第五話 笑顔ってときには悪魔のように見えるんだね
「それではヴァン君、今日も勉強を始めますよー!!」
サラさんが今日も元気よく、声を掛けてくる。
「今日もよろしくお願いします!」
いつも通りの挨拶を返し、すっかり慣れた勉強の準備を終えて、椅子に座って待っている。この部屋で暮らすようになってから一年が過ぎた。日常と呼べる位にはここでの生活にも慣れる事が出来たと思う。サラさんとは最初の晩以来すっかり仲良くなり、今では気軽にお話が出来るようになれた。まぁ仲良くなったというべきか、勝手に僕が懐いたというべきか、迷うところだけどね。
ちなみにあの晩から一度も僕は泣いていない。領主様からもらったチャンス。落ち着いた今だからこそわかるこのありえないチャンスに、僕は感謝をしなければいけないし、しっかりと活かさなければならない。本来であれば、親を亡くした僕では勉強はおろか、まともな生活すら出来ずに死んでいたかもしれない。それが今、こうして学ぶ事が出来ているんだ。成人する十五歳。一人でも生きていけるように今を必死に頑張らなきゃいけない。その為には先ず、出来る事をやるだけ! そう、今は勉強だ。
この一年、サラさんが言っていた通り、文字の読み書き、数字の計算が出来る様になる事から始まった。今では難しい文字以外であれば大体読めるし、書けるようになった。数字も足し算に、引き算と基本的な事は覚えられたと思う。
『知識は宝』って言葉がサラさんの格言だ。夜が明けると同時に起き、朝食を食べてから昼食まで勉強。昼食を食べてから夕食まで身体を鍛える為に訓練を行う様になった。この訓練はきつくって……。どうも変わった訓練らしいけど比較するものがないので僕にはわからない。本来であれば、広い場所で動ければいいんだろうけど。ここは秘密部屋だからね。物音は立てられないし、走る場所も無い。こればっかりは領主様に言われてる事だからどうしようもないしね。
さて、それではどうするのか。ヒントはもう一つの部屋の存在。今ここでは、僕が暮らしているこの部屋、左側がサラさんの部屋、もう一つが用水路になっている。この用水路は、僕やサラさんが身体を綺麗にする為に使ったり、飲み水に活用されている。常時、大量の水が流れていて、水深も結構ある。水路の入り口と出口には鉄格子が嵌められていて、そこから外へ出る事は出来ない。
ここまで来ればわかるよね。そうだよ、用水路に落とされたんだ。
まぁ、あれだよね、あれ。パンツ一丁になって、腰に縄を括りつけられ、それに気が付いた時には後ろから蹴られて……。身体を拭くからパンツ一丁になれって急にサラさんから言われて、あれ、おかしいな? とは思ったけどサラさんの言う事だし、そこは素直に従ったんだ。そしたらどぼーんって。咄嗟に振り向いた時にはサラさんのとびきりの笑顔。いつものあの優しい笑顔なのに優しく無い。無言で落とされたんだ。
笑顔ってときには悪魔のように見えるんだね。最初に落とされた時は勿論、泳いだ事なんて無かったし、ただ単純に溺れてただけでいつの間にか縄で引き上げられていたよ。ちなみにその後僕だって抵抗したんだ。ここで泳いだらこの用水路が汚れちゃんじゃないか? とか下流の人に迷惑かかるんじゃないのか? って感じに。けど、ここの水源ってちょっと特殊らしくて領主様が特別に用意した水路だから何しても問題ないんだって。いや、問題はあるんだけどね?
「人間は死ぬ気になった時が成長期」
なんて訳のわからない迷言を残すし、僕の反論なんて全然聞く気がなさそうだった。
いやまぁね、言ってる事もわかるところはありますよ? わかりたくないけど。それにしても、もうちょっといい方法があると思うんです。
てな訳で溺れて持ち上げられて、目が覚めたらまたどぼーん。寝たフリしててもバレてどぼーん。ドアから逃げようとしても引っ張られてどぼーん。いやいや、死ぬ気っていうか死んだっていうか……。何回か死んだ方がマシなんじゃないかって思いました。おかげさまでお母さんに何回か再会出来ていた気がする。久しぶりの再会がこんな方法だったなんて……。違う意味で涙が溢れそうになりました。
それからはずっと昼食後に溺れ、もとい、水泳の訓練に励んでいたよ。最近になって漸くだけど、服を着たまま普通に泳げるようになったので、少しは成長していると思う。いや、思いたい。
「ヴァン君! ボーっとしていてはいけません! 時間は限られているのですよ」
遠い目をしながら思い出に浸っていると、サラさんが眼鏡をクイッとしながら注意してくる。ちなみに度は入っていない。おまけに手作り。なぜ眼鏡を掛けるんですか? って聞いたら、形から入るのが大事なんだって。
「すみませんでした! ところでサラさん、今日は何を勉強するのですか?」
「わかればよろしい! そうですね、読み書き、足し算、引き算は既に合格点を上げられるので、今日から本格的に、知識を深める事にしましょう。先ずは、今暮らしているこの国について教えていくね。ごほん、それでは始めます。この国だけど―――」
話が長くなるので要約するとこんな感じ。この国の名前はパナソニ王国で、僕達が暮らしているのは、パナソニ王国のタスキン都市。この都市の名前すら知らなかったけど、お母さんも仕事が忙しかったし、仕方ないよね。王国領土の最南端で、人口は五十万人程度。そもそも都市といっても、国を抜かすと、人が暮らしているのが確認出来ているのはタスキンだけなんだって。他に都市とかが無いのは何でなんだろうね?
質問を交えながら話を続ける。質問をする時にはきちんと手を挙げ、サラさんの返事を待つ。サラさんが「どうぞ」って声を掛けてくれるまでじっと我慢。こういった段階を踏まないと質問に答えてくれない。細かいところでうるさいんだよなぁ……。初めての時なんか、眉間に白いチョーク? っていう白い棒を投げられて結構痛かったし……。
その代わりに、きちんとさえしていればちゃんと答えてくれる。そう、今みたいに眼鏡をクイクイッとしながらね。
話が逸れてしまった。ごほん、それで質問した結果なんだけど、何で他に都市が存在しないのか。その原因は都市を囲む防壁の存在だ。この防壁は、外に存在する魔物の脅威に対抗する為に用意されたもので、脆かったり、低かったら意味がない。これを維持、新設するには少なくない人材、資材が必要で、新しく開拓するにはそれが足りないらしい。人材不足が解消されたとしても、今度はコストが合わなく、新しい都市を作るより、今ある都市、国を発展させた方がいいとされている。
幸いにも空を飛ぶ魔物は縄張り意識が強いらしいので、襲われるような事も少ない。それでも全く襲撃がない訳ではない為、空への対策も勿論しているんだろう。
そもそもこの防壁が必要になる元凶である魔物。動物、虫、鳥、植物等、幅広い種類がいるらしい。動物との違いは魔力の有無で、雰囲気が動物と全然違うのですぐわかるんだって。
そしてこの魔力ってのが厄介で、魔力を持つ者は、同じ様に魔力を持つ者を殺す事で、魔力が上がる。勿論、魔力を持つ者の中には人間も含まれ、魔物が人間を襲う理由の一つになっている。人間は動物と違い、殆どの人が魔力を持っているからだ。だが、持っている=戦える訳じゃない。むしろ戦えない人の方が多いらしい。強くなる為には戦って殺さなければいけなくなるが、殺すって事は殺される覚悟も必要になるだろう。相手だって必死になるし、魔力にだって限界値があるらしいし、ただ闇雲に戦えば強くなれるって言えるほど簡単じゃないって事だ。
「サラさん、戦うって事は難しい事なんですね」
「そうだよ。けどヴァン君がもし、冒険者になったらどこかで戦わないと行けない時があるのよ。必ずじゃないけどね?」
そう、みんなが戦えるようになれる訳じゃない。そこで戦えない人を守る為にとある機関が誕生した。その名は『ギルド』。国が運営していて、登録すると、依頼を受けてる事が出来、定期的に魔物を間引いたりもする。魔物と戦う人を先程サラさんがいった『冒険者』と呼び、魔物を間引き、その素材をギルドに売る事で、生活している。
「けど、こうやって外の話とかを聞くと、想像以上に怖いところなんだな、と実感しますね。今まで防壁の外に出た事なんてないし、危ないとか、殺されるとか想像した事もなかったです」
「まぁ今もだけど、ヴァン君はその時は、子供だったし、お母さんにそこまで言う余裕はなかったから仕方なかったんじゃないかな?」
「まぁそれはそうですよね。お母さんは仕事で忙しかったし、お父さんなんて誰なのかすら知らないですもん。もしいたらって思う事もあるけど、今考えても仕方ない事ですよね」
「うんうん、よくわかってるね。今は知識を深めたり、身体が強くなれる様に頑張ろうね」
「わかりました! ありがとうございます」
またまた話が逸れてしまった。まぁ魔物の話も大事だから仕方ないよね。ギルドとか、冒険者も気になるけど、一旦都市の話に戻ろう。さっきの都市が全く存在しない理由が防壁を作る為のコスト、人材不足等々色々あるのはわかった。それではなぜ、そんな中で都市タスキンは出来たのか。様々なリスクを負ってまで新しい都市を開拓する、そこには大きな理由がある筈だ。
ちなみにタスキンは南側の海沿いだ。この海が関係している。そう、塩。ある時を境に、岩塩が取れなくなってしまい、当時のパナソニ王国の塩が急高騰し、急遽対処しなければいけない状況になってしまった。
さまざまな方策が考えられたが、どれも駄目。シャーブ帝国に輸入を依頼しても、実はシャーブ帝国でも同じ状況。そうなると今度は、代わりになる塩を確保するしかなくなる。そしてお互いに困っていた両国は、共同でタスキン都市を作る事にしたのだ。協議した結果、領地はパナソニ王国、資源の優先度をシャーブ帝国にする事でまとまったらしい。その結果、タスキン都市はパナソニ王国に属していながら、シャーブ帝国とも関わりが深い、特殊な都市になっている。
ちなみに十五歳になったらパナソニ王国に行くらしい。僕の理想は、お母さんと僕の家を買い戻してそこでゆっくり暮らしたかったんだけど、流石に領主様から許可が下りなかった。残念だけど、こればっかりはね……。
「そろそろ休憩にするよ」
気が付いたら結構な時間が経っていたようだ。勉強してるとあっという間に時間が過ぎてしまう。せっかくの休憩の声が掛かったので、今の内に先程までの話を頭の中で整理しておこう。王国、帝国、ギルド、冒険者……。
「今説明した中で気になった事はあったかな? まだ初めてだし、気になった事があったらそこを中心に今日は勉強していこうね。休憩後に聞くから考えておいてね」
最後まで言うと、サラさんは部屋を出て行った。さて僕はその間に気になる事をまとめとかないと。先ずは何から教えてもらおうかな……?
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