2章 8話 お姉様
「
悠乃の話を聞き、エレナは怪訝な表情となる。
現在、二人はスーパーの外にいる。
暗い夜道で二人。スーパーから漏れる照明をバックライトに二人は語らっていた。
その議題は、イワモンからの提案だった。
「うん。イワモンが、灰色のクリスタルは君にあげたいって」
「そいつは馬鹿なのではないかの? 妾がなると思うておるのか?」
「正直、全然思っていません」
悠乃は遠い目で言った。
彼自身も、イワモンの話には耳を疑ったからだ。
魔法少女となるということは、《
いくら人間として生きると決めたところで、彼女が積極的に《怪画》を害そうとするとは考えにくい。
それは子供でも分かることだ。
「――とはいえ、イワモン自身もとりあえず言ってみただけで、断られたらそのまま諦めるつもりだったみたいだけど」
「? 確か、お主は半ば強制的に魔法少女にされたと聞いたのじゃ?」
エレナは首をかしげる。
そういえば、彼女には自分が魔法少女になった状況を話したことがあったような気がする。
「まあ、僕の場合は半強制的だったね。五年前も、今回も」
《怪画》に襲われてどうしようもなかったということもあるが、悠乃に選択権はなかったと記憶している。
だからこそ、その話を聞いていたエレナとしてはイワモンが譲歩するということが意外なのだろう。
「でも、エレナは事情が特殊だからね」
「まあ……のぅ」
エレナも同意する。
当然だ。
敵軍の首領だったものを自軍に引き込むなど、奇策も良いところだ。
あまりに強気すぎる。まともな神経では行えないギャンブルだ。
「さしづめ、戦闘経験のある妾をスカウトすれば即戦力になるといったところか。しかし、妾を無理に魔法少女としたせいで反感を買い、魔法少女の力を人間に向けられては困る。だから、一応は妾の意向を尊重しておく。そんなところじゃろうかの? お主たちのマスコットの考えは」
「だと思う」
「あやつらにとっては嬉しいことに、今の妾は魔力を失っておる。
エレナは大きく息を吐いた。
かつて魔王であった彼女には、すでに魔力がない。
《怪画》は人間を食って栄養を得る。
それは人間の魂であったり、血肉であったりと、何を求めるのかは《怪画》によって違う。
しかし、人間が唯一の栄養源であることは共通だ。
そして、人間として生きることを決意したエレンは、人間を一人も食らわないことを決めた。
生きるための最低限さえも下回る、餓死へと至ることの決まった誓いだ。
餓えて命尽きることをも許容し、彼女は人間であることを願った。
それこそが悠乃とエレナが友人となれた理由だ。
彼女の決意が、それに込められた覚悟が尊いと思ったから。
過去の禍根も捨て、二人は友人となれた。
――ある意味、そういうところが魔王軍を率いてきた彼女のカリスマという奴なのかもしれない。
「――ともかく、王座を捨てた妾といえどもかつての民草を自分から殺すような真似はしとうない」
「だよね……」
エレナの考えは当然だ。
むしろ彼女が責任感に燃えて戦いへと身を投じることを危惧していたくらいだ。
どうせなら彼女には、魔法少女と《怪画》との戦いなどとは無関係な世界で生きていて欲しい。
それが、どれほど非現実的な願いであっても、悠乃はそう思ってしまう。
「……では、話は終わりじゃの。妾も父上たちを待たせておる。話があるのであれば今度でも構わぬじゃろう?」
「うん。僕も晩御飯作らなきゃだから。って……もうこんな時間か」
想定外にエレナと話したからだろう。
悠乃が時間を確認した時には、いつもより遅い時間であった。
今から急いで帰っても、少し夕飯は遅れてしまうかもしれない。
「じゃあね、エレナ」
「うぬ。また今度じゃ」
「――やっと見つけた」
「「!」」
声が聞こえた。
悠乃とエレナは同時に身を固くする。
すぐに硬直から逃れ、周囲を確認する。
害意のある敵なら、見逃すわけにはいかない。
誰もいない。いるのは買い物帰りの主婦くらいだ。
声が聞こえてきた位置は、ただの虚空だ。
「この声は……まさか」
しかし、エレナには心当たりがあるのか驚愕の表情を浮かべている。
珍しく彼女の頬には汗が浮かんでいた。
声の主は、彼女にとって特別な存在なのだろうか。
「やっと会えた。お姉様」
再びそんな声が響く。
そして、悠乃とエレナを隔てるように空間が裂けた。
人間一人分ほどの亀裂が縦に虚空へと刻まれる。
「諦めていた。真実を知って、奇跡だと思ったわ」
空間に引かれた裂け目から白魚の様な指が現れる。
指はゆっくりと割れ目をこじ開ける。
「お迎えに来たわ」
何もなかったはずの空間から一人の少女が現れた。
年齢は小学生から中学生程度であろうか。
目は切れ長で、整った容姿もあって勝気なお嬢様という印象だ。
毛先がロールしたピンクのツインテール。
そして白いブーツに白いゴスロリ服。
明らかに往来を普通に歩く格好ではないだろう。
そもそも空間を切り開いて現れる存在となると答えは一つ。
「――《怪画》」
悠乃はそう呟いた。
異空間にある王国より現れる異形。
不意を突かれたタイミングでの遭遇に悠乃は顔をしかめた。
ここにはスーパーを訪れていた多くの客がいる。
ここで戦闘になるなど悪夢だ。
誰も巻き込まずに戦えるような場所ではない。
そもそも一人で戦うというのもあまり賢い選択ではないだろう。
「そんなに構える必要はないわ」
素早く頭を回転させている悠乃に対し、少女は手で制する。
「今日はまだ、戦うつもりじゃないわ」
そう言うと、少女はエレナへと顔を向ける。
一方で、エレナは茫然としていた。
その瞳は、旧知の者を見る目であった。
「残党軍……そんなものの存在を聞いた時点で、お主がおるのは予想しておったが……やはりそうじゃったか……ギャラリー」
「お姉様は先代魔王の遺志を継いだ。であれば、お姉様の遺志を継ぐのはアタシ。当然のことでしょう?」
「……
どこか寂しげにエレナはそうこぼす。
自分を慕っていた者たちが次々と戦いへと赴く様を見るのは思うところがあるのであろう。
だから、自分の後継者など欲しくはなかったと彼女は語る。
「お姉様。帰りましょう。アタシたちの城へ」
少女――ギャラリーはエレナへと手を差し伸べる。
彼女の目には欠片ほども悠乃の姿など映っていない。
全ての感情はエレナ――魔王グリザイユへと注がれている。
それだけでエレナとギャラリーの間柄が親密なものであったことが推測できる。
そんな相手からの誘いをエレナは――
「ならぬ。妾は――」
「人間として生きる、でしょう?」
「っ……」
ギャラリーが言葉を先回りしたころで、わずかにエレナが驚く。
まさかすべてを察した上での誘いとは思わなかったのだろう。
「そのことはすでに聞いています。きっとお姉様のことですもの、己への誓いを蔑ろになんてしないんでしょうね。だから、アタシはお姉様の覚悟を尊重します」
ギャラリーは優しく微笑む。
気が強そうというのが第一印象だったが、エレナに対して彼女はどこまでも寛大だった。
「だから、お姉様に人間を食べさせたりなんてしません。人間の家族を一緒に連れてきても問題ありません。お姉様が餓死するまでの短い期間しか一緒にいられないとしても構いません。お姉様が両親と呼ぶ人間が特別であるのなら、アタシがその人間も守ります」
そうギャラリーは語る。
悠乃には分かる。きっと彼女は嘘を吐いてはいない。
きっとエレナが「人間を食べてでも生きたい」と思えるように手を尽くすだろう。
きっとエレナの家族でない人間であれば容赦なく殺し食らうだろう。
だが、エレナの意志に反して彼女を延命させようとはしない。
だが、エレナの家族だけは絶対に殺させない。
エレナと約束した部分
そんな決意が表情から読み取れる。
ある意味では、エレナにとってはそれほど悪条件ではないかもしれない。
彼女にとって、人間も《怪画》も大切な家族なのだから。
「ならぬ」
しかし、エレナはその提案には乗らない。
「……なぜですか」
それでも頑なに拒絶するエレナに、ギャラリーは悲しげな表情を浮かべる。
「王としての役目を果たせなかったという自責の念ですか。なら心配はいりません。『生きていれば何度でもやり直せる』とお姉様は部下にいつも言っていた。その言葉は、お姉様にも当てはまるはずです」
そこでギャラリーは言葉を区切る。
そしてわずかに逡巡するような間の後、
「ああ、もしかすると誤解をさせてしまったのかもしれないわ。お姉様が望まないのなら、魔王としてアタシたちのもとに戻る必要はないんです。今度は、お姉様に守られてきたアタシが守る番。魔王にはアタシがなります。お姉様はそこに生きていてくれるだけでいいんです。姉として、家族として。それだけで、
ギャラリーが話すたび、エレナの表情が苦痛に歪む。
きっとエレナの中では答えが決まっているのだ。
それでもギャラリーの気持ちが分かるからあんな表情をするのだろう。
その気持ちに応えられないことが――分かっているから。
「だから――帰ってきてよ……。約束、したよね……?」
ギャラリーの瞳が潤む。
それを見て、エレナは目を見開き、強く唇を噛んだ。
彼女の唇から一筋の血が流れる。
ギャラリーには下心が一切ない。
魔王グリザイユを旗印にしたいだとか、彼女の力を得られたのならば心強いだとか、そんな打算が一切ないのだ。
ゆえに、エレナの心を深く抉る。
(彼女にとって、エレナは本当の家族なんだ。魔王という立場も何も関係なく……)
「……無理じゃ。妾は……帰れぬ」
血を吐くようにエレナはそう言った。
ギャラリーはそれを聞いて青ざめるが、それ以上にエレナの顔色も悪い。
「ギャラリー。お主は少し高飛車なところがあったが、純粋で、嘘を吐かぬ子であったのじゃ……。きっとお主は、約束を守ってくれるのじゃろう」
エレナは儚げな笑みを浮かべる。
きっと彼女の瞳には、かつてのギャラリーが映っているのであろう。
二人の関係を知らない悠乃には推測しかできない。
しかし、互いが互いにとってどれほど大切だったのかは分かる。
「じゃが、妾はあの夫婦と暮らせれば良いわけではないのじゃ。我儘かもしれぬが、妾は娘として、妾を五年間育ててくれたあの善良な夫婦を幸せにしたいと思うておる。そしてそれは、『こちらの世界でしか』できぬのじゃ」
確かに、ギャラリーは約束を守るだろう。
しかし、前提としてあの老夫婦は人間の世界で暮らしてゆけなくなる。
エレナと関係が深くなった以上、あの二人がエレナの目が届く範囲から離れてしまえば――何が起きてもおかしくはない。
エレナを人間として縛り付けた憎き存在――そう考える者が現れても不思議ではない。
となれば、3人全員で《怪画》の世界へと赴くことになるだろう。
それは必ずしも不幸とは言えないのかもしれない。
エレナの両親なのだ、他の《怪画》も便宜を図ることだろう。
現世より快適な生活をできるかもしれない。
だが、人間としての暮らしはこの世界でしかできないのだ。
人間で埋め尽くされたこの世界でしか。
人と人とのつながりという幸せは手に入らないのだ。
「……謝らぬばならぬとは思うておった。人間として一生を終えるという妾の決意には少なからず迷いがあった。王という役割を捨て民草と共に歩むことをやめるということへの迷い。そしてそれ以上に――お主との約束を
伏せられていたエレナの視線がギャラリーへと向けられる。
そこに込められているのは決意だ。
「じゃが、妾は選び取った。王としての責務を捨て、妹との約束を裏切り。愚かしくも自分の幸福を追うという恥知らずの未来を」
まっすぐなエレナの視線がギャラリーを貫く。
「それでも……! 妾はこの恥ずべき選択を恥じてはおらぬ。そして、選び直すこともない。あの日信じた選択を間違いだったと断じることは、選ばれることのなかった未来をも軽んじることになるのじゃから」
全てを選んでここに立っているから。
他の未来を踏み潰してここに立っているから。
いまさら踏み潰した未来のほうにこそ価値があったかもしれないなどと迷うことは、選び取らなかった未来たちへの最大の侮辱だから。
だからこそエレナはギャラリーの申し出を断る。
「――選び直す必要なんてない。選び取った未来を辿ったら、あの日捨てたはずの未来へと続いていたのだと。ただ遠回りや回り道をしていただけで、歩み方や景色は違えど同じ場所を目指していたのだと。まるで運命のようにアタシたちは一緒になれることこそが真理だったのだと。そう思ってはくれないのかしら……」
「それこそ否じゃ。なぜなら妾は今、この未来を選んだのじゃから。《怪画》としてお主と共に歩めぬ道を」
わずかにギャラリーの瞳の色が変わる。
己の言葉が、エレナの気持ちを変えることがないと悟ったのだ。
「……分かっていたことよね。お姉様がもっと器用なら、こんなことになったりはしなかったもの」
彼女は息を吐くと、そう漏らした。
「だから――もう妹としてのギャラリーはお終い」
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