1章 7話 宝石を曇らせたのは

「ねえ薫姉」

「はい?」

「どうしてそんなに魔法少女になりたいの?」

 ふと悠乃はそんな疑問を口にした。

「確か薫姉って……僕たちの中で一番魔法少女としての活動に否定的だったよね?」

「朕もそうだったと記憶している。ある意味、最大の難関は薫嬢だと思っていたのだがね」

 イワモンも思うところがあったのか、悠乃の疑問にうなずく。

 金龍寺薫子きんりゅうじかおるこは正義感もあったが、人間としての生活も重視していた。

 マジカル☆ガーネットが学校をサボって《怪画カリカチュア》探しを繰り返していた時はすさまじい勢いで怒っていたものだ。

 そんな彼女がロクに事情も聞かずに魔法少女になる理由が浮かばなかった。

「正義感が理由であるのなら事情をまず聞くはずだ。しかし、薫嬢はそれよりも早く魔法少女になりたいと言った。つまり、魔法少女としての責務ではなく、魔法少女となることそのものに意味を見出している。朕の見解に相違ないかね?」

「……間違い、ないです」

 眉を寄せながら薫子は首を縦に振る。

 どうやら彼女にとって触れられたくない部分だったらしい。

 とはいえ、だから放置というわけにもいかないだろう。

「何か事情があるの?」

「事情と言うほどのものではありませんが……」

 悠乃が尋ねると薫子は言いよどむ。

 だが、何度かの躊躇いの後に彼女は口を開く。

「ただ、あの時のわたくしが、わたくしの存在が一定の価値を持っていた最後の時期だったというだけの話です」

 そう薫子は言葉を絞り出した。

「――以前、わたくしの家がいわゆる名家であるということは話したと思います」

 ゆっくりと薫子が語り始める。

「うん。いっぱい勉強して、いっぱい習い事をして頑張ってたよね。……両親からの期待が少し重いって話もしたっけ」

 悠乃は空を見上げ、昔を思い出す。

 名家の令嬢として英才教育を受けていた薫子。

 周囲からのプレッシャーに押し潰されそうになった薫子が家出をしてしまった時は、悠乃たち魔法少女の戦いの中でも特に大きなピンチの一つだった。

 実際、一歩間違えばあそこで薫子が欠けていた可能性もあったくらいだ。

 あの時は大変だったが、今では懐かしい思い出である。

「ええ。懐かしいです。ですが今となっては、親の期待が重いだとか甘えたことを言っていた自分を引っ叩きたいです」

 薫子は泣きそうな表情で自嘲する。

 その姿はあまりに悲愴で、悠乃は見ていられなかった。


「端的に言いますと、あの後わたくしは受験に失敗しました」



「わたくしたちが《怪画》との最終決戦――俗にいうグリザイユの夜事件――それに臨んだ時期は名門中学への入学試験の日付とほとんど重なっていました。

 ですが、あの頃は日夜怪画との戦いに明け暮れていましたし、勉強どころかまともに睡眠時間を確保することもできていませんでしたよね?

 そして極めつけは死力を尽くしたあの戦い。

 そのせいか受験当日に高熱を出してしまい――

 ……両親にとってわたくしの価値は自分の引いたレールを正確になぞることだけでした。

 それにわたくしは失敗した。

 高校受験で頑張ればいい? あの人たちは一回の失敗も、たったの一つの汚点さえも許すことはありませんでした。

 《怪画》との戦いのため習い事の時間をすっぽかしてしまったこともありましたからね。そのあたりが不真面目と判断されたこともあったのかもしれません。

 幸か不幸か、あの人たちには優秀な娘と息子が――自分が思い描く未来予想図を実現するためのスペアがいました。

 だから、書き損じであるわたくしは……いないものとして扱われる――いえ、扱ってもらうことさえできなくなりました。

 今では別邸でメイドの方々の部屋を一つ貸していただき、そこで生活しています」

 虚ろな目で薫子は語り続ける。

 壁に背中を預け、機械のような声音で話す彼女の存在はあまりに儚く、いつ消えてしまってもおかしくないほどに脆かった。

 悲惨な話だ。しかし彼女は涙も流さない。

 悲しくないわけがない。

 ただ、涙を流し尽くしただけ。

「ある意味、魔法少女としての日々こそわたくしがレールを外れる原因になったともいえるかもしれません。でも、あれはわたくしが自分で決めたこと。

 あの日々を否定してはいけないと思ってはいます。

 でも、あの頃に戻れたのならと思わずにはいられない。

 自分なりの決意と使命を持ち、苦しくても、そこにわたくしの存在があった」

 薫子は小さく笑う。

 だが、それは悲しげな笑みだった。

 痛々しい笑みだった。

「だから、どんな危険な戦いであろうとかまいません。わたくしは、あの頃に……魔法少女だった頃に戻りたい。そのためなら――死ねます」

 それが金流寺薫子の結論であった。

 蒼井悠乃は、過去が生んだ歪みによって魔法少女の力を拒否した。

 金流寺薫子は過去が生んだ歪みによって魔法少女の力を求めた。

 ただ、それだけのこと。

「ふむ。そもそもとして断られても困るし、死ぬ覚悟もあるというのは朕としては満点の解答だ。もっとも、仕事半ばでのリタイアは困るがね」

 そう口にするとイワモンは懐からクリスタルを取り出す。

 そのクリスタルの色は、かつてのマジカル☆トパーズを象徴する金色だ。

「それは……!」

 薫子は目を見開いた。

 目の前にある物はきっと、この五年間求めてやまなかった物だから。


「覚えているだろう? これこそが魔法少女の――」

「はむっ……!」

 イワモンが説明を終えるよりも早く、薫子はクリスタルを咥え込んだ。

 彼の準備が整うよりも早く、彼女は喉の奥まで結晶を呑み込んだ。

 逸るように。

 一瞬でも早く魔法少女になりたいと言わんばかりに。

 彼女が結晶を取り込み終えるまでに時間はそれほど必要なかった。

「……これでちゃんと魔法少女になれるんですか……?」

 薫子は泣きそうな表情でイワモンに縋りつく。

「ふむ。きちんと変化は訪れている」

「あ……!」

 イワモンが告げると、薫子の体が発光する。

 太陽のような活気にあふれた黄金の光。

 それが形となり、かつての彼女――マジカル☆トパーズの衣装を生んだ。

 悠乃と違い魔力操作が上手かったのだろう。

 現在の衣装は薫子の体にピタリとマッチしており、あの頃のマジカル☆トパーズがそのまま高校生になったかのようだ。

「ふむ。滞りなく魔力操作ができたということは、そこまで実力が錆びている心配はいらなそうだね」

「もちろんです。抜け殻になっていたわたくしは、消えた勉強時間と習い事の時間をすべて魔法少女になる妄想のための時間にしていましたから」

(ひ、悲惨すぎる……!)

 薫子は口元に指を当てて笑っているが、一方で悠乃は戦慄していた。

「だって――」

 彼女は晴れ晴れとした表情を浮かべた。

 それは先程までの気弱で卑屈な彼女ではなく、昔のお姉さん然とした顔で。

 魔法少女となったことで、彼女の心境にも変化が現れたのだろう。


「だって……! ゴミ同然のわたくしにあったのは、何もない無駄な時間だけでしたから……!」


 薫子は太陽のような笑みでそう言った。

(うん……さすがに、ね?)

 どうやら、メンタルには思ったほどの変化はなかったらしい。

「……ふむ。薫嬢の気質が解決されるのには時間がかかりそうだね」

「うん……」

 イワモンのささやきに、悠乃は首肯するのであった。

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