2章 15話 あっけない幕切れ

 ラストチャンス。

 悠乃はそう直感していた。

 今、ギャラリーは背後からの音に引っ張られ正面から目を離した。

 普段であれば、それでも彼女は悠乃へと意識を残し続けていただろう。

 しかし極限状態であったがゆえ、ギャラリーは一瞬とはいえ悠乃への警戒を完全に忘れてしまった。

 警戒網にできたセキュリティホール。

 悠乃は全力でそれを突く。

「ッ!」

 悠乃はすでに自力で走ることはできない。

 だから足元から高速で氷柱を伸ばし、その勢いに乗って加速する。

 彼女は空中をかき分ける弾丸となってギャラリーに迫る。

「はぁぁぁッ!」

 氷剣を構える。

 ギャラリーがこちらに気がついた。

 しかし間に合わない。

 ギャラリーには、このタイミングから間に合う攻撃はない。

 突然のことでギャラリーの反応は一手も二手も遅れている。

 心臓に続く血管へと《大紅蓮》を仕込むこともできると確信した。

「いっけぇぇぇ!」

 悠乃は氷剣を構える。

 そしてそのまま振り抜こうとして――


「いや。


 悠乃の視界が暗転した。


「……え?」

 地面に叩きつけられ、全身を襲う衝撃。

 一瞬とはいえ気絶していたのか、悠乃は気づくと地面にうつ伏せの姿勢で倒れていた。

 背中が痛い。

 悠乃は首を動かして背中を確認する。

「なに……これ?」

 彼女の背中には、身の丈ほどもある鉤爪が五本も刺さっていた。

 そこで初めて理解する。

 今、

「ざんねーん。魔法少女マジカル☆サファイアのHPはゼロになってしまった~。彼女の冒険はここで終わりだ~」

 背中に刺さった鉤爪を辿ると、そこには黒い少女がいた。

 銀の鎖や髑髏を組み合わせたコーディネート――ロックファッションとでもいうべき格好をした少女。

 彼女は悠乃の背中を踏みつけ愉悦の表情を浮かべていた。

(いつの……間に)

 まったく気がつかなかった。

 いくらギャラリーに意識を向けていたとはいえ、攻撃されて初めて悠乃は彼女の存在に気がついた。

 余程気配を消すのが上手いのか――悠乃が敵の存在を認識できる間合いよりも離れた位置から一瞬でここまで来たのか。

 どちらにしろ彼女はすさまじい手練れだ。

 もしかすると、ギャラリーよりも……強いかもしれない。

「なにしに来たのよ……キリエ」

 そんな少女を睨みつけるのはギャラリーだ。

 彼女は突然の来訪者に鋭い眼光を向けていた。

 それを受けた少女――キリエは肩をすくめ「おお怖い怖い」ととぼける。

「何しに来たの……か。ふむ。するとアタシは『なに? 死にに来たの? ギャラリー』とでも答えればいいのかな?」

「真剣に答えなさいよ。なんの意図があって、アタシの決闘の邪魔をしたの……!? いくら同じ《前衛将軍アバンギャルズ》でも許さないわよ……!」

 苛立たしげにギャラリーが叫ぶもキリエはどこ吹く風だ。

「アタシたちは《怪画カリカチュア》。魔王としての誇りを守るためなら勝たないとね――そのためならどんな手でも許される。《前衛将軍》ならなおのこと。それは正々堂々とした決闘とやらでも同じことだろ? 負けは許されない」

 キリエはにやりと笑う。

 そして、彼女は鉤爪をひねった。

「ぃ……ゃぁッ……!」

 傷口がこじ開けられる。

 広がった穴から血液が溢れた。

 悠乃は涙をこぼしながら悲痛な声を漏らす。

「おやおや可愛い声だ。そういうのは、男に抱かれながら悶え狂う時までとっておきな……よッ!」

「ぃぐぅッ……!?」

 キリエはもう一方の手を振り下ろし、さらに五本の鉤爪を悠乃の腰から下をめがけて刺し込んだ。

「ぁ……ぁぁ……」

 計十本の爪に貫かれ、悠乃は目を見開いた。

 そして彼女は一度だけ痙攣したように体を跳ねさせると、そのままぐったりと地面に突っ伏した。

 半開きの口からは涎がこぼれ、目からは光が消え焦点があっていない。

 出血がひどい。

 悠乃の意識はすでに消失しかけていた。

「全身を貫かれてアヘアヘってわけかな? うん。それなら、いっそ股にでも刺しておけば良かったかもしれないね」

 キリエの嘲笑が聞こえる。

 だが、その声さえも遠くに思えてくる。

 悠乃は意識が薄れてゆくのを感じていた。

 そして、ここで気を失えばもう目覚めることがないだろう。

 彼女たちが悠乃を見逃すとは思えない。

 だけど、もう、何も、分からない。

「――ってよ。帰って――! 今すぐ、――」

「――? この場に及んで――――ワガママ――――? 誰がどう――殺――、一緒――?」

「それでも――――! こんな――――納得が――――!」

「――――…………。もう勝手に――――? アタシは――――――!」

 言い争うような声が、聞こ、える。

 だが、もう、よく分からな、い。

 意識が、もう、保て、な……い。


 やはり、遺書を書いて、いたのは……正解、だったのだ、ろう……。



「ん……んんぅ……?」

 ゆっくりと悠乃は目を覚ました。

 寝ぼけたまま彼女は周囲を見回す。

 見えた景色は、荒れ放題の倉庫。

 どうしてこんな所にいるのだろうか。

 その経緯を思い出そうとして――

「!」

 数秒間放心した後、悠乃は完全に覚醒した。

 自身が置かれた状況を思い出したのだ。

 悠乃がギャラリーにトドメを刺す直前、キリエ――口ぶりからして《前衛将軍》の一人なのだろう――が乱入してきた。

 奇襲に気付けなかった悠乃は地面に磔となり、そのまま気絶したのだ。

 意識がある以上は生きているのだろうが、あの状況から生き延びられるとは思えない。

 捕虜として生かすことにしたのか。

 ともかくマズい状況なのは確かだ。

 悠乃は逃げ出そうとして、体が動かないことに気がついた。

「? 体が……?」

 そこで初めて、自分の体が何もない空中に固定されていることに気付く。

 全く動けないわけではない。

 ただ、両手首と両足首が、まるで

今、彼女の体は地に足着くことなく拘束されていた。

「あら。もう起きたのね」

 悠乃は声が聞こえてきた方向へと顔を向けた。

 そこにいたのはギャラリーだ。

 彼女の体の傷はそのままだ。しかし、なんらかの処置をしたのか、最低限の治療はできているようだ。

 削げ落ちかけた肉は元の位置に戻り、すでに血は止まっている。

「アタシの傷が気になるのかしら? まあ、無理矢理固定しただけだもの。こんなの応急処置も良いところよ」

 よく見ればギャラリーは脂汗を浮かべている。

 あれは体の崩壊を防いでいるだけで、傷が、痛みが消えているわけではないのかもしれない。

「安心しなさい。キリエはもういないわ」

「なんで?」

「アタシが追い出したからよ。アイツの介入なんて想定外だったわ」

 ギャラリーは苛立たしげに唇を噛んでいる。

 彼女にとってもあの結末は不本意だったらしい。

「おかげで、アタシとしても予定の変更が必要になったわ」

 そう言って、ギャラリーはあるものを取り出した。

「あ……僕の」

 見覚えのある端末に悠乃は声を漏らした。

 そう。彼女が持っているのは、悠乃の携帯電話であった。

 悠乃が気絶している際に、懐を探っていたのだろう。


「――お前のお仲間に連絡させてもらったわ。みんな、もうすぐお前を助けに来るわ」


「ッ……!」

 ギャラリーの発言に悠乃は身を固くする。

 なぜなら彼女の発言は、二人だけの個人的な決闘だったはずの戦いが周囲へと飛び火したことを示しているからだ。

「なんでそんなことを……!」

 悠乃はそう噛みついた。

 飛びかかるくらいの勢いだったが、手足が拘束されており動けない。

 今の彼女は、檻の中で必死に吠える狼と何ら変わりない。

 彼女の顔には怒りと、無関係なはずの友人たちを巻き込んでしまったことへの後悔が浮かんでいた。

 だが、いつまでも荒ぶっていれば状況は悪化する。

 悠乃は一度目を閉じ、思考を落ち着けた。

「……僕は人質ってわけ?」

「まさか」

 悠乃が恐る恐る尋ねた最悪の可能性をギャラリーは容易く否定する。

「お前はただの景品。お前の仲間全員を相手に勝ち抜いて初めて、アタシはお前を殺す権利を得るのよ。だからお前は、アタシへの景品」

「?」

 悠乃は片眉を上げた。

 どうにも彼女の言いたいことが見えない。

 形はどうあれ、あの戦いの勝者はギャラリーだ。

 最初にギャラリーは悠乃に「仲間を連れてきても良かった」と言った。

 であれば当然、逆もあり得るべきだ。

 たとえ仲間の横槍であったとしても、あの時点でギャラリーは勝利した。

 そう悠乃は受け止めている。

「お前が一人で来た時点で、あの戦いは一対一という暗黙のルールがあったわ。アタシはそう理解していたし、お前もそうでしょう?」

 否定はしない。

 少なくとも、ギャラリーが一人であることに疑いを持ってはいなかった。

 彼女の仲間による不意打ちを食らったからといってギャラリーを卑怯だとは思わない。しかし悠乃があらかじめキリエの参戦を想定していたかといえば否定するしかない。

 蒼井悠乃とギャラリー。

 決闘時に、二人が一対一の戦いを想定していたことは間違いない。

「でもアタシはその暗黙の了解を破ったわ」

 ゆえに彼女は、己の意志によるものではないといえど自分から大前提を崩してしまったことを許せない。

 その生真面目さはやはりエレナの妹分といったところか。

「だからこれはアタシの贖罪よ」

 ギャラリーはまっすぐな瞳で悠乃を見つめた。

「アタシは仲間の力を借りてお前を倒した。であれば、アタシは一人でお前の仲間を倒さなければならない。でないと不公平でしょう?」

 ギャラリーは不敵に笑う。

「……君の言いたいことは分かった」

 悠乃はそう告げる。

「正直、君の言いたいことは分かるし、そう言う筋の通ったところは美徳だとは思うよ」

 そこで悠乃は両腕に力を込める。

 手足の見えない枷を打ち砕くように。

「でもそれは全部、君の都合だ。僕が従う義務なんてないはずだ」

 悠乃は全身に力を入れる。

 だが体は宙に固定されたままだ。

「抵抗しても無駄よ。空間ごと固定しているんだもの。力が強いだとか、そんなので抜け出せる拘束じゃないわ」

「空間固定……」

 悠乃はギャラリーが使ったであろう能力を口にした。

 彼女は空間を操るのだ。

 物体を動かせるのなら、逆のことができても不思議ではない。

 一応、可能性の一つとして想定していた能力だ。

 もっとも打開策を思いついていたわけではないが。

 少なくとも、一度捕えられてから逃れることができるタイプの力ではないだろう。

「やっぱりそうか……。君の傷を見た時点で予想はついていた。傷が治っていないのに、肉は元の位置へと戻り、血は流れ落ちてこない。それも君の能力で固定しているんだよね」

「まあ、それくらいは読まれるわよね」

 特に動揺することもないギャラリー。

 むしろ強気な笑みを悠乃へと向ける。

「これがアタシの奥の手。だから勘違いしないでよね。アイツの助けなんかなくても、アタシはお前に勝てていたんだから。それをこれから証明するの」

 ギャラリーは動けない悠乃へと歩み寄る。

「だからお前は大人しく――っく」

 そこまで言った直後、ギャラリーはつまずいて倒れる。

 なんとか膝をついて耐えたが、彼女の様子がおかしい。

 息は荒く、大量の汗が出ている。

「君は……もう」

 悠乃はその光景を見て察した。

 すでにギャラリーは体力の限界だと。

 悠乃との決闘の時点で体力を大きく削られたのだ。

 今も無理やり空間ごと傷を塞いでいるだけで、厳密にいえば治療は施されていない。

 無論、流した血も戻らない。

 であれば満足に動けるはずがないのだ。

「見ていなさいマジカル☆サファイア。これが……アタシの覚悟よ」

 それでも、震える足でギャラリーは立ち上がる。

 その表情は鬼気迫っていた。

 それほどに彼女は今回の戦いに思い入れがあるのだ。

「アタシ一人で、お前たちの仲間を全員討ち取って見せる。お姉様を取り戻すまで、アタシは絶対に倒れないから」

 ギャラリーは鼻同士が触れるほど悠乃に近づいてくると、そう宣言した。

 一方的だが、込められた覚悟の重さが伝わってくる。

「安心しなさい。あくまで殺すのはお前だけ。お前の仲間は、殺さずに打倒する。それくらいのハンデがちょうどいいでしょう?」

 ギャラリーは苦痛に耐えながら、そう不敵に笑った。



「――ようやくお出ましね」

 そう言うと、ギャラリーは倉庫の入口へと目を向ける。

 直後、金属同士が擦れあう音を鳴らしながら扉がスライドする。

 扉の向こう側にいたのは一人の少女。

 赤髪の少女――朱美璃紗は左手一本でドアをこじ開けていた。

「ちっ……イラついてたから力加減ミスったな。ドア壊しちまった」

 璃紗は自身が握っていたドアの端を見ながら眉を寄せた。

 そこには彼女の指に合わせて歪んだ跡が存在していた。

 おそらく強く握りすぎたせいで、金属製の扉がひしゃげたのだ。

 いくら魔法少女とはいえ、それほどの膂力を有しているのは彼女くらいだ。

「ま……別にどうでもいいか。どうせこんなヘコみなんて可愛く見えるくらいメチャクチャにぶっ壊すんだしよ」

 璃紗は地面に突き立てていた大鎌を左手で握ると、悠然とした動きで倉庫内へと踏み込んだ。

 引きずった大鎌の刃が床と擦れ、火花を散らして甲高い音をかき鳴らす。

「――で、お前が悠乃に手ぇ出した……ってことで間違いねーのか?」

 璃紗はそうギャラリーへと問いかけた。

 彼女の目には隠し切れない怒りが漏れ出している。

「璃紗……」

 自分のためにここまでの怒りを見せる璃紗の姿に、悠乃は目を伏せる。

 友人を巻き込んでしまった後ろめたさ。

 そんな自分を助けるため友人がここまで駆けつけてくれたことへの喜び。

 複雑な思いが入り混じった泣き笑いのような表情が悠乃の顔に浮かぶ。

「ま、悠乃に大怪我させたお前は当然だけどよ」

 璃紗と悠乃の視線が重なった。

 彼女は視線を下げ、悠乃の腹を見て一瞬だけ表情を歪める。

 悠乃の腹についた傷と血痕を見つけたのだろう。

 しかしすぐに璃紗はさらなる怒気を纏い、

「悠乃。後でアタシのビンタと薫姉の説教は覚悟しとけよ?」

 血の底から鳴り響くがごとくドスの利いた声でそう言う璃紗。

 悠乃が口元を引きつらせたのも無理からぬことだろう。

「か、覚悟しておきます」

「ああ。しとけ。その代わり――絶対、連れて帰ってやるからさ」

 そこまで語ると、璃紗は小さく笑った。

 少しだけ照れ臭そうに。

「璃紗……」

 会話が終わったことを察したのだろう、ギャラリーが一歩前へと進む。

 それによって璃紗も彼女へと視線を向け直し、大鎌を肩に担ぐ。

「良かったわ。これ以上待たされたら、戦う前に倒れそうだったから」

「どーせ戦った後に倒れるんだから、あんま変わんねぇだろ」

「変わるわ。だって――」


「アタシが倒れるのは、戦ってお前たちを全員倒した後だから」

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