1章 エピローグの向こう側
1章 1話 もう一度世界を救うなんて無理
「悠乃! オレと付き合ってくれぇ!」
「ぇぇ……」
少年――
場所は体育館の裏。目の前にいるのはクラスメイトである男子。
「えぇっと……。僕、男なんだけどぉ……?」
酷い頭痛を覚えながらも悠乃はなんとかそう絞り出した。
すると、男子の覚悟を決めた者の顔となる。
「関係ない。愛に性別は関係ないと教えてくれた君となら」
「いや。勝手に目覚めた性癖を、さも僕のおかげみたいに言わないでよ……」
「オレが必ず幸せにするぅッ!」
「なら放っておいてくださいぃっ……!」
悠乃は抗議した。
もっとも、消え入りそうな声だったため、目の前の男子生徒には聞こえていないだろうが。
「と、とと、とにかく! そういうのは、やりませんからぁ!」
悠乃は必死に声を張り上げた。
焦りすぎて声が裏返ったが、悠乃には羞恥する余裕さえなかった。
端的に言うと――蒼井悠乃は男性恐怖症なのである。
原因は、少女としか思えない容姿。そして、それによって繰り返されてきた男性からの告白。
自分より体格の良い同性に迫られるなど恐怖でしかない。
これらの事情から、悠乃はほとんどの男性に対して苦手意識を持っているのである。
さらに、悠乃が男性を前にして怯える姿が可憐で守りたいという評価を周囲から受けていることを知り、より男性恐怖症が悪化するという悪循環を辿って現在に至っている。
「なら、せめて一夜の夢だけでも……!」
何を血迷ったのか、男子生徒が悠乃に飛びかかってくる。
なんというか、完全に正気を失っている。
「ひぃッ!」
悠乃は震えあがった。
余談だが、彼の動体視力は非常に優れている。
いや、非情に優れていると評すべきか。
自分に迫る男子の顔がこれほどかというほど鮮明に分かってしまうのだから。
(ひぇぇっ……!)
見えてはいるのだが、悠乃は足がすくんで逃げられない。
そのまま男子生徒の熱い抱擁が迫る。
(もうダメだぁ!)
悠乃は赤い牡丹がボトリと落ちる光景を幻視した。
だが、男子の手が悠乃に触れる直前、男子生徒の体が横に吹っ飛んだ。
「ふへ……?」
「いやね。一夜の夢は寝てから見るべきだと思うのよ。オレ」
縮みあがっていた悠乃に声をかけてきたのは、彼のクラスメイトだった。
クラスメイトであり悠乃が唯一普通に話せる男友達――
オールバックにした黒髪。着崩した制服。
軽薄な言動もあってチャラけた印象の青年ではあるが、なんとなく拒否感を覚えずに済む相手である。
男性が苦手な悠乃にとって、唯一の男友達と言えるだろう。
「玲央……?」
玲央が片足を上げた状態で静止しているところから察するに、彼が男子生徒を蹴飛ばしたようだ。
「どうした悠乃? 王子様の登場によって、自分がヒロインである事を自覚したか? 安心していい。乙女は恋すればみんなヒロインだから」
なぜか玲央がウインクを飛ばしてくる。
「その理屈だと、僕はヒロインにはなれないよ。乙女じゃないから」
付き合いの長さのおかげだろうか。
玲央のそんな仕草に動揺することなく、悠乃はため息と共に答えた。
ついでに玲央がウインクで飛ばしてきたハートを片手で払い飛ばす。
今のように彼はよく悠乃を女性扱いする。
しかし彼が本気でないことが分かるからだろうか。
それほど嫌な気分にはならないのだ。
「体の問題じゃないさ。ハートの問題だ」
「だから、ハートが乙女じゃないって」
「……じゃあ駄目じゃないか」
「さっきからそう言ってる!」
悠乃は叫ぶと、疲労から肩を落とした。
嫌じゃないとはいえ、疲れるものは疲れるのだ。
そんな彼をよそに、玲央は爪先で倒れた男子を軽く蹴り続けている。
「こいつは、『悠乃は撫でるものではなく愛でるもの』ということを知らなかったらしい」
(……何ソレ?)
聞き捨てならないワードが耳に飛び込んできた。
聞きたい。だが聞いてはいけないと本能が警告している。
明らかにヤバイ案件だった。
「あのぉ……ソレ、僕も知らないんだけど」
「当然。クラスの不文律だからな。本人には秘密であることも含めて」
「それなら墓場まで秘密にしといてよ! これからクラスのみんなの顔ちゃんと見れなくなるじゃん!」
悠乃は両手で顔を覆って座り込んだ。
まさかそんな目でクラスメイトから見られていたのかと思うと恥ずかしすぎる。それでも平常心を保てるほど図太くはない。
すでに悠乃は涙目だった。
彼の様子を見かねたのか、玲央は彼の肩に手を置いた。
そしてさわやかな笑顔で悠乃を元気づける。
「なら、女子と話すときは胸を見て話すと良い。オレはそうしてる」
「知ってますぅ!」
「悠乃に対してもそうしてる」
「え? それ知らないんだけど」
悠乃は一歩下がると、両手で胸元を隠した。
もちろん胸はないのだが、本能的に。
「そういう反応するから、悠乃男装説が出るんだろ?」
(そうは言われても……)
玲央の言葉に、悠乃は心の中で言い返した。
「いや。最近、悠乃男性説なんてのもあったか。所詮マイナーな学説だけどな。提唱しているのは目立ちたいだけの異端者さ」
「それさ。僕が男である可能性のほうが低いって思われてない?」
「まあ、都市伝説レベルの説だから気にするなよ」
「ねえ。僕の性別って、ツチノコの存在レベルで未確認なの? すっごーく気になるんだけど?」
悠乃は半眼で玲央を見返す。
一方、玲央は彼の視線を意に介することなく口笛を吹いていた。
完全にあしらわれている。
「ぐぬぬ……」
そんな悠乃にできることは、悔しげに頬を膨らませることだけだった。
口でも力でも勝てない。
自分の弱さが悲しかった。
「おーおー守りたいその笑顔」
「笑顔じゃないしっ! 守られたくないしっ!」
悠乃の抗議も虚しいだけだった。
結局、悠乃にできることは不機嫌さを表に出してそっぽを向くことくらいだった。
「ん? ありゃなんだ?」
悠乃が拗ねていると、玲央が空を見上げて呟いた。
「さあ。猫でも飛んでた?」
悠乃は玲央の冗談だと判断し、やる気なさげに答えた。
とはいえ、一応視線だけは空へと向けたが。
まったく、今回はどんな手段でからかわれるのか。
そんなことを考えながら。
「いや。アレは猫っつーより」
目を細める玲央。
どうやら彼の言葉は嘘ではなかったらしく、悠乃の視界には丸い物体が見えていた。
空からこちらへと飛んでくる物体が。
「むしろ豚――ぶべひっ!?」
残念ながら、玲央が最後まで話すことはできなかった。
こちらへと向かっていた飛来物が彼の顔面を直撃したためだ。
玲央は同年代の男性の中でも体つきがしっかりしている。
だが、顔面への直撃はダメージが大きかったようで、彼は勢いよく地面に倒れた。
「大丈夫!?」
悠乃は慌てて玲央に駆け寄った。
思いっきり地面に倒れ込んだのだ。
頭部への衝撃はシャレにならない。
――人間は、脆いから。
「えっと……心拍……OK。脈も大丈夫」
玲央の胸に耳を当て、彼の手首を握り、手慣れた動作で玲央の無事を確認する。
最後に悠乃は玲央の目を指で開かせた。
「……大丈夫。気絶してるだけで無事っぽい」
数少ない友人の安全を確認し、悠乃は胸を撫で下ろした。
「あ。そういえば、さっき飛んできたの」
心に余裕ができた悠乃は、先程の飛来物の正体を確かめようとあたりを見あ回した。
「あれか……」
飛来物の正体は毛玉だった。
白い毛並みの、スイカくらいの大きさの物体だ。
あれが当たったのなら玲央が気絶したのも頷ける。
「なんだろ。アレ」
奇怪な物体を前に、悠乃は四つん這いで近づいてみる。
すると、毛玉から手足が生え、二つの足で立ち上がった。
「んー、どっこい」
……ひどくオッサン臭い掛け声と共に。
「うわー……」
この時点で、悠乃の目は死にかけていた。
完全に見てはいけないものを見てしまった気分である。
着ぐるみの中から小汚いオッサンが出てくるのを見てしまった時のような気分である。
だからこそ、最初に思うべき疑問に気がつくのが遅れた。
毛玉だった生物と目が合う。
「久しぶりだね悠乃嬢」
毛玉だった生物は片手をあげ軽快な挨拶を口にする。
「あ……あ……」
驚きのあまり口をパクパクさせる悠乃。
それを見て、白毛玉は誇らしそうに笑う。
肥え膨らんだ腹を叩きながら。
「ふふふ。朕との再会がそんなに衝撃的かね。だが、悠乃嬢。女性がアンアン言うのはベッドの上だけ――「ぁぁああああああああああ!」……ん?」
唐突な悠乃の叫びに言葉を遮られ、不思議生物が片眉を上げた。
「そんな……嘘だよ……」
蒼井悠乃。
十六歳。高校二年生。
悩み、よく女の子と間違われること。
そして――
「嘘ではない。深い絆で繋がれた我々が、互いを見間違うわけがないだろう?」
白毛玉は笑う。
そして、悠乃へと手を差し伸べた。
「もう一度、朕と魔法少女をやってみないかね? マジカル☆サファイア」
そして……かつての悩み――――『魔法少女』だったこと。
「ぶ……ぶ……」
「ぶ?」
「豚が喋ったぁぁぁぁ!」
「失敬な。豚じゃない。豚のように太った猫だ」
これは再会であり、再開であった。
かつてグリザイユの夜を最後に終わったはずの物語の再開だ。
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