第50話 生きていれば

 蓮さんを屋敷まで連れて帰ると、すぐに佳歩さんが駆け付け、応接室のファンヒーターの前に蓮さんを座らせた。蓮さんの着ていたダッフルコートは雪を吸って重くなり、クリーニングに出さなければならなかった。お風呂の準備が整うと蓮さんは濡れた体を暖めるために入浴に行き、私と柊吾さんは一足先にインスタントのオニオンスープをもらった。佳歩さんから受け取ったカップを一つ、柊吾さんに差し出す。

「どうぞ、柊吾さん」

 そのときに当たった柊吾さんの指先が凍るように冷たくて、

「私たちもすっかり冷えちゃったね。しっかり持たないと落としちゃうよ」

 そう言うと、柊吾さんはしばらく眉一つ動かさずに私を凝視して、石膏のように固まった。

「柊吾さん? 大丈夫?」

 そう呼び掛けると、ようやくカップを受け取ってくれた。

「お二人とも、蓮様を連れ戻して下さってありがとうございます。お二人が様子を見に行って下さらなかったら蓮様は体調を崩していたかもしれません」

「蓮さんが無事で本当によかったです」

 私はそう応じながらスープを啜った。柊吾さんは片手でカップを持ち、黙ったまま飲んでいる。

「お二人も体が冷えたでしょう? よかったらお風呂使ってくださいね」

 佳歩さんはそう言ってくれたけれど、私も柊吾さんももうお風呂に入る元気なんて残ってなかった。

 蓮さんは二十分ほどで戻ってきて、さっきよりも幾分落ち着いているように見えた。

「二人とも、迷惑を掛けて本当にごめんね。ありがとう」

 そう言いながら佳歩さんの用意してくれたオニオンスープを飲む。蓮さんは私たちよりもずっと疲れていて、もう一言も喋らず、私たちと目も合わせなかった。みんな体が暖まったところで部屋に戻り、私もようやくベッドに入った。もう夜中の二時だった。

 布団に入ってもしばらくは目が冴えていたけれど、十分ほどすると急に深い睡魔に襲われて、朝までぐっすり眠ってしまった。

 朝、七時に起きてキッチンにいる佳歩さんに挨拶をしに行くと、もう蓮さんも起きていて、すっかり元気な様子で「里奈さん、おはようございます」と声を掛けてくれた。眼鏡もちゃんと掛けていて、髪も濡れていない。血色よく艶めく頬にはいつも通りの微笑みを浮かべていて、私は思いの外ほっとした。

「蓮さん、もう大丈夫なんですか?」

 蓮さんは恥じらうように苦笑いをして、

「昨晩は大変失礼いたしました。実は、私も柊吾も、普段は呑まないような強い酒を口にして、柊吾は眠ってしまうし、私は妙に気分が沈んで錯乱してしまうしで、つい投げ遣りになってしまいました。あなたや柊吾にまで大変な思いをさせてしまってごめんなさい」

「蓮さんが無事なら何でもいいのよ」

「昨日は本当に楽しいひとときを過ごしました。楽しいと言っても特別なことは何もしませんでしたが、柊吾と一緒に呑み食いをして、だらだらとスマホでダーツやソリティアをやって、まさかこんな気安い友人が妃本立でできるとは思っていなかったので嬉しい誤算でした。――ですが、酒に溺れるうちにやはり継承に巻き込まれた人々のことを思い出し、いても立ってもいられなくなりました。罪悪を抱えている私に、こんな平穏が訪れてはならない。そんな気持ちになったんです」

 蓮さんは自嘲気味に笑った。

「スープを飲んで部屋に戻ったあと、柊吾が見ている目の前なのに、年甲斐もなくわんわん泣き喚いて、柊吾には果てしなく呆れられました。恥ずかしい話です」

「でも、元気になってよかった。あんまり無理しないでね、蓮さん」

「ありがとうございます。柊吾にも言われましたよ。生きていればそれでいいんだって。あなたも柊吾も、優しい人ですね」

 蓮さんはそう言って切なく微笑んだ。

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