1章 11話 かつての戦友。かつての親友。

 ――思い返してみれば、思い出の中にいる朱美璃紗と目の前の少女にはいくつかの共通項がある。

 ボーイッシュな服装。

 少しキツい目つき。

 男っぽい口調。

 これらは、かつての彼女を彷彿とさせるものだった。

 もっとも、この数年間の間に変わった部分も多くあるため、一見して彼女と朱美璃紗がつながることはなかったのだが。


「そうは言ってもさ、悠乃も大分変わってるよ。なんつーか、女らしくなった?」

「それ、全然褒めてないです」

 悠乃は苦々しい表情を浮かべた。

 路地裏で再会した悠乃と璃紗。

 二人はあのまま最寄りのゲームセンターを訪れていた。

 すでに日は落ち、外はすっかり夜である。

 だが、すぐに帰る気分にはならなかった。

「ま、それでもアタシは悠乃のコト一発で分かったんだけどなー」

「ぅぅ……だって、璃紗結構変わってたんだもん」

 璃紗に気がつかなかったことをからかわれ、口を尖らせる悠乃。

 それを見て彼女は悪戯っぽく笑う。

 ちらりと見える八重歯。

 そこにも昔の彼女の面影が覗く。

 だが、やはり彼女は多くのものが変わっていた。

「っと……よしっ」

 現在、璃紗はダンスゲームをしている。

 彼女は昔から運動神経が良かった。

 璃紗は軽快なステップでスコアを伸ばしてゆく。

 流れる曲に合わせて彼女は軽やかに跳ぶ。

(ふゎ……)

 悠乃は立ちつくしたまま心の中でそんな声を漏らした。

 璃紗の足さばきがあまりに流麗だったから、ではない。

 彼の視線は一点に集中していた。

 それは、璃紗の胸元だった。

 彼女が跳ぶたび、二つの大きな果実が暴力的に弾む。

 パーカーという体のラインが分かりにくい服装なのに、その膨らみは圧倒的な存在感を醸している。

 男子に交じって遊んでいた璃紗において、最も変化があった部分はそこかもしれない。

 あの頃は男友達に近かった彼女が、女性の体になっているのは悠乃にとって衝撃だった。

 性別的には当然なのだが。

(す……すごい)

 いけないことだと分かっていても、悠乃は目が離せなかった。

「……よし。こんなもんだろ……って、ド、ドコ見てんだよっ……!」

 ゲームを終えた璃紗が振り返り、赤面した。

 彼女は両手で胸を隠すと、うろたえながら後ずさる。

 悠乃の視線が彼女の胸へと注がれていたことがバレたらしい。

 その事に気がついた途端、悠乃の心で羞恥心が凄まじい勢いで増した。

「っ、っ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!」

 悠乃は両手で顔を覆ってその場に座り込む。顔が熱い。

「ぅわぁぁぁぁぁぁ…………!」

「なんで悠乃が赤くなるんだよ! それ絶対アタシの反応だろーがぁ!」

 璃紗が悲鳴混じりにそう言った。

 悠乃はそんな彼女を指の隙間で観察する。

 璃紗は両腕で体を抱いている。それによって元々大きな胸が寄せ上げられ、さらにリアルな重量感を主張していた。

「ぅぁぁぁぁ…………!」

 指の隙間を閉じて悠乃は悶える。

「そんなにされたら余計恥ずかしくなるだろーがぁ……!」

 恥ずかしさに耐えかねた璃紗が頭を抱えてしゃがみ込んだ。

 ――二人が互いに目を合わせられるようになるまで、それからたっぷり三分を要するのであった。



「……そーいうとこは男らしくなったんじゃねぇーかぁ? …………スケベ」

「ごめんってばぁ」

 拗ねた様子の璃紗に、悠乃はひたすら謝り倒していた。

 さっきからこの調子である。

 しかし、不本意ながらも一連の事件によって二人の間にあった妙な距離感がなくなったような気もする。

 複雑な気分である。

「……ジュース一本」

「喜んで奢らせていただきます」

 半眼で見つめてくる璃紗に、ただただ平伏する悠乃であった。

「じゃあ……それで良しっ」

 そう言って璃紗が笑う。

 その笑みは快活で、怒っているようには見えない。

 そういう切り替えの早さもまた、彼女の魅力だった。

「そーいえばさ」

「?」

「悠乃。なんかアタシに言いたいことあるだろ」

「!」

 璃紗に突然指摘され、悠乃は肩を跳ねさせる。

 それでは白状したも同然だ。

「最初は久しぶりで話しづらいのかなーとか思ってたんだけどさ。どうもそれだけじゃないだろ」

 正直に言えば、最初は彼女とどう話せばいいか分からなかった。

 しかし、そんな気持ちはすぐになくなった。

 きっと話しづらいなんて気持ちより、話したいことがいっぱいあったから。

 だからこそ、実際に会ってみれば驚くほどスムーズに会話が進んでいった。

 悠乃が思っていたほど過去が作りだした壁は高くなどなかったのだ。

 ほんの少しの勇気で乗り越えられるものにすぎなかったのだ。

 そんな事を悠乃は璃紗と話していて思った。。

 それでも悠乃が話せなかったこと。

 ――それは魔法少女についてだ。

 だが、璃紗が無関係でいられないのも事実。

 だから、悠乃は重い口を開く。

「実は――」


 悠乃は璃紗に説明した。

 《怪画カリカチュア》の残党軍が再び現れ始めている事。

 そして、その対策として悠乃と薫子は魔法少女に復帰した事。

 そして、朱美璃紗もまた魔法少女として復帰するよう要請されている事。

 それを悠乃は彼女に話した。

 話を聞く璃紗は特に口を挟むことはない。

 ただ話が終わるまで沈黙を貫き――


「――却下だな」


 拒絶した。

「だよねぇ……」

 薫子は例外として、この年齢になって躊躇いなく魔法少女になりたがる人間は少ないだろう。

 当然といえば当然の返答に、悠乃は大きな息を吐いた。

 それに込められた感情が落胆か安堵かは彼にも分からない。

「そりゃぁ、この歳になって今さら魔法少女かよ、ってのもあるけどよ。それ以前に、今のアタシの手じゃまともに武器なんて握れないんだよ」

 そう言うと、璃紗は悠乃に右手を突き出した。

 そして彼女は右手を閉じ――ようとしたのだろう。

 だが彼女の右手は、油が切れたロボットのように歪な動作をするだけだった。

 拳は閉じているが、指は震えているし、動きはひどく鈍い。

 少なくとも武器を握って戦える状態ではない。

「これでも、結構マシになったんだけどな」

 璃紗は近くにあったUFOキャッチャーへと歩み寄る。

 そして慣れた手つきでコインを投入した。

 動くアーム。

 璃紗は右手の指をスイッチに添える。

「っ」

 わずかに挙動が遅れたのだろう。

 アームは虚空を掴み、戻ってゆく。

「とまあ、こんな感じだ。動かなくはないんだけど、左手に比べて反応が悪いんだよなぁ。今でも」

 ――ちなみに、さっきのぬいぐるみ。ウチのクラスで流行ってるんだよ。

 そう言って璃紗は笑う。

 だが今度の笑みは、少し無理をしているように見えた。

 だから、

「今度は僕の番ね。選手交代」

「?」

 悠乃はUFOキャッチャーにコインを入れる。

 確かに蒼井悠乃はこの五年間で戦士としての能力を著しく低下させた。

 だが戦いの中で培われた動体視力や反射神経は健在だ。

 悠乃は意識を指先に集中させ、一瞬の狂いもなくスイッチを押す。

 するとアームは見事にぬいぐるみを掴んで戻って来た。

 悠乃は景品であるぬいぐるみを抱くと、璃紗に差し出した。

「はい」

「……おう」

 戸惑いながらも璃紗はぬいぐるみを受け取った。

(こうやってぬいぐるみを貰うのは、僕のほうだったんだよね)

 昔のことを思いだし、悠乃はくすりと笑う。

「初めてのゲームセンターは、璃紗に連れて行ってもらったんだよね」

「……そうだったな」

 悠乃はゲームセンターを見回す。

 鼓膜を蹂躙するような大音量。

 学校帰りの生徒や、少しガラの悪い人もいる。

 ここは、気弱な悠乃一人では踏み入れることができない場所の一つだった。

 璃紗が手を引いてくれたから、来ることができた場所だ。

「UFOキャッチャーのコツも、璃紗が教えてくれたよね」

「……だったかもな」

 璃紗は小さく笑う。

 かつての璃紗は、引っ込み思案な悠乃を引っ張ってくれる存在であった。

 優しく支えてくれる薫子。

 恐れずに先導してくれる璃紗。

 二人がいたからこそ、悠乃は魔法少女として戦い続けられたのだと思う。

 二人は大切な仲間だった。

 二人になら躊躇いなく背中を任せられた。

 それは、二人が強かったからではない。

 彼女たちがかけがえのない友人だったからだ。

「――魔法少女のことだけどさ」

 それが分かっているからこそ、悠乃は口を開いた。

「璃紗が嫌なら……僕もそれでいいと思うよ」

「え……」

 悠乃の言葉に、璃紗は意外そうな声を漏らした。

 魔法少女にならなくていい、という発言がくるとは思わなかったのだろう。

 二人よりも三人。

 悠乃が璃紗を勧誘するのは当然なのだから。

「僕もなりたくてなったわけじゃないからねー。やっぱ、無理は言えないや」

 悠乃は璃紗へと笑いかける。

 戦いから逃げたがっている悠乃が、彼女を無理に引き入れて良い訳がない。

「だから別に魔法少女になんてならなくてもいい。でもこのまま、また離れ離れになっちゃうのは嫌だよ」

 小学校ですごした最後の一年で開いた距離。

 それはここでの少しの時間で埋まった。

 だが今、ここでまた何のつながりも持たずに離れたのならば、今度こそこのまま二度と元には戻れない気がする。

 今日の偶然の出会いは、最後のチャンスなのだと思う。

「今日で最後だなんて嫌だよ。もっと一緒にいたい、一緒に遊びたい、一緒に話したいよ」

 なぜか悠乃の目元が潤んでくる。

「一緒に笑って、一緒に泣いた。そんなあの日に戻りたいよ」

 きっと、互いの連絡先も交換せずに別れたあの日――もう会うことはないだろうと思った日のことは、悠乃にとって大きな心の傷となっていたのだろう。

 だから、悠乃は璃紗の手を握った。

この手は絶対に離したくない。

「だから、連絡先教えてよ。魔法少女なんて関係ない。友達として……ダメ?」

 悠乃はそう迫る。

 璃紗はわずかに身を反らし、目を見開く。

 そして彼女は小さく噴き出した。

「ふふ……悠乃。お前モテるだろ……男に」

「なんで分かるのぉ……!?」

 驚く悠乃に璃紗は半眼を向けた。

「……アタシみたいな女より……アレだからだよ……」

「アレって何さぁ……!」

 頭を抱えて悠乃はしゃがみ込んだ。

 男子からの告白回数が二桁を越えている悠乃には切実な悩みなのだ。

「まあでも……確かに、このまま別れちまうってのもな」

 そう璃紗は思案する。

 そしてパーカーのポケットから携帯を取り出し――

「じゃ、連絡先交換しとくか。――友達として」

「うんっ……!」


 こうして、二人は元通りの関係に戻る――否、再び歩み始めることができたのであった。

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