第四話 月夜に照らすは母のようで

 サラさんが部屋から出てから特にする事もなかったので、部屋の中をウロウロしたり、タンスの中の洋服を見てみたりと、落ち着く事が出来ずにいる。暫くすると、ドアがノックされた。


「失礼します。夕食のご用意が出来ました」


 返事をすると、食事を乗せたトレイを片手にドアをさっと開け、部屋の中に入ってきた。


「お待たせしました」


「い、いえ、全然待ってないです! ありがとうございます!!」


 僕が戸惑いながら頭を下げてお礼を言っている間に、テキパキと机の上に夕食を並べていく。


 は、早すぎる……! 頭を上げた時には既に全ての夕食が並びきっていた。本当なら僕も手伝うべきだよね? 食べ終わった時には頑張ろう。それにしてもさっきも気が付いたら後ろにいたりしたし、ここで働いている人ってみんなこうなのかな?


「それでは、お食事が終わる頃には参りますので、ゆっくり食べてくださいね」


 サラさんがウィンクをして部屋を出て行った。綺麗な人って何をしても様になるよね。目で追っかけてしまいそうだ。とは言っても、いつまでもサラさんを追いかけている訳にはいかない。せっかく作ってくれた料理が冷めちゃう。さっきからいい匂いがして、お腹がぐぅぐぅだよ。


 そういえばここ最近、まともに食事を取った記憶がない。そもそも食事どころか何をしていたかどうかの記憶すらない気がする。正直、食事をするどころじゃなかったし、僕自身、どこかへ行ってしまったような感じだった。それが今のおかしな状況になって落ち着いた? のか漸く戻ってこれた気がする。とにかく、久しぶりの食事をいただこう。温かい食事を作ってくれたサラさんに感謝をして、いただきます。


 誰もいない部屋で僕の食事する音だけが響く。この静けさに寂しく感じてしまうけど、今は余計な事を考えないように……。とにかく食べるんだ。食事の内容は、野菜たっぷりのミルクを使ったスープに僕がいつも食べているような硬めのパンが入れてある。こうする事で柔らかく食べる事が出来るように、サラさんが気を使ってくれたんだと思う。しかもこの野菜のスープ、少しだけどお肉が入っている。お母さんの作ってくれたスープにはお肉が入っている事の方が少なかった。それでもお母さんの作ってくれたスープが一番なんだけどね。けどサラさんの作ってくれたこのスープもお母さんに負けない位優しい、美味しいスープだった。


 お腹が空いていたのもあってあっという間に食べきってしまった。一気に食べ終えて、ホッとしていると、ふとお母さんとの今までの思い出が蘇ってしまった。一度思い出してしまうと抑える事が出来なくなってしまう。当たり前だった日常、それが終わってしまったんだと思うと、涙が止まらなかった。














「失礼します。お食事は如何でしたでしょうか? お口に合いましたか?」


「とっても美味しかったです。御馳走様でした」


 泣き止んでから暫くするとサラさんが片付けにやってきた。まだ目が腫れているような気もするけど、運が良かったのか、こっちを気にする様子もなく片付けを始めた。って僕も手伝わなきゃ!


「座ってていいですよ。今日はお疲れでしょう」


「そんな、大丈夫ですよ。あ、いや、ありがとうございます」


 サラさんの目が座ってろって言っていた気がする。ただ笑顔だっただけなんだけどね。僕もうまく動けそうにないし、ここは甘えさせてもらおう。それにしてもさっきの泣いているところを見られなくてよかった……。こんなに親切にしてくれる人にあんまり心配掛けさせたくないもんね。泣いてスッキリしたし、もう大丈夫。もう大丈夫だ。


 本来であれば、この食事一つ満足に食べる事が出来ないんだ。自分で働く事も出来ない僕を助けてくれる人なんて普通いないし、そしたら僕は一人で生活なんて出来ていないと思う。今までは当たり前のように食事が出てきて、そしてそれを食べる事が出来た。だけど、これからは同じように食べる事が出来るとは限らないんだ。今は領主様が成人になるまで暮らせ、って言ってくれているから食べる事が出来るのかもしれない。けどこれって本当にずっと続くのか、それは実際にはわからない。ひょっとすると明日には追い出されるかもしれないし、もし言われてしまったら僕はそれに従うしかない。そうならない為にも、どんな些細な事でも僕に出来る事はやっておこう。それが今の僕に出来る、精一杯の事なのだから。


「今日はもう特にする事はないのでゆっくり休んでください。あ、真っ暗になる前に水浴びだけするようでしたら言ってくださいね。お連れしますので。私は私の部屋にいますので何かあったらベルでお呼びください。くれぐれも一人で行動する事だけはなさらぬようお願いします。それでは失礼します」


「わかりました。何から何までありがとうございます」


 水浴びかぁ……。どうしようかなぁ。














 結局、水浴びはやめて身体を拭くだけにした。浴びたい気もしたけど、その元気も出なかったからだ。申し訳ない気持ちになりながらベルを鳴らし、サラさんに来てもらって、背中だけ拭いてもらった。それだけでも凄く恥ずかしかった。その後は、サラさんも用事があったのか、直ぐに部屋に戻っていった。きっと他にもお仕事がある中、本当にありがたいと思う。


 サラさんがいなくなったので一人、静かに身体を拭く。そうすると聴こえてくるのは身体を拭く布の擦れる音だけ。途端に静寂が訪れる。食事をしていても、身体を拭いていても、考える事はこれからの事ばかり。サラさんがいるから完全に一人ではないのかもしれないけど、それでもここで新しい生活をしていかなくちゃいけない事に変わりはない。これから生活していく上で、どうしていくのがいいか、今出来る事もないし、考えていかなくちゃいけないな……。







 寝られない……。あれからどれだけ時間が経ったんだろう。時間が経てば経つ程、これからどうしたらいいのか、わからなくなってくる。まぁそんなに直ぐに答えが出る筈ないんだけど……。窓を見ると完全に日が暮れてしまい、あたりは静寂に包まれている。あるのはわずかに窓から月明りが覗いているだけ。今いる状態が本当に現実なのかすらわからなくなりそうだ……。身体は疲れてるんだけど、やけに大きく聞こえる布団の擦れる音と僕の心臓の鼓動。うるさくて仕方ない。


 静かになってしまうと今日一日の事、お母さんはいなくなってしまった事、余計な事ばかり思い出してしまう。どうしてこうなってしまったんだろうか。これからずっと僕は一人なんだろうか……。


 お母さん……。会いたいよぉ。声が聞きたいよ……。今すぐにも泣き叫びそうになるのをグッと堪える。どんなに願ったって叶う事はないんだ。知らず知らずの内に涙が溢れ出てくる。


 止まってよ、お願いだから……。


 一度流れだしてしまえば、我慢していた感情と共に溢れんばかりに濁流の如く、流れ続けてしまう。枕に突っ伏す事で、辛うじて声だけは漏れないように、誰にも迷惑を掛けないように頑張った。


 昼間はまだバタバタしていたし、正直、現実感が無かったから何とかなってたのかもしれない。領主様のところで暮らすなんて誰が想像できただろうか? それが出来た人は天才だと思う。まぁ逆に、こんな意味のわからない状況のおかげで昼間は大丈夫だったんだと思うけど。けど、今は暗闇が支配する夜の世界。悪い方に、悪い方にばかり考えてしまう。


 どれ程の時間が経ったのだろうか……。ふと誰かが僕の手を優しく握っている事に気付いた。慌てて握っていない方の袖で涙を拭って布団から顔を出すと、いつの間にかサラさんが手を握ってくれていた。明かりのないこの部屋を、窓から照らす僅かな月明りが、丁度サラさんを照らしてくれている。それはまるでサラさんだけを照らす為に存在しているようで、その姿が一瞬、お母さんのように見えた。僕が見ている事に気付くと、こちらに向かって優しく微笑んでくれる。


「私には大した事は出来ませんが……、これからは、私がヴァン様のお傍にいますから……。だから、無理しなくていいんですよ?」


 堪えきれず、泣きついてしまう。こうなってしまっては感情を抑える事なんて出来る筈がなかった。僕は只々泣き、サラさんは頭を優しく撫でてくれる。お母さんが亡くなってから、今日までの全ての感情を吐き出すように、これでもかって位に泣き続けた。


 その後、泣き疲れたのか、サラさんの笑顔を見たのを最後にいつの間にか眠りについたのだった。

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