1章 10話 灰色の残像とガーネットの面影
「……ぐすん」
「?」
悠乃が決意を新たにしてると、誰かがすすり泣く声が聞こえてきた。
彼が声のする方へと顔を向けると、そこには薫子が立っていた。
悠乃たちが話している間に、《
――半泣きで。
「二人ともヒドイです……。わたくしが一人で戦ってるのに、なんで二人で仲良く喋ってるんですか……? 戦いが終わってからも、何度も声をかけてるのに無視するんですか……? 無力でゴミなわたくしでは、みんなの鼓膜を揺らすこともできないんですか……?」
「あ……ごめん」
どうやらイワモンとの会話に集中するあまりいつの間にか戻ってきていた薫子を無視していたらしい。
悠乃の様子から本気で気づいていなかったことを察したらしく、薫子はフフフとほの暗い笑いを漏らす。
「あぁ……。やっぱりわたくしは、存在意義も存在感も希薄なんですね。……でも良かった……誰の目にも止まらないなら……誰にも不快な思いをさせずに済みますから……ハハ」
「薫姉!? 本当にごめん! ごめんってば!」
ネガティブの螺旋に迷い込んだ薫子を悠乃は宥める。
自分も大概だとは思うが、薫子は彼よりもさらにマイナス思考だ。
お姉さんのような役回りだった彼女とこんなやり取りをすることになるとは。
きっと昔の自分に言っても信じてもらえないだろう。
「本当に反省しているんですか?」
上目遣いで薫子が迫ってくる。
潤んだ瞳もあいまって庇護欲をそそる姿だ。
「してる。してます」
悠乃は慌てながら同意する。
「……ゴミの機嫌を取るために適当に合わせといてやろう――なんて考えていませんか」
「いないよ。本当に」
「こいつ面倒臭ぇ。むしろゴミ臭ぇ。てか、純粋に臭ぇ。とか思ってませんか?」
「思ってないから!」
若干面倒になりながらも悠乃はそう答えた。
そこまで聞いてやっと安心したらしく、薫子が胸を撫でおろす。
……疲れた。
「でも、無視されて傷つきました。慰謝料請求です」
「え?」
薫子が悠乃の胸へと体を預ける。
彼女は彼の胸板に顔をうずめると、悠乃の顔を見上げてきた。
薫子は可憐な花のような微笑みを向けてくる。
「――今日は、一緒に帰りませんか? 悠乃君」
そして、彼女は昔みたいな提案をするのであった。
☆
蒼井悠乃は小学生の頃、一人で通学路を歩いてきた。
周囲から避けられていたというわけではなく、同学年に同じ方向へと帰る生徒がいなかったからだ。
だが、魔法少女になって、薫子と一緒に帰るようになった。
学年は違うのでいつも一緒とは言えない。だからこそ、お姉さんと一緒に帰る道は楽しいものであったように思う。
「――ここで、いつも分かれていましたね」
「うん」
悠乃と薫子は丁字路で立ち止まる。
昔はここまで二人は一緒に帰り、ここから別々の道を歩いていた。
正直に言えば、今回はこの道を通る必要はなかった。
でも二人は約束を交わすまでもなくこの道を通った。
それは、ここには懐かしい思い出があるからだろう。
「明日、また会えますか?」
別れ際、薫子がそう尋ねてきた。
彼女の目が不安に揺れる。
「うん」
そんな彼女に悠乃は笑いかけた。
「不本意ではあるけど、魔法少女の活動もあるし」
「魔法少女の活動がなくても、会えますか?」
この質問に合理的な意味はないだろう。
明日、二人が魔法少女でなくなることはないのだから。
とはいえ、そういう意図での質問でないことくらい分かっている。
「うん。魔法少女でなくても……というか、むしろ僕としては魔法少女としてじゃなく会えたほうが良いんだけどね」
友人として、薫子と会いたいと思っているのだと言外に伝える。
「……そうですか」
薫子の表情が柔らかくなった。
彼女は小さく「良かった」とつぶやいた。
どうやら彼女の不安を取り除けたらしい。
「ふふ。じゃあ約束ですね」
薫子は数歩だけ悠乃の前へと歩くと、くるりとその場で回る。
ふわりとスカートが広がった。
「明日の放課後。場所は――学校も違いますし、ここが集合場所で良いですか?」
二人は通う学校も違うし、どちらかの家に行くには少し遠いだろう。
「うん。じゃあ明日、またここで」
悠乃は同意する。
すると薫子は顔をほころばせる。
「お友達と待ち合わせなんて、久しぶりです」
薫子の様子を見るに、彼女の問題は家庭内にとどまるものではないのだろう。
限度も個人差もあるが、信頼できる友人がいたのであれば、家庭内の不和があったとしても彼女の心がここまですり減らされることはなかっただろう。
推測ではあるが、最近の薫子には親しく出来る友人もいなかったのではないだろうか。
「それじゃ薫姉。また明日」
「はい。また明日です」
薫子はスカートの裾を摘まむと「御機嫌よう」の言葉と共に上品なカーテシーを披露する。
彼女はそのまま悠乃へと背を向け、自分の道を歩んでゆく。
それを彼は最後まで見送った。
薫子の背中が見えなくなるまで。
「じゃ、僕も帰ろうか」
薫子が見えなくなると、悠乃は自分の通学路へと足を踏み出した。
☆
「やっぱり、少し遅い時間になっちゃったなぁ」
悠乃は帰り道を歩きながらぼやく。
学校が終わってから魔法少女として活動しているので、必然的に帰る時間はいつもより遅くなっているのだ。
彼は今、人の多い表通りを歩いている。
……不本意ながら、悠乃の容姿は人通りのない道を歩くには危険が多いのだ。
特に、今日のように遅くなった日は。
「……残党軍、ね」
一人となったことで悠乃は思案する。
かつて悠乃たちは魔王が率いる《怪画》と戦った。
そして、魔王軍の残党を掃討するために再び彼らは魔法少女へと戻る。
残党――魔王を喪った集団と戦うために。
「――グリザイユ・カリカチュア……」
悠乃は最後の戦いを、そこで対峙した魔王の名を口にした。
魔法少女として、悠乃はグリザイユと戦った。
死闘の果て――滅ぼした。
だが、個人的には彼女に対して悪印象はなかったように思う。
「確かに敵だった。でも、悪い人じゃなかった」
人間を《怪画》から守るため、悠乃は魔法少女になった。
しかし、当初の魔王はまだグリザイユではなかったのだ。
そして、先代魔王こそが人間を残虐に襲う元凶であった。
むしろグリザイユは、人間への被害を最低限に抑えていた節さえある。
「《怪画》は人間を食らう。逆にいえば、グリザイユは食事以外の理由で人間をケガさせたりはしなかったし、部下にも徹底させていた」
――お主らは、家畜を遊びで殺すのか?
辛辣な物言いではあったが、《怪画》の中でも異質な思想だったのは間違いない。
なにしろ、その『家畜を遊びで殺す者』こそが先代魔王だったのだから。
「彼女が魔王だった頃の秩序が、今の《怪画》からは感じられない」
今回の《怪画》の戦いを見てそう思った。
先代魔王が統治していた頃のように《怪画》は無秩序に人を襲っていた。
秩序がないからこそ連携されることもなく戦いやすいという点は悠乃たちにとって都合が良い。
しかし、あの誇り高い魔王がもういないという事実が――突きつけられる。
「……戦わなくて済んだのなら良かったのに」
悠乃は立ち止まった。
今は日暮れ前。
多くの人が帰り道を歩いている。
そこには昔の戦いの痕跡は見えない。
少なくとも表面的には。
「……帰ろうか」
悠乃が再び一歩を踏み出そうとした時――彼の体が固まった。
ただの勘だ。
しかし彼の直感が、自分へと向けられた感情を察知した。
長い平穏の中で錆びていたはずの第六感が、たった一つの視線を拾い上げる。
「っ!」
悠乃は反射的に振り返った。
彼の視線の先には多くの人。
主婦。学生。
そんな人たちの中――見つけた。
「ぁ……」
灰色の髪をした幼女が見えた。
まるで、あの魔王のような特徴を持った女の子を。
少女の後ろ姿が人波に消えてゆく。
「待って……!」
気がつくと悠乃は駆けだしていた。
一瞬しか見えなかった背中。
だが、その姿はあの魔王に酷似していた。
確かめなければならない。
彼女が、本当にあの少女であるのかを。
「っ……!」
悠乃は人波をかき分ける。
人々の塊を切り開く。
見えた。少女の髪が曲がり角からちらりと見えた。
あの道は裏通りへと続いている。
暗く入り組んだあそこに潜まれてはすぐに見失うだろう。
「っと!」
悠乃は裏通りへと走り込んだ。
だが、そこにはもう誰もいない。
影に覆われて暗い路地裏。
そこには灰色の少女がいなかった。
「あれは……見間違いだったのかな?」
急に自分が見たはずの光景が信じられなくなる。
もしかするとあれは、彼女の事を思い起こしていたからこそ見た蜃気楼のようなものだったのではないだろうか。
「……馬鹿みたい」
悠乃は大きく息を吐いた。
「自分で殺しておいて、あの子の幻想を見ているだなんて」
そもそも、彼女がここにいるわけがないのだ。
トドメを刺したのは他でもない悠乃自身なのだから。
やはりあれは幻にすぎなかったのだろう。
「危ないし早く帰ろ……」
そう思い直し、悠乃が踵を返したとき――
「あっれー可愛い子発見~」「ぎゃは。マジじゃん」「超可愛い~」
目の前にはガラの悪い少年たちがいた。
少年たちは悠乃が戻ろうとした道を塞いでいる。
彼らの視線は悠乃を捉えており、素通りさせてくれそうな雰囲気ではない。
「君さ~。ちょっとオレたちと遊ばない?」
「ひぅ……!」
少年に肩を掴まれ、悠乃は体を跳ねさせる。
悠乃は薫子のように長い時間を過ごしてきた相手となら気兼ねなく話せる。
しかし初対面。しかも、ああいつタイプの人間を前にすると嫌でも委縮してしまう。
「怯えちゃってホント可愛いねぇ」「お兄ちゃんたち恐くないですよ~?」
迫る少年たち。悠乃はじりじりと後退し、壁まで追い込まれる。
背中は壁。残る三方向は少年たちに塞がれた。
これでは逃げることもできない。
「ぅぅ」
人間としての悠乃は腕っぷしが強いわけではない。むしろ荒事は苦手だ。
最期の手段としては魔法少女に変身して逃げるという手もあるが、正体の露見、相手へ怪我をさせてしまうかもしれないというリスクを考えると躊躇われる。
「……どうしよ」
悠乃は唇を噛み、現状を打開するために考えをめぐらせた。
だが、少年たちは彼へと手を伸ばしてきて――
「そーゆー気分悪ぃのはさ。よそでやれよ」
声と共に、少年が吹っ飛んだ。
少年を吹っ飛んだ理由は、一発の蹴りだった。
彼らの背後にいた人物が強烈な蹴りを繰り出したのだ。
「猿じゃねーんだからさ。ナンパも大概にしとけよ」
蹴りの主は少女だった。
ボサボサの長い赤髪。
パーカーにホットパンツというボーイッシュな服装。
一方で、服の中にある膨らみは驚くほど大きく、女性的な肢体が服装とのギャップを生み出している。
少女は不機嫌そうに眉を寄せ、少年たちを睨んでいる。
「いいから退けよ」
少女はパーカーのポケットに両手を入れたまま体を回転させる。
それは回し蹴りだった。
それもコンパクトな動きから放たれる無駄のない蹴りだ。
実際、少年たちは反応することもできずに吹き飛ばされて気絶した。
「ぅわ」
あまりの出来事に悠乃は絶句する。
すると、少女が今度は悠乃へと視線を向けた。
「ひぃ……」
次は自分かと思い悠乃は身構えた。
もっとも、あの速度の蹴りに反応するような反射神経は持ち合わせていないため、なんの意味もない行動なのだが。
「アンタもさ。こういうやつらに絡まれるのが嫌ならさ。こーいうとこには来ないようにしろよな。こんな暗い道じゃ、絡んでくれって言ってるようなもんだろ」
意外にも飛んできたのは蹴りではなく諫言であった。
彼女を見てみると、少女は呆れたよう頭を掻いている。
少女はあくまで悠乃を助けるためにここに来たらしい。
一見すると、彼女の姿は不良少女だ。
正直に言うと、悠乃が苦手とするタイプである。
だが一連の行動を見る限り、雰囲気ほど怖い人ではないのかもしれない。
「…………」
なぜか少女は悠乃を怪訝そうに見つめている。
そして彼女はわずかに驚いたような表情になり――
「ひょっとしてだけどさ。お前……悠乃か?」
少女が口にしたのは悠乃の名前だった。
彼が知る限り、彼女のような人物とは交友がない。
だが、彼女が名前を知っていたというのは厳然たる事実であった。
(いや……僕は覚えている)
一人の面影がちらついた。
(僕が困っていると、いつだって助けてくれたヒーローのような女の子)
不良少女は自分を指さすと、自身の名前を口にした。
「アタシだよ。朱美璃紗。それとも、名前聞いても思い出せねーか?」
朱美璃紗――かつてのマジカル☆ガーネットは小さく笑った。
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