後編 最後の継承者

第10章 帰郷

第35話 兄さん

 誕生日も過ぎ、期末テストも終わり、秋という季節も足音一つ立てずにあっという間に遠ざかって、とうとう今年最後の月になった。僕の周りは驚くほど静かで、ただ太陽が昇ったり沈んだりする以外は、特別大きな出来事も起こらなかった。僕とアリスは継承の習わしを半ば忘れて、佳歩さんの手伝いをしながら、物静かな初冬の日々をゆっくりと過ごしていた。

 そうして十二月も二週間が過ぎたころ、佳歩さんが教えてくれた。

「もうすぐ蓮様が帰っていらっしゃいますよ」

 年末に帰ってくると聞いてはいたけれど、まだまだ先だと思っているうちに、いつの間にかその日が近付いてきたのだ。初めて会う、血の繋がりのない兄。「蓮さんってどんな人ですか」と佳歩さんに訊くと、「とても礼儀正しい、お優しい方ですよ」と教えてくれた。

「帰っていらっしゃるのは来週ですが、その前に、拓真様と直接お話がしたいと仰っていました。近いうちに電話が掛かってきますから、ゆっくりお話ししてみて下さい。お優しい方ですから、大丈夫ですよ」

 佳歩さんはそう言って、蓮さんの電話番号が書かれたメモ用紙をくれた。この番号から電話が掛かってきたら、僕は噂でしか聞いたことのない兄の声を直接聞くことになる。机の上にメモ用紙を置いて、ぼんやりと番号を見つめた。

 本当に電話が掛かってきたのは次の日の夜だった。飛び跳ねるほど驚いて慌てて電話に出ると、動揺する僕の耳に、荒ぶる鼓動を鎮めるほどの、湖水のように静かな、心地のいい囁き声が聞こえた。

『こんばんは。はじめまして、拓真君。朝永蓮です』

 僕は何かに打たれたように机の前に立ち尽くして「あ……あの……」と、どうにか返事をした。もう一度鼓動を確かめると、熱い血が夥しく胸に去来して、とくとくと脈を打っている。

「はじめまして。朝永拓真です。……その、僕の、お兄さんなんですよね」

 僕の喉は緊張のあまり枯れ木のようにからからだった。

『そうだよ』と、蓮さんは囁くように返事をする。

『直接話ができて嬉しいよ。いきなり顔を合わせるより、こうして少しでも話をしておいた方が、直接会ったときに緊張しないだろうと思ってね。拓真君のことは佳歩さんからよく聞いているよ。父さんはとてもいい子を引き取ったね』

「あの……僕……自分に兄さんがいるなんて知らなくて、佳歩さんから教えてもらったときには本当に驚きました。血は繋がっていないけれど、でも、何となく心強くて嬉しかったです」

 蓮さんの表情は見えないけれど、光のように柔らかく微笑んでいるのらしいのが、電話越しでも分かった。

『僕も自分に弟ができるなんて思わなかったよ。拓真君が引き取られたころには僕はもう屋敷にいなかったから、お互い一人っ子みたいなものだよね。君のことを聞かされたときには驚いたよ。十二、三歳のころだったかな。どういうことなのかそのころの僕には分からなかったけれど、かけがえのない弟ができたってことだったんだよね。今まで関わることすらなかったけれど、やっと会えるね』

「僕は赤ん坊のころに引き取られたから親のことすら何も知らなくて、家族って何なんだろうってずっと考えてたんですけど、でも、こんな僕にも兄弟だと言ってくれる人ができて、何だか今でも信じられない気分です」

『家族のことを何も知らないのは僕も似たようなものかな。もう二十年近く父さんにも会ってないし、母さんはどこにいるのか、生きているのか死んでいるのかすら分からないからね』

「……蓮さん、お願いがあるんですけど……」

『何だい?』

「あなたのこと、蓮兄さんって呼んでもいいですか?」

『……そんな風に呼んでくれるの? もちろんいいよ。日曜日には帰るから、そのときに、色々話をしようね』

「……はい」

 僕は胸が震えて、もう何も言葉にならなかった。

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