔王グリザイユを殺したときが最たる例だ。

 薄々察してはいたが最後まで彼が璃紗たちに胸の内を吐露することはなかった。

 五年間、彼はあの日の苦しみを忘れることも、誰かと分かち合うこともできなかった。

 そんな蒼井悠乃が儚く見えて、心配で目が離せない。

「まあ悩みでもあるんなら、放課後に聞いてみるか?」

 だから、お節介かと思いつつもそんなことを思う。

 なんというか悠乃は、守ってあげたいと人に思わせるのだ。

 それは女の子扱いもされるわけだ、と璃紗は内心で納得する。

(――とはいえ)

「ふっ……」

「なにか面白いことでも思い出したのかね?」

「いや――」

 耐えようとしても、璃紗は笑みが漏れるのを自覚する。

「なんだかんだ、アイツなら大丈夫だろーなって思っただけだよ」


「――覚悟を決めたアイツは結構……男らしいからな」


 蒼井悠乃は守りたくなるような少年だ。

 だが、自分の手で大切なものを守り抜いて見せる心意気を持った――立派な男の子でもあるのだ。

 それを璃紗は知っている。



「一人で来たのね」

 指定された時刻。

 指定された倉庫。

 そこにはギャラリーがいた。

 白いゴスロリ服を纏い。

ドリルのように巻かれた桃色のツインテールを揺らし。

 彼女は威風堂々と悠乃を待ち構えていた。

 彼女はコンテナに挟まれた花道の先で腕を組んで佇んでいる。

「別に、仲間を連れて来ても良かったのよ?」

 ギャラリーは不敵な態度でそう言った。

 それに悠乃は正直に答える。

「今日の朝、君が手紙を置いたのに僕は気がつかなかった」

 それは一つの事実を指し示す。

「つまり、あの時点で君は僕を殺すことも可能だったわけだ」

 実際にそうなれば、殺気を察知して悠乃もそれなりの対応をするだろう。

 しかし変身していない状態では分が悪い。

「そこから君が正々堂々と戦いたいと。勝ち負けという結果よりも、過程に重きを置いているのだと僕は感じた」

 悠乃は一歩を踏み出す。

「なら。僕もそうあると決めた。みんなの力を借りた戦いでは、君の覚悟を越えることはできないと思った。だから一人でここに来たんだ」

 そう悠乃は宣言する。

 今回の戦いは、意地と意地のぶつかり合いだ。

 理屈を越えた世界で、悠乃たちは向かい合っている。

「――自分なりの考えがあっての結論なら、アタシから言うことはないわ」

 そう言うと、ギャラリーは腕を左右に伸ばす。

 すると彼女の手の近くの空間が歪んだ。

 歪みの中から現れたのは――二丁のマスケット銃だ。

「だって自分のワガママなら、それで死んでも自業自得だもの」

 ギャラリーはマスケット銃を手に取った。

「――――変身」

 悠乃は静かに宣言した。

 すると彼を――彼女を中心として冷気が広がる。

 周囲のコンテナに薄い氷が広がる。

 ギャラリーの息が白くなる。

 冷風が倉庫内を吹き抜けた時――一人の少女が現れた。

 青髪のポニーテール。

 そして両手に握られている氷剣と氷銃。

 マジカル☆サファイアと呼ばれた魔法少女がそこにはいた。

「――準備完了ね」

「うん」

 悠乃は首肯する。

 二人の間に広がる静寂。

 ピシリ。

 コンテナに張っていた氷にヒビが入り、剥がれ落ちた。

 それは地面へと落下し――砕ける。

「「ッ!」」

 それこそが決闘の始まりを告げる合図。

 示し合わせるまでもなく、同時に悠乃たちは動いた。

「撃ち抜け!」

 ギャラリーの両手にあるマスケット銃が火を噴いた。

 射出された弾丸は、計四発。

「…………」

 悠乃は体をひねり、弾道の隙間に滑り込む。

 これで躱せたのは二発。

 悠乃はそこで、左手の氷剣を一振りした。

 狙うのは弾丸二発を結ぶ軌跡。

 舞うような滑らかな動作で悠乃は二つの弾丸を弾く。

 そうして残る二つの弾丸も彼女を掠めるようにして通りすぎてゆく。

「今度はこっちだ」

 悠乃は右手の氷銃の引き金を引く。

 利き手から放たれる氷弾は一切のブレがない精密射撃。

「…………」

 それをギャラリーは首を傾けるだけで避ける。

 二人は表情を変えない。

 この程度は挨拶。

 そんなことはどちらも知っているから。

 ゆえに焦らず、次の一手へと思考を割く。

「《虚数空間スペースホロウ》――《空穿ツ波紋ピクチャーフレーム》」

 ギャラリーが持つ銃の先端が黒い霧に包まれる。

 ――蒼井悠乃はギャラリーの能力について考察していた。

 これまで彼女が起こしてきた現象を整理し、一つの結論に達した。

 ギャラリーの能力は――空間転移。

「ッ!」

「あら」

 悠乃が頭を傾けると、髪が数本舞った。

 彼女のすぐそばを弾丸が通過したのだ。

 悠乃が目だけで背後を確認すると、そこには黒い霧があった。

 そこからは一つの銃口がこちらを狙っている。

 あの霧がゲートなのだ。

 あの霧をワープポイントとして、霧と霧をつなぐように物体を転移させる。

 それがギャラリーの能力。

「大概の相手はこれで死ぬのに。さすがね」

 相手に銃口を向けるのではなく、空間転移で銃口を相手の死角に出現させる。

 初見で見抜くのは困難であろう。

 事実、能力をある程度絞り込めていなければ、悠乃もあそこで頭に風穴を開けられていたはずだ。

「照準を合わせる必要のない射撃。確かに厄介だ」

 そう言いつつも悠乃は慌てない。

 思考はすでに次の一手へと向かっている。

「でも、それはどこを狙えば良いか分かっていることが前提だよね」

 悠乃は身を翻す。

 ギャラリーがさらに弾丸を撃つが、それらをすべて躱す。

 一気に跳びあがる悠乃。

 彼女はそのままコンテナを跳び越え、ギャラリーの視界から姿を消した。

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