1章 6話 砕けたトパーズ

「やっぱり、僕に世界は救えない」

 そう言い残し、悠乃は振り向いた。

 このまま路地を抜ければ、自由の身だ。

 きっと悠乃が戦いを拒否し続ければ、イワモンだって別の人をスカウトするはずだ。

 無責任かもしれないが、それくらいのワガママが通るくらいは戦ってきたという自負がある。

 そう後ろめたさを抑えつけ、悠乃は前を向いた。


「「あ」」


 そして、見知らぬ少女と目が合った。

 不運にも、悠乃が歩いた先には一人の少女がいた。

 今回、悠乃は人通りのない場所で《怪画》を迅速に倒している。

 それは誰にも見られないためだ。

 しかし、前提がここで崩れた。

「ねぇ猫豚さん」

「豚猫だよ悠乃嬢。あくまで猫を主軸に置くことを忘れないで欲しいのだよ」

「僕って、世界を救ったよね」

 淡々と悠乃は尋ねる。

 しかし、その様子は明らかに錯乱していた。

 彼女の言葉を吟味し、イワモンは思考しているようだった。

「確かに、悠乃嬢の働きは世界に対して大きな意味を持っていたと朕は考えるのだよ。ちなみに、出世街道を爆進するのにも役に立った」

「そう……」

 ただそれだけ口にすると、悠乃は手中で作りだした氷銃を作り上げた。

 悠乃は目を回しながら震えている。

「なな……なら、一人くらい誤差じゃないかなぁ?」

「むむむ。朕も大人である。チンも心も大人である。この世には表と裏がある事には理解があるタイプなのだ。あー。目にゴミが入ったなー。最近、メイドさんの耳かきサービスを受けていなかったから銃声くらいは聞き逃してしまうかもしれないなー」

 妙に納得した顔を見せたイワモンはわざとらしくそう口にして悠乃へと背中を向けた。

 その隙に銃弾を少女へ向けて放つ――はずもなく。

「さすがに冗談だよ。まさかこんなに早くバレるとは思わなかったけど」

 悠乃は嘆息して拳銃を消した。

 5年前も、たびたび目撃されていたのだ。

 戦えば、人目につくことは避けられない。

 その前に戦いを降りたかったのだが、遅かったらしい。

「むしろイワモンの後ろ暗いものに対する保身の上手さのほうが気になるケド」

「ままならないものなのだよ。大人になるとね」

 悠乃たちは何事もなかったかのように会話を続ける。

 彼女は静かに、目の前の少女を見つめる。

 少女は華奢で、身長も低い。

 金髪の三つ編みを尻尾のように垂らしており、端正な顔立ちも手伝って人形のような印象の子だった。オドオドとした雰囲気が庇護欲を誘うことも一因なのだろう。

 加えて彼女は身なりも良い。

 レース生地が多く使用された服は、どう見ても安物には見えないほどに良質だ。

 低く見積もっても中流階級にとどまっている人物ではない。

「こんな路地に入り込んでくるようなお転婆さんには見えないな」

「多分、僕を見て思わず追いかけてきたんだろうね……」

 たった一年の活動だったとはいえ、魔法少女の存在はインパクトが強すぎた。

 見たところ少女は悠乃と同世代――当時は魔法少女などへの憧れを持ってもおかしくないくらいの年齢だったはず。

 おそらく、魔法少女らしき姿をした悠乃を見て、追跡の結果としてここまで入り込んでしまったと予想するのが妥当だろう。

 つまり、ここまで少女が来たのは悠乃のせいでもあるということだ。

 となれば彼女をここに放置しておくわけにもいかない。

 後で彼女の身に何かがあれば……そう思えば当然のことだ。

「本当にツイてない……。まあ、変身を解いていなかったことが不幸中の幸いかな……?」

 魔法少女に変身すると、正体を話したことがある人間以外には同一人物と認識されなくなるという力があった。

 おかげで、変身中は知り合いに会っても正体が露見しなかったのだ。

 つまり、この姿を見られただけならば、彼女が蒼井悠乃という男子生徒にたどり着くことはない。

 このままの姿で少女を送ってゆけば、表通りで魔法少女姿を衆目にさらすこととなる。

 しかし、この少女に自分の正体を見せるというリスクに比べればはるかに軽いものであろう。

 そう判断し、悠乃は少女へと歩み寄る。

 一方、少女は茫然とした様子で悠乃を見ていた。

「大丈夫? 歩ける?」

 少女が衝撃で硬直しているのだろうと思い、悠乃はそう声をかけた。

 しかし少女が口にした名前に、彼女のほうが固まることとなる。


「もしかして……悠乃君?」


 少女が紡ぎ出したのは、悠乃の名前だったのだから。

 ここで告げられたのがマジカル☆サファイアだったのなら驚かない。

 ファンだったのかもな、で終わる話だ。

 だが、彼女は本名を口にした。

 魔法少女の認識阻害により、悠乃とマジカル☆サファイアは結び付けられないようになっているはず。

 前もって悠乃が教えている――もしくは変身の瞬間を見られていない限り。

 当然、悠乃は自分の正体を言いふらしてなどはいない。

 そして変身のタイミングにも常に気を遣ってきた。

 現役で活動しているころから、自分の正体をひた隠しにしてきたのだ。

 それは《怪画》に家族を人質にされないための措置であり、マスコミなど人間の目から逃れるための対策でもあった。

 今回、悠乃が魔法少女への再任命を断ったことからも分かるように、彼女は魔法少女としての自分を遠ざけたがっている。

 つまり5年前の決戦から今まで、彼女が自分から正体を喧伝したことはない。

 ――何か共通項が変身の前後にもあるのだろうか。

 そんな疑問が悠乃の脳内で渦巻く。

 彼女は険しい顔で黙り込んでいた。

 誤魔化せるか。いや。口にした時点である程度確信が?

 それともハッタリか。だとしたら、黙り込んだ時点で失策だ。

 そんな思考が巡り続ける。

 対して、少女は悠乃が沈黙していることに不安を感じたらしく、そわそわとし始めている。

「あ、あの……わたくしのこと……! 覚えてないんですか……! はは……ですよね。ゴミくずの名前とかもう忘れましたよね……はは」

 ひどく卑屈に少女は空笑いをする。

 何が彼女をここまでネガティブにしたのか。

 そんなことを考えていると、意を決したように少女は口を開いた。


「わたくし……! 金流寺薫子ですっ……! あ、こっちのゴミみたいな名前じゃ駄目ですよね……! わたくしです……です……!」


「……ふぇ?」

「……んぬ?」

 悠乃とイワモンは首を傾げた。

 なぜなら、目の前の少女――金流寺薫子、そしてマジカル☆トパーズ――の姿は、あまりにも彼女たちの記憶と食い違っていたためだ。

「みんな、時間が経つと変わるものなんだなぁ……」

 悠乃はわずかに肩をすくめるのであった。



 蒼井悠乃にとって、金流寺薫子とは――お姉さんであった。

 名家に生まれたという薫子は物腰が柔らかく、気弱な悠乃でも物怖じせずに付き合える相手であった。

 それでいて優しいだけではなく、時には厳しく教え諭す。

 相手のためなら嫌われ役をも担ってくれる、本当の意味で優しい人であった。

 そして、戦いとなれば悠乃たちは後方からサポートしてくれる存在だった。

 彼女の援護がなければ、悠乃たちの戦いはどこかで行き詰まっていただろう。

 それほどに心身の両面において頼れる相手、それが金流寺薫子であった。

「よ……良かったぁ。てっきり、わたくしみたいな塵芥の事なんて忘れられていると思ってたから……」

 泣きそうな声で薫子はそう言った。

 というかすでにハンカチで目元を拭っている。

「薫姉が卒業してから連絡も取ってなかったから、全然分からなかったよ。雰囲気とか結構違ったし」

 知り合いが相手ということですでに変身を解除した悠乃は、微笑みながら薫子との再会を喜んでいた。

 薫子も旧友との再会を楽しんでくれているようで、オドオドした雰囲気から少し明るい態度へと変わっていた。

「あ、やっぱり? そうよね、ここ5年間でかなり負け犬オーラが馴染んできていると自分でも思うわ」

 ……喋る内容自体は先程とそれほど変わっていなかった。

「いや。なんでそんなにネガティブなの……? 僕が言ったのは身長とかのことだって……!」

「あらごめんなさい。察しの悪い無能で本当にごめんなさい。今度から気を付けるから、もう一回この無能なわたくしにチャンスをもらえませんか?」

「笑顔での自虐はやめてぇ!?」

 薫子はヒマワリが咲き誇りそうな笑顔で自傷を繰り返す。

 かつて「自分を駄目だなんていうものじゃありませんよ」と悠乃を諌めた彼女はどこに行ったのだろうか。

「でもそうね。確かにわたくし、あまり背が伸びなかったわ。きっと神様も、こんな無能の成長になんて興味がなかったから放置したのよね」

「なんですべての話題からキレッキレの自虐ネタが返ってくるんだよぅ……」

 フォローさえも逆手にとって自滅する彼女はどうすれば止まるのか。

 思わず悠乃は頭を抱える。

 昔とは完全に立場が逆転していた。

「うわぁ……客観的に見ると、昔の僕って結構面倒臭い奴だったんだなぁ」

 かつての自分が薫子にかけていた迷惑を想うと、申し訳ない気分になる悠乃であった。

 改めて、そんな自分に根気よく向き合ってくれた薫子たちは優しかったのだと痛感する。

 かつての友人の素晴らしさを噛みしめていた悠乃だが、一方で薫子は顔を両手で覆って泣き崩れていた。

「ぅぅ……面倒臭いゴミでごめんなさいね。でも魂の腐臭はシャンプーやボディソープでは隠せないのよ」

「聞こえちゃってた!? ごごご、ごめん! 別に薫姉のことが嫌とかそういうことじゃないから!」

「ふふ。良いのよ。人間ってね、無能ほど自分への悪評に地獄耳なの。わたくし自身がこの説の生き証人よ」

「本当に反応しづらいなこの人!」


「そう言えば悠乃君、魔法少女になっていましたよね?」

「あぁ……うん」

 唐突に半泣きの薫子がそう尋ねてきた。

 そしてその質問は、悠乃が一番危惧していたものだった。

 とはいえバッチリ目撃された以上、誤魔化す術があるわけもなく悠乃は白状した。

 魔法少女のこと。イワモンのこと。そして、残党軍のことも。

「それはいつから……」

「今日から」

「そうですか……」

 苦々しく答えた悠乃をよそに、薫子は口元に指を当てて思案する。

(あぁ……その癖は昔のままなんだなぁ)

 思わぬところで見られたかつての薫子の面影に、微笑ましい気分になる悠乃であった。

「それって、悠乃君だけですか? それとも、わたくしたち全員で?」

 薫子はイワモンへと目を向けた。

 あの時の戦いで悠乃たちはイワモンにすべての力を返却しているのだ。

 現在の悠乃が魔法少女となっているということは、なんらかの理由で彼へと力が再び与えられたということ。

 であれば、その対象に自分が入っているのかという点に関心を持つことは当然といえるだろう。

「後者だな。今回の件にも、君たち全員で働いてもらうことになる」

「そうですか……」

 イワモンの言葉に薫子は顔を伏せる。

 当然だろう。薫子は悠乃よりも一つだけとはいえ年上だ。

 今更魔法少女になれと言われても抵抗しかないはずだ。

「あ……薫姉。どうしても嫌なら――」

 悠乃は薫子に助け船を出そうとしたのだが――

「うふ……うふふ……」

「……薫姉?」

 唐突に薫子が笑い始める。

 こらえきれないとばかりに肩を震わせ、口元を三日月形に吊り上げて。

 さっきまでの薫子は弱気で以前の面影などなかった。

 しかし、今の彼女が放つ雰囲気にはどこか恐ろしさがあり、別の意味で以前の面影が感じられない。

「うふふ……また、また魔法少女になれるんですね……?」

 意外にも薫子が口にしたのは魔法少女としての活動への積極的な姿勢だった。

 悠乃としてはてっきり拒絶するものと決めてかかっていたのだが。

「ずっと思っていたんですよ。わたくし。あの頃は良かった、あの頃がわたくしにとっての絶頂期であったと。でも違った。人生の意義を使い果たしたわたくしに……。消化試合となった人生に再び意味を与えてくださるんですね?」

「ん? んん? まあ、朕としては魔法少女となることに好意的である事が実に好都合なのは間違いないな」

 やけに饒舌になりイワモンの手を握る薫子。

 対して、詰め寄られたイワモンは一歩引いている様子だ。

 ここまでの食いつきは想定外だったらしい。

「では、ください。魔法少女としてのわたくしを。今、今すぐにでも……! 一刻も早く、このゴミのような自分と決別したいのです……!」

 鬼気迫る様子で、薫子はそう言いきったのだった。

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