1章 5話 誰にも見せない再始動
「はぁ……」
悠乃は盛大なため息をついた。
彼の顔にはこれでもかと憂鬱の色が浮かんでいる。
「もう良いではないか、良いではないか」
「まったく良くないです」
さらにため息を重ねる悠乃。
《
あれから学校は休校となり、悠乃は帰路についていた。
当然だ。校庭が氷づけになれば学校も一時閉鎖くらいされるだろう。
「すごく鬱です」
肩を落とし悠乃は呟く。
テンションは底辺を這いずり回っている。
そんな彼を見つめ、イワモンは肩をすくめた。
「仕方がないのだよ。もう諦めたまえ」
「それは加害者が言って良いことじゃないと思うんだ」
悠乃は半眼でイワモンを睨む。
「いやはや。思春期の女子は――ぬ?」
何かを言いかけ、イワモンが立ち止まった。
悠乃は気づかずに数歩歩いたが、彼が停止したことに気付き足を止めた。
「どうしたの?」
「――《怪画》が出現しそうだ」
イワモンが神妙な面持ちでそう告げた。
――それは彼の存在意義の一つだった。
彼ら魔法生物は《怪画》の出現を、直前に察知できる。
余裕は1分程度しかないが、それでもかなりの被害を防げる。
イワモンはそうして、悠乃たちのサポートをこなしていたのだ。
「……行かなきゃダメ?」
「行かなければ人が死ぬだけなのだよ。今回は世界を守ることは任務に含まれていない、朕としてはどちらでも構わないが?」
イワモンはそう言って腹を揺らす。
「で? どうだね悠乃嬢? 人を助けるか
そう続ける。
イワモンは悠乃の意見を尊重している――わけではない。
悠乃の口から言わせたいのだ。
――人を守りたい、と。
そうすることで、なし崩し的に戦う覚悟を決めさせようとした。
あえて本人にそう言わせることで、
ちょっとした思考誘導だ。
「……本当に変わったねイワモン。君は、そういう器用なことができる奴じゃなかったのに」
むしろかつてのイワモンは青い正義感に突き動かされるまま走り抜けるような――不器用な性格だった。
「社会の荒波に呑まれ、朕も強かさを身につけ立派な政治家となったのだ」
「そう……」
悠乃は考える。
ここで救うと答えれば、簡単には引けなくなる。
じゃあ見捨てるのか?
それを傍観できるのか?
このまま家に帰って、ニュースで死亡事故を
答えは……ノーだ。
「もう……分かったよ分かりましたよ。やればいいんでしょッ」
悠乃は駆けだした。
☆
「悠乃嬢。あそこだ!」
「分かったッ!」
悠乃はイワモンが指さした先を見据え、変身する。
かつて纏っていた魔法少女の衣装は、現在の体型に合わせて再調整されている。
一度は極めた魔力操作だ。
最低限のレベルまで思い出すのに時間はかからなかった。
最初の失態は、その最低限さえこなさずに戦ったからだ。
これで前回のような醜態を見せることはない。
体が戦闘のためのものへと変移する。
同時に、悠乃の心が裏返った。
気弱な自分を裏へと隠し、戦うための心を表へと。
「一瞬で終わらせる」
冷めた声で悠乃は宣言する。
彼女は《怪画》へと走る。
彼女の視線の先にいるのは、背中から剣を生やした《怪画》だ。
《怪画》が悠乃の存在に気付く。
そして咆哮を上げようと――
「させない」
悠乃は《怪画》に肉薄し、化物の喉を蹴りつけた。
声を詰まらせる《怪画》。
悠乃は《怪画》の体を掴むと、そのまま路地裏まで引きずり込んだ。
一連の動作には躊躇いがない。
おかげで、誰にも《怪画》が衆目につくことはなかった。
「――ここなら誰も見ないよね」
誰もいない路地裏。
そこまで《怪画》を引きずった悠乃は、《怪画》を解放する。
無様に転がる《怪画》。悠乃はそれを見下ろす。
「安心して。声なんてあげさせない。すぐに終わらせるから」
無表情に悠乃は告げる。
悠乃の作戦はこうだ。
魔法少女としての自分を誰にも見られたくない。
なら、誰にも見られることなく《怪画》を倒そう。
それだけだ。
「だってあなたも、長く苦しむのは嫌だよね?」
悠乃は一瞬で氷剣を作りだす。
そして、正確に《怪画》の喉笛を裂いた。
一切遊びのない攻撃。それは一瞬で《怪画》の存在を消し去った。
「これで終わり」
悠乃は血に染まった氷剣を霧散させた。
これで血の跡は消え、戦いの痕跡は残らない。
最初は手間取ったが、二度目にはもう勘を取り戻しつつある。
戦いの連続だった一年の経験は、奥底で悠乃の体に今でも根付いているのだ。
「ぅぇ……」
しかし戦いが終わり緊張の糸が切れた時、悠乃は胃袋がひっくり返る感覚を覚えた。
こみ上げた胃液を手で押さえる。
「……吐きそ」
(これだから戦いたくなかったんだ……)
悠乃は吐き気の理由は分かっていた。
「――体だけではなく、心も戦えなくなっていた。そういうわけか」
いつの間にか追いついていたイワモンがそう言った。
その指摘は正しい。
「だって僕は――」
「魔王グリザイユを殺した、かね?」
「ッ」
悠乃は唇を噛む。
イワモンが口にしたことが事実だったから。
「最初は……《怪画》はただの化物だと思っていた」
悠乃は空を仰ぎ、口を開いた。
最初はわけが分からないまま《怪画》と戦った。
おあつらえ向きに化物の姿をした彼らとの戦いは、まるで自分がヒーローにでもなったかのようだった。
だから使命感のままに戦った。
「先代魔王と戦った時、ただの化物だった《怪画》は人間に破滅をもたらす恐ろしい存在だと思った」
人間界へと侵攻を開始した先代魔王は凶悪な存在だった。
人々を守るため、大切な世界のために戦わないといけなくなった。
その頃には、もう戦いたくないだなんて
「そして魔王グリザイユが魔王の座を継いだ。彼女は部下に慕われていて、僕から見ても悪い奴じゃなかった……と思う」
(個人的には、部下を想い続けた彼女には好感さえ覚えていたんだ)
「彼女を見て……彼女を慕う《怪画》を見て、彼女たちが暴れるだけの化物じゃないって初めて――本当の意味で理解した」
だけど――
「だけど、もう戦いをやめられる段階ではなかった。もう仲間を殺された《怪画》は後に引けなかったし、僕たちもそのまま人間を見殺しにできるわけがなかった」
そのまま戦い続け――
「そして、最後の戦いで……僕は魔王グリザイユを殺した」
それまでは、相手をただの敵だと、化物だと認識していた。
だから戦えた。罪悪感がなかった。
だけど、そんな現実逃避ができなくなった最後の戦い。
そこで悠乃は、言い訳の余地なくグリザイユを殺した。
粉々に、砕いた。
そしてその事実は、悠乃の心にヒビを入れたのだ。
その傷は、今でも癒えることはない。
「だから僕はもう戦えない。世界のために必要でも、やっぱり大丈夫じゃなさそうだよ」
世界のためになら頑張れるかもしれないとも思った。
だけど無理だ。
経験から知っている。
――人間から離れた姿の《怪画》ほど理性の枷が脆く、人間を食らうという本能に忠実だ。
人の形を持たないあの《怪画》は、間違いなく人間を害する。
魔王グリザイユと違い交渉の余地もない。
知識として悠乃はそれを知っている。
だが現実として、そんな相手と戦っただけでもこの有様だ。
イワモンの言う通り、残党軍というものがあるのならそれを率いているのは人間に近い姿をした《怪画》のはずだ。
組織というものは、一定の知能がなければ成立しえないのだから。
人と変わらぬ姿。人と変わらぬ知性。
そんな《怪画》を相手に戦えるのか?
悠乃には……できないだろう。
今日の戦いで確信した。
「やっぱり――僕に世界は救えない」
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