1章 12話 灰色の欠片
「ゆ、悠乃君……! 今日の帰り喫茶店に行きませんか……!」
薫子がそう提案してきたのは、魔法少女生活二日目の放課後だった。
彼女はわずかに口元を引き攣らせている。
薫子は目に見えて緊張しており、小さな体が震えていた。
「喫茶店?」
「はい。以前に見つけた良い喫茶店があるんです」
「へぇ」
薫子の言葉に悠乃は強い関心を示す。
「なら行こうかな。昔から、薫姉が言うお店に間違いはなかったもん」
「はい。任せてください。ここ数年、ずっと家に居場所がなくて街を徘徊していたので、雰囲気の良いお店のレパートリーには自信があるんです」
「は……はい」
薫子の言葉に悠乃は冷や汗を流す。
彼女のネガティブ発言には毎度困らされる。
正直、同意するべきなのか否定するべきなのか判断がつかない。
そんな悠乃の気持ちを気にもせず、薫子は両手を合わせて太陽のような笑顔を浮かべる。
「それでは行きましょうか。我が家よりもアットホームな喫茶店に……ってそれは全部でしたね。うふふ」
「だから反応しづらいよ!」
慣れてきたのか、最近は意図的な自虐ネタまで出てくるようになって困る。
まあ、薫子が気にしていないので問題ないのだろう。
「……あはは……はぁ。わたくしの人生って何でしょうか……」
「自分の発言で鬱にならないでよぉ!」
やっぱり問題だらけであった。
自爆で気落ちしている薫子を見て、悠乃は嘆息した。
「じゃ、じゃあほら。行こ? ね? 喫茶店」
悠乃は薫子の右腕を抱いて引っ張る。
こういう時は無理にでも行動させなければ、薫子はなかなか鬱モードから立ち直らないのである。
それがここ数日で悠乃が学んだことの一つだ。
「そう……ですね。分かりました。動かない屍より動く屍です。わたくし、生ける屍なりに頑張ります」
「ホント絡みづらいなぁ!」
ともあれ薫子は元気を取り戻した、ようだ。
彼女は悠乃の前を歩いてゆく。
その歩みに迷いはない。
「ここ……」
「確か、悠乃君の家に帰る途中ですよね?」
彼女が向かっている場所は、悠乃が通学路として使っている道だった。
ちょうどこのあたりは、昨日璃紗に会った場所。
そして――あの灰色の少女を見た場所。
「ここですよ。悠乃君」
「ぉぉ」
薫子が示した先を見て、悠乃はため息をついた。
当然、それは感動からのため息である。
喫茶店があったのは路地裏であった。
しかし不良のたまり場になっているような薄暗い場所ではない。
木漏れ日が差し込む、のどかな雰囲気の空間だ。
外観だけでも彼女が勧めてきた理由が分かる。
初めて見るのに郷愁をかきたてる空気感。
静かで、落ち着くには最高の立地と言っていいだろう。
まさに隠れ家と評すべき店だった。
「ここは、お紅茶も、お菓子も美味しいんですよ」
隣で薫子が笑いかけてくる。
「薫姉は紅茶好きだったよね」
「はい」
以前も、彼女から紅茶についてよく教わった。
時期ごとにお勧めの銘柄や、銘柄に合った飲み方。
璃紗を含めた三人で、お茶会のようなものを催したりもした。
「――薫姉のケーキ思い出しちゃった」
「うふふ。今度焼きましょうか?」
悠乃が昔を懐かしみながら呟くと、薫子はそう言った。
「良いの?」
「ええ、もちろん」
お茶会では、決まって薫子が作ったお菓子が出されていた。
その味は、店で売られているものにも負けないほどおいしかった。
「実を言うと、ここのお店の味を研究して、あの頃よりもっとおいしく作れるようになったんですよ。つまり、ここはわたくしのお菓子作りの先生です」
言われてみると、以前から薫子はこのような店によく出入りしていた。
もしかすると、昔から彼女は店の味を研究していたのかもしれない。
悠乃たちとのお茶会で、よりおいしいお菓子を提供するために。
そう考えると、温かい気持ちになる。
「ここはご夫婦だけで経営されている店なんですよ。そして、そのご夫婦が本当に良い方でして」
薫子が自分の事のように誇らしげに話す。
本当にこの店の事を気に入っているらしい。
「実を言いますと、このお店に来るのは久しぶりなんです。今日、悠乃君と一緒に来ることができて嬉しいです」
薫子は店の扉に手をかける。
そして、店へと続くドアを開いた。
「――――――あ」
きっとこの瞬間を、悠乃が忘れることは一生ないだろう。
薫子が勧めるだけあって、その店は落ち着いた良い店であった。
素朴で、どこか懐かしい。
まるで家に帰って来たかのような安心感のある店だ。
しかし、それらの光景は悠乃の目に映っていなかった。
そこに、一人の少女がいたから。
少女はエプロンを身につけ、テーブルを拭いている。
彼女は悠乃たちの存在に気がつくと、顔をあげて口を開く。
「ぬ。いらっしゃいませなの――」
少女と目があった。
店内には、先程薫子が言っていたであろう老夫婦と、従業員と思われる少女がいた。
小学生くらいに見える少女。
――灰色の髪をドリルのように巻いた少女がいた。
「……じゃ」
少女の声が尻すぼみになり、消える。
少女は持っていたトレイを落とした。
だが、悠乃たちはそれに反応することもできない。
互いが互いへと、すべての意識を向けていたためだ。
悠乃、薫子、少女。
三者は硬直していた。
「なん……じゃと……」
少女は驚愕の声を漏らす。
それを皮切りに、悠乃たちの時間も動き始める。
そして、呼んだ。
彼女の名前を。
ここに存在しているはずなどないはずの人物の名を。
「「……魔王……グリザイユ」」
五年前。
世界を混乱に陥れた事件である『グリザイユの夜』の元凶とされる魔王。
そして、悠乃が殺したはずの少女。
悠乃たちの目の前に立っているのは、まぎれもなく魔王グリザイユであった。
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