1章 15話 イワモンの勧誘
「魔法少女……ねぇ」
朱美璃紗はベッドに寝転がり、そう呟いた。
思い出すのは、先日再会したばかりの悠乃のことだ。
そして魔法少女という、彼女にとって完全に過去の遺物である存在。
「うん。ねぇーわ」
璃紗は断言する。
さすがにない。
さすがにこの歳で魔法少女はない。
しかも利き手に麻痺などという爆弾を抱えて死地を駆け抜けるほど狂ってはいないつもりだ。
もっとも、そう璃紗が考えることも織り込み済みで、悠乃は璃紗に強制しなかったのだろう。
「ったく。変な気ぃ回しやがって」
璃紗は吐き捨てた。
「アタシたちの中で一番ビビってたクセにさ」
朱美璃紗は、あの三人の中で最初に変身した魔法少女である。
そこから薫子、最後に悠乃の順番でイワモンは魔法少女の力を与えた。
だから戦闘慣れしていない悠乃のカバーは、璃紗と薫子で行っていた。
元々戦いに向いていない性格の悠乃を鍛えるのは、正直に言うとかなり重労働であった。
そんな彼が今、戦っている。
多分、逃げたくなるくらい嫌なのに。
それでも彼は、璃紗へと助けを求めなかった。
「……まあ、正直アイツが頼み込んできてたら……断り切れなかったかもな」
なんだかんだ言って、昔から悠乃の頼みを断るのは苦手だった。
当時は彼のお姉さんみたいな気分だったのか、つい彼の願いを叶えてやりたいと思って多少の無茶は通してしまった。
今回もあのまま悠乃が泣きついていたら、断り切れずに魔法少女になっていたかもしれない。
「そーいうの全部分かってたからこその『魔法少女にならなくても良い』っつーことだよなー」
璃紗は天井を見上げる。
「ガキの頃だったら、『アイツの気遣いに応えなきゃ』とか言って即断で魔法少女になってそうだわ。アタシ」
昔の自分が言いそうなことだ、と璃紗は笑いを漏らした。
我ながら短絡的かつ直情である。
「ま、むしろこの場合、アイツの気持ちに応えるってのは――アタシが自分の意志で考えて答えを出すってことだ。受けるのなら、『頼まれたから』だなんて安直な理由に頼らないってことだ」
そう璃紗は考える。
話によると、悠乃は半ば無理やりに魔法少女にさせられたらしい。
だからこその気遣いなのだろう。
実際、魔法少女が二人いる現状なら、そうそう致命的な破綻はしないはずだ。
もっとも、三人いればさらに安定することは言うまでもないが。
そう言う意味で、最後に順番が回された璃紗は、必ずしも魔法少女になる必要はないのだ。
ただ、残る二人への負担が大きいだけで。
「やべ。この悩み方、絶対寝れないやつじゃねーか」
うんざりしながら璃紗はぼやく。
悩みすぎたせいで眠気が来る気配がまったくないのだ。
今日は徹夜だろう。
そんな確信にも似た予感があった。
そして、悩みを胸に璃紗はふと窓の外を見て――白い流星を見つけた。
「イワモン・パワハラ殺法その参! 徹夜コース社員への目覚ましダイブ!」
流星――に見えなくもない豚が窓を突き破って来た。
窓を突き破った肉玉はそのまま璃紗の胸に直撃する。
そのまま肉玉は璃紗の胸に張り付いた。
「や、柔らかい……! こ……これが低反発ベッドという奴か……!」
肉玉――よく見ると手足が生えている生物は璃紗の胸に顔をうずめる。
なんというか妙にオッサン臭い。
璃紗の数少ない女子な部分が生理的嫌悪を感じたのだろう。
反射的に彼女は目の前の豚の頭を握って、そのまま床に叩きつけた。
「人様の家の窓割っといてその態度かぁッ!」
「ご褒美!」
謎生物は床をバウンドした勢いのまま壁にへばりついた。
ビタンという小気味良い音と共に。
「もーオイ、マジでどうすんだよ。マジで弁償しろよコレ」
璃紗は自分に降りかかったガラス片を手で払う。
そして謎生物を睨みつけ。
「つーかさ、悠乃の奴はイワモンが来るかもつってたんだけどよー。何だこの豚。もしかしてイワモンの部下か? ったくよー、せめてもうちょいマシな部下いただろ。これじゃ部下じゃなくてただの豚じゃねぇか。家畜だけで夜歩きさせてんじゃねぇよ、それでも上司なのか? 監督不行き届きじゃあねぇの? この苛立ちは、この不届き者に全部ぶつけちまっていいのか?」
絶対零度の目で璃紗は謎生物を見下ろした。
一方、謎生物は刺さったガラス片のせいで体の一部を赤くしながらも、ゆっくり立ち上がっていた。
「――久しぶりだね璃紗嬢。朕がイワモン本人だ。加えて言えば、朕は豚猫であって豚ではない。あとさらに加えて――そういえば、爆乳娘に育った璃紗嬢に尋ねておきことがあったのだった。せっかくだ、朕のチンを咥える気は――」
「豚が喋りやがったッ……!」
「――もちろん挟むのも朕は嫌いではないが……。ん? 何か言ったかね?」
「誰だこのセクハラ豚野郎……!?」
「ふむ。さっきから無料で罵ってくれるとはすばらしいサービスだね。ひょっとして璃紗嬢。そういうプレイには造詣が深いのかね?」
あまりにも業の深いイワモンの発言の数々。
璃紗の顔が引き攣ったのは仕方がないだろう。
「オイ……アタシたちの頼れるパートナーだったイワモンはどこ行った?」
「んん? すまないね、最近は金をパートナーにしていたからね。下積み時代の感覚が思い出せないのだよ。人間のパートナーとはどう付き合えばいいのかね? やはりお小遣いだろうか……」
「けっこうマジで駄目な奴になってんじゃねぇか」
悠乃から「ノーコメントです」と言われていたイワモンの惨状を目の当たりにし、璃紗は崩れ落ちそうな気分であった。
月日とは残酷なものであった。
「つかさ……お前って翼生えたよな? 窓割らなくても入って来られたんじゃねぇのか?」
「うむ。これかね?」
イワモンは胸を張り謎のセクシーポーズを取った。
すると彼の背中から白翼が現れる。
「アイ・キャント・フライ!」
イワモンは床を強く蹴り宙を飛ぶ。
そして翼を羽ばたかせ――ゆっくりと着陸した。
「このように、残念ながら重量オーバーで飛べないのだよ」
「使えねぇなオイ」
璃紗は大きなため息をついた。
イワモンは決して璃紗たちにとってただのマスコットではない。
彼が彼女たちの背にくっついて共に飛ぶことで、彼女たちが空中戦をできるようサポートするなど様々な役割があった。
彼が伝令役をこなしたことが重要な意味を持った戦いだってあった。
しかし、今の彼は戦いにおいてほとんど役に立たない置物状態である。
「本当に大丈夫なんだろうな悠乃たち」
璃紗は頭を掻いた。
正直、かなり心配である。
「なるほど。そう思うのであれば、璃紗嬢も魔法少女にならないかね?」
「…………」
璃紗は押し黙る。
やはり彼は彼女を魔法少女に勧誘するために現れたらしい。
「一回断ったと思うんだけどな? 悠乃からは聞いてないのか?」
「聞いたとも。しかし朕は企業人であるのだよ。一回断られたくらいで帰るようなセールスマンがいるのかね?」
イワモンは腹を叩きながら笑う。
オッサン臭い。
「まあ実際に戦う悠乃嬢としては、君を再び戦いの場に引きずり出すことに対して抵抗があるのだろう。しかし、朕には任務がある。その遂行のためであれば、簡単に引き下がるわけにはいかないのだよ」
そしてイワモンが沈黙する。
彼は黙ったまま、熱のある視線を璃紗に向けている。
その目力はすさまじく、璃紗は気圧されてしまい身を反らした。
「……な、何だよ」
「――璃紗嬢」
真剣な面持ちでイワモンが切り出す。
先程までのテンションとの落差に戸惑う璃紗。
(いや……これで流されたら悠乃の気遣いを無駄にすることになるじゃねーか。絶対に乗せられたりしねーからな)
そう璃紗は決意をさらに強固なものとする。
――したのだが。
「それにしてもかなり無防備パジャマではないかね。おっぱいがパツパツでボタンが留まらなくなっているじゃあないか」
「腹肉抉るぞ豚猫ぉぉ!」
涙目で拳を構える璃紗嬢だった。
自室だと思って油断した格好だったのが仇となった。
璃紗はイワモンを殴るのは諦め、両手で胸を隠す。
「ふむふむ。そんなことしても谷間が強調されるだけで無駄なのだよ」
「う……うるせー」
璃紗は傍らにあったぬいぐるみを胸に抱いて体を隠す。
このぬいぐるみは悠乃が取ってくれたものだ。
「まあ確かに、すでに悠乃嬢と薫嬢が魔法少女になってくれているからね。璃紗嬢を口説く時間くらいはたくさんある」
「……そうかよ」
「三万円でオジサンとやらないかね?」
「オイ。本当に魔法少女への誘いだろうな?」
「ん? 援助交際の誘いだが?」
「ふん!」
璃紗が無言でイワモンの腹を蹴った。
再び彼は壁へと叩きつけられる。
「不良少女になってしまった璃紗嬢とならイケるかと思ったのだが……。甘かったようだ……。金額が足りなかった……!」
「足りてねぇのはお前の脳みそだ!」
「SMプレイ!」
頭を踏まれながらイワモンは絶叫した。
璃紗はさらにグリグリと彼の頭を踏みにじる。
「オ・マ・エ・はホントーに懲りねぇなぁ?」
璃紗は額に青筋を浮かべる。
とはいえ、さすがにイワモンを床の染みにするわけにもいかない。
「ったく、勧誘したいのかセクハラしたいのかはっきりしやがれ」
「朕は璃紗嬢とシたいのだ。はっきりと」
「分かった。死ね」
「朕は腹上死以外では死なないのだよ」
イワモンは腰を回すように振りながら腹を叩く。
――思わず顔面を蹴りそうになったが抑える。
これ以上璃紗が蹴りを入れても、イワモンには効かないだろう。
むしろ喜ばれる可能性さえありそうだ。
「しかし……ここまで言葉を尽くしても誘いに乗ってはくれないか。なんたる堅物。おっぱいは柔らかいが」
「いや。言うほど尽くしてねぇだろ。ほとんどセクハラに費やされてただろうが」
璃紗嬢は冷たい視線をイワモンへと向ける。
一方のイワモンはどこ吹く風で豪快に笑っている。
「まあ、営業職のエクスカリバーは根気だと昔から決まっている。そういうわけで、また訪ねさせてもらうとしよう」
「いや。もういいよ。お前と仲良くやっていく自信ないってマジで」
璃紗は肩を落とす。
なんというか、悠乃たちが気の毒になった。
「そう言わないでおくれよ」
イワモンが懐から一枚のカードを取り出す。
そこには、バラを咥えたイワモンの写真と連絡先が記載されていた。
どうやら名刺のようだ。
「普通、こういうお店では、璃紗嬢のほうから名刺を渡すべきなのだろうが。ここは朕から渡しておこう。名刺は谷間に挟んでおく。寂しい夜には――グフゥ!?」
「お前はアタシのことキャバ嬢か何かと勘違いしてねぇか!?」
璃紗は谷間に挟まれた名刺を指で挟むと、イワモンの額へと向けて投擲した。
名刺は手裏剣のように回転しながら飛び、彼へと刺さる。
「おっふ」
イワモンは白目をむいて床に倒れた。
彼は全身をビクビクと痙攣させている。
「安心しとけ。頭蓋骨を貫くような威力で投げちゃあいない」
そう言い残すと、璃紗は布団をかぶってベッドに寝る。
「分かったら窓ちゃんと直せよ? なんかマスコット魔法とか言って、戦いで壊れた建物を治す魔法があっただろーが。アレ使え」
「まったく仕方がないな」
イワモンは嘆息し、窓枠に飛び移る。
彼が窓のあった場所に手をかざす。
「大人の7つ魔法。事実隠蔽」
彼がそう唱えると、まるで時間が戻っているかのようにガラス窓が修復されてゆく。
そうして割れていたはずの窓は、完全に元通りになった。
大規模な崩壊には使えないが、イワモンの魔法は魔法少女が戦った後の処理に役立っていた。
肉体はともかく魔法は衰えていなかったらしい。
「では、今日のところは夜も遅い。朕も帰るとしよう」
「そーしてくれ」
璃紗は顔を上げず、手だけを振って見送る。
イワモンは窓を開ける。
「それでは――」
イワモンが分かれの言葉を告げようとした直後、
「「っっっ…………!」」
すさまじいプレッシャーが璃紗たちを包んだ。
魔法少女として戦ってきた璃紗だから分かる。
これは――
「魔力……!」
「それも、100を越えた反応だな」
重力が倍増したかのような圧力。
1体1体はあの魔王とは比べるまでもない。
しかし数が違い過ぎる。
あれほどの数であれば、仮に有象無象だったとしても脅威だ。
「まさか……残党軍が勝負に出たというのか……!」
「おいイワモン! 残党って、こんなに多いのかよっ……!」
焦りをにじませながら璃紗はイワモンに詰め寄る。
残党軍と聞いていたため、彼女もまさかここまでの大軍だとは思っていなかったのだ。
「いや! そんな報告など朕は受けていないぞ……! 有象無象を除けば、精々が10程度の《
イワモンも動揺した様子で毒づく。
彼にとっても想定外の事態だったらしい。
当然だ。
100もの《怪画》など、一度も相手取ったことがない。
そもそも先代魔王との決戦においてさえ、そんな数の《怪画》はいなかった。
「《怪画》の個体数がこんなに多いなど……! どうなっていると言うのだ!」
イワモンの視線の先には、パックリと裂けた空が広がっていた。
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