2章 10話 黒と白の始まり

「えーっと、イワモン。ここに《怪画カリカチュア》が出てくるの?」

「うぬ。朕のセンサーがそう言っている。ちなみに、のセンサーは反応していないから今度の《怪画》は男――」

「初陣だー。おー」

 相変わらず、春陽は間延びした声でそう言った。

 無意識か故意か、イワモンの戯言は完全に無視されている。

 春陽は楽しげに両腕を振り上げてはいるが、掴みどころのない態度のせいで気合いがあるのか分からない。

 おそらくあるのだとは思うけれど。

「じゃあ、今回は二人に任せるの?」

「うむ。今後の方針を考えるためにも、早く実戦を経験させておきたいのだ」

 悠乃の質問にイワモンはそう答える。

「まあ……いきなり《前衛将軍アバンギャルズ》と当たったら困るもんね」

 現実はゲームではない。

 相手が都合よく、段階的に強くなるとは限らない。

 一足飛びに強者と当たってしまう可能性も否めないのだ。

 そういう意味では、悠乃も早く実戦を経験させるというイワモンの意見に賛成だ。

「――来た」

 悠乃はゲートが開く感覚を察知して呟く。

 とある住宅街。時間は昼間。

 そんな平凡な日常の一幕が、《怪画》の出現によって崩れ去る。

 現れたのは四本の腕を持つ《怪画》。

 幸いにして周囲に人がいなかったために騒ぎになってはいないが、目撃者が現れたのならばパニックが広がることだろう。

「……もしもの際には、きちんとフォローがあるんですよね?」

 美月は若干心配そうな表情でメガネを上げる。

 すでに黒白姉妹は変身を終えており、いつでも戦える状態だ。

 未だに美月は自身の衣装に不満を覚えているようだが。

「ま、ある程度なら怪我しても薫姉が治してくれるし、ヤバそーならアタシが代わるから気にすんな」

「わたくしは手足の欠損くらいは治せるので大丈夫です。むしろ、無傷で《怪画》を倒せるくらいお二人が強かったら、わたくしの存在意義が大丈夫じゃなくなるのではないかと不安で不安でたまりません」

 璃紗と薫子はそんな言葉で黒白姉妹を送り出す。

「……手足の欠損……? もしかして判断を誤ったのかもしれません……」

 美月は小さくつぶやきながら《怪画》へと踏み出した。

 さすがにそれほどの重傷を負わせるつもりはないが、初陣となればダメージを受けることへの恐怖感は簡単には拭えないだろう。

 一方で、春陽はピクニックにでも行きそうなテンションで《怪画》の前に仁王立ちしていた。

 肝の座り具合ならすでに悠乃を凌駕している。

 彼が初めて《怪画》と戦った時などビビりまくりだったのを思い出す。

 そういう意味では大物な春陽。

 美月は一歩引いてはいるが、彼女の場合は生来の慎重さが影響している面が大きい。

 あれは戦況を俯瞰するためであり、逃げ腰になっているわけではない。

「ツッキー、ファイオー」

「……やってしまったものは仕方がありません。現実的な対応を模索しましょう」

 黒白姉妹はそれぞれの立ち位置で《怪画》へと対峙する。

 《怪画》は体長五メートルほどの巨人だ。

 隆々とした見た目を信じるのなら、パワー型であろう。

 手が多いことも考慮すると、捕まらないように距離を取るべきだ。

 しかしアドバイスはしない。

 彼女たちがどう判断するかが大切なのだから。

「じゃあ……いっくよー?」

 間合いは10メートル。

 そこで春陽は腰を落とし、腰だめに右手を構えた。

 彼女は人差し指と中指だけを伸ばしており、その指先には光が宿っている。

「てやっ!」

 居合のような動作で春陽は右腕を振り抜いた。

 すると指先の光が一条の閃光となり《怪画》へと襲いかかる。

「速いッ……!」

 悠乃は光刃の速度に驚く。

 目視できないほどではないが、躱すとなると難儀しそうな速度だ。

 しかもそれなりにリーチが長いのも恐ろしい。

「でもあの角度では――」

「外れだな」

 しかし、薫子と璃紗が予想した通り光刃は《怪画》の頬を掠め、はるか後方の電柱を横一線に斬り裂いた。

 一瞬だけ遅れて電柱がズレ、断ち切られた電柱が地面に落ちる。

 どうやらあの刃は切断力も高いらしい。

 あの魔法は腕を振りながら撃つという性質上、放つタイミングはシビアで精度に欠ける。

 しかし、一度使いこなしたのなら、リーチ・スピード・パワーとすべてが高水準でまとまった強力な攻撃となる。

 あれは今後も伸ばしてゆくべきだろう。

「あれー?」

「……昼でよかったですね姉さん」

 停電になった家庭に思いをはせているのか、美月は額を押さえている。

 とはいえ、大事な先制攻撃を外したのだ。

 次に動いたのは《怪画》だった。

 《怪画》は猪突猛進に黒白姉妹へと迫る。

 だが二人は動かない。

「次は私ですね」

 美月はメガネの位置を直すと、右手を横へと持ち上げる。

 すると彼女の足元にあった影が右手へと収束し、形を成す。

 現れたのは――黒い短剣だった。

「影に形を与える魔法か。まあ、使い勝手は良いんじゃねーの」

「影の成形。……日陰者のわたくしも、ナイスバディに作り変えていただけないでしょうか」

 璃紗たちの言葉を尻目に、美月は跳躍する。

 魔法少女としての能力が速力重視に振られているのか、彼女は一瞬で最高速へと至り《怪画》と交錯する。

 すれ違う美月と《怪画》。

 その刹那、美月は腰をひねりながら回転し《怪画》の首筋に刃を滑らせた。

 だがそれは《怪画》の薄皮を裂くにとどまり、命へと至らない。

「……影の武器は質量がない分、取り回しやすい代わりに攻撃も軽い。予想はしていましたが、もうちょっとマジカルな威力だと嬉しかったのですが」

 美月は己の手の中を見て嘆息した。

 彼女が握っていたのは、ヒビが入った短剣だった。

「強度はオモチャですね」

 そう美月がぼやく間にも、《怪画》は体を回転させて彼女に襲いかかる。

「つまり私は、暗殺もしくはサポート役というわけですね」

 美月がそう言い終わると、《怪画》の足元から影が伸び、《怪画》の体を縛り上げる。

 だがそれもすぐに砕かれる。

「――使い方は今後検討する必要がありそうです」

 美月の両腕が《怪画》に掴まれる。

 すぐさま《怪画》の残る二本の腕が彼女の両脚をも捕えた。

 四肢を握られた美月はそのまま空中に吊り上げられる。

「ッ……!」

 体を別方向に引っ張られ美月は表情を歪めた。

 両腕を引き延ばされ手から短剣がこぼれる。

 股間を左右に思いきり広げられ、股関節からメシリという音が鳴った。

「ちょ、もうそろそろマズいかな?」

 さすがに援護が必要かと思い、悠乃は手に氷剣と氷銃を展開させる。

 しかしすぐには動かない。

 なぜなら――

(でも……なんとなくだけど……意外に余裕そうにも見えるんだよなぁ……)

 美月は痛みを感じているように見える。

 しかし、ミスをしただとか、想定外の事態が起こったという風な焦りが見えないのだ。

 あくまで、痛みをと割り切っているかのような――

「いざという時に『痛みで動けない』なんてことになったら困りますからね……。早い段階で痛みに慣れておきたかったんですが……もういいです」

 悠乃の直感は当たっていたのだろう、涼しげな美月の声が響いた。

 彼女の声音には追い詰められた様子はない。

「本当に暗殺者になった気分です」

 美月の体が《怪画》の腕にできた『影』の中へと溶けてゆく。

 そのまま彼女の体は影と同化し、《怪画》の腕から逃れた。

 彼女は最初から、縛られてなどいなかったのだ。

 あえて抜け出していなかっただけだ。

「……あれだけで節々が痛いですね。現実では『肉を切らせて骨を断つ』といった戦法ができないことが分かりました。――少なくとも私はやりたくありませんね」

 美月は《怪画》の足元の影から浮上し、《怪画》から距離を取る。

 彼女は痛めたらしい手首を振って、わずかに眉をひそめた。

「――もう狙いは定まりましたか? 姉さん」

「おっけー」

 美月は振り返ることなく、後方15メートルで構える春陽に語りかけた。

 笑顔で答える春陽。

 目の前の脅威を排除せんと拳を振り上げる《怪画》。

 標的となった美月は――その場で動かない。

「斬り裂くよーっ」

 春陽は居合の動作によって二発目の光刃を放つ。

 一撃目は外れたが、二発目の狙いは的中。

 完全に《怪画》を斬り捨てるコースだ。

 しかし、

「ギ、ガァァァ!」

 本能ゆえか、《怪画》が横に飛ぶ。

 そのせいで閃光は《怪画》の肩口を斬り裂くにとどまる。

「んー失敗☆」

 攻撃が外れたというのに春陽は気楽にそう言った。

 なぜなら――


「――?」


 ――自身の攻撃が当たったことを確信しているから。

 確かに光刃は《怪画》を断つことはなかった。

 そして、そのまま伸びて――ヒットした。

 《怪画》の後方に立つ――に。

 光は鏡に反射する。子供でも知っている理屈だ。

 常識ともいえるそれに従い、光刃は軌道を反転させて《怪画》の首を背後から貫いた。

 明らかに致命の一撃だった。

 それを証明するかのように《怪画》は粒子となり消滅してゆく。

「やったー。やったよツッキー」

 《怪画》の討伐を確認すると、春陽は満面の笑みで美月に飛びついた。

「姉さん。次からはもっと早く標準を定めてくださいね」

「はーい」

 美月に邪険にされてもめげずに春陽は妹を抱きしめた。

 嫌そうなそぶりを見せつつも振り払わないあたり、美月も姉のことを大切にしているのであろう。

「どう思うかね? 今の戦いを見て」

 戦いが終わり、イワモンが悠乃たちに意見を求めてきた。

「そうだね。正直、二人とも初めてとは思えない強さだったよ」

 今回の《怪画》はそれなりに強かった。

 それこそレディメイドとは比べ物にはならないが、一定水準を越えていた相手であった。少なくとも、魔法少女になったばかりの頃の悠乃では逆立ちしても勝てない相手だ。

「自分がどれだけ痛みに耐性があるかを確かめるためとはいえ、自分から攻撃を食らうってのは、なかなか覚悟が決まってて悪くねぇんじゃねーの?」

「一回目で自分の攻撃が描く軌道を理解し、二回目で修正する。しかも跳弾という複雑な演算を交えて。それを頭で計算した様子がないあたり、すさまじいセンスですね」

 璃紗と薫子も思い思いの感想を述べる。

 共通しているのは、黒白姉妹の才を認める言葉であることだ。

 確かに、二人は魔法少女としてのセンスがある。

 悠乃はそう確信していた。

「ふむ。救世の魔法少女たちのお墨付きとあれば朕たちの目論見は一定の成果があったといえるだろう」

 イワモンは満足げに腹を揺らす。

 どうやら黒白姉妹の実力は、彼が求める領域にあったらしい。

「これから残党軍との戦いも激化してゆくことだろう。今はまだ若葉マークのついた新人だが、きっと彼女たちの成長は朕たちの助けとなるはずだ」

 イワモンは黒白姉妹を眺めてそう言った。

 確かに、未熟な部分もあるだろう。

 しかしこれから実戦を繰り返せば、背中を預けられる立派な戦力となる。

 そう悠乃たちに思わせるには充分な戦果だった。


「……あれなら、僕がいなくてもなんとかなるよね……」


 誰にも聞こえないような声で悠乃はつぶやいた。

 かつては三人で世界を救ったのだ。

 二人の仲間が増えた以上、もう大丈夫のはずだ。

 ――

「? どーしたんだ悠乃?」

 悠乃が急に沈黙したからか、璃紗が心配したように問いかけてくる。

 それに悠乃は作り笑いで返した。

「いや……ちょっと大事なことを思いだしたんだよ」

「?」

「か、課題だよ課題。明日出さないといけない課題を思い出したんだ」

 悠乃は苦笑しながら後ずさる。

 課題というのは無論嘘である。

 ただ、やらなければならないことを思いだしたのは――事実だ。

「宿題ですか。確かにそれは一大事ですね。受験をきっかけに人生を失敗した先輩の言葉なので間違いありません」

「ははは……」

 薫子の言葉に、作り笑いでない苦笑いが漏れた。

「あー。アタシはそーいうの適当に写してるからなー。ま、がんばれ」

 璃紗も特に引きとめることなく、悠乃を送り出す。

 ――蒼井悠乃は、誰にもギャラリーとの決闘について明かしていない。

 その場にいたエレナにも固く口止めをしてある。

 だから璃紗たちは、悠乃の決闘について知らないのだ。

 もし知っていたのなら、もっと彼女たちも訝しんだのだろう。

 ともかく、特に怪しまれずに悠乃は璃紗たちと別れられた。

「う、うん……! また今度ねっ」

 そう言い残して悠乃は振り返る。

 その際に、彼はちらりと黒白姉妹の姿を視界に収めた。

 満面の笑みで妹の手を握って跳ねる黒白春陽。

 姉に渋々付き合いながらも、わずかに口元を緩めている黒白美月。

 これから二人はきっと、五年前の悠乃たちのように互いを信じあえる仲間となってゆくのだろう。

 そう思うと、悠乃の胸はわずかに痛んだ。

 悠乃はそれを無視して走り出す。

 向かう先は自宅だ。

「みんなとずっといるためにも、今度の戦いには負けられないよね」

 一秒たりとも無駄にできない。

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