2章 12話 戦う姿勢

「ツッキー。昨日の戦いどうだったー?」

 学校の教室。

 まだ授業が始まっていない朝に、そう春陽が語りかけてきた。

「どう、とはずいぶん抽象的な質問ですね」

 教科書を読みこんでいた美月は視線を上げる。

「うー。絶対分かって言ってるよねー?」

「ええ。もちろん」

 美月はメガネを人差し指で上げる。

「結論から言うと、不可能ではないけれど一定の不安はある、ですね」

「分かんなーい」

「あの程度の相手なら問題はなさそうですが、相手が実力者となれば分からないというわけです」

 それが美月の正直な感想であった。

 前回の《怪画カリカチュア》との戦いは、己の魔法を検証しながら戦う余裕があった。

 しかし、あの程度の相手しかいないのなら、わざわざ自分たちがスカウトされるわけがない。

 すでに世界を救った魔法少女が三人もいるのだから。

 そう考えると楽観的にはなれない。

「姉さんは楽観的ですからね。私は物事を人一倍懐疑的に考えるよう努めています」

「うん。話し合いは重要だねー」

「会議ではありません。油断なく慎重に事を進めているということです」

 美月は自分の認識を過信しないように努力している。

 自分の目の前には落とし穴があるのではないか。そう疑っている。

 それくらい用心深いことが戦いには求められると考えるからだ。

「それでも私は所詮、魔法少女としても人間としても若輩です。私が認識している以上に、戦い続けることは厳しいものなのかもしれません」

「ツッキーに分からないなら、わたしじゃもっと分からないよ」

 春陽は首をひねる。

 普段であれば「自分でも考えてください」と言うところだが、今回ばかりは仕方がないだろう。

 美月たちは絶対的に経験が足りておらず、判断しようがないのだ。

 実際、今の美月が考えていることも憶測でしかない。

「やはり、先達に聞くのが一番でしょうね」

「んー? 先生に聞くのー?」

「……なんで学校の先生に魔法少女の相談をするんですか。空欄以上に先生を心配させる進路相談ですよ」

 春陽のズレた答えに美月は肩を落とす。

 いつものことだ。

「やはり、これから戦場に出る以上、これまで命を懸けて生きてきた人たちの意見を聞いておくことは不利益にはならないはずです」

「ツッキー。命を懸けて生きているのは戦場で戦っている人たちだけじゃないんだよ?」

「なんで急に深いこと言いだすんですか。否定はしませんが、サラリーマンに魔法少女の心得を聞いて意味があるんですか?」

「きっと笑顔になってくれるよ」

「それは苦笑いです。それも、かなり引きつった」

 そこまで言うと、美月は一度口を閉じた。

 そして少し真面目な声音で、

「私たちは昨日、魔法少女としてデビューしました。しかし、まだ命の危機を現実として感じたことがありません。それはつまり、私たちが本当の意味で魔法少女というあり方の重みを知らないということです」

「うんうん」

 春陽が頷く。

「ですがあの三人はきっと、私たちなんかよりも死を近く感じているでしょう」

 美月は思い出す。

 五年前。この町を襲った大災厄を。

「グリザイユの夜。見ているだけの私たちでさえ怯えていたあの日。元凶と対峙していたあの人たちが、何も感じていなかったとは思えません」

 もし感じていなければ生粋の異常者だ。

 きっとあの戦いに挑んだ者たちには、死の恐怖というあらゆる生き物が有する生存本能を踏み越えるだけの何かがあったのだ。

「命の危機を知らずに命を懸けるだなんて馬鹿にもできます。命の危機を知って、それでも一歩を踏み出せる覚悟が――私は知りたい」

 それはきっと、これから必要なものだから。

「でもそれって、聞いて分かるものなのかなー?」

 ふとそんなことを春陽が言った。

「だってそれって、みんな違う答えを持っているものだよね?」

 春陽は笑う。

「わたしが、ツッキーを守らなきゃって思っているみたいに」

 彼女はそう美月へと笑いかけた。

 その笑顔は純粋で――決して翳ることのない光をそこに見た。

「――姉さんは、時々核心を突くので困ります」

 そう美月は笑みをこぼした。

 いつものことだ。

 春陽は何も考えていないように見えて、自分が悩んでいることの答えをあっさりと提示する。

 一足飛びのように美月が至るであろう答えを先取りする。

 対して自分は、馬鹿みたいに理屈をこねまわして、彼女と同じ結論に至るのだ。

 春陽は要領が良いのだ。何事にも。

「ツッキーは理屈っぽいから遠回りしちゃうんだよー。でも、だからこそ頼りになるんだけどねー」

 屈託なく笑う春陽。

 顔はともかく、思想は正反対の双子。

 案外バランスはとれているのだろう。

 同じだから相性が良いのではない。

 正反対で、補完し合うから相性が良いのだ。


「もし私が命を懸けるとしたら、どんな想いを胸に抱いてるのでしょうか」


 美月はそう呟き、窓の外を見つめた。

 そこにはいつも通りの空が広がっていた。

 誰かが生きていて、誰かが死んでいる。

 でも、そんなことを美月は知らないし、悲しみもしない。

 そんな世界だ。

 違いがあるとしたら、その人が自分の知り合いであるか否か。

 それくらいだ。

 ドライかもしれないが、世界なんてそんなものだろう。

 地球の裏での悲劇なんて、自分にとっては喜劇でさえない。対岸の火事とさえ思えない他人事だ。

 人が死や命の意味を知るのは自分自身にそれらが突きつけられた時だけなのだ。

 

 チャイムが鳴る。

 ――今日の始まりだ。

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