もう一度世界を救うなんて無理

@Youki-White

0章 0話 かつてのエピローグ

「はぁ……はぁ……」

 少女は荒い息をする。

 頭から血を流し、怪我した左肩を押さえながら。

 少女は周囲を見回した。

 曇天の下に広がるのはガレキの山だった。

 数時間前までは活気に満ちていた都会の風景はそこに残ってはいない。

 子供の泣く声。

 建物の崩落に巻き込まれて傷を負った人々。

 それはまるで、大災害でも起こったかのような光景だ。

 いや。ここに住む人々から見れば大災害そのものだろう。

「イワモン……。さっきの攻撃で、何人死んだの?」

 少女――蒼井悠乃あおいゆのは呟いた。

 独り言と間違いそうなほど小さな声だったが、その言葉に答える者がいた。

「――幸いにして死人は出ていない。もっとも、このままでは時間の問題だけどね」

 返事をしたのは、悠乃の足元にいる白猫だった。

 白翼を生やした細身の猫。

 凛とした表情をした白猫は、顔をしかめながらそう言う。

「ここで悠乃が負ければ、人間は全員エサだ」

 白猫――イワモンは灰色の空を見上げる。

 曇りきった空には、幼女が佇んでいた。

 空と同化するような灰色の髪をドリルのように巻いた幼女。

 見た目は可憐だが、その力は絶大。

 それは――この崩壊した都市が証明している。

「悠乃が……あの魔王グリザイユを倒さない限り」

 この一年、蒼井悠乃は人間を襲う怪物――《怪画カリカチュア》と戦ってきた。

 そして、あそこにいる幼女こそが《怪画》最後の砦――魔王グリザイユ・カリカチュアだ。

 彼女を倒さなければ、この戦いは終わらない。

 すでに後戻りできないほどに多くの人が傷ついた。

 これ以上、誰にも傷ついて欲しくない。

「これで最後だ。《氷天華アブソリュート・凍結世界ゼロ・レクイエム》」

 悠乃は重い一歩を踏み込み、そう唱えた。

 直後、彼女の体は純白のドレスを纏う。

 レースがあしらわれたそれは、まるでウエディングドレスのようだった。

 希望で紡がれた衣装で、絶望に彩られた戦場に立つ悠乃。

 その姿は、多くの人の目に映っていた。

「マジカル☆サファイア……」

 誰かがそう呼んだ。

 去年までは存在してすらいなかった名前。

 だが《怪画》が表の世界に現れて以来、その名前は救済の象徴となっていた。

 そうなるだけの戦場をマジカル☆サファイア――蒼井悠乃は駆け抜けた。

 そして、これが最後の戦い。

 マジカル☆サファイアの物語のエピローグとなる。

「はぁッ!」

 悠乃は駆けだした。

 彼女が操る力は凍結。

 空気を凍らせて足場を作り、悠乃はグリザイユのいる場所へと走る。

 だが、それをただ見守る魔王ではない

「妾も、長々と戦うつもりはない!」

 グリザイユは二丁の拳銃を悠乃へと向けた。

 放たれるのは灰色の火球。

 悠乃の体など余裕で呑み込めるだけの大きさを持った灰色の炎が容赦なく迫る。 あれを躱せば、多くの人が死に絶えるのは明白だった。

 だが、あれを悠乃が止めれば、その隙にグリザイユは悠乃を討ち取るだろう。

 そこまで計算をして、悠乃は決意する。

 選ぶのは――前進。

 理由など簡単だ。

「アタシに任せとけッ!」

 悠乃には、仲間がいるから。

 赤髪の少女――マジカル☆ガーネットが悠乃と火球の間に割り込んだ。

 マジカル☆ガーネットが携えているのは赤黒い大鎌だ。

 彼女はそれをバットのように構え、火球へと振り抜いた。

「ピッチャー強襲!」

 大鎌により打ち返された火球がグリザイユへと迫る。

 グリザイユは軽く火球を躱すが、悠乃との距離は縮まった。

「悠乃! アタシの代わりに逆転ホームランかましてきな!」

「……うん!」

 悠乃はマジカル☆ガーネットの激励に応えるためにも足を止めない。

 一方、グリザイユは火球の炸裂による爆風にあおられ、近くのビルの屋上へと降り立っていた。

「まだじゃ!」

 グリザイユは灰色の熱線を撃つ。

 すさまじい熱量を秘めた閃光が悠乃の頬を焼いた。

 だが、足は、足だけは止めない。

「悠乃。全力の一撃よ。お膳立ては、わたくしがしてあげるから」

 視界の隅で、金髪の少女――マジカル☆トパーズがそう笑いかけていた。

 グリザイユの行動を予測し、あらかじめ彼女が仕掛けていたのだろう。

 マジカル☆トパーズの武器である爆弾が、グリザイユの足元で爆発した。

「なッ!」

 足場が崩れ、グリザイユがよろめく。

 足元を支えるものが崩落したことで彼女の体が宙に投げ出された。

 一瞬だが、確実な隙だ。

「《氷天華・凍結世界》!」

 悠乃が叫ぶと――時間が凍りついた。

 世界が凍りつき、すべての動きが止まる。

 停止した時間の中、悠乃だけがグリザイユへと迫る。

 悠乃が両手を広げると、右手には氷の剣、左手には氷の拳銃が生み出された。

 彼女は空中で停止している氷塊を足場にし、グリザイユへと肉薄。

「はぁっ!」

 そして、そのまま氷の剣でグリザイユの胸を貫いた。

 凍りついた時間が動き始める。

 同時に、グリザイユの胸から血があふれ出した。

「ぐぬぅッ……」

「これで終わりだよ。魔王グリザイユ」

 静かな声で悠乃はそう言った。

 今の攻撃は心臓こそ貫いていないものの、かなりの深手だ。

 すぐに退かねば命を落とすほどの傷だと悠乃の経験が語っていた。

 だが、

「終わらせぬのじゃ。王として、妾が終わらせぬ」

 グリザイユは胸を刺し貫かれてなお、悠乃を睨みつけた。

 その瞳には狂気と呼ぶべき程の執念がこもっていた。

 ――これまで何度となく殺気を浴びてきた。

 もっと絶望的な戦いだってあった。

 なのに、彼女の執念がこれまでで一番激しく悠乃の心を揺さぶった。

 同時に怒りも沸き起こる。

「なんで……! 僕達の戦いで多くの人が……《怪画》だって傷ついた。もう良いじゃないか。君は先代魔王の娘として、充分に戦った。もう立ち止まったって、誰も君を責められはしないはずだよ」

 人間と《怪画》。

 この戦争を始めたのはグリザイユの父だ。

 彼女は、父の遺志を継いだだけ。

 それでも、彼女は圧倒的なカリスマで《怪画》をまとめ上げ、戦い抜いた。

「君は恐怖政治で《怪画》を支配した先代魔王とは違う。すでに《怪画》の中でも、君を喪うくらいなら戦争をやめても良いという《怪画》さえいるんだ。なんで……まだ戦うの……?」

 悠乃は悲痛な表情を浮かべて問いかける。

 手にかかったグリザイユの血が熱い。

 それなのに指先は怖いくらいに冷えて、剣を握る手が震えてしまう。

「それは……妾がだからじゃ!」

 グリザイユはそう叫ぶと、一気に後ろへと飛んだ。

 彼女の胸から剣が引き抜かれ、血流を迸らせる。

 それでも彼女は胸を押さえながら銃を構えた。

「そうじゃの……。妾たちは身命を賭して戦った。その努力は実を結ばずとも、妾たちの何かを変えたことじゃろう」

 グリザイユはうつむいたままそう呟く。

 この戦いの中で、多くのものが変わった。

 ただ破壊の限りを尽くしていた《怪画》の中に秩序が生まれたこともその一つだろう。

 グリザイユの戦いは、無為などではない。

 ここで戦いを終えたとしても、残るものはあるはずだ。

 だが、それでもグリザイユは止まらない。

 すべては、民を想うが故に。

「この世に無駄な努力などないかもしれぬ。しかし、それはじゃ! 王とは! 常に結果で民草へと語りかけねばならぬのじゃ!」

 努力などという過程では民を納得させられぬのだと。

 結果が伴って初めて、王は役目を果たせるのだと。

 そうグリザイユは血を吐きながら叫ぶ。

「民草が明日を生きられるというのであれば! 妾はそれで良い! たとえ、その明日に妾がいなかったとしても!」

 グリザイユの拳銃が灰色の光を放った。

 全てを消し飛ばす閃光。

 それは、魔王が死力を尽くした一撃だった。

「なんで……こうなるんだよッ……!」

 悠乃は涙をにじませ、左手の拳銃の引き金を引いた。

 銃口から彼女の全魔力を乗せた氷弾が放たれる。

 死力と死力のぶつかり合い。

 最後の戦いを制したのは――悠乃だった。

 悠乃が放った氷弾は灰色の閃光を貫き、グリザイユへと着弾した。

 被弾した彼女の胸に氷の結晶が形成されてゆく。

「……これが、妾の結末というわけかの」

 グリザイユは目を細め、そう漏らした。

 その表情に浮かぶのは諦観、自嘲。

 泣きそうな表情を浮かべてはいても、涙は見せない。

 それは、王であるが故。

 王に涙などという免罪符はいらない。

 泣いたところで、民を救うことはできないのだから。

 ただ粛々と幼い魔王は迫りくる末路を受け入れる。

 氷は規模を増し、彼女の全身を覆い始める。

 それでも氷の増殖は止まらず、彼女を呑み込み巨大な氷の塔となった。

 結晶は宝石のように美しい光を放っている。

 だがそれは、中に閉じ込めた存在すべてと共に砕け散る墓標だ。

「――せめて、あの世には争いがないことを願っているよ。王という役割を押し付けられただけの、優しい少女のために」

 悠乃は一粒だけ涙を流し、グリザイユへと背を向けた。

 直後、透きとおった音と共に氷が砕ける。

 キラキラと輝くダイヤモンドダスト。

 その中にはグリザイユの体は残っていない。

 ――この世から魔王が消滅した瞬間だった。

 氷の塵が滅びた都市に降り注ぐ。

 人々はその光景に目を奪われ、泣き腫らした目を見開いた。

 人々は手を伸ばし、氷の粒を手に溜める。


「……綺麗」


 誰が言った言葉かは知らない。

 きっと、その人物にとって、この光の粒子は絶望の終わりを暗示しているのだろう。

この光をキッカケに、自分たちの未来は明るいものになると予感したのだ。

 そんなことを悠乃はどこか冷めた気持ちで考えていた。

「綺麗……ね」

 悠乃は空を見上げる。

 自分が起こした冷気のせいで、吐く息が白い。

「僕にはそう思えないや」

 悠乃は自嘲した。

 せずにはいられなかった。

「僕はただ、魔法を凶器にして殺しをしただけなんだから」

 あまりにも心に空いた穴が大きかったから。



 突然、大量の化物と共に魔王と名乗る存在が現れた絶望の日。

 その一日の出来事は魔王の名前から『グリザイユの夜』と呼ばれるようになる。

 その日、それまでは都市伝説の域を出なかった存在――魔法少女が現れ魔王を倒した。

 まるでアニメのような事件。

 夢物語のようなそれは、やはり夢物語のように終わってゆく。

 グリザイユの夜以来、魔法少女が現れることはなかった。


 そうして、とある魔法少女たちの物語は幕を閉じた。


 ――……一度は。

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