1章 13話 亡国の魔王グリザイユ

「――じゃあ、君はあの魔王グリザイユで間違いないんだね?」


「是、じゃ」

 店の裏。

 悠乃の質問を灰色の少女――グリザイユは肯定した。

「あと先に言うておく。妾は今、と名乗っておる。人前でその名を呼ぶでない」

 グリザイユ――灰原エレナは腕を組み、悠乃の質問に答える。

 先程からエレナは無表情を貫いていた。

 それは冷たい無表情ではない。

 どこか落ち込んでいるような、もしくは気が抜けたかのような表情だ。

 悠乃たちと再会してしまったことで、自分の日常が崩れることを予見しているのだろうか。

「……生きていたんだね」

 悠乃は自分でも驚くほどに落ち着いていた。

 何より、危機感がまったく湧かない。

 目の前にあの魔王がいるにも関わらず、だ。

 一触即発の状況なはずなのに、二人は大きな感情の動きを見せない。

 それはかえって、その場の空気を張り詰めさせていた。

「…………ぅぅ」

 緊張感のせいで、薫子は涙目でスカートを握りしめている。

 そんな薫子をよそに、悠乃とエレナは目を合わせることもなく会話を続ける。

「死にかけはしたが、生き汚く生きておるよ」

 エレナは目を伏せ、自嘲する。

 今の自分について思うところがあるらしい。

「そうか……」

 いまいち感情が動かない。

 あまりにも想定外の出来事すぎて、悠乃の脳が情報を処理しきれていないのだろうか。

 再びの沈黙。

「あ、あの……!」

 その静寂を破ったのは薫子だった。

 彼女は少し声を裏返しながらエレナに尋ねる。

「なんじゃ?」

「ひぅ」

 エレナが問いかけると、薫子は肩を跳ねさせた。

 それでも恐る恐る薫子は口を開き、

「ここのお店のご夫婦とはどんな関係なんですか?」

 薫子が尋ねた。

 確か、彼女はこの店の常連だったそうだ。

 ここの老夫婦とも良好な関係を築いていたようだった。

 であれば、彼女がそこに焦点を当てるのは当然のことか。

「親子じゃ。無論、義理じゃがの」

「親子……?」

 悠乃はエレナの言葉に片眉を上げた。

 確かに見た目としてはあの夫婦の子供、もしくは孫といった風貌の彼女だが、親子関係になる経緯が見えない。

「あのぉ……もしかして、あの夫婦を洗脳とかしているんですか?」

 薫子はそう聞いた。

 ほんの少しの変化だが、悠乃は――おそらくエレナも分かっている。

 わずかに薫子の瞳に影が差していることに。

 そして、彼女の右手がさりげなく腰のあたりに回されていることに。

 エレナの位置からは視認できないが、悠乃の立ち位置からは確認できる。

 薫子の手はスカートのポケットに伸ばされており――

 エレナの返答次第では、薫子は攻撃を仕掛けることだろう。

 そう思わせるだけの気迫が彼女にはあった。

 そこはやはり歴戦の魔法少女としての経験値か。

 薫子が放っているのは間違いなく殺気だった。

 それも、巧妙な――ターゲットにだけは悟らせない隠された殺気だ。

「――そんなことしておらぬわ。そもそも、妾にそんな魔法がないことは戦ったお主らがよく知っておるじゃろう」

 エレナは大きなため息をつく。

「……それでは、あの二人が自分の意志であなたを迎え入れたということですか?」

「そうじゃ。もっとも、妾が《怪画カリカチュア》である事はさすがに言っては――言えはしなかったがの」

 エレナは弱々しく首を振った。

 当然といえば当然だ。

 自分が魔王であるなどと親代わりの人間に名乗れるわけがない。

「――そうですか」

 薫子はエレナの言葉に嘘がないと判断したのだろう。

 幽鬼じみていた雰囲気が霧散してゆく。

 もっとも一旦は収めたというだけで状況次第ではどうなるか分からないが。

「ふむ。このままでは埒が明かんの」

 そう言うと、エレナは壁から背中を離した。

 そして悠乃たちと向かいあう。

「語るとしようかの。敗者の王が、ただの人間になった話を」



「あの戦い――確か、グリザイユの夜などと呼ばれておるらしいの――あの日の戦いの中、お主の攻撃を受けた妾は全身を氷漬けにさせた。

 妾が直前まで灰色の炎を纏っておったのが幸いだったのじゃろうな。妾の体は芯までは凍らずに済んだ。ゆえに、妾の体は氷と共に砕けることはなく、砕けた氷に紛れ街へと落ちたのじゃ。

 もっともダメージは甚大。意識を取り戻したときにはすでに数日が経っておった。

 敗北した王に帰る国などない。妾はそのまま路地に身を潜めておった。いわゆるストリートチルドレンという奴かの? 戸籍もなにもない妾が生きてゆける場所などそこにはなかったから仕方のない選択だったじゃろう。

 そんな生活を続けておった時に、あの老夫婦と会い、娘として引き取られたというわけじゃ。

 それからは見た目通りの年齢として小学校に通っておるし、最近は店の手伝いをしてお小遣いをもらっておる。そんな日々の繰り返しじゃ」



「――あの日、《怪画》としてのグリザイユは死んだ。そして、人間としての灰原エレナが生まれたというわけじゃ」

 一気に語り終えると、エレナは息を吐いた。

 そしてわずかに微笑む。

 その表情は何かを愛おしんでいるように見えた。

「信じてはもらえぬかもしれぬがの。妾はあの夫婦に感謝しておる。王としての義務を果たせず帰る場所を失った妾に、居場所を与えてくれたのじゃからな」

 エレナは自身の掌を見つめ、強く手を握りしめた。

「――だから誓ったのじゃ。『死ぬまで』あの夫婦の『娘』であり続けると」

 彼女の言葉に嘘はない。

 彼女はあの夫婦に恩義を感じ、心の底からあの夫婦の娘であろうとしている。

 だが、悠乃は知っている。

 《怪画》と人間が共存するには大きすぎる壁がある事を。


「でも《怪画》はんでしょ?」


 そう。《怪画》は人を食らう。

 彼らにとっての栄養源は人間の肉と魂だけ。

 他の食べ物では飢えを満たせないのだ。

 結局のところ、悠乃たちとグリザイユが最後まで和解できなかった理由もそれだった。

 《怪画》に人間を襲うなと言うのは、遠回しに死ねと言うのと同義なのだから。

それを知る悠乃だからこその疑問だ。

 それにエレナはよどみなく答える。

「言うたじゃろう。妾は、あの夫婦の娘になると誓ったと。人間として、この世を生きてゆくと誓ったのじゃと」

 エレナは自らの腹に手を当てる。

「あれから、。そして一生食らうことはない。餓死するその日まで。妾は、己が餓死するまでの猶予を『寿』と名付けた。それが、人間として生きるという妾の覚悟じゃ」

「「…………」」

 エレナの言葉に、悠乃と薫子は言葉を失った。

 空腹とは生物が耐えきれない衝動の一つだろう。

 まして、食べ物がないわけではない。

 むしろ、見渡せば何人だって食べることはできる。

 それを我慢し続ける。

 しかも、最低限の食事に抑えるのではなく、死ぬまで一度も食べないという徹底した覚悟。

 それを胸に持ち続けられる存在がどれほどいるだろうか。

 あまりにも無茶な誓い。

 もしエレナの目を見ていなければ、口からの出まかせと断じるだろう。

「多分、本気なんだし、本当なんだろうね。後ろめたいことのある奴は、そんな目はできないよ」

 悠乃はエレナをそう評した。

 直感ではあるが、彼女は本当に誓いを実行している。実行し続ける。

 そう思った。

「……ですが、実際のところ完全な断食だなんて、いつかは破綻するのではないでしょうか?」

 薫子が疑問を挟む。

 それにエレナは「まあ否定はせぬ」と包み隠すことなく答える。

「実際、ここ数年で体に大分ガタが来ておるし、魔力などほとんど使えなくなっておる。今では演技をするまでもなくただの小娘じゃ。体が成長することもなくなったしの」

 それでもエレナは笑う。

 本望だと言わんばかりに。

「それでも、あの老夫婦を看取ることのできる年くらいまでは生き抜いて見せるのじゃ。これは魔王の意地――否、娘の意地じゃ」

 ――親より早く死ぬのは最大の親不孝と言うからの。

 そうエレナは不敵に笑う。

「――逆に言えば、あの老夫婦さえ看取れたのなら、妾の命はそこまでで良い。今の生活は、余生と呼ぶには贅沢すぎる」

 おそらく、今のエレナにとって自分が生きる理由は義理の両親だけなのだろう。

 王として生きられなくなった時点でグリザイユは死んだ。

 ここにいる灰原エレナとしての人生は、結局は余生でしかないのだ。

「……そう言えば、そういう奴だったね。君は」

 悠乃は小さく呟いた。

 思えば、魔王グリザイユは自分のために生きるという単純な――多くの人間がしているであろう生き方を知らない少女だった。

 父である先代魔王が封印され、父の悲願のために立ち上がった。

 民からの信頼を背に、民を守るために戦い抜いた。

 ――彼女は自分のために生きたことがあるのだろうか。

 彼女は誰よりも強い覚悟を持った存在だった。

 しかしそれは、いつも誰かのための覚悟だった。

 だからきっと彼女は最後のあの戦いでも、絶対に退かなかったのだ。

 自分が生き残るかどうかなど二の次だったから。

「ねぇ」

 気がつくと、悠乃は口を開いていた。


「今のグリ――ううん。エレナは幸せなの?」


 そう問いかけていた。

 一方、問いを投げかけられたエレナはきょとんとした表情になる。

 そしてすぐに気恥ずかしそうな笑みを浮かべた。


「うむ。幸せじゃ」


 この瞬間のエレナの顔は見た目相応のものだった。

 小さな体で大きな期待を背負わせされてきた少女。

 彼女はすべてに敗れて初めて、その小さな体に見合った幸せな世界を手に入れた。

「……なら、仕方ないよね」

 悠乃は立ち上がる。

 そして、店の扉に手をかけた。

「今日、この店の紅茶を飲みに来ていたんだ。別に、追い出しはしないよね?」

 扉を開くと、悠乃はエレナに微笑みかけた。

「悠乃君……!?」

 薫子が驚いた声を漏らす。

 傍らにいるエレナも声こそ出していないが、驚いているのが分かる。

 当然だ。

 今の悠乃の発言は、魔王グリザイユに対して事を構えるつもりがないという意志表示にも聞こえるからだ。

 いや。正真正銘、そういう意図での宣言だ。

「僕にとってあの日の戦いは不本意なものだった」

 悠乃は語る。胸の内のわだかまりを。

「正直、僕はグリザイユのことは嫌いじゃなかった。敵だったけど、悪ではないんじゃないかと子供ながらに思っていた。でも、僕は魔法少女で、君は魔王だった。当人の気持ちなんて関係がないくらいに舞台は整っていた」

 今でも思う。

 あの戦いは大いなる流れに流されただけなのではないか、と。

 悔いが残るのは、自分での選択ではなかったからなのではないか、と。

 だから、今回は選ぶことにした。

「君はもう人間を食らわない。そう言うならさ、僕が無理して君を倒す必要なんてないよね」

 あの時は時流のままに戦うしかなかった。

 でも、今回は戦わないという選択ができる。

「殺し合った仲だし、友達になろうだなんて白々しいことは言わないよ」

 魔王グリザイユが悪人だったとは思えない。

 だからといって、明確な好意を持っていたというわけでもない。

 同じ流れに流されるもの同士という奇妙な連帯感。

 一方的に感じていたシンパシー。

 自嘲を含んだ同情心。

 相手の気持ちが分かるほど相手のことを知らない。

 その癖に、勝手に同情して、勝手に後味の悪さを感じただけの相手だ。

 少なくとも、現時点においては。

「友達になろうだなんて言わないけれど。もしかすると、この店の常連にはなるかもしれない。だからよろしくね」

 悠乃がそう言うと、エレナは腕を組んで口の端を吊り上げる。

 そして以前のような勝気な表情で、

「うぬ。精々我が家の売り上げの糧になってくれなのじゃ」

 そう言った。

「しかしじゃの……その、暇があったら……なんじゃが。看板娘と交流するのも……良いのではないかの?」

 そして、咳払いと共にエレナはそんな言葉を付け加える。

 ほんの少し頬を上気させながら。

 その様子があまりにも魔王と言うには可愛らしく、悠乃は小さく噴き出した。

「くすっ……」

「わ、笑うでないわ……」

 バツが悪そうにエレナは目を逸らす。

 その姿がまた子供っぽく、さらに笑ってしまう悠乃であった。

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